坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 57 11/9/2001

 


4泊5日のボストン滞在を経て、昨日、A男と一緒にワシントンDCに戻ってきました。週末をワシントンDCで過ごし、来週、ニューヨークに戻る予定です。

北へ南へ行ったり来たりで慌ただしい限りですが、ここ1週間、差し迫った仕事がないので、気分的にとても落ち着いています。

●11月2日(金):「まるで子犬のように夫を出迎えましょう」についてなど

金曜の夜、友人のK男が遊びに来た。最近、勤め先を辞めねばならなくなり、これからの身の振り方についてあれこれと考えている最中らしい。彼は5年ほど前に渡米し、デザイン関係の仕事をしている。ニューヨークが大好きでこの街で働いている日本人の一人だ。

会社を辞めた途端、たちまち襲いかかってくる就労ビザの問題。彼のボーイフレンドは日本に住んでいて、だから日本に帰ることも選択肢の一つにはあるらしいが、それでも今まで積み重ねてきた実績と、ニューヨークでの大切な日々をすっぱりと断ち切る気持ちには、当然ながらなれないようで、今後の身の振り方について深く模索しているようだ。

彼のように戸惑いの中にある日本人は、きっと今、たくさんいるに違いない。とはいえ、基本的には元気で明るい彼。話が上手で、瞬く間に時間が過ぎていく。

彼が日本でドラッグ・クイーン(エンターテインメントとしての女装を演出する人)をやっていた時代のエピソードなどを聞き、転げるように大笑いしているところへ、A男がDCから戻ってきた。私は、話が中断されるのを残念に思いつつも、良妻ぶりを発揮して「まるで子犬のよう」に、玄関口に彼を迎えに出る。

「まるで子犬のように夫を出迎えましょう」

話がそれるが、せっかくだからこのエピソードを記しておこう。私たちがアメリカで結婚の手続きをした直後、福岡の妹から祝福のEメールが届いた。そこには、結婚生活の先輩からの、唯一のアドバイスとして、上記の一言が記されていた。

「なに〜? 子犬のように夫を出迎える〜?!」

(なんじゃそりゃ)と笑いながら読み進めば、この言葉は我が母親からの伝授だという。

以前、母は知人に誘われて、某団体が主催する「心のセミナー」なるものに参加したという。その話のなかで印象に残ったのがこの言葉だったらしい。早速実行したところ、「これはいい!」という結論に達したらしく、嫁ぐ娘へ「はなむけの言葉」として贈った。

「子犬のように」とは、それが多少、阿呆っぽくみえるとしても、「ニコニコとうれしそうに」ということであろう。「夫を出迎えましょう」となっているが、妻の方が遅く帰宅する家庭は「妻を迎えましょう」で応用できよう。結婚していない同棲中のカップルにも有効かもしれない。

さて、これを実行するのは簡単そうでいて意外に難しい。しかし一旦実行してみると、我が母の言うが如く「これはいい!」という効果が伴う。「ばかみたい」などと言わず、好奇心のある方、お試しあれ。しかも、「子犬効果」は相手に強要せずとも、自分が行っていれば自然と「伝染」する。

無論、日頃の対応如何によっては、気味が悪いと言われたり、下心があるのではと勘ぐられたりする可能性もあるが……。

さて、子犬効果で、週末長旅でお疲れのA男も、笑顔を見せずにはいられない。3人で一緒に、このあいだ弁護士と一緒に出かけたトルコ料理の店「PASHA」へ行く。案の定、ラム肉好きのA男はこの店の料理がとても気に入った様子。

話はそれるが、アメリカではおいしいラム肉が手に入る。似たようなことを以前も書いたような気がするがまた書く。この間、高級精肉店で奮発して購入したラムチョップ(骨付きのラム肉)を、ちょっと日本風に「みそ漬け」にして、オーブンでグリルしたのだが、それはもう香ばしくてジューシーで、すごくおいしかった。

どこから見てもスリムなK男の

「僕、最近、お腹が出て太ってきたから、エクササイズをやってるんだ」

という言葉に、どこから見てもおデブなA男が

「何を言ってるの? 日本人はどうしてそんなに痩せたがるんだ?!」

と笑いながらも挑戦的に問いかけている。

3人で噛み合わない、ちぐはぐな会話を展開しつつも、楽しいひとときだった。

 

●11月3日(土):別れを思うと名残惜しい。アッパーウエストサイドを歩く

土曜日の午後、A男と二人でアッパーウエストサイドを散歩することにした。A男がダウンタウンに行きたいというのだが、前日にダウンタウンを歩いて、何となく気持ちが滅入っていたこともあり、できればアップタウンにいたかったのだ。

いつものように60丁目からコロンバス・アベニューを北上する。リンカーンセンターの傍らを通り、ブロードウェイとコロンバス・アベニューが交差するあたりを通り抜ける。

この5年余り、何度となく目にした光景。あと数カ月でここから離れるのだと思うと、目に映る一つ一つが愛おしく感じられる。角地に立つ大型書店「バーンズ&ノーブル」を見ながら、A男がいつものように言う。

「あの日、僕たち、バーンズ&ノーブルのスターバックスカフェに行かなかったら、今頃どうしていたんだろうね。絶対に巡り会うことはなかったよね」と。

「あのときのミホは、髪は短いし、眼鏡はかけてるしで、学校の厳しい先生みたいだった。僕のクオリティー・コントロール(品質管理)のおかげで、ホント、ずいぶんましになったよねえ」

遠い過去を回想する老人のように、ニコニコしながらお決まりのコメントを繰り返す。過去を回想する老人といえば、先日、「白い犬とワルツを」という本を読んだ。テリー・ケイという米国人作家の翻訳本で、日本で流行っているという噂を聞いたのだが、なんともしみじみした、優しい気持ちにさせられる本だった。

1996年の7月7日、日曜日。その夜、バーンズ&ノーブルのスターバックスカフェで語学学校の宿題をやろうと訪れた私は、なかなか空席が見つけられなかった。唯一、空いていた椅子を見つけて、

「ここに座ってもいいかしら」と、熱心に書類を読んでいる男性に声をかけ、相席させてもらった。その男性がA男だったのだ。

ずいぶん遠い日のことのようにも思えるし、つい最近のことのようにも思える。

秋風の冷たさに誘われるように、出会ったばかりのころの、とんちんかんな出来事の数々が脳裏に浮かんでくる。

70丁目あたりで、ORDNING & REDAという、スウェーデンの文房具店に入る。文房具と言っても、非常に洗練されたノートやペン、バッグなどを扱うブティックのような店だ。黄色、赤、黒、青など、原色だけを使った文具が、色別にくっきりとディスプレイされている。

新商品だというナイロン製のトートバッグがとても可愛かったので、オレンジ色のを一つ購入。黒系が好きな日本の妹にも、黒いバッグを買った。母への誕生日プレゼントと一緒に送ればいいだろう。

店名の発音の仕方をレジの女性に聞いた後、

「あなたはスウェーデンから来たの?」と尋ねると、「そうよ」とうなずく。

「私、10年くらい前に、スウェーデンに行ったことがあるの。南端のマルメを基点に、ガラス王国のスコーネ地方を巡って、エーランド島へ行って、最後にストックホルムに行ったの。自然の景色も、ガラス製品も、何もかもが美しくて、今でもくっきりと覚えている。本当にすばらしい国だった」

そう言うと、彼女はうれしそうにうなづき、二人してスウェーデンの映画やインテリアなどの話で、しばし盛り上がる。彼女は女優であると同時に作曲家で、劇団に所属してお芝居などをしているらしい。

「もしも興味があったら、ぜひ公演にいらして。次回のスケジュールが決まったらお教えしましょうか?」と、輝きのある笑顔で言う。

私は彼女にメールアドレスを渡し、「きっと教えてね」と言った。

思えばあの事件以来、こんな風に、見知らぬ人と楽しい会話をしたのは初めてのことで、いつもなら取るに足らない出来事が、とてもうれしく感じられた。

(長話しすぎ!)という言葉が笑顔の裏に見て取れるA男に向かって、「今度、一緒にスウェーデンに行きましょうね」と言いつつ、店を出た。

コロンバス・アベニューを更に北上し、自然史博物館の大きな建築物の傍らを過ぎ、90丁目近くまで歩く。そこから1ブロック西にあるアムステルダム・アベニューに向かい、今度は南下する。途中で手作り陶器の店「OUR NAME IS MUD」の前を通る。以前、muse new yorkにも紹介したことのある店だ。

この店では、店内の道具を使ってオリジナルの陶器を作ることができる。マグカップやシリアルボール、プレートなど、白地の陶器を購入し、店内のテーブルに用意されている専用の絵の具で好きなように絵柄を施す。料金は作業にかかる時間別に設定されている。仕上がりは店の釜で焼いてもらい、後日受け取りに行くという仕組みだ。

2年前の冬、私たちもこの店でオリジナルの陶器を作った。絵筆を握って塗り上げていく作業はとても楽しいものだった。私はA男へマグカップとシリアルボールを、彼は私にマグカップを作った。

1週間後、仕上がりを受け取りに行き、つややかに焼き上がった陶器を見ながら「きれいにできたね」と喜んで受け取ったのも束の間、歩きながら手袋をはめようとしたA男は、陶器の入った袋を道路に落としてしまった。中身の状態は言うまでもない。その後のバトルも、言うまでもない。

苦い記憶を蘇らせつつ、更にアムステルダム・アベニューを南下する。5時をまわったばかりなのに、あたりはすっかり夕闇に包まれている。日が暮れるのが早いのは、なんともいえず寂しいものだ。大してお腹が空いているわけではないのに、夕食を食べなければ、などと気がせいてしまう。落ち着け!

ダウンタウンに引き替え、この界隈はテロの面影は微塵もなく、いつもと変わらぬ活気のある週末の表情を見せている。ビジネス街にあるレストランよりも、住宅地にあり、日常食を提供するレストランの方が、こんな時勢では強いのかもしれない。立ち並ぶレストランのいずれも、大勢の地元ニューヨーカーたちで賑わっている。

A男のリクエストにより、アムステルダム・アベニューの80丁目あたりにある、昔よく訪れた寿司屋「春(HARU)」へ行く。他の店にも増して、相変わらず込んでいて、店の前には列が出来ている。

カウンター席に座った私たちは、日本人、中国人入り交じった寿司シェフたちの手際いい作業に見入りながら、日本のにぎり寿司の、軽く2倍はある大きなサイズの寿司を食べる。

帰りに「サラベス(SARABETH'S )」という、ジャムで有名なカフェに立ち寄り、デザートのチーズケーキと、翌朝のためのクロワッサンやスコーンを買って帰った。

 

●11月4日(日):ニューヨークシティマラソンの日、ボストンへドライブ

例年ならば、ニューヨークシティマラソンの季節になると、自ずとその話題が出てきて「そろそろマラソンだね」という雰囲気が街に漂うのだが、今年は違った。ゴールに近い場所に住んでいる私でさえ、マラソンの実施を知らせる街頭のバナー広告に気づいたのは数日前で、「あ、そういえば」と思い出したくらいだ。

それでも参加者は去年より下回ったものの2万人程度いたようで、この街の底力をうれしく思うばかりだ。

私たちは午後一番でレンタカーを借りに行き、ボストンへ向かう。ニューヨークからボストンまでは北東を目指して車で4時間弱。ニューヨーク州からコネチカット州を経てマサチューセッツ州にあるボストンに向かう。

ハイウェイ沿いは紅葉の海だった。青空も爽やかに、すばらしいドライブ日和。こんな風に紅葉の中をドライブする機会が多いのは、アメリカに暮らし始めて以来、初めてのことのように思う。

前号にも書いたが、今回のボストン旅行は、A男の出張の便乗だ。NEXT GENERATION NETWORKSというテレコミュニケーション関連のカンファレンスで、4、5日かけて開催される。

開催地は、ボストンのバック・ベイと呼ばれるエリアにあるマリオットホテルで、私たちはそこに隣接するウェスティン・ホテルに滞在する。ウェスティン・ホテルといえば、恵比寿ガーデンプレイスにあるウェスティン・ホテルが大好きで、泊まったことはないものの、出来たばかりのころ、時折、カフェやレストランを訪れては「優雅なひととき」を楽しんだものだ。

恵比寿のヨーロッパ風デコラティブなインテリアに比べ、ボストンのウェスティンはあっさりとしたモダンなインテリアだった。ちょっとがっかりだが贅沢はいえない。

ホテルの向かいにはコープリー・スクエアと呼ばれる広場があり、その一画には、ロマネスク様式の壮麗な建築が、周囲の近代的なビルと対照的に引き立っている「トリニティ教会」がある。

コープリー・スクエア周辺は、ホテルやショッピングモールがたくさんあり、それぞれのビルが遊歩道で連結されているので、外に出ることなくあちこちへ移動できる。

2ブロック先には、ニューベリー・ストリートと呼ばれる繁華街がある。ここは欧州の街並みを思わせる石造りのタウンハウスが立ち並び、個性的なブティックやレストランが軒を連ねている。そぞろ歩きが楽しい場所だ。

日曜の夕方、ボストンに到着した私たちは、レンタカーを返したあと、「リーガル・シーフード LEGAL SEAFOOD」という店へ直行する。ボストンが本店のシーフードレストランのチェーン店で、肩の凝らないカジュアルな店だ。

私たちは迷うことなく、この地の名物「クラムチャウダー」と「ロブスター」をオーダー。アサリやジャガイモなど具だくさんのクラムチャウダーは、すでにそれだけでお腹一杯になってしまうので、一皿を二人で分けて食べる。

ロブスターは、重量別に3段階の値段設定があるが、私たちは中ぐらいのサイズを、やはりシェアして食べる。アメリカでは一般に、ロブスターには「溶かしバター」を付けて食べるのだが、これではカロリーが高くなり、味がだらしなくなるというもの。私たちはいつも何も付けずに食べているが、甘みがあり味噌もたっぷりのロブスターは、それだけで十分においしい。

ちなみに最終日はボストンで一番おいしいという噂の「銀座」という日本食レストランで、やはりロブスターを食べたのだが、こちらのほうがおいしかった。大衆的な店で値段も手頃なのだが、なにより付け合わせが「ポン酢醤油」だったことが勝因だ。バターで食べるよりも数倍おいしくて感動した。

 

★アメリカ各都市のレストラン情報は「ザガット ZAGAT SURVEY」で

前号のメールマガジンを発行する直前に、読者の一人からメールが届いた。文末にこのようなコメントが出ていたので抜粋する。

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また元気になりましたら、メルマガで楽しいことを書いてください。今までのようにとはいかないかもしれませんけど、何々を食べておいしかったとか、どこがよかったとか、私もおいしいものが好きなので楽しんで読んでいました。

今まで、メルマガで「どこどこのレストランにいった」っていうときは、よく、「何々を食べた」まで書いてあったのに、最近では、食べた内容がなくて、話した内容だけですよね。こんなときに、何を食べたかなんて重要じゃないし、暗い話題の時に食べ物の話が混じってたら変ですけど。

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特に意識していなかったのだが、ちょうど前号より食べ物の具体的な描写が久しぶりに復活していたのを自分でも気がつき、そこに間接的ながら自分自身の「平常心の復活」が感じられた。さすがにテロの後は、われながら食べた内容の微細に至るまで触れる気持ちにはならなかったようだ。

「食い物の話ばかり」という評判もあったが、私はこの読者をはじめ、食べ物に関心のある読者が少なくないことを見込んで、これからも心おきなく綴っていこうと思う。

さて、ジュリアーニ市長になりかわって、ニューヨークの観光を促進するためにも、メールマガジンではレストラン名やエンターテインメントの具体名などを記していこうと思う。ただ、一つ一つの住所や電話番号を記していては面倒で長続きしないので、ニューヨークに訪れる機会のある人のためにレストランガイドを紹介したいと思う。

ご存じの方も多いかもしれないが、「ザガット」というえんじ色のレストランガイドだ。毎年、年末に発行されるもので、ザガット夫妻というグルメなユダヤ系アメリカ人夫婦によって創刊された。彼らは「料理の鉄人」に審査員として登場したこともあるし、日本の雑誌でもしばしば紹介されている。

覆面審査員(一般人)によるレポート(人気投票)により、レストランの「料理」「インテリア」「サービス」が30点満点で評価されているほか、夕食の一人当たりの予算、住所、電話番号などのデータに加え、審査員によるコメントの要点が数行で掲載されている。

全レストランがアルファベット順に掲載されているので、私がこれまで紹介した店も、簡単に検索することができる。また、イタリアン、フレンチ、ジャパニーズなどカテゴリー別検索のほか、上位ランク別、エリア別などで検索することができる。

アメリカ人の味覚と日本人の味覚は異なるので、料理の評価を鵜呑みにするのは避けるべきだが、ある程度の目安になるので私もA男も、そして多くの友人が活用している。

ちなみにここ数年は、ニューヨークだけでなく、アメリカの主要都市のほか、パリ、東京、バンクーバーなど海外の都市版も発行されている。数年前、パリに行ったときにも購入した。A男の熱心なリサーチにより、地元の人たちに人気だという町はずれのステーキハウスを見つけ、おいしい食事を楽しむことが出来た。

ニューヨークの書店ではどこでも取り扱っている。ちなみにウェブサイトでもガイドブックと同様の情報が入手できるので、日本にいながらにしてニューヨークはじめアメリカ各地のグルメシーンに思いを馳せることも可能だ。

http://www.zagat.com/

 

●11月5日(月)〜:ヨーロッパ旅情をかき立てられたボストンでの数日

月曜から水曜までの3日間、A男がカンファレンスに行っている間、私は束の間のボストン・ライフを楽しんだ。といっても、初日は雨が降り、残り2日も風が強くとても寒くて、あまり街を出歩く気にもならなかったので、モール内を散策する以外は、主にはホテルの部屋で原稿を書いたり、前号のメールマガジンを書いたり、本を読んだりしていた。

ボストンへ来たのはこれで3度目。前回は、去年、A男の大学の同窓会に参加するため、ケンブリッジというエリアを訪れた。ボストンの中心地からはチャールズ川を挟んで北側にあるケンブリッジはハーバード大学やマサチューセッツ工科大学がある学生の街で、住民の平均年齢が20代半ばという若く活気に溢れたエリアだ。

同窓会は何日かにわたって行われ、たまたまMBAの卒業式に来ていたA男の父親とお姉さんと一緒に旅行を兼ねて訪れた。このときの体験はホームページに記しているので、興味のある方はどうぞ。

http://museny.com/mihosakata/mihohome/nydiarytop.htm

MITの同窓会(1) 〜(3)

今回はケンブリッジに足を延ばすこともなく、コープリー・スクエアとニューベリー・ストリート周辺を散策するにとどまった。この辺りは教会が多く、また石造りの瀟洒な建物がそこここに見られ、ヨーロッパの街角を歩いているような気分にさせられる。

トリニティ教会に立ち寄り、教会の中でしばらく過ごした。ステンドグラスがすばらしく、特に2階席のそばにあったステンドグラスは、まるで水彩画のように柔らかな青空がガラスに託されていて、すっかり見とれてしまった。実際の美しさはデジタルカメラではとても捉えられなかったが、一応この写真もホームページに掲載している。

最終日にはボストン美術館(Museum of Fine Art)の近くにあるイザベラ・S・ガードナー美術館(Isabella Stewart Gardner Museum)へ行った。前回、ボストン美術館だけにしか行かなかったので、今回はぜひとも訪れておきたかったのだ。

大富豪の未亡人によって創立された美術館で、広々とした美しい中庭を持つ、4階建ての邸宅だ。フェンウェイ・コートと呼ばれるこの建物は、15世紀のベネチアの宮殿を意識して建築されたという。

建物に足を踏み込み、光に溢れた中庭が目に飛び込んだ途端、まさにイタリアの街角に紛れ込んでしまったかのような心持ちにさせられた。入り口からまっすぐに伸びる回廊の突き当たりに視線を移せば、1枚の大きな絵画が、鮮烈な印象を伴って展示されている。

John Singer Sargent(1856-1925)というアメリカ人画家によるEl Jaleoという作品。カンバスには、薄暗いタブラオ(お酒や食事とともにフラメンコの舞台を楽しめる店)で、憂いをたたえた表情を見せながらフラメンコを踊る女性と、ギターを弾き歌う男性たちの姿がある。

ダンサーの白い衣装が、下からのスポットライトでより白く照らし出されているさまが、何とも言えず美しい。情熱と哀愁を同時に表現するかのような、光と影の対照が見事だ。

かつて訪れたアンダルシアのタブラオの記憶が瞬時に蘇る。

「オーレ!」というかけ声と、かき鳴らされるギターの音と、カスタネットの軽やかな響きと、小刻みに鳴り響くタップのリズムが、遠く耳の奥から聞こえてくるようだ。

この邸宅には、イタリアの間、オランダの間、礼拝堂、タペストリーの間、ラファエロの間、ゴシックの間とそれぞれに趣の異なる部屋があり、非常にゆったりとした空間に絵画や家具調度品が配されている。各部屋から中庭を見下ろせ、同時に自然光がふんだんに入ってくるので、美術館特有の重苦しさがない。

部屋を巡るごとに、欧州の国々を訪ねるような心持ちにさせられ、しばし日常を忘れた。

ニューヨークのアッパーイーストサイドにあるフリック・コレクションを思い出す。フリック・コレクションは、鉄鋼王の邸宅を改装し、個人の蒐集物を展示している美術館で、コンセプトも雰囲気も、この美術館と非常に似通った印象がある。

フリック・コレクションにも美しい中庭があり、小規模ゆえ「親密な」雰囲気に満ちており、とても魅力的なのだが、私にとってはこのイザベラ・S・ガードナー美術館の方がより一層好みに合い、とても豊かな時間を過ごすことが出来た。

展示作品はごく一部しか見られないが、下記がウェブアドレスだ。

http://www.gardnermuseum.org/


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