老人雇用問題
3/18/2000

 ニューヨークでのローカル通話はベル・アトランティック(Bell Atlantic) という会社のサービスを利用している。マンハッタンに限ったことなのかどうだかわからないが、電話回線の環境が非常に悪い。通話の途中に、突然ぶつっと切れたりすることも珍しくない。面白いのは、正しい番号をかけているのに、全然違う電話番号につながること。これは4年間のうちで3回ほど経験した。たとえば、123-4567にかけているのに、何度かけても全然番号の違う333-4444にかかる、といった具合。そんなときは、ファックスの電話からかけ直すとつながったりする。相性の問題なのか、電話線がどこかで入り交じってしまうのか、理由はわからない。

 アメリカに来たばかりの頃、電話を設置するのに面倒な思いをしたことがある。たまたま、わたしの部屋に住んでいた過去の住人が、電話代を滞納していたらしく、わたし自身は、後から加入し、まったく新しい番号を得ているにも関わらず、その住人の後に入ったというだけでブラックリストに登録されており、長距離電話がかけられないよう制御されていたのだ。

 ある土曜日の午後のこと。長距離電話をなぜかけられないのかを確認するために、ベル・アトランティックに電話をした。当時、本当にたどたどしい英語だったので、きちんと意図を伝えられるか不安を覚えつつも受話器をとった。

「ヘェロゥォ〜」

やたらとのんびりとした声のじいさんが出た。一瞬かけたところを間違えたのかと思ったが、確かにカスタマーサービスらしい。わたしが事情を説明すると、じいさんは孫にでも話しかけるように言った。

「よ〜くわかったよ、ミホ(アメリカ人は相手の名前を知った瞬間からこうして親しげに呼びかけてくる)。でもね、君はブラックリストに載ってしまっていて、直接電話会社に出頭しなければならないんだよ。パスポートと、それから電話会社の請求書を持ってね、わかるかい?」

わかったけれど、なんでわざわざ電話会社まで、しかもここからは結構遠いチャイナタウンの営業所までいかなければならないのか。ひどい英語ながらもしっかりと文句をいうわたしに、

「でもね、仕方ないんだよ。そういう仕組みになっているんだ。楽しい土曜日にこんな電話をするなんて、いやかもしれないけどね。君が直接行かなきゃ、長距離電話は使えないんだよ」

 こう言われた以上、文句を言ったところで埒があかないだろう。あきらめて電話を切ろうとすると

「ミホ、ところで君はどこからきたの? おお、ジャパン、そうかそうか。学校に行ってるの? そうか、語学学校か。来てどれくらいたつんだい? ほう、2カ月でそれだけしゃべれりゃ、たいしたもんだ。がんばって勉強するんだよ。あと数カ月も勉強すれば、もっとうまくなるよ」

 電話している間、わたしはこのじいさんが、広いリビングのカウチに腰掛け、片手にコーヒーの入ったマグカップを持ち、窓越しに庭などを眺めつつ話している情景を思い浮かべていた。とても電話会社の無機質なオフィスで話しているとは思えない、筋金入りの穏やかさだ。ブラックリストにのってしまい、面倒な手続きをせねばならないことに腹は立ったが、じいさんの温かい言葉になんとなく励まされたのも事実だった。

 さて、現在、弊社の電話回線は、キャッチホンにはせず、話し中の間は留守番電話につながるようなシステムをを利用している。その留守番電話に入ったメッセージは、指定の電話番号にアクセスし、パスワードをダイヤルした後に聞けるようになっている。つい、先日、そのシステムを変更するとかで、新しいパスワードを入力しなければならなかった。一応は設定したものの、間抜けなわたしは新しいパスワードを忘れてしまい、メモさえもなくしてしまった。

 そして、今日、土曜日。設定を変えてもらうべくベル・アトランティックに電話をすると、またもや、じいさんが出た。もちろん、4年前とは別人に違いないが……。

 新しいパスワードを忘れたので、リセットしてほしいと頼むと、身分を検証するため、名前や住所などを尋ねられた。そして古いパスワードを聞いた後、じいさんはこういった。「で、あなたの新しいパスワードはなに?」

 それを忘れたから電話しているんです。わたしはやんわりと言った。じいさんは、あ、そうだったね、ちょっと待ってね、といってなにやらコンピュータと格闘している模様。しばらくしたのち、彼は再びこういった。

「もう一度、君の古いパスワードと新しいパスワードを教えてくれる?」

ここで、わたしはぷつんと切れてしまった。もう、4年前のしどろもどろではない。間違っていようが変なセンテンスだろうが、文句はいう。

「だから、新しいパスワードを忘れたから電話してるんでしょ?!!!」

 年輩者にはやさしくしなければと思うけれど、わたしは今、ボランティアサービスをしているわけではないのだ。新しいメッセージを聞かねばならないのだ。明らかに痴呆症が入っているじいさんを、なぜこんなカスタマーサービスに配置するのかがどうにもわからない。

 結局、長い間待たされた後、リセットしたからと言われ、一旦電話を切り確認するも、リセットはされていない。何度もかけ直しては、同じ質問を繰り返され、土曜の午前中の数時間をそのやりとりで費やしてしまった。

 アメリカのカスタマーサービスには、まさに忍耐力をもって挑むべきなのである。……ああ、もういや。


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