悲劇的なサービス(2)
2/20/2000

 仕事柄、写真の現像をする機会が多い。急ぎのときには、1時間仕上げのサービスを利用しようと思うのが世の常だろう。しかし、この1時間仕上げが曲者なのである。これまでに、何度となく辛い目にあわされている。

 マンハッタンにはCVSやDuane & Reade と呼ばれるドラッグストアーのチェーン店が点在しており、店の一画に1時間仕上げの現像所がある。普段、わたしはここを利用しているのだが、急ぎの時はトラブルが多く、頭を痛めることがしばしばだ。

 1時間仕上がりと銘打っているのだから、例えば3時に持っていった場合、4時に上がることを期待する。しかし、窓口の対応はこうである。

「今日は、他のお客さんがたくさん来て、現像するものがいっぱいあるから、1時間じゃ仕上がらない。5時なら大丈夫」。

 要するに、1時間仕上げ、というのは暇なときには可能ですよ、ということなのだ。写真のあがりは今日中にFEDEXで送ればいいから、7時までに上がればいいだろうという判断で、「絶対5時なら大丈夫だよね」と念を押して去る。 

 そして5時30分頃、写真を取りに行く。窓口の女の子いわく、「思った以上に時間がかかって、やっぱり間に合わないわ。今日はもうわたし、帰らなきゃならないから、明日になるけどいい?」と、悪びれもせず、平気な顔をしていう。ここで、激しく切れるわたし。「どういうことよ、あんた、だいたい表に1時間仕上げなんて看板出しておきながら、大嘘じゃないのよ!」でも、彼女はいそいそと帰る準備をして動じない。「マネージャーを呼んでよ、マネージャーを!」と言っても、マネージャーも帰宅していて埒があかない。怒りにふるえつつも、こういうときは、辛抱して翌日を待つしかないのである。

 それならば、きちんとした写真館などで現像すればいい、と言われるかもしれない。しかし、写真館だからといって、決してよいサービスを期待できないのだ。まず、第一に現像代が高い。例えば24枚撮りを現像する場合、CVSだと1セットで7ドルほど。しかし、たいていの写真館は2セットで11ドルや12ドルという値段設定なのだ。1セットの場合はフィルムのおまけつきで同料金。わたしは、フィルムは安いところでまとめて買うので、ただ、1セットだけを現像をしたいのに、これでは非常に無駄なのだ。現像料が高いからといって、写真のクオリティが高いかといえば、さにあらず。CVSの24時間と変わりないから、どうしたって安い方に引かれる。では、サービスがいいか、といえば、これも疑問符だ。

 店にもよるから一概には言えないが、先日は近所の写真館でひどい目にあった。その時も急を要していた。CVSでトラブルがあった直後だったので、ちょっと足をのばして写真館まで行き、1時間現像を頼んだ。1時間後、受け取りに行き、大急ぎでオフィスに戻って封を開けるや、愕然とする。見知らぬおっさんが水着姿でビーチに横たわっている写真が目に飛び込んできた。なんじゃ〜こりゃ〜! 違う人の写真じゃない! フィルムを確認すると、間違いなくわたしのものである。その場で確認しなかったわたしがうかつではあったが、なんという腹立たしさ。速攻で電話をするも、「あら、間違ってた? じゃあ、もう一度取りに来て。」その謝りもしない態度のでかさに腹が立ち、「ちょっと、そっちが間違えたんでしょ!」と謝罪を要求すれども「仕方がないでしょ、間違えたんだから」の一点張り。

 見知らぬおっさんの写真を握りしめ、わなわなしながら写真館へ駆けていき、「早くわたしの写真をちょうだいよ!」と言えば、しらーっとした表情で、先ほどの電話に出た女性が現れた。どうしたって謝らせたい負けん気のわたしは「急いでるから1時間サービスを頼んで取りに来たのに、中身を確認せずに渡すなんて、ひどいんじゃない」とむっとして言うと、あろうことか、同僚と思われる男が「怒ったって仕方ないでしょ。よくあることなんだから」と来たもんだ。よくあることなのか。そうかそうかとさらに憤っていると、裏からマネージャーらしきおやじが出てきて、モExcuse usモと、なんとも半端な謝り方をする。 モWe are sorry" と言えよ、と思いつつも、これ以上騒ぐのもなんなので、ぐっと我慢してまた大急ぎでオフィスに走る。こうして書いていると、なんだかあほくさくなるようなことなのだが、こういうことが連発する毎日は、結構ストレスなのである。だからいやなことはどんどん忘れる方がいい。

 ついでに、写真にまつわる印象的なエピソードをもう一つ。再びCVS。その時は、やや時間に余裕があったので、窓口の女の子に「3時間後くらいに取りに来るから」と言って立ち去った。モOK, no problemモ という言葉を信じて。

 そして3時間後。先ほどの女性が、現像の機械の一部を分解し、慣れない手つきでドライバーを扱っている。いやな予感がする。「わたしの写真はどこ?」と尋ねると、「途中で機械が壊れちゃって、今、作業がストップしてるのよ」……またか、である。「あなた、自分でその機械修理できるの?」「ううん、よくわからないけど、修理の担当者が来ないから、自分でやってみようかなと思って」。やる気をみせるのはいいが、ただ状況を悪くするだけじゃないのか。「わたしの写真はどこ?」改めて聞くと、現像の機械にいれるべく、フィルムがだらりとひっぱりだされた状態で、ぶら下げられている。「急ぐんだったら、これ、他の現像所に持っていった方がいいと思うよ」と前向きなアドバイスをくれるが、そんな半端な状態のものを持ち歩くのはいやだ。もう!わかったわよ。待つわよ。1日でも2日でも。

 こうして、悲劇的なサービスに慣らされて行くのである。

 ついでに言えば、アメリカに暮らしていると、クレームすべき場面がたびたび出てくる。今後も少しずつこのエッセイで紹介していこうと思うが、クレームの際に、英語力のなさが際だち、自分自身に腹が立つこともしばしばだ。だいたい、怒っているはずなのに、間違って丁寧な言い回しをしたりして、ものすごくかっこ悪いこともじゃんじゃんやってしまう。異国での暮らしは、悔しくて、情けないことの多い日々でもある。(M)


Back