坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 102 9/7/2003

 


このメールマガジンも100回を超えました。101回目からは、初心に返ったつもりで、創刊当時のように週に1回程度の頻度で発行しようと、気持ちを新たにしています。とはいえ、またいつの間にか、月に1、2回程度になってしまうかもしれませんが、末永くお付き合いください。

さて、学校生活の方は楽しくやっています。2週間目に入った時点で、どうしてもクラスのレベルが低いように感じたので、先生に相談したところ、先生の方もそれを感じていたようで、今週から上のクラス(professional Advanced) に移りました。

ペーパーテストの実力は、上に移るには足りないのですが、すでに7年も住んでいるからコミュニケーション能力は、同じクラスの他の生徒に比べて長けているわけで、正確な文法かどうかは別にして、言葉はスイスイ出てくるし、カンバセーションも滞りなくできるので、移動可能となりました。

さて、新しいクラス は社会経験を経た人が多く、刺激的です。教会の司祭(スペイン)、元国連職員(コソボ)、心理学者(アルゼンチン)、ジャーナリスト(コロンビア)、グラフィックデザイナー(コロンビア)、報道レポーター(韓国)、弁護士志望の学生(韓国)、企業派遣者(日本)、元フライトアテンダント(日本)、元英語教師(日本)……といった多彩な国籍と職歴の人たちが15名。ほかに、台湾やサウジアラビアのクラスメイトもいます。

過去、わたしは「高校の国語教師」を目指していた時期があり、「教育」に関して少なからず興味があります。今回、1789年、つまりアメリカが独立した直後に誕生したジョージタウン大学のキャンパスで学ぶ機会を得、大学という場所について思いめぐらせるうち、3年前に書いた原稿のことを思い出しました。

2000年に、A男の母校であるマサチューセッツ工科大学の同窓会に同席したときに感じたことをまとめたもので、本当は『街の灯』にも載せたかったのですが、数字の裏付けが取れなかったのであきらめた経緯があります。

米国の強みは、世界中の優秀な学生たちがこの国に集まってくること。若者が憧れる大学がたくさんあるのが、非常に大きなポイントだと感じます。

今回は、A男の「同窓会」のことを書いた記事をここに転載して、次号で、「アジアにアジア人のための大学を」と感じているところの具体的な理由などを書き記したいと思います。

 

●同窓会……マサチューセッツ工科大学の同窓会に同席して
(2000年執筆)

「ミホ、6月にボストンで大学の同窓会があるんだけど、一緒に来ない?」

ボーイフレンドが尋ねる。

「大学の同窓会にガールフレンドが同行するのは妙だから、一人で行っておいでよ」

とわたし。

「そんなこと言わずに、見てよ、このプログラム。同窓会は何日もあって、いろいろな催しがあるんだよ。もちろん家族やボーイフレンド、ガールフレンドも一緒に参加できるんだ。お父さんや姉さん夫婦もちょうどこの時期こっちに来るから、みんなで行こうよ」

彼の母校では5年に一度、大規模な同窓会が開かれる。全卒業生が一気に集うのではなく、5分の1ずつの卒業生が参加するという。たとえばわたしのボーイフレンドは1995年の卒業生だから、90年、85年、80年、75年……と、5の倍数の年に卒業した人々と同窓会を共にすることになる。

折しも彼は、MBA(ビジネススクール)の卒業式を控えており、卒業式に参加するため、ニューデリーに住む父親が渡米することになっていた。加えて、バンガロールに住んでいる彼の姉も、生物学者である夫がリサーチのために、偶然にも彼の母校の研究室に来ることになっていて、夫婦で訪れる予定だった。

「同窓会ねえ……」

つぶやきながら、さりげなく受け取ったプログラムに目を通して驚いた。木曜から週末にかけての4日間、ディナーパーティーに始まり交響楽団のコンサート、テニス、ゴルフなどのスポーツイベント、ボストンの市内観光、バーベキューパーティー、ダンスパーティーなど、実にさまざまなイベントが予定されているのだ。

もちろん各種セミナーやパネルディスカッションなどもある。

「何だか面白そうだから、一緒に行くよ」

わたしは答えた。

6月のとある木曜日。わたしとボーイフレンドはアムトラック(長距離列車)に4時間ほど揺られてボストンへ向かった。すでにボストンに到着している彼の家族とは、宿泊先のB&B(ベッド&ブレックファスト)で合流した。

その日の夕方、わたしたちはコンサートに参加するため、シンフォニーホールへ向かった。ボストンにはシンフォニー・オーケストラだけでなく、ポップスと呼ばれるオーケストラがある。百年以上の歴史を誇るポップスは、人々に気軽に音楽を楽しんでもらうのを目的に誕生したという。

なるほど、1階のオーケストラシートは座席が取り払われ、代わりに丸テーブルが配されている。流れてくる音楽も、耳慣れたブロードウェイのヒット曲やジャズの名曲、映画音楽などさまざまだ。ステージに近いテーブルでは、年輩の同窓生たちが美しく着飾った伴侶と共に、グラスを片手に聴き入っている。ときに観客が演奏に合わせて歌い始めたりもして、何ともいえず心が躍る。

さて、コンサートのあとは、彼の家族と一緒に、出発前から楽しみにしていた名物のロブスターを食べにシーフードレストランへ繰り出す。ボストンのあるマサチューセッツ州にほど近いメイン州はロブスターの産地として有名で、ここボストンでも新鮮で品質のよいロブスターが味わえるのだ。

まずはボストンの地ビールであるサミュエル・アダムスで乾杯。アサリやジャガイモがたっぷり入ったクラムチャウダーに焼き立てのパン。そして蒸しあがったばかりのアツアツのロブスターがテーブルに届く。しばし殻と格闘したあと、たっぷりの身を取り出し、黄金色の溶かしバターをほんの少し付けて食べる。

プリプリとした歯ごたえのロブスターは、噛めば噛むほど甘みが増して実においしい。付け合わせのインゲンもまた新鮮でいい。おいしい食事に会話も弾み、幸せなひとときである。

翌日からの数日間は、ゴルフの初心者向けプログラムに参加したり、大学に併設された科学博物館を見学したり、彼がレクチャーを聴講している間、キャンパスでくつろいだりと、さまざまに楽しい時間を過ごした。家族みんなでボストンの中心街に出て、ショッピングや観光もした。

夜はダンスパーティーに参加し、彼の同窓生やその家族と、何度となく挨拶を交わした。友人との久しぶりの再会に、彼は立ち話をすることもしばしばだったが、こうやって旧交を温める場があるのはいいものだと、おとなしく傍らに立って見守った。

一連の同窓会イベントの最終日。全卒業生が集まってのランチ兼報告会が開かれるというので、わたしも彼に同行することにした。

広々とした体育館に、いくつもの丸テーブルが配され、テーブルごとに卒業年度の数字が記されている。わたしたちは「1995年」と記されたテーブルに座り、すでに着席している人たちと挨拶を交わし、食事をしながらおしゃべりをする。わたしたちと同じくニューヨークから来た人、ワシントンDCから来た人、サンフランシスコから来た人……、とみなそれぞれだ。

さて、ランチを食べ終え、テーブルにデザートとコーヒーが運ばれてきたころ、関係者の挨拶などが始まった。途中、司会を務めていた卒業生によって、今年度同窓会の、大学への寄付金の発表が行われた。

古い卒業年度順に、寄附した人の割合とその総額が読み上げられる。最初、特に注意を払わずに聞いていたのが、その数字の大きさに、我が耳は急に鋭敏になり、そのアナウンスに集中した。

「1945年度卒業生、63パーセント、総額5ミリオンドル」

「1950年度卒業生、64パーセント、総額7ミリオンドル」

年度別に読み上げられるたび、会場から大きな拍手があがる。それにしても、その額の多いこと! 1ドル100円として、1ミリオンは1億円である。最終的に、今年の同窓会で集められた寄付金は総額34ミリオンドルだった。しかも同窓会の時期以外にも、事業に成功した卒業生たちが随時、数ミリオン単位の寄附をしているという。

ここで集められた寄付金は、大学の設備投資や研究費などに充てられるという。これらの予算がさまざまな人材を育み、その可能性を引き出し、最終的にはその成果が多様な形で国家に、さらには世界に貢献するわけだ。

センチメンタルな愛校精神にとどまらない、卒業生のアメリカの未来に対する期待が、寄付金に形を変えているようにさえ思われる。

巨額の収入を得た卒業生にとって、あるいは寄附は税金対策の一つかもしれない。貧富の差が激しいアメリカでは、限られた人間に富の集中が見られ、それがしばしば取り沙汰される。しかしその一方で、稼いだお金を個人のためだけに使うのではなく、寄附をしたり、非営利団体を設立するなどして、社会に還元している人も少なくない。

その事実を今、目の当たりにして、わたしは少なからずショックだった。自分がこれまで、日本で見聞きしてきた世界とはまったく違う「志」や「理念」が、そこにあるような気がした。

寄付金の報告が終わったあと、現在同大学の教授である卒業生の一人がマイクを握り、スピーチを始めた。スピーチの終盤、彼が口にした言葉に、またもやわたしの耳は集中した。

「……ところで先月、わたしは出張でアジア諸国を巡りました。ジャパン、タイランド、シンガポール、ホンコン、タイワンなどです。

どの国を訪れても実感したのは、我が大学の卒業生が、単に企業の牽引役にとどまらず、その国の経済や社会に影響力を与えるべく、重要なポジションに就いていることです。彼らは国家のために、大いに貢献していました。これは非常に印象的で、同窓生としてとても誇らしいことでした……」

寄付金のことで衝撃を受けているわたしに追い打ちをかけるように、彼の言葉が激しくわたしの心を揺さぶった。

(ああ、アメリカという国は、すごい)

ただ単純に、そう思った。もちろんアメリカを、諸手を上げて賛辞するわけではない。国際社会における立場にしろ、国内における政治の在り方にしろ、問題は尽きないし、いいところばかりじゃもちろんない。

しかし、いずれにせよこの国が特殊で強力であることには違いない。今、ここに身を置き、わずかばかりのインフォメーションを耳にして、アメリカの強さの理由の一つは、ひょっとすると「大学」という存在にあるのかもしれないと思った。

この国ほど、世界各国の学生たちを受け入れる国があるだろうか。無論、世界各国の大学も、世界中の学生へ門戸を広げているには違いないだろう。しかしながらアメリカの許容量は他国が及ぶところではないはずだ。移民の国だから当然だ、共通語が英語だから有利だ、などと言えばそれまでだが……。

世界中の優秀な学生たちがこの国の大学を目指して訪れるのは、彼らが実力を発揮できる魅力とチャンスとステージがあるからこそだろう。

たとえば日本国内に、アジア各国の学生たちが大勢に集える大学があるだろうか。アジアで出会う可能性のないアジア人同士がこの国で交流の場を育むのである。

国境を越え、国家を超え、世界各地から集った人々が学舎を、あるいは寮生活を共にし、4年間の歳月を過ごす。学問以外に得ることの大きさは計り知れない。

国家のイデオロギーを問わず、友として結ばれた絆が、あるいは国家間の軋轢を緩和する役割を担っているのかもしれない。単に「懐かしい友に会うための同窓会」にとどまらない意義が、ここにはあるように思えた。

ネットワークとは、個人の利益や満足のためだけに構築すべきものではなく、広い視点から語られるべきものかもしれないとも思った。

こんなわたしの心の動きに気付くはずもなく、ボーイフレンドはデザートのチョコレートケーキを口に運びながら、隣席の同窓生とニコニコしながら話をしている。

わたしは自分が卒業した、日本の地方都市の小さな大学を誇りに思っている。あの大学で過ごした4年間は、今のわたしを育む上でとても貴重な日々だったと思っている。ほかの大学に進んでいればよかった……、と思うことなど、これまではなかった。

いや、すでに自分で選んだことなのだから、悔やむことはしたくない、常に肯定的に生きようと、あえて他の可能性を想像しなかったのだとも思う。

しかし、今日、この場に身を置き、わたしはさまざまに打ちのめされる思いがした。そして、このような母校を持つボーイフレンドのことを、とてもうらやましく思った。

(9/7/2003) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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