SCENE 59: またしても、ラルはやっぱり謎の男。
BANGALORE, NOVEMBER 13, 2004

ビューティーパーラーに行こうと、夫と二人でホテルを出る。
ホテルのタクシーは高いから、オートリクショーを拾おうと、
通りに面したゲートまでの道を歩く。

ちょうどその時、1台のオートリクショーが門のそばで停車した。
「あのオートリクショーに乗っていこう」
そういいながら手を掲げた瞬間、
車から下りてきたドライバーを見て、目を見張った。

ラル……? ラルだ!
どうして? どうしてここにいるの?!
狐につままれたような気分で手を振るわたしに、彼も笑顔で手を振り返す。

たとえ彼が、ホテルを中心にお客を拾っているとはいえ、
ここは、半年前に泊まったのとは違うホテル。

まさかこんな絶妙のタイミングで再会するなんて、本当にびっくりだ。

普通インドじゃ、意図的に待ち合わせをしたとしても、
こんな絶妙のタイミングで
人と会えることはないというのに。


■本当に、ご縁があるラルとわたし。

バンガロールでは、一日は買い物をするつもりでいた。この間はラルのお陰で、とても手際よくいい買い物ができたから、またラルに会えたらいいのだけれど、と思っていた。

とはいえ、彼に出会えることはまずないだろうと思っていた。彼は電話を持っていない。この間泊まったウィンザー・シェラトンに行けば、ひょっとするといるかもしれないけれど、でもいないかもしれないのにわざわざ彼を探しに行くことはないだろう。

今回は、すでに知っているコマーシャルストリートで買い物を間に合わせようと思っていた。

だから、ホテルの門のところに停車したオートリクショーからラルが下りてきたときは、本当にびっくりした。買い物に行こうと決めていた今日、偶然にもまた、彼に会うことができたのだから。

「彼はミホの行動を把握してるよね」と、夫もびっくりしている。

前回だって、何の約束もしていないのに、彼が2度もタイミング良く登場して驚いたのだ。1時間10ルピーの謎はもう解けたけれど、やっぱりラルは謎の男だ。

彼の車に乗り込み、挨拶を交わす。差し障りのない世間話などをしながら目的地に向かう。

「また1時半後に迎えに来てね」

そう言いながら、わたしたちはビューティーパーラーの前で車を降りた。

 

■あっけらかんとした女性たち

一足先にマッサージを終えたわたしは、ネイルケアのラウンジのソファで、夫のマッサージが終わるのを待っていた。そこには、友人同士らしき女性客が二人、ネイルケアを受けていた。数分おきにけたたましい着信音で携帯電話が鳴る。昨今のインドでは、もう至るところで携帯電話だ。

大声でおしゃべりをする彼女らの会話を聞くともなしに聞いていた。派手な服を着た方の女性が言う。

「昨日ね。わたし、ボーイフレンドに泣かれたのよ。ほんと、いやになっちゃうわ!」

「どうしたの? 何が原因なの?」

「それがさあ、彼が泣きながら言うにはね。妻は僕のことが好きだから、どうしても離婚はできないんだって言うのよ!」

飲んでいた水を、本気で吹き出しそうになった。インドにも、それはそれはいろんな人たちがいるだろうけれど、一応は封建的らしきこの国で、本来は「人目を忍ぶ」べき付き合いの詳細を、まるであっけらかんと話す彼女に驚いた。

爪の手入れをしてもらいながら、人目を憚らず話す。無論、わたしなど眼中に入っていない様子。不倫という行為が、まるでファッションのようだ。

それにしても、泣きながら「離婚はできない」と言う男ってのも、どうしたものか。

 

■ラルの運転で街に出る。ランチ、そして買い物。

ビューティーパーラーを出ると、ラルが待機していた。まずは夫をホテルに送り届けて、それからわたしは買い物に出かける予定だった。

今朝は朝食が遅かった上、たっぷりと食べていたので、ランチはいらないね、と言っていたのだが、ラルのオートリクショーに乗り込んだ瞬間、前回連れていってもらった食堂のことを思い出した夫。

「ドサを食べに行こうよ!」

急遽、Samrat Restaurantへ行くことに。ブドウのジュースとドサを一つずつオーダーし、二人でわけて食べた。絞り立ての、紫色したブドウジュースは甘酸っぱくてとてもおいしい。香ばしくこんがりと焼き上げられたドサもまたおいしい。

瞬く間に食べ終え、夫をホテルまで送り、わたしは買い物に出かけることにした。

「コマーシャルストリートに連れていってくれる? 女性用の部屋着と、それから夫のパジャマ・クルタ(寝間着)と下着を買いたいの」

「マダム。今日はディワリの連休で、コマーシャルストリートはほとんど閉まってますよ。多分明日も。明後日の月曜日は、大丈夫かもしれないけれど、月曜日はムスリム(イスラム教)の祭りだから、ムスリムの経営する店は休みです」

「あら、そうなの? 今日、ホテルのフロントで確認したけれど、コマーシャルストリートの店は開いているって言ってたわよ」

「マダム。僕を信じてください。あいていませんよ、今日は」

「じゃあ、どこかおすすめのところに連れていって」

「ノー・プロブレム、マダム」

オートリクショーは、相変わらず排気ガスたっぷりの市街をスイスイと走る抜ける。

最近仕事はどう? と尋ねると、あまり芳しくないとのこと。バンガロールそのものは、急速に発展しているけれど、ビジネス客が多いから、彼自身の増収には結びつかないらしい。

「僕たちドライバーは、いくつかの土産物店と契約していて、お客を連れていって、そのお客が何かを買ったら、店から2〜3%のコミッションをもらえるんです。だから、できるだけ旅行者を乗せたいのだけれど、ビジネスマンは買い物をする時間がないし、お客を見つけるのはたいへんなんです」

なぜか今回、彼はコミッションのことを口にした。わたしが少々、訝しく思っていたのを察したのかもしれない。

大きな買い物をしてくれる客を乗せれば、2〜3%のコミッションでも大きいが、そんな客ばかりがいるとは限らない。前回、わたしは彼の案内で連れていってもらった店で、確か300ドルほどの買い物をした。2%として6ドル。3日間に亘って彼を拘束した時間を考えると、インドとはいえ6ドルでは少ない。

買い物をあまりしない、あるいは安いものだけを買う客がいることを考えると、決して割がいいとは思えない。彼らにとっても、「1時間10ルピー」をオファーするのは、賭のようなものだろう。

「僕は子供が4人もいるけれど貧乏だから、がんばって働かなきゃならないんです」

「あれ? 子供は3人だって言ってなかった?」

「よく覚えてますね、マダム。実は3カ月前に女の子が生まれたんです。まだこ〜んなに、小さいんです。この掌に載るくらい」

バックミラー越しにわたしを見て微笑み、右手を示しながら言う。

「僕はムスリムなんです。月曜日は、ムスリムの大切な祝日なんですよ。だから月曜日は仕事は休みます。きれいな服を着て、おいしい料理を食べるんです。妻が腕を奮って料理を作ってくれるんですよ。肉の入ったビリヤニに、パニール、ジャムン……、ほんと、楽しみなんですよ!」

ニコニコしながら、楽しげに話す。それはディワリの夜の花火を楽しみにしていたときの夫の表情とよく似ている。

彼は2、3軒の店の前で車を停めた。しかしそこは明らかに「土産物屋」でわたしが望むような衣類はほとんどない。少し疑わしい気持ちになり、店の人に尋ねた。本当に今日は、コマーシャルストリートは開いていないのか、と。すると店の人は当然だと言う顔をして言う。

「今日はたいていの店が休みだよ。もちろんコマーシャルストリートもね」

ラルには悪いが、彼がコミッションをもらえるような店での買い物は、今日は必要ないのだ。だから普通の衣料品店に連れていってくれと彼に告げると「OK、ノープロブレム」と言って、彼はMGロードに向かって走りはじめた。

MGロードの、ローカルなショッピングモールの前で、ラルは車を停めた。確かにディワリのせいだろう、開いている店舗はまばらだったが、それでも2階の衣料品店はほとんど開いていた。

ラルが「この店がいいですよ」と勧めた衣類店で、まずは母が気に入っているインド綿の部屋着や寝間着を探すことにした。土産物店ではないとはいえ、このモールの店もラルのテリトリーらしく、店主らとも顔なじみの様子。店の人と雑談をしている。

棚の上に積まれた無数の衣類を、次々にビニル袋から取りだして「これはどうですか?」「こちらはどう?」と広げる店の女性ら。この勢いのある商品の広げ方は、本当にインド独特だと思う。サリーだけでなく、ストールを買うときも、寝間着を買うときも、こうやって在庫の商品をありったけ、台の上に広げてみせるのだ。

「ちょっとまって。先に好みの色柄と素材を選ばせて」

次々にビニル袋を開封する彼女らを制して、ゆっくりと、よさそうな商品を選んでいく。わたしがどちらの色がいいかを悩んでいると、ラルが「こっちの方がいいですよ、マダム」と、自分の意見を述べる。

山ほどのなかから、柔らかくて肌触りのいい、デザインも悪くない、そしてとてもリーズナブルな部屋着が見つかった。母のもの、そして自分と妹の分を合わせて7着を選ぶ。すべて丈が長めなので、短めにしてもらう必要がある。

「丈を切って縫製するのに、何分かかりますか?」

忙しげに電卓をはじきながら、店主らしきおじさんが答える。

「30分でできあがります。マダム」

ってことは45分だな。その間、夫の買い物をすませればいい。今度は向かいの男性用衣類の店で、パジャマクルタと夫の部屋着、それから下着(ランニングシャツ、インドでは「バニャーン」と呼ぶ)を買うことにした。

バニャーンには3種類ほどある。一番高品質の、伸縮性のある柔らかなラコステ製が、1枚2ドル足らずと非常に手頃である。日本はともかく、米国で買うものと比べると質もたいへんいい。まとめ買いをする。

さらにはソックスも1足1ドル程度とリーズナブル。これもまた、日本はともかく、米国製に比べると質がよさそうだ。またしても、どさーっと台の上に広げてくれた大量のソックスの中から、いくつかを選ぶ。

そこでの買い物を終えたわたしに、荷物をすべて持ってくれているラルが言う。

「上の階に、いい店があるから、ちょっと寄っていきませんか?」

そこには土産物ショップがあった。いきなり、サンダルウッドの石鹸やヘアオイルを勧められる。どちらもコマーシャルストリートで買おうと思っていたものだが、ヘアオイルは見かけない商品だ。店主曰く、

「このヘアオイルは、ここでしか手に入らない、100%純粋な植物オイルで作られた商品なんです」

そう言いながら説明書きを見せてくれる。髪にいいとされる、白檀やアーモンドなど4種類の油が調合されているらしい。

- 頭髪を美しくする
- 抜け毛を防ぐ
- 髪の量を増やす

と、ここまではふんふんと読んでいたが、
- 白髪を黒くする
- 精神を鎮める
- 視界をシャープにする

と続く効能を読んでいるうちに、胡散臭いわ〜、と思う。わたしが笑いながら、「これ、嘘っぽい〜! いくら何でも白髪は黒くならないでしょ〜」と言うと、ラルも店の人も真剣な顔をして、「ほんとなんだってば!」と説得する。店の人はファイルを持ってきて、お客からの注文票や感謝状を見せる。

ほら、これはカナダから。これは香港。シンガポールもありますよ! この人はこんなに大量に注文している! 二人して、書類の文字を指でたどりながら、本当なんだと力説する。

確かにそこには、世界各国からファックスや手紙で送られてきた感謝状や注文票がたっぷり入っていた。

ちなみに値段は1本が約40ドルと、インド相場にしては相当に高い。けれど前回の白檀オイル同様、品さえよければそれは高い買い物ではない。同量のココナツオイルとブレンドして、週に一度使うだけだから、かなり長持ちするはずだ。それにココナツオイルは激安(1リットルで3ドル程度)だしね。

このところ、わたしは抜け毛が気になっていたし、母も随分、抜け毛と白髪を気にしていたから、試してみる価値はあるかもしれない。結局、試しに2本、購入することにした。

あり得ないよなあ〜と思いながらも、どうしよう、母の白髪がなくなったら! と想像して、なんだかおかしい。

ラルが店の女性に言う。

「彼女は僕のお得意さまだから、何かギフトをつけてやってくれ」

彼女は金ぴかメッキに模造ダイヤが施されたボールペンをくれた。その派手なペンを見て、またおかしい。

階下に下りて、丁度仕上がった寝間着類を引き取り、引き揚げる。いつのまにか、ラルも自分の買い物をしていた。

「これは、月曜日のお祭りのときの、お菓子なんです!」

とてもうれしそうである。わたしもいい買い物ができて、とても満足だ。

「明日もショッピングに行きますか、マダム?」

ラルが尋ねるけれど、あとは月曜日、コマーシャルストリートのコスメショップで、すでに使用しているのと同じ化粧品を買うだけなので、断った。

彼には今回も、またお世話になった。彼とはまた、どこかで会うことだろう。

肌触りの滑らかな部屋着。とても着心地がよい。

右はサンダルウッドとアーモンドのオイルがブレンドされた石鹸。左が今回のチャレンジ商品

 


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