坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 69 3/27/2002

 


春! と思った翌日には急に冷え込んだり雨が降ったりと、行ったり来たりの天候が続いています。日本もきっとそんな感じではないでしょうか。

マンハッタンは大都市にも関わらず、東京に比べるととても緑の多い街です。街路樹は豊かだし、あちこちに花壇があるし、何よりセントラルパークというすばらしい場所がありますから。

しかしながら、ワシントンDCで春を迎えるにあたり、そのマンハッタンですら緑が少なかったと思えるくらいに、この街の緑の多さには感嘆させられます。高層ビルがなく、建物と建物の間に余裕があるから、緑が多くて当然と言えば当然なのですが、一国の首都がこのように豊かな自然に育まれているという事実は、とてもすばらしいことのように感じます。

ところで、メールマガジンの読者の方から頂いたメールを一時期、メールマガジンにてご紹介したりしていましたが、今後は、私以外、他の方にも読んで欲しいと思われるメールに関して、ご本人の了解を得た上で、ホームページに掲載させていただくことにしました(当面は試験期間)。

さっそく、前号のメールマガジンに関しての感想のメールを掲載しています。「NY&DCライフ・エッセイ 読者からのメッセージ」の項をぜひご覧ください。

http://www.museny.com/musehome.htm

 

●ワシントンDCの桜祭りが始まった。
 今年の満開は3月31日から4月2日らしい

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春、ポトマック河畔、タイダル・ベイスンの周囲には桜の花が咲き誇り、あたりは柔らかな薄桃色に包まれる。ワシントンDCのシンボルともいえるこの桜並木の由縁は、1912年に遡る。当時、東京市長を務めていた尾崎行雄が、日米友好の証として贈った3000本の苗木が、時を経てなお、毎年美しい花を咲かせているのだ。1935年からは、「ナショナル・チェリーブロッサム・フェスティバル」が開催されるようになり、現在では、この時期35万人の観光客が、桜を一目見ようとワシントンDCを訪れる。(muse new york Vol. 7より一部抜粋)

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ワシントンDCの名物である桜の時期が、まもなくやって来る。街にはすでに、さまざまな種類の木々が花を付け始めた。

桜の開花予想によれば、今年の開花時期は3月28日から4月7日ごろ、満開は3月31日から4月2日の3日間らしい。本当に、花の命は短いものだ。

去年はちょうど週末に満開となり、私とA男は車で出かけたのだが、恐ろしいほどの大渋滞で大変な目に遭った。5時過ぎだったからみんな帰る頃だろうと思ったのが甘かった。DCにさしかかるやいなや、車は歩くよりもゆっくりと進む。

周辺はDC及び近郊の人たちが総出でやって来たとしか思えぬほどの賑わい。こんなに華やいだDCの街を見たのは初めてのことだった。車窓から桜を眺めつつ、ようやくタイダル・ベイスンの駐車場についたころには、日はとっぷりと暮れていた。

アメリカでは日本のように桜をライトアップしたり、花の下で飲めや歌えやの大騒ぎなどしないから、河畔はひたすら暗くて静かだったけれど、車のヘッドライトで照らし、束の間、夜桜を鑑賞した。

その数日前、満開のちょっと手前の時期に、昼間ひとりで桜を見に行ったのだが、平日にも関わらず、やはりたいへんな人出だった。

薄桃色に染まった桜並木が続く湖畔を歩く人、ベンチでホットドックを頬張る人、芝生の上にランチボックスを広げる家族……と、みな幸せそうに午後のひとときを過ごしていた。近くのビルで働いているらしき人たちも、ランチを外で食べようと紙袋や水のボトルを携えていた。

4月11日に母と妹が遊びに来るので、そのときまで咲いていてくれればいいのにと思う。ちょっと無理かな。

ちなみにDCの桜の開花情報は下記のサイトで確認できる。

http://www.nps.gov/nacc/cherry/updated.htm

 

●久しぶりにマンハッタンへ行った。
 友達に会い、しゃべって食べての3泊4日

18日から3泊4日、マンハッタンへ行った。特に仕事の用はなかったのだが、3月の上旬に「マンハッタン病」が発症し、どうにも行きたくて仕方がなくなり、A男がカリフォルニア出張に行く日程に合わせて、私もマンハッタンに行くことにしたのだ。

今までは頻繁に行き来していたのに、1カ月半もずっと同じ街にいると、何だかマンハッタンがとても遠くに思われていたのが、ホテルの予約を入れて、友人たちと会う約束を取り付けた途端、何だか気分が落ち着いて(何を慌てて行きたがったのだろう)と自分でも少し呆れた。

ホテルは以前住んでいたコロンバスサークルの近くにある中級クラスのホテルを予約していた。しかしこのホテルが古いし薄暗いしで、いやな感じだった。ともかくマンハッタンのホテルはテロ直後、一時期レートを下げたけれど、瞬く間にもとに戻って、さえないホテルまでもが便乗して高い。

ちょっとまともなホテルに泊まろうとすると、250ドル、300ドルを軽く超える。二人ならまだしも、何気なく一人で出かけるのにその料金はなかろうと、150ドル弱のホテルを選んだのだが、設備その他はユースホステル並みだった。

さて、あいにく初日は雨、翌日曇り、翌々日雨、最終日快晴というこれまたいやな感じの天候に見舞われたが、マンハッタンは降雨不足で水不足だったから、余り文句はいえない。「いい天気」だったのである。

初日の夜はコリアタウンのレストランで焼き肉。DCの我が家の近所にはコリアンレストランがないから、久々の焼き肉である。S子さんとM子さんと三人で。S子さんは相変わらず基本的に週に一度、抗がん剤を打ち続けているようだが、2カ月前に会ったときよりも更に顔色がよくなって、元気そうだった。

翌日は、ひたすらマンハッタンを歩く。朝、近所で朝食をとった後、ミッドタウンの日系書店に出かけたり、ノートブック(コンピュータ)を修理に預けに行ったりする。街を歩いていて気付いたのだが、ひところに比べると、随分日本人観光客が戻ってきた気がする。

更に歩いてソーホーまで行き、ランチの待ち合わせをしているK子さんが勤めるオフィスに向かう。コム デ ギャルソンの青山店で店長をしていたK子さんだ。近所のイタリアンで手作り風のおいしいパスタを食べ、昼間からワインを飲みつつおしゃべり。

午後はミッドタウンに舞い戻り(さすがに今度は地下鉄利用)、行きつけのIZUMI SALONヘ。シンガポール人の夫を持つIさんがオーナーの店だ。テロのあとに来て以来だから、4カ月ぶりだろうか。毎度、伸ばし放題の髪である。伸ばし放題でも、それなりにうまくまとまるから(自分ではそう思っている)、Iさんの腕がいいのだろう。

春らしく、軽めにハイライトを入れてもらい、毛先を軽く揃えてもらった。ヘアカラーをするには2時間以上かかるので、その間、Iさんとずーっとおしゃべり。Iさんはいろんなお客さんと話をしているから、話の幅が広くて面白いのだ。

夜はSHIZUKA SALONのSさんと、アッパーイーストサイドにできたばかりの懐石料理店「会(KAI)」へ。お茶の伊藤園が経営している店で、1階がお茶のショップ、2階がレストランになっている。詳しくは私個人のホームページに書いているので、興味のある方は3月19日の「食の記録」へ。

それはそうと、IさんにしろSさんにしろ、匿名で記す意味があんまりないな。名前が店名になっているんだもの。

 

●降りしきる雨。メトロポリタン・ミュージアムで一日過ごす。

そして3日目。朝から雨。ここは思い切って一日をメトロポリタン・ミュージアムで過ごす。今まで何度か来たことがあるけれど、こうして一日ゆっくりとミュージアムで過ごすのは初めてのことだ。

それにしても、まあ、人の多いこと多いこと。雨だから街を出歩けない観光客がどっと押し寄せた感じで、ゆっくりと見られる状況ではなかった。ここにも日本人の観光客がたくさんいた。

好き嫌い、有名無名は別にして、「この日の私」に印象的だったものを挙げてみる。

・エル・グレコの「VIEW OF TOLEDO」。スペイン、マドリードの近くにある古都、トレドの風景が描かれている。雲の怪しさがたまらない。強く心を引きつけられる。

・イギリス、ハンプトンコートにあった、某伯爵(覚えていない)のベッド。天蓋付きの、藍色一色のベッド。天蓋も、ベッドカバーもすべて深い深い藍色。それが何とも不気味で、こんなベッドで寝たら悪夢を見るに違いないという感じ。

・ホッパーの 「TABLE FOR LADIES 」。ホッパーの絵は、今まで特に興味を覚えなかったのだが、この絵を見て、構図のバランスがあまりにも完璧で(私の目にはそう映った)驚いた。絵を水平にしたら、まっすぐに宙に浮かぶような重量感。現実の風景のひとこまを切り取ったなら、こんなに完璧なバランスは実現しないだろう。

・フランス、セーブル窯の磁器。200年以上の歳月を経て、鮮やかなピンク、鮮やかなブルーの美しいこと。描かれた天使の柔らかさ、添え描かれたゴールドの気高さ。

・シャガール。1887年〜1985年。……長寿だったのね。

・ジャン・バディスト・カルポーの大理石彫刻。「UGOLINE AND SONS」。ダンテ神曲の地獄篇33章に由来しているという。UGOLINEの顔が、うんざりするほどいやな表情で「うわっ。見るんじゃなかった!」と思うのだが、1階のカフェの近くに置かれていて、この日何度かカフェへ足を運んだため、そのたびに目に飛び込んできていやな感じだった。

・メキシコ、紀元前の土偶。笑ったブタみたいな二匹の動物が、抱き合っている土偶。表情といいポーズといい、思わず笑ってしまうほどユニークで、これが2000年以上前に作られたのだと思うと不思議だった。ちなみにメキシコやグァテマラの土偶や木像などは、日本人にそっくりの表情をした人物が多くて驚いた。モンゴロイドね。特に紀元前十世紀前後に作られた「BABY FIGURE」。

・タペストリー各種。私はタペストリーが好きで、家にもいくつか飾っている。ベルギーに行ったとき、タペストリーの製造工程を見る機会があったのだが、気が遠くなるほどの緻密な作業に、心底驚いた。とにもかくにも時間がかかる。ペルシャ絨毯なども同じようなものだろうけれど。それにしても、タペストリーの展示コーナーは、さすがに埃っぽくて、長時間いるのは辛い。

・ジョットーの描く「天使」。私が大好きな街のひとつ、イタリアのアッシジ。ここの聖フランシスコ修道院で初めて目にしたジョットーのフレスコ画。悲しみに暮れる天使の表情が、なんともいえず切実で、心に残っている。その天使が二人がいた。

・ジャン・バティスト・クルーズの「BROKEN EGGS」。油彩画。4人の表情のいきいきとしていること。うなだれる若い女性、悲しみと怒りをたたえた幼子の顔つき。

……何しろ長時間いたからもっと書きたいところだが、延々と長くなってしまうのでこの辺にしておく。

ずっと鑑賞し続けるのは辛いから、しばしばカフェで休憩。この日の夜、会う予定のR子さんに返すつもりで持ってきていた本を読み返す。

村上春樹の「約束された場所で」。オウム真理教の信者たちをインタビューした本だ。休憩するたびに開き、結局、ほとんど読み返した。かなり気が滅入った。翌日、DCに戻って新聞を開いたら、ちょうど読み返した日(20日)がサリン事件から7年の日だった。ささやかな偶然に少し驚く。

 

●最後の夜は、雰囲気、味、サービスもいいイタリアンレストランで

今回のマンハッタン滞在最終日のディナーはR子さんと待ち合わせていた。彼女が一度来たことがあるというイタリアンレストランへ行くことにする。私は今回が初めてだ。マレー・ヒルは、ミッドタウンの東側、30丁目界隈のエリア。このあたり、普段はあまり来ることがなかった。

マレー・ヒルは通称「カレー・ヒル」と呼ばれるほど、インド料理店やインド食料品店、雑貨店などが多い。

インド人タクシードライバーがランチを取るために好んで訪れる店がいくつかあり、あるストリート沿いには、常に黄色いタクシーが列をなしていて、通りが一面、黄色に染まるほどだ。

たまたまコンピュータの修理を頼んでいる人がこの界隈に住んでいて、昨日もこのあたりに来た。最近、平日はほとんど家で料理をしているので、インド食料品店に立ち寄り、スパイスをたっぷり購入する。スーパーマーケットで購入するよりもずっとリーズナブルで、しかも種類がたくさんある。

インド料理に限らず、さまざまな料理に役立つスパイスがたっぷり。お菓子作りに使われるアーモンドパウダーやアーモンドスライスなどのナッツ類、レーズンなども種類が豊富。それにゴマや豆類もたくさんある。何軒かまわってみたけれど、下記の店が清潔で、商品の管理も丁寧な雰囲気だったから、ここでまとめて購入した。

SINHA TRADING
121 Lexington Ave.
212-683-4419

話がそれたが、イタリアンレストランである。メトロポリタン・ミュージアムの閉館に追い出されるようにして、寒い中タクシーを飛ばしてきたのだが、暖かい火がともる暖炉の前の席に通されて、とても幸せな気分になった。

早めに着いたので、ひとりでスパークリングワインを飲みつつ、しばしリラックス。雨や雪の日の暖炉というのは、一段と気持ちがいいものだ。身も心もフニャフニャと溶けていきそうな感じである。

さて、R子さんもやって来て、二人真剣にメニューを見つめる。結構、ボリュームがありそうだし、デザートも食べたいし、ということで、前菜はR子さんとシェアし、メインを各々オーダーすることにした。

前菜は小振りのイカのグリルにトマトその他の野菜のマリネを添えたもの。ほどよい味付けで、とてもおいしかった。

メインはいくつも料理があるにも関わらず、ダックやラム好きの私たちはその二種類のうちどれにするかで悩む。結局「家で作りにくいものを食べよう」ということで、二人してダックにする。ダックの肉って、普通の肉屋では見かけないから。というか、今まで売っている店を見たことがない。チャイナタウンで、調理済みのダックが丸ごとこんがり、吊されているのは見たことあるけど。

ダックの料理は大正解だった。ほどよい味加減、堅さ、脂の載り方で、噛むほどにおいしい。付け合わせのキノコと野菜のソテーも格別だった。シイタケの香りがとてもよく、どうしてこんなに香りよくソテーできるのか聞きたいくらいだった。

途中でトスカーナの赤ワインをオーダーしたのだが、ダックとの相性がぴったりで、会話も弾み、楽しいひとときだった。

デザートのパンナコッタも悪くなく、値段、雰囲気、サービス、いずれも納得のバランスで、また行きたいと思える店だった。

I TRULLI
122 E. 27th St. (bet. Lexington Ave. & Park Ave. South)
212-481-7372

 

●そして本当に、新しい一歩

今回、マンハッタンに一人で滞在し、自分の気持ちにけりが付いた。

街を歩き、目に入るものすべて、1カ月半前とさほど変わらず、DCに住んでいることが、ときおり幻のようにさえ思えた。

7、8人の友と会い、久しぶりに話をし、毎食ごとに楽しい会話でいい時間を過ごせた。

その一方で、マンハッタンにいたころさえしょっちゅう彼女たちと会っているわけではなく、半年一年会わない人もざらなのに、なんだか、私自身の心のありようが変わったせいか、妙なリズムの狂いを感じることもあった。私は過渡期にあって、少し揺らいでいた。

そしてDCに戻る日の朝。

昨日までの雨が嘘のように、まるで生まれ変わったように澄み渡った青空のもと、セントラルパークを歩きながら、あれこれと思いを巡らせた。そして、ふと強く確信した。自分が過渡期の終わりに立ったことを。1カ月半の、しっくりと来なかった感情の、終わり。

私は、違うステージに移った。次なるステップを、すでに歩き始めたのだということを、はっきりと感じた。そして、それを今、快く受け入れよう、いや受け入れたいと切望した。

去年の自分には戻りたくない。たとえマンハッタンに住んでいるとしても。私は今の、DCでの暮らしの方がいい。A男と一緒に暮らすDCでの生活がいい。もちろんそう思ったからこそ選んだことだったが、葛藤は常に心にあった。

セントラルパークをしばらく歩いた後、A男と初めて出会った場所、ブロードウェイ沿い、66丁目のバーンズ&ノーブル4階にあるスターバックスカフェに行った。朝早く、ガランとしたカフェで、ベーグルを食べ、カフェ・ラテを飲みながら、窓越しにブロードウェイを見下ろす。周囲のビルを眺める。心が強くきしんだ。懐かしくて。

6年間、同じ場所に住んでいたから気付くこともなかったけれど、すでにこの街は私にとって「懐かしい場所」となった。

そして、それと同時に、またいつか住みたいと思える「憧れの場所」に変わった。

 


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