坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 104 10/26/2003

 


発行頻度を上げたいと書いたのは確か数号前。舌の根も乾かぬうちに、1カ月以上も間をおいてしまい、もう、誰からも読まれなくなってしまうのではないかと気にしながらも、日本語をスラスラ書くことの喜びを、今、噛みしめています。

現在、日曜日の午後5時。先ほど、ようやく学校の宿題を終えました。ほとんど毎週のように、週末は小論文の宿題が出ます。主にはビジネスを基軸にしたテーマで、今までに「グローバリゼーション」「企業合併」「言語」「IT」「インターネット」といったテーマを学んできました。

そして現在は「サイエンス」。主にクローン技術について書かれた記事をいくつか読み、分析、論文を書かねばならないのですが、もう、日本語ですらよくわからない言葉(胚クローン、ゲノム、胚性幹細胞などなど)が続出し、てんで訳が分からず泣きたくなり、しかし泣いている場合ではないので、まずは日本語で基礎知識を叩き込んでから英語に挑もうと「急がば回れ」で、あらかじめ日本語で学習。その後、英文読解……、そうして執筆開始と、かれこれ5時間ほどもかかって宿題を終えたところなのです。

もう、すらすらと、文章を書けることの、なんて快適なことだろうかと、今、日本語を、ことさら愛おしく感じております。

この1カ月の間には、いつもに増して様々な出来事がありました。確かに多忙といってしまえばそれまでですが、しかし、相変わらず最低7時間は睡眠をとっているし(我が家は二人して8時間睡眠が理想)、ヨガは毎朝やっているし、週末は少なくとも1日は遊びに出かけているしで、ゆとりの時間も大切に過ごしています。

書きたいこともまた、あれこれと相変わらずあるのですが、ともかく、余り深く考えずに書けることから(もう、宿題でエネルギーを費やしてしまったので)、今日は書きたいと思います。

ところで今年は、毎日通学していることもあり、街路樹が紅葉していく様を日々眺め、また街がカボチャのオレンジに染まっていく様を眺め、例年以上に米国の季節感を堪能しています。

一方、懸案だった『muse DC』秋号の発行もやり遂げ、仕事や家事もそれなりにこなし、なんだか無駄なく、かといってあくせくしているわけではない、気分のいい日々を過ごしています。そんな日々のペースを思い切り乱してくれたのが、ヤンキーズのワールドシリーズ。夫が隣室でテレビを観ていると、どうしても松井選手の動向が気になり、夜は仕事や勉強に身が入らない日々が続きました。

 

●松井選手とワールドシリーズとガム

松井選手がテレビに出るたび、A男が「マツイ〜!!」と叫び、そのたびに作業を中断してリビングルームまで小走りする日々がしばらく続いた。ヤンキーズがリーグ戦で優勝したときは、自分でも意味不明なほどに興奮してしまい、リビングルームを跳ね上がり、駆けめぐり、足から腰にかけての筋を痛めてしまう始末。A男におののかれても無理はない。

普段は大してヤンキーズ・ファンというわけでもないのに、でもって松井選手のファンだったというわけでもないのに、何なのだろうか、この感情移入。

それにしても、松井選手の立ち居振る舞いを見ていると、なんだか本当に、胸がキューッとなるくらい、「日本人の美しさ」を感じてしまう。バッターボックスに入る前のウォームアップしている時の姿の、なんと端正なこと。そして試合中、決してガムを噛まない、その美しさ。

だいたい、米国人選手は、どうしてあんなにも、ガムを噛まねばならぬだろうか。もう、見ていて汚いことこの上ない。風船のように膨らます者、唾液を飛び散らす者、くちゃくちゃとガムを見せながら噛む者、あるいは数個を一気に口中に含んでいるのか、リスのように頬を膨らませながら噛む者……。

どいつもこいつも、動物園のラクダかキリンかカバみたいだぞ! と言わずにはいられない。その点、松井選手は実にきれいだ。清潔感がある。なんだかほんとに、ほっとする。イチロー選手はどうなのだろうか。彼は試合中、噛むのだろうかガムを。噛まないでいて欲しい。たとえ噛んだとしても、口を結んで噛んで欲しい。とベースボールそのものとはまったく関係のないところに気を払っている。

それにしても、どんなスポーツ選手もそうだろうけれど、彼らの緊張感というのは計り知れないものがあるのだろうな。大勢の人々の期待を双肩に感じながらのプレイ。どれほどのストレスだろうか。そう考えればガムを噛むのも、仕方ないことなのだろうか。

残念ながら、夕べの試合でヤンキーズは負けてしまい、非常にがっくりだったが、しかし、彼らの健闘をたたえたいと思う。

 

●思い切り、髪を切って、簡単シャンプーが懐かしい

日本にいたころは、ずーっとショートカットだったが、渡米し、A男に出会い「ねえ、髪伸ばして〜」と懇願され、のばし続けてかれこれ6年。日本にいたころは、縦横大きい方だということもあり、一見して「体育会系」とみなされていたが、こちらでは、わたしの体型は「中ぐらい」の部類に入るし、髪を伸ばして雰囲気が変わったこともあり、一見したところでは(しゃべる前)は「エレガントな人?」と思われがちだった。自分で言うのもなんですけどね。

髪型、というか髪の長さ、というのは、女性の印象を大きく変えるものだということを痛感したものだ。のばし続けていると、今度はもう短く切るのが怖くなり、体育会系に戻るのもなんだなあ、という思いもあった。

しかし、先日、思い切り切った。もう、思い切り、昔のようなショートカットに。なぜだかわからないが、つくづく、長い髪が面倒になり、飽き飽きしていたのだ。

そして、切ってみて、気づいた。ああ、わたしも、年をとったなあと。決して、悲観的になっているのではない。ただ、事実として、年齢を感じた。切ってみると、6年前の自分とは、もう、当たり前だが、全然違う。38歳。いつまでも快活なのはいいが、それなりの深みも欲しいところだ。無論、そういうことは、日々の積み重ねにより自然と身についていくものなのだろうけれど……。いい感じで年を重ねていきたいものだと思う。

それはそうと、私の短髪に、A男は憮然としている。気の毒なほど、衝撃を受けていた。「もう二度と切らないで」と頼まれた。どうしたものだ。

 

●街は紅葉、パンプキンだらけ。サイクリング楽し・日本の自転車恋し

日増しに紅葉が美しい昨今。ジョージタウン界隈は、門前にパンプキンを飾る家々があちこちに見られ、散策がとても楽しい季節。週末ごとにA男と散歩をし、秋の美しさを堪能している。ジョージタウンのパンプキン風景をホームページにアップしているのでどうぞご覧ください。

http://www.museny.com/dctravel/george-fall03.htm

先日は、自転車を借りてC&O運河沿いをサイクリングした。DCはいくつかのサイクリングルートが整備されているのは知っていたが、今までなかなか実際にサイクリングする機会がなかった。今回、始めてサイクリングをし、予想以上の楽しさに二人して感激した。

運河を見やれば、ボートやカヌー漕ぎを楽しむ家族。トレイルでは、ジョギングやウォーキング、サイクリングやローラーブレードをする人々にすれ違う。枯葉の匂いが混ざった秋風が何とも心地よく、本当に楽しいひとときだった。

翌週は自転車が貸し出され尽くしていたので、お弁当を持ってトレイルを歩いたのだが、それもまた楽しかった。最近になって、DCのよさを、改めてじわじわと実感しているところだ。だからって、それはもう、ニューヨークの方が断然楽しいけど。と言う気持ちは全く変わっておらず。

ところでサイクリングと言えば、恋しいのは日本の自転車。思い返せばこれまで、さまざまな国、場所で「レンタサイクル」をした。自転車王国の中国をはじめ、オランダ、ベルギー、アメリカ、カリブの島、etc. どこで乗る自転車も、決して「乗り心地のいいもの」ではなかった。

そこで一言いいたい。日本の自転車は、自動車のそれのように、世界を席巻できる価値は十分にあると思う。無論、マウンテンバイクなどはすでに各国に輸出されているようだが、私が問いたいのは、「ママチャリ」的な自転車だ。

あの自転車がもし今、ここで手に入れば、迷わず購入し、通学に使うだろう。ご近所への買い物にも愛用するだろう。車社会のアメリカは、それが一因ともいうべく肥満が社会問題となっている。この際、自動車を捨て、みな自転車に乗ろうではないか。

そこで注目を浴びるのは、日本の自転車だ。乗り心地がよく、籠などが付いていてお買い物にも便利。お尻も痛くならないし、スカート姿でも乗りこなせて、子供だって乗せられる。ラッタッタ、なんてもう、まるで夢のような乗り物だ。

なのになぜ、海外に、いや少なくともアメリカに、日本の「ママチャリ」的自転車は輸出されないのだろう。宣伝の仕方によっては、かなり売れると思う。売れるに違いない。売れて当然。なんとかしてほしい。何なら米国向けカタログや広告媒体の制作全般を、ミューズ・パブリッシングが請け負いたいくらいだ。

ワシントンDC界隈では、わたしが走る宣伝塔となろう。丸石でもミヤタでも無印良品でも、どこでもいいから、米国にママチャリを! 但し、米国販売バージョンは、防犯システムの強化が必要だけど。作動の一部をデジタル化して、鍵がなければ絶対に車輪が動かないとか。そんな技術は日本の会社にとってはお茶の子さいさいと思うのだが。どうだろう。

自転車通勤で、エネルギーと肥満問題を一挙解決! 日本の自転車メーカーに一肌脱いでほしい! 

 

●『muse DC』秋号。今回から完全2色刷。インタビュー記事充実

学業と仕事の両立はなんとかなっても、ほとんど「趣味」の領域にある『muse DC』の制作はいったいどうなるのだろうと、我ながら心配だった。案の定、かなりたいへんだった。平日は学校があるし、休日は行楽シーズンの秋だから外に出たいしで、どこをどう探しても、『muse DC』制作に充当する時間が足りない。

仕方なく、丸一日、学校を休んで制作に集中し、あとは平日の数時間ずつをやりくりして、なんとか仕上げた。今回は秋冬のホリデーシーズン、ワシントン首都圏行楽ガイド。なかなかにいい出来。

それより何より、力作は「ワシントニアン・インタビュー」。コソボ出身のクラスメイト、フェリデをインタビューした記事だ。タイトルに用いた「わたしは27歳だけれど、もう100年も生きている気がする」という言葉通り、彼女のこれまでの人生は猛烈に濃い。

インタビューしている間も、二人で、泣いた。ティッシュを分け合いながら、涙を拭いて、彼女は語り、私は記した。心を揺るがされる話はもう、何度も聞いてきたけれど、こんなに感情が制御できなくなるインタビューは初めてのことだった。それほどに、重かった。

学校では英語を学ぶこと以上に、さまざまな出会いがあり、私は今、本当に、多くのことを、出会いを通して学んでいる。フェリデだけではなく、クラスメイト15人、いや他のクラスの学生を加えればもっと多くの、それぞれが、さまざまなバックグラウンドを携えて、この国を訪れている。クラスメイトのことは、ひとり一人をインタビューにして記事にしたいほどである。

そんな彼らと、国籍、年齢、民族、宗教、職業、学歴といった、あらゆるくくりを取り払い、利害関係なく、対等に、接せられることの、何というおもしろさだろう。歳を重ね、経験を重ねることの楽しさもまた、今、深く痛感している。

ともかく、『muse DC』は先週、無事に刷り上がり、配達も昨日で完了した。ワシントン首都圏在住の方は、ぜひ最寄りの日系食料品店などへ。あと、定期購読も募集(世界のどこへでも配達可能!)しているので、ぜひともご購読を!

(10/26/2003) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


Back