JUNE 2004, FUKUOKA 温泉!

妹夫婦と4人で、黒川温泉までドライブ。
途中、サッポロビール工場を見学して、エビスビールを
テイスティング
そしてやがて、温泉郷に到着。
夫と二人で、
浴衣姿で、温泉街をそぞろ歩く。
笹の葉の、さやさやする音を聞きながら。
二人で歩いているのに、ふと、もう一人の気配が、何度となく、する。
振り返ると、歩いているのは夫一人。なんだか、気持ち悪い。
夕食のとき、妹たちと話していて、気がついた。
温泉に来たがっていた父が、ついてきたのかもしれないと。
うわ。女湯には、入ってこないでね。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 花畑!

今日もまた、晴天なり。今朝もまた、温泉巡り。洞窟の湯に、露天風呂。
たっぷりと、朝食を食べた後だというのに、小さなペイストリーで
アップルパイやチーズケーキを食べたり。
渓流の
ほとりを散歩しながら、気持ちのいい朝。
帰る前に、久住高原をドライブし、フラワーガーデンへゆく。
想像していたよりも、ずっと広くて、さまざまな花が咲いていて、ことにポピー畑のきれいなこと!
このあたりを、両親と何度か訪れたことのある妹は、至るところで、父を思い出し、
初めて訪れるわたしは、九州にも、こんなに広々としたところがあるとはびっくり! と、感嘆し。
途中の産直市場で、野菜や果物をたっぷり買って帰る。母へのお土産に。

この1泊2日は、父からわたしたちへの、多分、プレゼント。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 逆立ち

父を見送る一連のセレモニーを終えたあとの、次の週末。
身近な親戚が集まっての、お食事会。
小さいころ、まるで弟のように仲良く遊んだ従兄弟たちと、「若者チーム」で記念撮影。

晩餐ののち、従兄弟らが、古い8ミリフィルムをダビングしたビデオを持って、実家へ遊びに来た。
主には、彼らの子供のころの映像で、しかしときどき、わたしや妹も登場する。

パジャマ姿で、壁に向かって、何度も何度も、しつこいくらい何度も、取り憑かれたように、
「逆立ちの練習」をしている、小学生のわたしが、写っていた。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 海の中道にて。

物憂げな、雨の日の水族館。

けれどイルカたちは屈託なく、水面をスイスイ、鮮やかにジャンプ!

クラゲのゆらゆら。熱帯の魚たちの色。小判鮫の横着。巨大なクモガニの長い脚。

あいさつでもするかのように、礼儀正しくていねいに、一つ一つの水槽を、くまなく眺める長い午後。

小雨の庭を、しばし歩く。みるみると、狭くなりゆくは博多湾。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 時間散歩。

こんなに狭い、道路だったなんて。こんなに狭い、町だったなんて。

子供時代を過ごしたあたりを、歩いた。夫と二人で、ふらり、ふらりと、歩いた。

住んでいた家。通った幼稚園。マーケットに商店街。児童公園……。

そのあたりは、改装された家が多く、整然と美しく、あちこちの表札に、古い友達の苗字をみる。

意地悪だった、ひとみちゃんちの垣根に、紫色の、これは昼顔

 

JUNE 2004, FUKUOKA 送迎デッキで

一足先に、夫がアメリカに帰る朝。妹と二人で、空港まで送りに行った。

「送迎デッキ」に行き、飛び立つ飛行機を見送る。こんなことをするのは、初めてのこと。

「送」はやっても、「迎」はやらないよね、でも、好きな芸能人が来たときなんか、やるんだろうね。

などといいながら。ビートルズが来日したときの、古いニュース映像を連想する。

ちなみに、どれが彼の乗った飛行機で、どれを見送ればいいのか、実はわからずじまいだった。

 

JUNE 2004, FUKUOKA どんぐり

父の部屋を片づける。母の部屋も片づける。

母には捨てきれない古い物を、もう、じゃんじゃん捨てる。ゴミ袋が山になる。

バルコニーを片づける。

枯れた植物や、冴えない鉢植えを、処分しようとするわたしに、母の「待った!」が入る。

父が拾ってきたどんぐりから、出た芽。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 写真

片づけの最中に、古い写真を取り出す。

こんなときでなければ、多分、見ることのないであろう無数の写真を、

ひっぱり出して見る。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 洪水1

まるでアメリカみたいな、郊外型のショッピングモールが、あちこちにできている福岡界隈。
わたしが滞在中にオープンした「
ダイアモンド・シティ」は、あらまっ!
高校時代の男友達が住んでいた、田圃の肥の匂いがしていたあたりに、堂々と立っていた。
ここでも圧巻は、食料品売場とレストラン街。食に関しては、本場アメリカのモールよりも、ぐっといい。
それにしても、またしても、どうしてこんなに食べ物の種類がたくさんあるのか? この国には。
ものすごいボリュームの
ケーキ屋さんを見つけてびっくり。巷では流行っているらしいカフェ・コムサ。

もうまさに、お上りさんの気分で、短時間に飛び込んでくる色の種類、情報量の多さに、
目をきょろきょろさせながら、頭をくらくらさせながら、そしてへとへとになる。

 

JUNE 2004, FUKUOKA イタリアン?

「クラフトシリーズ」「イタリアシリーズ」「デンマークシリーズ」「ジャパネスクシリーズ」……。
ボヘミアングラスの香炉に燭台、あるいはベネチアングラスの小さな骨壺……。

博多の川端通りは、仏具店が軒を連ねる商店街。母がずんずん歩いて行った先に「現代仏壇」の店があった。
シンプルでお洒落な、仏壇とも思えぬ仏壇。カタログには、イタリアの工房で仏壇を作る職人らの笑顔が……。
なんだか、へんてこりんな気がしたけれど、実家にはここの仏壇がぴったりだ。
この写真と同じシリーズで、けれど大げさな箱形ではなく、写真立てと台座がついた小振りのものを選んだ。
ここまでくると、単に気に入った写真立てに、写真を入れるだけでいいのでは? という気がしないでもない。
が、取りあえず、線香を焚かずとも、チ〜ンと鳴らさずとも(「りん」というらしい)、気分的には、お仏壇。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 洪水2

久しぶりに一人で、天神を歩く。日本でしか手に入らない何かを、買って帰ろうと思う。
それにしても、日本に来るたびに思う、「物」の豊かさ。店に並ぶ商品の、その種類の多さと変化の速さ。
わたしはもう、この目まぐるしさの中に、安住できない。洪水に溺れてしまいそうだ。
「自分にとって、何が必要なのか」がわからなくなりそうだ。こんなにたくさん、見せつけられるのでは。
だから、日本にいるときは、旅人の気分で、珍しいものを眺める気分で、過ごすのがいい。

大丸の1階にある、アフタヌーンティーという店で、ランチを食べようと思う。ショーケースに並ぶパン。
日本にしかなさそうなサンドイッチを見つけたので、食べてみることにする。「チャーシュー・サンド」。
気取った風に食べる、チャーシュー・サンド……。なんてユニークな国なんだろうここは。

 

JUNE 2004, FUKUOKA 変わった?

思えばこんな風に、長い時間を、母や妹と過ごしたことは、ほとんどなかった。短いような、長いような、そんな3週間。「冬のソナタ」のユジンとか、マシュー南の物まねをしたり、借りてきたDVD「シュレック」のエンディングで、音楽が流れ始めた途端、条件反射的に踊るわたしに、「美穂姉ちゃんって、そんな人だった?」と、妹は呆れていたけれど、わたしはもとから、そんな人じゃ、なかったっけ? 確かにアメリカでは、何年暮らしても、テレビの台詞は注意を払わなければ頭に入ってこない。けれど日本語は驚くほど明瞭に、頭に入る。まるで筋肉養成ギプスを取り外した直後みたいに。だからついつい、記憶されたシーンを、再現したくなるのかもしれない。のりのいい映画音楽を聞くと踊りたくなる習性は、インド映画の影響か。それにしても「冬のソナタ」。再放送を一度見たが、も〜うじれったくてかなわない。「サンヨク……。わたしのことを、許しちゃだめよ……」あれを見続ける根気が、今のわたしには多分ない。思えば、映画の趣味も変わった。日本にいたころは、欧州やアジアの、煮え切らない伏線だらけの駆け引きめいた映画に、心を引かれ、感情移入していたけれど、今ではそんな多くを、「鬱陶しい」「じれったい」と思う始末。情趣の危機? 多分わたしも、変わったのね。ちなみに、日本語のシュレックの吹き替えは、あんまりだ。関西弁をしゃべるシュレックなんて……。なんとしても、字幕がお勧め。

 

JUNE 18, 2004 Welcome Home

3週間ぶりのDC。重たいスーツケースを引きずって、空港の外に出れば、鋭い日差しと夏の匂い。
「どのルートで行きますか?」ターバンを巻いたインド人ドライバーが尋ねる。
「一番、眺めのいいルートで」と、ひと呼吸おいて、わたしは答える。

彼は、わたしが今まで、空港と自宅を行き来するときには一度も通ったことのない、
木々に囲まれた道(George Washington Memorial Parkway)を走った。
鬱蒼と茂る緑の森を、車は滑らかにすり抜けてゆく。

もつれていた糸が、じわじわとほどけてゆくみたいに、わたしがほどけていく。

 

JUNE 19, 2004 久しぶりの土曜日。

荷ほどきや洗濯などを、「えいや!」とばかりに、昨日のうちに全部すませておいたので、今朝はすべすべした気分の目覚めだ。映画でも観に行こう。エントランスを開けるなり、めいっぱいの太陽の光に包まれて、くしゃみを3回、いつものようにする夫。ロシア大使館の坂を下りながら、アンティークショップを眺めながら、ジョージタウンへ。途中のクレープリーで、ブランチ。「ブルターニュ」とか、「マルセイユ」とか、「ブダペスト」とか、欧州の町の名前がついたクレープ料理の中から、一つずつを選ぶ。それからシアターへ行って、トム・ハンクス主演の「The Terminal」を観る。そしてバーンズ&ノーブルに行き、立ち読みをして、J.CrewでTシャツを2枚、オレンジとピンクのを買って、Mie N Yuでディナータイム。今日は久しぶりに二人してマティーニ。日本のそれの多分3倍はありそうなグラスになみなみと。そしてオリーブは3粒。香ばしいソフトシェルクラブのフライ。食べながら、飲みながら、もうその1杯だけで酔っぱらうには十分で、帰りのバスの中で熟睡した。いい土曜日だった。

 

JUNE 20, 2004 木漏れ日

太陽の日差しは夏で、青空も夏で、だけれど風はひんやり、5月のころの爽やかさ。
こんな日は、緑の中を歩こう。歩きやすい靴を履いて。帽子を被って。

ポトマック川に沿って横たわる、C&Oキャナルのそのほとりに、アイリッシュ・パブを見つけた。
今日のランチは、ここにしよう。テラスで、風の中で食べよう。
炭火焼きの、大きな
チーズバーガーを頬張る。ホクホクのフライドポテトをかじる。おいしい。
父のお下がりの、サマーセーターを着た夫と、木立の中を歩く。木漏れ日がなんて、気持ちいい。
あの、無数の蝉たちは、すっかり死んでしまった。彼らの子供らが、また17年後に。
トンボや、ウサギや、毛虫や、蝶々や、カメ。を見つけるたびに立ち止まって、眺める。
ポトマック川には、ボートを漕ぐ人。夕方になるまで、何時間も、歩いた。

 

JUNE 21, 2004 夏の色

昨日は父の日でしたので、バラの花を買いました。

それにしても、緑をまとった白の、美しいこと。

 

JUNE 22, 2004 琴線に触れるもの

たとえば、
-ポール・デルヴォーの描く、夜の駅舎。
-甲高い鉄道の汽笛と、深く重い船の汽笛。
-ブラッサイの捉える、夜のパリの、鉄道と石畳。
そんなものらが、沸き上がってくる。

デフォルメされた映像と、心臓に染みこむ音。
夜が際だち、夜が美しい。
Belleville。アイロニカルでシニカルで、幻みたいな、ニューヨーク。

 

JUNE 23, 2004 光と影

たとえばカンバスに光を描くには、影を描かねばならない。

影があってこその、光。

光があってこその、影。

だということを、理屈では、知っているけれど。

 

JUNE 24, 2004 経験

優雅に、リラックスしたいときには、雰囲気のいいスパで、フェイシャルとマッサージをしてもらう。最近気に入っていたのは、ジョージタウンのリッツ・カールトンのスパ。ところがマッサージの上手な女性が転勤した。フェイシャルなら、エリザベス・アーデンの方がよかったので、久しぶりに予約を入れた。ただ、マッサージの担当者が下手だったので、「経験のある上手な人を」と頼んでおいた。そして午後2時。赤いドアの先で待っていたのは、鍛え上げられた身体をした、背の高い好男子! Sex and the Cityのサマンサなら、絶対に誘っていたに違いないタイプ。彼のマッサージは、彼の「見かけ」を上回る巧みさで、(よかった!次からは、このサロンだ!)と思いつつの午後3時。1年以上ぶりのエステティシャンは、私のことを覚えていなかったけれど、私は彼女を覚えていた。一般に黒人女性は動作が荒っぽいのだが、彼女のトリートメントは、実に繊細で優しかったのだ。ところが! 彼女が部屋に入ってきた瞬間から、空気が違う。まるで別人のように、彼女の動作は粗雑になっていた。顔にタオルを載せるとき、クリームを塗るとき、拭き取るとき……。まるで「物」を扱うみたい。テキパキとしているけれど、くつろげない。確かに技術はうまかったし、顔もすっきりしたけれど。「経験がある=上手」というのではないことを、思い知らされた午後。この次は、どのサロンに行こうか。

 

JUNE 25, 2004 KOPI SUSU

そのグラスを初めて買ったのは、10年以上前の表参道にて。グラスの底には、DURALEX, MADE IN FRANCEとある。それらはとても丈夫で、だからレストランなどでよく使われている。そのときに買った数個のグラスは、いまでも健在で、そのあとに買ったグラスが、割れても、割れても、残ってきた。今日、新しいDURALEXを4つ買った。水の透明が際だって、手触りも滑らかで、新品は、こんなにも気持ちのいいものだったのか。いろんな国の、いろんなカフェで、このグラスに触れてきた。今、思い出したのは、ボルネオ島の、コタキナバルの、食堂の夕景。仕事を終えた人々が、薄暗い店のテーブルに座っている。広い窓の向こうには、海。彼らの前には「コピスス」(ミルクコーヒー)。確かオレンジ色のプラスチックの小さなお皿に、このグラスは載っていて、コンデンスミルクがたっぷりと、そう1.5センチくらい注がれている。そしてその上に、濃いコーヒーがなみなみとある、二層式の、魅惑的な飲み物。人々は、スプーンでコンデンスミルクをすくっては舐め、コーヒーをすすってはしゃべり……。やがて二層が渾然一体となった黄土色を、キュッと飲み干す。カウンターには、コンデンスミルクの空き缶が山のように積んであって、それらが夕焼けを反射していた。

 

JUNE 26, 2004 ある土曜日。

映画を見に行こうと、午後、ジョージタウンへ行った。途中のカフェで、エクレアを半分ずつ食べた。
その映画は、夜遅くの分までずっと売り切れで、わたしたちは10時からのショーを見ることにした。
それまでたっぷりと時間があったので、
ハーバーを歩くことにした。すると出発間際の遊覧船が。
船頭さんに10ドル札を一枚ずつ渡し、古びた
クルーズ船に飛び乗った。暑い日差しと、さらさらした川風。
それからまた、運河沿いの道を、黙々と散歩した。あまりしゃべらずに、各々が考え事をしながら。
それから、ピッツェリアへ行った。ベルギーのビールを飲んで、プロシュートとチーズの盛り合わせを食べて、
バルサミコとオリーブオイルの風味がいいサラダを食べて、香ばしく焼けたマルガリータを食べた。
そして、バーンズ&ノーブルで読書をしながらコーヒーを飲んでいたら、やがて瞬く間に映画の時間。
こんな映画がこの街で、じゃんじゃか上映されているところは、この国のいいところだと思う。

 

JUNE 27, 2004 ADAMS MORGAN

デュポンサークルの北、アダムス・モーガン地区を歩く。
DC生活2年半。実はここをじっくりと歩くのは、初めてなのだ。
このあたりはDCでも多分唯一、多人種が混在して暮らしているところで、
南米系、アフリカ系の住民も多く、そのレストランも多い。
ことに目に付くのは、メキシカン、エチオピア系のレストラン。キッチュな雑貨店もそこここに。
ゲイの住民も多いようで、他の地域とは異なる軽いムード。クイーンズやブルックリンにも似た感じで。
マルガリータを出す店があちこちに。モダンなレストランもちらほらと。
カフェテラスで、傾き始めた陽光を浴びながら、くつろぐ人々の姿は、平和の象徴みたいに無防備だ。

それにしても、この店名。壁面には胸を露わにしたマダムの肖像。うまい! と思わず膝を打つ。

 

JUNE 28, 2004 一万年

天神の福ビルには、ずっと昔から、「とうじ」という、渋い文房具品がある。
この間、そこで、縦に罫線が引かれた、珍しいノートを見つけた。
わたしは「縦書き」が好きで、たまに横書きのノートを90度、角度を変えて、縦書きにして書く。
だから、迷わずこれを買い、当面の日記帳にしようと思う。

最初の頁に、この「ツバメノート」の説明書きが6項目ある。
1. 当社が品質を指示し、別抄をしている国際的に真価を認められているフールス紙です。(ふむふむ)
4. 色は自然の白色なので目の為に大変良いのです。(ほほう
6. 一万年以上永久保存が利く中性紙フールスです。(ええっ! 一万年以上!?)
一万年後の人類に読まれるかもしれないと思うと、あまりバカなことは書けないな、とも思う。

 

JUNE 29, 2004 死

今日、母の母、つまりわたしの祖母が亡くなった。
もう90歳を超えていて、だから「天に召されるのを今か今かと待っていた」状況ではあった。
ここ数カ月のうちに、身近に起こった三つの死。
当面、わたしの周囲の死は、これくらいにしておいてもらいたい。

それにしても。

「天国」とか「地獄」とかいう概念は、生きている人間のためにあるのだと思う。
そこに天国があってほしいと、生きている人間が、切望しているのだ。むしろ、自分のために。

          

 

JUNE 30, 2004 夏

日の長い夕方の、まだその明るさの中にいて、
テラスにテーブルを並べたレストランの傍らを歩きながら、
オリーブオイルの、その透明のグリーンを見た瞬間、
あたりの空気が、夏を覚醒させる。
ああ、そうだった。
わたしはこの季節が、格別に好きだったのだ。
そのことを思い出して、
キュッと胸が締め付けられる刹那。
それは哀愁のようなものを漂わせた、しかし喜びの瞬間。

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