最新の片隅は下の方に

AUGUST 10, 2005  TOKYO-FUKUOKA-SAN FRANCISCO

日本、東京、コンビニ、看板、ネクタイ、地下鉄、駅、雑踏。
パチンコ、携帯、日傘、細腕、漫画、立ち読み、アスファルト。
おじぎ、制服、裏声、嬌声、炎天下ティッシュ、ひき笑い。
「いらっしゃいまっせ〜」「白線の内側にお下がりください」「バックします。ピーピーピー」

約1週間の日本滞在。数年の隔たりを経て会う人たちばかりで、再会の場では、大ざっぱにひとまとまりに簡潔に、来し方の概要が、語られる。「あら、カリフォルニアに住んでるの?」……まだ、ワシントンDCに住んでいると思っていた人、すでにインドに住んでいると思っていた人……。当人にしてみれば大きな変化も、第三者にしてみれば、ささやかな違い。

時の隔たりを饒舌に語るのは、みるみるうちに成長する子供らの存在ばかり。彼らの変化は、目に見えてわかる。我々の変化は、一目ではわからない。杯を重ね、言葉を重ね、時を重ねて推し量る。

母を伴い戻りし、カリフォルニア。祖国にはなきHOME。異国にありきHOME。果たして夫は異邦の人で、カステラのざらめを「ナッツ」と言い。

どこへ行けども、どこへ住めども、一炊の夢なれば。ただこの時を、惜しむように、麗しき空を眺む。

 

AUGUST 11, 2005  脱出

そして日常のはじまり。朝、夫を送り出して、片付け物をする。机に向かって書き物をする。それからソファーで本を開く。午後には母と、近所へ買い物に出る。木漏れ日の下でカフェラテを飲みながら、風に吹かれる。

「君も乗ってみるかい? 写真を撮ってあげるよ」

ハーレーのオーナーが言う。がっしりとしたバイクにまたがり、記念の一枚。彼の写真も一枚。そして轟音と共に走り去る姿を見送る。

この場所は、先週わたしがいた国のあの場所の裏側にあって、あの国に生まれ育ったわたしがしかしあの場所にいると、窒息に苛まれ、それでも絆は肌身に刻まれ、その煩わしさに耐えかねて、脱するか。翌月の我、翌年の我、その居場所を占いながら。

 

AUGUST 12, 2005  日本


近所の熱帯魚ショップにて

日本で本やCDを買ってきていた。ここ数日は、次々に読んでいた。村上龍『空港にて』、浅倉卓弥『四日間の奇蹟』、角田光代『空中庭園』、水村美苗『本格小説』……。そして時に、CDを聴いた。西海岸に移り住んで、懐かしく思い出される曲を、脳裏で反芻するのではなく、耳から聴きたいと思ったから。それと、坂本龍一の『星になった少年』も。

問題なのは、いや問題というか、興味深いのは、以前は誰もこういうワインを必要としていなかったということだ。ぼくが小さかったころ、ぼくの田舎ではこういうワインが世の中に存在することさえ誰も知らなかった。もちろん日本全体が貧しくて、外貨もなかったから、こういうワインを輸入できなかったわけだけど、必要としていなかったんだ。気の合った人たちと一緒に飲めるんだったら、別にこういうすごいワインは要らない。防腐剤の入った日本酒でも、味のない焼酎でも十分に楽しめる。そういった社会の残骸はまだ居酒屋などに残っているけど、そういうのもいずれ消えていくだろう。一九七〇年代のどこかの時点で、何かがこの社会から消えたんだ。それは、国民全体が共有できる悲しみだという人もいるが、それが何なのかはそれほど大きな問題じゃない。大切なのは、このワインと同じくらい価値のあるものをこの社会が示していないし、示そうとしていないことだ。だからこういうワインを飲むことができる人や、飲む機会がある人はそれに代わるものがないことに自然と気づいてしまい、こういうワインを飲む、このときが、まさに人生の決定的な瞬間なんだと思ってしまう。それは無理がないことだし、しょうがないことで、そういう意識の流れに抵抗できない。このワインを飲む瞬間が人生で最上の瞬間だというのは一つの真実だから、抵抗のしようがないんだ。こんなワインを飲む瞬間と比べられるようなものは、この社会の中にはないからね。今、こういうワインを飲むことができる人は他人からもうらやましがられる。ほとんどの人は、つまり普通の人は、一生こういうワインは飲めない。普通の人は、一生、普通の人生というカテゴリーに閉じこめられて生きなければならない。そして、普通という人生のカテゴリーにはまったく魅力がないということをほとんどの人が知ってしまった。そのせいで、これから多くの悲劇が起こると思うな。(村上龍短編集『空港にて』の「披露宴会場にて」より一部抜粋)

 

AUGUST 13, 2005  ある晴れた土曜日

母はすっかり、この地になじみ、爽やかな日々の中にある。今日は楽しみにしていたファーマーズマーケットへ。朝の日差しに照らされた野菜や果物を、まばゆく眺めながら、歩きながら、買い物かごを満たしていく。母の好物のプラムもたっぷりと。

ランチを食べた後、夫がドクター・リーから持ち帰ってきた漢方薬を煮出す。

「煮たものが100%だとすると、粉薬は70%、錠剤になると50%以下の効果しかないのです。だから、面倒でも、煮出したものを飲むことを勧めます」

木の実や、樹皮や、葉や、なにやら不思議な乾き物を、長い時間、ぐつぐつと煮出す。爽やかな風吹き込む部屋に漢方の匂いたちこめ、風情台無し。とはいえ、これはかなり「効きそう」だ。人間の身体が、あるべき状態であるためには、何かと手をかけてやらねばならないのだと思う。

清らかな物を飲み、生き生きとした物を食べ、澄んだ空気を吸い、やさしい日差しを浴びる。そして、確かなるMotivation。

午後は夫と二人で買い物へ。彼のコンピュータのモニターなどを買いに、電器製品の大型ショップへ。TVも買えば? と勧めたけれど、しばらくあれこれ眺めたけれど、やっぱり要らない、と彼。わたしは静かな暮らしで構わないけれど、最近、悩み多き彼の気分転換にいいのではないか、とも思うのだ。でも、本人が、要らないというのだから、多分要らないのだろう。

それから隣のスポーツ用品店で、水泳のゴーグルと、水泳用キャップを買った。泳ぎ続けるとめまいがしていたから、プールでは専ら「走って」いたのだが、ドクター・リーに相談したら、「水泳はとてもいいから、もう一度、泳いでみたら? もしもまた、めまいがするようだったら、やめればいいし」とのこと。確かに。もう、めまいはしなくなっているかもしれないし。

だから、夕方、久しぶりにしっかりと、水に潜って泳いでみた。走るよりはるかに、水になじんでいる気がする。ともかくは、今日のところは、大丈夫だった。

夜は久しぶりの、外食。近所の地中海料理の店にて。といっても、南仏やスペインやイタリアなど西側の、ではなく、トルコやシリアやイスラエルあたりの、地中海東側の料理。そこはもう、アジアに近い場所で、インドの料理にも似た味わい。

食前に出されるのは、ほかほかのピタパン。スパイス入りのオリーブ油を漬けて食べる。そのスパイスがほのかに「漢方薬」みたいだ。香ばしい豆のコロッケを前菜に、ラムやチキンのシシケバブーと、ヴェジタリアンの料理など。普段はあまり飲まない母も、赤ワインを少し味わい、みな心地よくほろ酔い。

家に帰って、お茶を煎れて、カステラを切る。秋風のようなひんやりとした風が吹き込み、しかし温かな電気スタンドの光のもとで、各々が新聞や、本を開いて読み、静かでやさしげな宵のころ。

 

AUGUST 14, 2005  海辺で過ごす日曜日

「今日は仕事をしなきゃならないんだけど……。したくないなあ。夜、すればいいや。ねえ、海に行かない?」

夫が言うので、モントレー半島まで行ってみることにした。車を南西に向けて走らせること1時間半。我が家の界隈は晴れていたのに、この近所はあいにくの曇天。日焼けを気にする日本の母は「アルヴィンド(夫)には悪いけど、わたしにはこれくらいの天気でよかった〜」と、それでも日傘を手放さず。

「ミホ、雨は降ってないんだから、お母さんに、傘を閉じるように言ったら?」

ちぐはぐな二人と共に、まずはフィッシャーマンズ・ワーフへ。シーフードレストランでランチをとることにする。サワードウの大きなパンを器にしたクラムチャウダーが人気だけれど、サワードウのパンを好まない我々は、普通の器での、しかしクラムチャウダーを注文。それからスモークサーモンにイカのフライ、カニ肉のサンドイッチなど。

入り江で泳ぐアザラシを眺めながら、カモメを見やりながらのランチタイム。3人だと、2人のときより、色々な料理を注文できるのがいい。とはいえ、すべては食べきれず、残してしまったけれど。

食後はしばらく、界隈を歩く。ブリーダーが連れた大きな犬を眺めながら、あれこれと質問をする犬好きの夫。「あの犬はあんなに大きいけど、生後8カ月らしいよ。まだ子犬なんだって……」にはじまって、犬の話を聞いたまま、報告してくれる彼。

さて、ドライヴに出かけようか、と言うのに今度は、オウムの前で立ち止まり、またおじさんに声をかけ、あれこれと尋ねている。いっそ Money Money Money! なヴェンチャーキャピタリストなどやめて、ムツゴロウ動物王国にでも修業に行ったらどうか。

モントレー半島の内部から海辺に連なる「17マイルドライヴ」を走ってみることにする。太平洋を望むペブル・ビーチ、そして海辺のゴルフ場など。森の道、海辺の道を、ゆっくりと走り抜ける。晴れていれば青くきらめくはずの海も、この天気じゃまるで、荒ぶる日本海。

それでもまあ、海が好きな夫は大洋を望み、リフレッシュできた様子だ。ぐるりと一周して、帰路に就く。週末のせいか渋滞で、帰りは2時間半もかかったけれど、それでも日の高いうちに到着し、母は日課のプールへと。わたしは簡単な夕餉の支度。夫は書斎で仕事を始めた。

日が暮れたらもう、肌寒いほどで、このまま秋が来るのかしら、という気候。昨日、ファーマーズマーケットで買ったグラジオラスのつぼみが、静かに開いている。

今日もまた、いい一日だった。

 

 

 

AUGUST 16, 2005  休息日

思えば日本旅以来、睡眠不足が続いていた。数日前から、急に秋のような風が吹きはじめた。朝方、とても冷え込んで、薄いブランケットが頼りなかった。さらには冷たい海風に吹かれた週末。

目覚めたら喉が痛くて、少し、風邪気味だった。朝ごはんを食べてから、再びベッドに潜り込んだ。午後2時ごろまで、こんこんと寝ていた。目が覚めたらずいぶんすっきりとしていた。やっぱり、しっかりと寝ることはたいせつ。

不意打ちのような季節の変わり目に、身も心もまだ準備ができていない。

 

AUGUST 17, 2005  桑港の中華街、港、金門橋

サンフランシスコへ行った。ルート101を車で50分ほど、北へ走る。ユニオンスクエアのあたりに駐車して、まずはその界隈を散策する。ブティックなどをのぞきながら、歩く。それにしても、サンフランシスコは寒い。我が家の界隈は晴れていて、昼間はそれなりに日差しも暑いのに、ここは雲も多く、風が冷たい。

ユニオンスクエアを歩いたあとは、母が行きたがっていたチャイナタウンへ行く。流行歌に出てきたその場所へ、行きたかったようである、某ドーナツ会社のコマーシャルソングではない。オリジナルである「桑港のチャイナタウン」(作詞/佐伯孝夫、作曲/佐々木俊一、歌/渡辺はま子 1950年)による「サンフランシスコのチャ〜イナタ〜ウ〜ン」である。

目抜き通りであるグラントストリートで、行き当たりばったりの店でランチ。2階の、窓際のテーブルで、町並みを見下ろしながら。ワンタンスープ、エビと野菜の炒め物、排骨の甘酢あんかけなど。それなりにおいしい。

食後はしばらく町を散策。夫にポーク・バン(豚まん)を頼まれていたけれど、おいしそうなのが見つからなかった。

再び車に乗り込んで、今度はフィッシャーマンズワーフへ。船やヨットが停泊する賑やかな埠頭を歩く。ツーリストがいっぱいの、カラフルな場所。フルーツマーケットで、夫へのみやげに好物のライチーを買う。

それから、サンフランシスコの町をトライヴ。坂の町はサンフランシスコは、本当に、これでもか、というくらいに坂が多くて、途中で、先が全く見えない下り急斜面に遭遇し、それはまるで、ジェットコースターのようで、「怖い〜!」と母は大騒ぎで、それでもみんな走っているのだから大丈夫だろうと、じわじわと下っていく。これが本当に、手に汗握るほどに急斜面で、最早笑ってしまうほど。

そんな斜面に駐車している車も多々あり、車から降りた途端に坂道を転げ落ちそうだ。

ロシアン・ヒルにある、車のCFなどでもおなじみの、ロンバート・ストリートのくねくねとした坂道にも、見学に行く。走り下りてみたいところだが、母は度重なる坂道で消耗している様子。坂道を避けて走っていたら、いつのまにかゴールデンゲート・ブリッジにたどりついていて、そのまま勢いで橋を渡ってしまう。

橋はすっかり霧に包まれ、吹く風はしっとり冷たくて、これはまた風邪をぶりかえしてしまいそうだ。

車に乗り込み、本当は、パシフィック・ハイツのフィルモア・ストリートあたりをそぞろ歩こうかとも思っていたのだけれど、もうすでに夕方近く。今日のところはこれでおしまい。

帰路、走るごとに雲は晴れ、家のあたりはまた、青空が広がり、爽やかだ。シリコンヴァレーは本当に、よい気候に恵まれた場所なのだと実感しながら、ただいま。

 

AUGUST 18, 2005  読書

音楽も。
読書もまた。
没頭すると、その世界に浸りすぎて、
ふとした拍子、
現(うつつ)が虚ろになる。

たいへんな力で、その世界観を示されると、
ひどくたやすく、引き込まれていく。

 

AUGUST 19, 2005  出歩く日。満月。

- 先週末のファーマーズマーケットで買った花を、短く切りそろえて、母が活けた小さなアレンジメントは、1週間経ってもまだ元気だ。

- 母のヘアスタイルが散々になっていたので、髪を染めに、切りに行くように、勧めた。隣町マウンテンヴューに、日本人のスタイリストがいることをインターネットで探し出して、そこへ予約をいれた。中国系の店が連なるあたりにあって、サロンの雰囲気は相当、いまひとつだけれど、ともかくは、言葉の通じる人に頼むのがいい。

- 母が変身している間、わたしは街を散策する。マウンテンヴューのダウンタウンは、我が町サニーヴェールのダウンタウンよりも、ちょっと「垢抜け」している。と、一瞬思ったけれど、主にはタイ、中国、ベトナムなどのレストランが林立していて、チャイニーズのマーケットや、アジア雑貨の店など、やはりサニーヴェール同様、野暮ったい風情の店が少なくない。

- ここにもなぜか、熱帯魚の専門店がある。楽器店もある。スピリチャルな書籍を集めたブックストアでしばし過ごす。

- 大いなる収穫は、「香港餅家」という名の、チャイニーズ系ベーカリーを見つけたこと。サンフランシスコで買いそびれた豚まん関係があるのではないかと、期待しつつ入れば、期待通りにあった。日本的な「肉まん」に加え、「チャーシューまん」もある。6個入りを1つずつ。それから、チャーシュー入りのパンも買った。おいしそう、且つ、リーズナブル!

- 母の髪はすっきりとして、俄然、若返った感じ。やっぱりヘアスタイルって大切ね〜と、自分の適当なヘアスタイルを省みる。

- さて次は、パロ・アルトにあるスタンフォード・ショッピングセンターへショッピング。というよりは散策に。入り口近くにある、ラルフ・ローレンのショップは素敵。ベッドリネンなどのインテリア雑貨も置いてある。そこで変身後の澄ました母を、記念撮影。

- 花々が揺れる、オープンエアのショッピングモールは、そぞろ歩くにも心地よい。See's Candiesに入れば、太っ腹な試食を差し出され、味わいながら、数粒を、買う。母も後日、ここへお土産を買いに来ると決めた様子。

- お洒落なマーケットでワッフルの素を買った。水を入れて溶いて焼くだけでいいもの。どんな味だろうか、楽しみだ。

- いつも立ち寄るフレンチベーカリーで、カフェラテ休憩。ケーキを食べたい……と思ったけれど、試食のチョコレートがまだ少し残っていたので、それを食べながら。朝食のためのブリオシュを買った。ここのブリオシュはおいしいのだ。

- 夜は野菜などを適宜切ってオーヴンで焼く「手抜き」ディナー。それに肉まん。買ってきた肉まん関係を、電子レンジではなく、ちゃんと蒸して温めたら、非常にほかほか、おいしく仕上がった。夫も大喜び。

- 窓の外には、切れ切れに流れる雲と、それを透かして地球を照らす象牙色の満月。 

 読書

 

AUGUST 20, 2005  きれいないろをとりこむ

今日もまた、晴れた土曜日。

ファーマーズマーケットで新しいはちみつを買った。はちみつ農家の屋台で。この間は、アヴォカドのはちみつ。それはとても濃厚で、こくのある味わいだった。今日はアルファルファのはちみつ。これはマイルドで滑らかな口当たり。

はちみつは、毎朝の「はちみつジンジャーティー」に使うので、欠かせない。

ジャムも買った。いくつかを試食させてもらって、VERRY BERRYと名付けられたジャムを選んだ。ストロベリー、ラズベリー、ブラックベリー、ボイズンベリーが混ざったもの。酸味と甘みと風味がやさしい調和で、焼き立てのワッフルによく合う。

いろとりどりの朝の食卓は、からだにみなぎる力を与えてくれるかのよう。

母が買った今週の花は、秋のいろしたバラに、斑入りのススキなど。

そよ吹く風がしんと冷たく、しみじみと秋の足音を聞く。

夕餉の後は、小さなデザートを。きのう作っておいたアイスクリームを冷凍庫から取り出す。ストロベリー味と、ヴァニラ味。卵の黄身がいろこくて、だからヴァニラはこんなに黄色。

生クリームを少し泡立てて、上からふんわりとかけて食べる。

「おいしいね」「おいしい」

と、限られた共通語をつぶやきながら、各々。

食べ終わったら、本を読む者、新聞を読む者、それぞれに。

秋の夜長のごとき、週末の宵。

 

AUGUST 21, 2005  青空・海辺・ドライヴ

ゴールデンゲート・ブリッジを越えて、港町、サウサリートへ。
海風吹き込む陽光テラスでシーフードランチ。
無数のヨットが停泊するハーバーを歩く。
水平線の彼方に、サンフランシスコの街、見晴るかす。
水面はきらきら、青く白くきらきら。
夫も、母も、わたしも、まばゆさに瞳を細め、
この上なく、美しい午後。

※サウサリートの写真は後日更新します。

 

AUGUST 22, 2005  いろがきれい

一眼レフのデジタルカメラが届いた。

日本でフリーランスのライターや編集者をしていたころは、一人旅の取材で、文章と写真をひとりですることがあった。そのときは、見よう見まねで一眼レフのカメラを使っていた。35ミリのポジティブフィルムで、撮影していた。

しかし数年前にデジタルカメラを買ってからというもの、一眼レフのカメラはすっかり、出番を失っていた。年々、デジタルカメラは進化して、小さくても性能のいいものが増えてきて、買い換えるごとに、画像の質が上がっていった。

ところが、その利便性は同時に、緊張感を損なわせる。

「うまくいかなければ、消して、撮り直せばいい」

その安心感が、集中力を緩ませるのだ。フィルムを使って、一眼レフで撮影していたときは、一枚一枚が、もっと大切だった。構図をきちんと考えて、シャッターを押した。1本36枚のフィルムを、できるだけ無駄にしたくない。

現像所に仕上がりを受け取りに行くときの緊張感もよかった。

その小さきフィルムに光を透かし、ルーペでのぞき込む。一枚一枚から、安堵や喜びや困惑を、与えられながら。

重くて携帯性が悪いから、さほど使わないかもしれないけれど、でも、なんだか、きちんと写真を撮りたくなった。両手でしっかりとカメラを構え、ファインダーをのぞき込み、息を殺してシャッターを切りたい。

今日、注文していたカメラが届いた。まだ、マニュアルを読んでもいないうちから、外出に伴い、街の様子を捉える。

たとえたっぷりのメモリがあっても、一枚一枚を、大切に撮ろうという気持ちになる。シャッターを切るたびに鳴る「カシャッ」と鳴る、その音が、小気味いい。

端から見れば、その仕上がりの違いは、さほどわからないだろう。けれど、わたしにはよくわかる。色が、現実にとても近いのだ。青空が、わたしが見た青空に近い青。赤い車が、わたしが見た赤い車に近い赤。その忠実な再現性が、とてもうれしい。

風がとまったような風情を捉えてくれる、適度な被写界深度の浅さもまた、うつくしい。

きちんとマニュアルを読んで、これからしばらくは、このカメラと付き合っていこう。

 

 

AUGUST 23, 2005  焦点

このあいだは、お土産の「下調べ」だった。今日は、買おうと決めたとのこと。

母を伴い、スタンフォード・ショッピングセンターへ再び。

その前に、ユニヴァーシティ・アヴェニューでランチを食べようと思う。

立体交差の、ちょっと道を間違えて、スタンフォード大学の敷地に入ってしまった。

せっかくだから、見学していこう。

延々と椰子の木が連なるまっすぐの道を走り抜けた先に、緑いっぱいのキャンパス。

見事に雲の気配がない、

からからと、笑ってしまうよな青空。

芝生の清々しい香りを深く吸い込みながら、歩く。

天蓋から光が降り注ぐチャペルで、ステンドグラス越しの光。

それにしたって、あまりにも、あっけらかんとした空。

この間、ひとりできたときに、入ろうと思っていたオーガニックのカフェでランチ。

キャロットスープに、ウォルナッツのペストが塗られたトマト&タマネギサンドがおいしい。

ランチのあとは、陽光のもとで、花々咲き乱れるスタンフォード・ショッピングセンターへ。

咲き乱れる、花々に焦点を。

あでやかに、揺れる花々に焦点を。

かように絞り込み、際だたせることを、今のわたしは望む。

 

 

AUGUST 23, 2005  急遽。臨機応変!

母の帰国予定は8月31日で、3週間の滞在なんてあっというまね〜、などと思いながら、では明日あたり、ナパのワイナリーでも出かけましょう。今日はサンタナ・ロウに、もう一度行きましょう。スパでネイルケアをしてもらいましょう。あ〜、気持ちよかったわね〜。カフェでお茶して帰りましょう。と、ふわふわした気分で帰宅したら、夫から緊急電話。

"We must go to India, AS SOON AS POSSIBLE!!" 「我々は可能な限り早く、インドへ行かねばならない!」

ちょ〜っと待った〜! そりゃどういうこっちゃ〜!

出発日が一転二点していたインド行き。8月の予定が9月に変更したから、急遽日本に帰国して、母を連れてきたのだった。つい先日、「9月10日出発」と確定したかにみえたのに。今更「すぐ行け」だなんて。そりゃ仕事上の指令だもの仕方ない。だいたい夫の出張に妻が同行してやんややんや騒ぐのも、世間的には不可解事であろうから。マルハン家独自の常識を貫きつつ、臨機応変に対処せねばならぬ。

こんなこともあろうかと、母には復路変更可能の航空券を手配していたのだが、こんな「急遽」な事態に見舞われるとは予測しておらず、がっかりだ。大急ぎでインド行き、日本行き、それぞれに航空券の空席確認、それから宿の手配、何より大切な仕事の打ち合わせの段取りその他……現在、大わらわな深夜である。

大わらわ、といっても、大わらわなのは専ら夫で、わたしは秘書的サポート及び精神的サポートをするばかりだから、彼に比べれば楽である。だからこんな風に、「片隅の風景」なんぞ、記している。

それよりも、3週間の滞在ですら短いと感じていたらしき母をがっかりさせてしまった。もうすでに帰りたくないモード全開だったのに、いきなり26日金曜日、つまり「明後日」、追い返されてしまうのだから。夫も帰宅するなり「ゴメンナサイ」と母に。ちょっぴり痛ましい。

明日はワイナリーに行けそうもなく、残念だけれど……またいつかね。

そして我々は、遅くとも来週の月曜日、早ければ土日いずれかに、インドへと発つことになった。溜まっている仕事はそのまま、インド行きだ。今時は、コンピュータとインターネットがあるから、何かと助かる。これらのお陰で、世界の至るところから一通りの仕事ができるのだから。

などと、自らを鼓舞したりなんかして。

やれやれ。メリハリに富んだ、麗しき人生哉。

AUGUST 24, 2005  旅の終わりの一日

午前中には、母の日本行き、我々のインド行き、ともに航空券を無事に手配完了。航空券さえとれれば、あとはなんとかなる。わたしはPIOカードを取得して「半ばインド人」だから、観光ヴィザの申請も不要だし、本当に便利。急な帰国に、昨日はずいぶんがっかりしたけれど、さて今日はもう気分一新。残された一日を楽しもう。

深夜、早朝と、インドに電話をかけ続けている夫のランチを用意して、わたしと母は、帰国間際に買う予定だったお土産用 See's Candies のチョコレートを買いに、今日もまたサンタナ・ロウ界隈へ。

Left Bank(左岸)というフレンチ・ブラッセリーでランチ。本当は31日のわたしの誕生日を3人で祝って帰国する予定だったけれど、この事態なので、一足先にHappy Birthday。炭酸好きの母はカンパリ・ソーダを、わたしはソーヴィニョン・ブランで乾杯。

フレンチフライがたっぷりのアメリカンハンバーガーに、シーフードパスタを注文。料理を口に運びながら、間断なくおしゃべり。もう何度も繰り返された話8割の中に、2割の新鮮を織り交ぜながら、けれどすべてが初めて語られるような心持ちで、気持ちのよい風に吹かれながら。

二人ともほのかに酔っぱらってしまって、カフェラテを飲んで、ひと息ついて、さて、最後のお買い物。誕生日のお祝いに、母が靴を買ってくれた。それからショッピングモールでチョコレートを買って、帰った。

夕飯は、母のリクエストに応えて、再び「豚塊肉の塩竃焼き」を作った。これは夫の好物でもあるから、みな、喜んで食べた。おいしい夕餉だった。

 

AUGUST 25, 2005  またね!

野菜と果物がたっぷりの、いつもどおりの朝食をすませる。

スーツケースに、パジャマと化粧品を詰め込んだら準備完了。

MACY'Sのセールで買った「七分丈パンツ」を「通常丈」としてはきこなして母、

いよいよ出発。

「一緒に過ごせて、楽しかったです」「またおいでね」

神妙な顔で夫は、母を抱きしめ、見送る。

青空の下、ルート101を滑るように走って、銀色に輝くエアポートへ。

急な変更にも関わらず、アップグレードの手続きも速やかに、

依頼していた「エアポート・アシスタント」の係員も、

すでにチェックインカウンターから同行してくれて、

さすが、日本の航空会社は丁寧で濃かなサーヴィスを提供するものだ、

これなら一人旅に慣れない母も大丈夫だ、と安心する。

「じゃ、またね」と手を振って、次はどこで会うだろう。

余韻に浸るまもなく、さあ我々も明後日は、ここからインドへ。

カリフォルニア情景にサンフランシスコとサウサリートのデイトリップの様子を更新しました。

BACK