11/7/2005 サヨナラ・アメリカ

アメリカ生活最後のランチは、近所のカフェのサンドイッチ。
ふたり言葉もなく、ただ黙々と食べる。

 

窓越しの歩道の、街路樹の、色付いた木の葉の、
ひらひら、はらはら、くるくる、舞い落ちるのを、目で追いながら。

今夜わたしたちはこの国を離れる。
そうしてあのわけのわからない国に行く。


サンフランシスコ国際空港で、アメリカ生活最後の一枚。またこの国に暮らすことが、あるのだろうか? すぐに帰ってくる気もするし、もうずっと暮らすことはないような気もする。つまり、先のことはさっぱりわからない。

シンガポール航空のラウンジで、軽い食事をしながら、夜の駐機場を見やる。「休暇で米国を離れるのだ」という程度の気分にしかなれない。


●11月7日(月)-8日(火曜)

今、太平洋の上を飛んでいる。すでに13時間あまりが経過し、あと少しで香港に到着する。ここで1時間の給油休憩のあと、1泊予定の経由地、シンガポールへ行くのだ。

7日の深夜に搭乗し、数時間後に夕食。午前3時頃から、夫は約10時間も眠り続けていた。一度も起きずに、ひたすらに寝ていた。わたしは映画を1本見たあと、午前5時頃から4時間ほど寝て、また映画を1本見て、それから雑誌を読んだり、漠然と、思いを巡らせていた。

シンガポール航空はとても快適で、ビジネスクラスのシートは座り心地もよく、長時間のフライトでもさほど苦にならない。というより、時間を気にすることなく、快適に座っていられる。

朝食のころ、夫はようやく目を覚まし、おいしい点心を食べ、今、傍らで本を読んでいる。

思い巡らすあいだ、1996年の4月の終わり、初めてマンハッタンの土を踏んだ日のことを回想していた。

鋭い夕暮れの日差しが差し込む成田空港の、込み合う搭乗口待合室。空いた椅子がなく、床にしゃがみ込み、柱にもたれてCDを聴いた。あの多忙の時期、出発直前まで、仕事や雑事が山積していた。それらを一つ一つ片付け、ようやくの思いで「日本を脱出」したのだった。

そして初めて訪れたニューヨーク。イエローキャブに乗ってグラマシーパークのホテルまで。夕暮れの摩天楼、交差点を走り抜けるたび、ビルディングの谷間から夕陽が降り注いできた。

NEW YORK, NEW YORK.......

1年滞在の予定が、10年。あの日から、10年。30歳だったわたしは、40歳になった。この10年。書き尽くせぬ思いが、次々に湧き出てくる。

異邦の人間を迎え入れ、さまざまなチャンスを示してくれたアメリカ合衆国。この10年のうちに得たものを、大切に守って行こう。

本当に、ありがとうございました。また、いつの日にか。


(傍らの夫に、インド行きにあたっての気持ちを簡単に書いてくれと頼んだ。わたし好みの表現で意訳した。)

We are on a flight from US to India. I had a great 15 years in US. Starting from when I came to MIT for college. We are going to India to experience the change from the US -- professionally and from a lifestyle standpoint. India is going through strong growth and life there is changing rapdily. We will know clearly whether we want to be part of this, or return to the US in 6 months. Let us see how the journey of life unfolds over the next 6 months. -Arvind

僕たちは今、米国からインドに向かう飛行機の中にいる。大学進学のために渡米して以来の15年間は、僕にとってかけがえのない日々だった。僕たちはこれから、仕事においても、プライヴェートな暮らしにおいても、米国では経験し得ない、新しい何かを求めてインドへ行く。

インドは今、急成長のただなかにあり、生活環境もまた、急速に変化している。半年ほどそこに身を置けば、僕たちが本当に、インドに暮らし続けたいか、それとも米国に戻るべきか、きっとはっきりするだろう。これから半年間、どんな「人生の旅」が待ち受けているのか、ともかくは経験してみようと思う。


妻はインド長期滞在の覚悟だが、夫はやはり、「半年お試し期間」にこだわっているようである。短い文章の2カ所に「半年」があらわれているところに、「石橋を叩いて渡る」慎重さがしのばれる。

叩き過ぎると、渡る前に、壊れることもあるかもよ。少々ヒビが入っていても、駆け足で渡ってしまえば大丈夫。と妻は思うのだが、この考え方を、夫は受け入れないのだ。

そんなわけで、まだまだ先のことはわからないが、ともかくは、日々を楽しもうではないか!

 


11/6/2005 最後の荷造り。アンバランスな荷の内訳!

スーツケースのパッキングも終え、それでもこまごまとした片づけがあり、明日の深夜出発とはいえ、やはり遊びに出かける余裕はなく、迎える夕暮れどき。

厳密には、明日の夜、空港での夕食が「米国生活最後の晩餐」ではあるのだけれど、ともかくは、一応、今夜が最後の気分で。

チャイニーズレストランで早めの夕食をとり、帰宅。冷蔵庫に余っているサンノゼの地ビール"Gordon Biersch"を飲みながら、インターネットでニュースを読む、くつろぎのひととき。

そして夜。友人らからの電話を今日は、何本かもらって、門出を祝ってもらう。

いよいよ、だな。



●11月6日(日)

こまごまとした片づけは、続くのである。ともかくは、片づけをすませ、掃除をし、それからスーツケースの荷造りにかかる。船便で輸送される引っ越しの荷物は1カ月以上のちに届くから、当面の衣類を持参せねばならない。とはいえ、いざとなれば現地で買えばいいのだから、「最低限を持って行こう」と話し合っていた。というか、口がすっぱくなるほど、夫には伝えておいた。だって、荷物が多すぎると、なにかと不便だし。

各々「最低限」の衣類をクローゼットに残し、それ以外を段ボールに詰め込み、一昨日、引っ越し業者に託したのだが、ここに来て、彼の「最低限」がわたしにとっての「最大限」であったと、改めて気づいて愕然とした。彼の傾向はもちろん、わかっていた。だからこそ、口をすっぱくして最低限を主張していたのである。が、結局はわたしの迂闊さか。

ちなみに今回は、二人ともビジネスクラスなので(うふふ)、ひとりあたり32kgのスーツケースを二つ、チェックインできる。それから、機内持ち込みも小さめのスーツケースを2つずつ。

よって、わたしたちの荷物は、

・特大サイズスーツケース2つ
・中サイズスーツケース2つ
・小サイズスーツケース2つ
・ハンドバッグ&ビジネスバッグ

にまとめることにした。で、まとめてみて驚いたよまったく。夫の衣類が特大サイズスーツケースを2つともを占拠するボリュームとなっていたのである。夫の衣類が特大サイズスーツケースを2つともを占拠するボリュームとなっていたのである。繰り返しましたよ今。

一方のわたしの衣類は、中サイズスーツケースの3分の2ほどしかない。どういうこと? どういうこと? 

電話で話した友人らに、いちいちこの旨、報告しては「ふつう、逆じゃない?」と言われて、本当に、自分でもわけがわからんよ。彼の服の「抱え込み方」も過剰だが、わたしの少なさも、またあんまりな気がする。人間とは、行動の端々に、性格がにじみ出るのね。

そんなこんなで、明日はまだ、銀行に行ったりUPS(宅配会社)へ行ったりと、週末できなかった雑務が残っている。それがすめば、いよいよ出発。あ〜。なんだか今になってようやく、訣別の実感が込み上げてきた!

夜。昨日、サンタナロウのお気に入りカフェ&ベーカリーCOCOLAで買った
ブラックベリーのムースとチーズケーキを半分ずつにして、食べた。
マンゴームースに、チョコレート、モカ、e.t.c...
ここのケーキは、本当においしかった。

 


11/5/2005 さよならアコード。今夜はステーキ。予感的中の夜

2000年。夫がMBAを卒業して、ワシントンDC郊外の会社に勤めだしたのを機に買ったホンダ・アコード。アメリカは車社会。マンハッタンのような特殊な都会をのぞいては、車がなくては生活できない。

インドで運転免許証を「もらって」いたものの、運転したことのなかった彼は、マンハッタンで日本人の経営する自動車教習所に通った。知人の教官曰く「彼の教習、久しぶりにふんどしのヒモを締めなおす気分にさせられましたよ、坂田さん」。

あれこれと、迷った挙げ句に買ったホンダ・アコード。新車時に、あちこちをかすったりぶつけたりして傷めてはしまったけれど、乗り心地もよく、トラブルも全くなく、5年間、黙々と走り続けてくれた。そして数カ月前の米国大陸横断のときにも、重い荷物を載せてなお、すいすいと走り抜けてくれた。

今日、ディーラーに行き、車を売った。なじみのあるさまざまが、次々と身の回りから消えて行く。スッと心にしみる、多分は漠然とした虚無感に、夫は今日もまたセンチメンタル。

わたしのレンタカーの助手席で、アコードとの思い出を語る彼。その言葉を遮るように、空腹の妻は声を上げる。

「今日の夕飯、なんにしようか? そうだステーキはどう? ステーキにしよう! インドじゃおいしい牛肉、あんまり食べられないかもしれないからね!」

ハイウェイ。大地を抱き込む澄んだ空。彼方に連なるモノクロの、山々の稜線。



●11月5日(土)

車をディーラーに持って行ったあと、二人でレンタカーに乗り込み、夕暮れのサンタナ・ロウへ。夫は愛用のECCOシューズを数足買いだめる。そのあと二人は別行動で、夫はコンピュータのハード・ドライヴなどを買いにBEST BUYへ。わたしは通りを歩きつつ、ブラウスなどを衝動買い。一人で町を歩きながら、夫のボス、ヴィンのことを考えていた。

ヴィンとは夫が以前の会社でインド出張に出た折、ニューデリーで会い、一緒にタージマハルへ出かけた。それ以来1年、会っていない。インドに移住する前に、一度挨拶をしておきたいと、数週間前から思っていた。でも、わざわざ妻が夫の会社に出向いてボスに挨拶するのも変だし、いずれまた、どこかで会えるだろうと思った。

一通りの買い物を終え、予約を入れていたレストランへ行くため、ホテルのエレベータに乗った。その瞬間、「ヴィンに会えるかも」と思ったが、次の瞬間、「そんなわけ、ないじゃない」と予感を打ち消した。

レストランに入ったら、すぐあとに夫もやってきて、奥の座り心地のいい席に通された。ワインを飲みながら、シーザーサラダを食べ、パンをかじり、インド行きを語り合っていた。ふと、傍らに背の高い男性の気配を感じて、わたしたちは顔を上げた。

「ヴィン!」

ヴィンがそこに立っていた

「お久しぶり! お元気ですか?!」

立ち上がり、ハグして挨拶。(思えば日本では、夫の上司にハグするなんてありえないな。っていうか、考えただけで変だな)

ふと隣のテーブルを見たら、彼の妻、そして二人の息子がメニューを開いて座っている。予感が的中しすぎて、笑いが込み上げてくる。一方の夫は、せっかくリラックスしていたのに、上司一家の登場で、ひきつり笑い。家族みんなと握手で挨拶。それにしたって、ここまで近くじゃなくてもいいのに。

会話も筒抜けの距離だから、無難な話しかできず、夫はただ、ぎこちない笑顔をたたえつつ、「このステーキはおいしいね」「このワインはおいしいね」を繰り返して、ちょっと気の毒だった。

色々なことが、ひとつひとつ、きちんと片付いて行く。そして10年近くを暮らした、この国から、わたしはついに離れゆく。そのことが、実はまだ、ピンと来ていなかったりもするのだ。

 

ホンダのディーラーがある場所まで、最後のドライヴ。ゆっくりゆっくりと、走る夫。
前回は16オンスを二人で分けたが、食べきれなかったので、今回は12オンスのプライムリブを。
これを二人で分けて、ちょうどぴったりの量だった。
ステーキの背後にはマッシュドポテトとアスパラガスが添えられている。