坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 105 11/11/2003

 


今年もいよいよ終盤。アメリカは、ホリデーシーズン、パーティーシーズンの到来です。今年は例年に比べると冷え込みが浅く、ハロウィーンの日は半袖でも歩ける暖かさでした。

さまざまなコスチュームに変身した人々は、寒さを気にすることなく街を闊歩し、私たちも少々の変装(被り物着用)でジョージタウンの町歩きを楽しみました。

さて、ここ10日のうちにも、3回ほどパーティーがありました。学校、仕事、ともに追い込みの状況ですが、「社交」も楽しみたいものです。今回はパーティーについて書こうと思います。

 

●その1:インド人CEO主催のインド式ビジネスパーティー

11月1日土曜日は、A男が所属するIndian CEO High Tech Councilという組織が主催するパーティーに出かけた。去年の今ごろ、英国大使館で開かれたパーティーのことを書いたかと思うが、それと同じ主催者だ。

この組織はIT、ハイテク関連のビジネスに携わるCEO(Chief Exective Officer)クラスのインド人たちが発起したもので、その業界に関係のあるインド人はじめ他のアメリカ人たちも含めて2700人以上の会員を擁している。A男もその一人だ。

無論、A男はCEOではないが、彼の会社が組織に登録しており、社内唯一のインド人である彼がメンバーに名を連ねている次第である。

さて、今年パーティーが行われたのは、ワシントンDCに隣接するメリーランド州ベセスダにあるCEOの私邸にて開催された。夫は企業のCEO、妻はドクターという夫妻の邸宅は、完全に「人を招く」ことを主眼に設計されていた。

門をくぐり、しばらく走った先に、広々としたロータリー式の車寄せがある。ヴァレット・パーキング(Valet Parking: 従者に鍵を預け、車を駐車場に停めてもらう)のため、車を降り、即、玄関へ。ドアを開けると、地上三階のさらに上、キューポラまでが見上げられる螺旋階段の吹き抜けだ。

美しく磨き上げられた大理石のエントランスフロアの向こうには、やはり大理石のパーティーフロアが広がり、人々がグラスを片手に語り合っている。

一方にはバーのコーナー、その向こうにはサンルーフのあるフロア、そして一面の窓の、その向こうには、やはり広大なガーデンが広がり、一画にプールがある。昼間訪れると、また違った美しさがあるのだろうと想像させられる。

室内は、美術品の蒐集が趣味だという夫人の好みによって統一されていた。風景画、抽象画、超写実画……と、様々な油彩画が壁を彩る。インドの彫像あり、中国の螺鈿の屏風あり、やはり中国の巨大な壺あり……。

棚にはベネチアン・グラス、チェコ・グラス、クリスタル各種のほか、ウエッジウッドにマイセン、ローゼンタールにリモージュといった陶磁器が所狭しとディスプレイされ、眺めているだけでも楽しい。

ご想像の通り、趣味が多岐に亘っているため、少々、不統一な感は否めないが、それにしても、豪奢な雰囲気のご家庭に招かれるというのは気分のいいものである。

幸い、この夜も暖かだったので、人々はガーデンに出て談笑する。ボーイらが、シルバーの大きなトレイを片手に、インド風のアペタイザーを供する。それをひとつ、ふたつとつまみながら、冷えた白ワインを飲みつつ、気分のいいひととき。

何人かの人々と話す機会があったが、なかでも先月、カナダのモントリオールから引っ越してきたばかりという夫妻(バングラデュ系カナディアンの夫と、カナディアンの妻)の話が興味深かった。

エリクソンという企業に勤める彼は、実は、インドのバンガロールに家族を連れて赴任する予定だったという。ちなみにバンガロールとは、IT産業の盛んな街であり、学園都市であり、インドで最も外国人が「住みやすく」「気候がよく」「清潔な」街だとの定評があり、A男の姉夫婦も暮らしている。

実は、私たちも、いつか将来、インドに住むことになったら、バンガロールならいいかもね。と話していた矢先なのだ。ニューデリーはぐちゃぐちゃしていて汚いし(というのはA男の前では言えないが。いや、言ってるけど)、両親が住んでいるというのもなんだか厄介そうだし、住むのには少々抵抗がある。

という次第で、バンガロールに好奇心を寄せていたわたしは、なぜバンガロールに住まなかったのかと尋ねた。すると彼は声を潜めて言った。

「すでに家の手続きもすませて、僕が一足先に、下調べに行ったんですよ。ところがもう、暑いし、汚いし。ここには住めない! と思って、慌ててカナダの妻に電話しましたよ。バンガロールはみんなから「きれいなところだ」と聞いていたから、もっときれいなところを想像していたんですけどね。いやあ、参りました。そりゃあ、ニューデリーよりも「まし」でしたけどね。インドはインドですよ!」

傍らで妻が苦笑している。なんでも彼らは新婚旅行でインド巡りをしたことがあるらしく、予備知識はあったようだ。それでそこまで衝撃を受けるとはどういうことか。彼自身、バングラデシュ人とはいえ、美しくてきれいなカナダで生まれ育っているから、抵抗力がないのね。

彼らとは、それ以外にもあれこれと話が弾み、途中A男も会話に加わり、とても楽しかったので、名刺を交換しあい、今度夕食を共にする約束をした。

ちなみに帰宅後、A男にバンガロールの件を話したら、大いにぷんぷんしていた。「バングラデシュもインドも同じようなもんじゃないか! とても住めないとは失敬な!」と言いながら。だから、彼は、見た目は100%バングラデシュ人だけど、カナダ育ちなのよ。

さて、しばらく談笑をしたあと、ホストが「チリンチリン」とベルを鳴らし、夕食の準備が整ったことを知らせる。ゲストは誘われるがままに階下に下りてびっくり。1フロアがすべて、ダイニングルームになっているのだ。まさに、レストランである。

相変わらずインド関係のパーティーはインド料理のブッフェで、みな、旺盛な食欲を発揮して、お皿に山盛りの料理を携え、テーブルに着席する。

1つのテーブルが10人ほど座れる丸テーブルがいくつもあり、私たち夫婦は一緒にあるテーブルに座った。わたしの隣に座っていた夫婦は、やはり夫がIT関連の企業を経営している40歳代とおぼしきカップルだったが、二人とも気さくでユニークな人たちだった。

彼の目下の悩みは、仕事はさておき、「アメリカで生まれ育った子供たち」のしつけのよう。「自己主張ばかりで礼節を重んじない、まるでアメリカ人のようになってしまった」子供たちに手を焼いているらしく、「この夏休みはインドの実家に送りこんで、精神を叩き直そうとした」らしいが、結果は、芳しくなかった様子。

仕事の都合上、日本には何度も訪れたことのある彼は、インドと日本というまったく異質の国同士を、しかし「アジア」という共通点で以て、親近感を抱いているようで、だから私にも「アメリカナイズされた子供について」を当然わかってくれるだろうという態度で話すのだろう。

彼の悩みは、米国生まれの子供を持つ日本人夫婦と共通するものがあり、どの国籍の人たちも、それなりに悩みを抱えながら子育てをしているのだなあと感じ入る。

それにしても、話題をさらうのは、私たちの結婚式の話。日本人がインドで、日本の家族を伴って結婚式をした、ということだけでも特筆すべき事なのに、結婚式を「7月」という恐るべき蒸し暑いモンスーンの時期にやったということが驚き、呆れの的になった。さすがに父が肺がんである、とまでは言わなかったが、言ったら絶句されていただろう。

「なぜ?」「どうして?」「いったいなんでまた?」と、矢継ぎ早に質問を浴びる。ある女性の弟は、やはりなんらかの都合で6月にニューデリーで結婚式をしたらしいが、 

「彼の結婚式は25年前のことですけどね。未だに親戚が集まると、話題に上りますよ。あんな蒸し暑い時期に、よくも結婚したもんだって。あれはひどかった、って。あなたたちも、一生、家族や親戚のネタになるでしょうね」とまで言われた。

私たちの場合、確かに蒸し暑かったけど、それに並んで、文化的差異が強烈だったから、暑さだけが話題になることはないとは思うが……。まあ、語り継がれるには違いない結婚式ではあった。

食事のあとは、今度はティータイム。テーブルの上にはたくさんのフルーツやインドのデザートも並んでいる。A男が大好きで、わたしも何度か作ったことのあるグラブジャモンもある。

デザートを食べながら、今度はバンガロール出身のインド人独身女性と話した。彼女曰く、「バンガロールは本当にいいところよ」に始まり、さまざまに街の魅力を説明してくれる。ふむ。先ほどのバングラディシュ人の意見とは大きく異なる展開だ。

いずれにせよ、来月は、A男と二人で2週間、インドの旅に出る。結婚式以来初めての「里帰り」だ。今回はニューデリーのほか、ポルトガル領だったゴアというビーチリゾート、それに話題のバンガロールへも訪れる予定だ。

この目でしっかりと見てこよう。住めるかどうか。ま、私は大丈夫だと思うけれど。

ところで、バンガロール出身の女性と話をしているとき、わたしが何度かグラブジャムンを作ったことを話した。

「夫が好きだから、ときどき作るんだけど、スキムミルクと小麦粉の配合とか、油の温度で膨らみ方が変わるから、難しいわよね」とこぼしたら、「え〜っ! 自分で作るの? 普通、わたしたちはグラブジャムン・ミックスを使うわよ」とのこと。

彼女が今時の女性なのかもしれないが、ともかく、インド人でもそんな面倒なことはしないらしい。「インド食料品店に行けば売ってるから。かなりおいしいわよ」とのこと。簡単に、おいしくできるだなんて。あの、一時期の、試行錯誤は、いったい何だったか。

 

●その2:マネジメントオフィス主催のご近所顔合わせパーティースペイン風

年に数回、私たちが住んでいるアパートメントビルディングのマネジメントオフィスが、住人たちの親睦を深めるためのパーティーを企画してくれる。今回はかなり気合いが入っていて、その名も「スペイン・ナイト」。

A男はボストン出張で不在だったので、私は一人で出かけた。出かけたといっても、アパートのビルの1階にあるパーティーフロアに下りていっただけのことだが……。

アンダルシアの音楽をBGMに、一画ではワインテイスティングが行われていた。近所にある「サットン・プレイス・グルメ」という輸入食品などを扱う高級スーパーマーケットのワイン・バイヤーが訪れ、いくつものスペイン産ワインをテイスティングさせてくれた。

一画にはスペインのタパス(小皿料理)がさまざまに用意されていて、いずれもワインとよく合うおいしい料理ばかり。各種チーズにハモン・セラーノ(生ハム)やチーズ、パテにシーフードや野菜のマリネなど……。

このアパートメントは大使館通りに近いこともあり、各国の外交官や駐在員など、一時的(数年単位)の居住者が多いようだ。とはいえ、私がこの夜話をしたのは、学芸員、ドクター、作家、法律家といった、いずれもキャリアのあるアメリカ人女性たちばかりだった。

最近、学校に行き始めて自分が変わったことに、少し気づいた。それまでも、比較的堂々とした態度で英語で話すよう心がけていたけれど、最近は、「心がけなくても」堂々と、言いたいことを言えるようになった。つまり自然に、他人に声をかけることが、人前で話すことが億劫ではなくなってきた。

学校でしょっちゅう、プレゼンテーションをしていることが功を奏しているのだろう。最初のころは、学校とはいえ、それなりに緊張したけれど、だんだん慣れてきて緊張しなくなってきた。無論、ミスは相変わらず多いが、ともかくは言いたいことをはっきりと伝えられるかどうかが大切なことだから、まずまず、成長したのだと思う。

英語でのプレゼンテーションがこなせれば、日本語ならばもう、お茶の子さいさいである。というのは言い過ぎか。いや、むしろ、日本語だと流暢にしゃべれすぎて、自分でも「しゃべりすぎた」と思うこともしばしばだ。昼休みなど、たまに日本人の学生と日本語でしゃべるが、自分のしゃべりが「とめどない」のに自ら愕然とするときがある。

黙れよ少しは。と、内心、自分に突っ込みを入れてしまう次第だ。

話は変わるが、わたしの学生生活に触発されて、A男も毎週土曜日、ジョージタウン大学の社会人クラスに通っていた。さまざまなプログラムがあるが、彼は「パブリック・スピーチ」のクラスを取り、毎週、楽しく通っていた。すでに今期は終了したが、わたしも来期は自分の学校が終わるので、社会人クラスを週に数回、とろうと思っている。

A男はもちろん、英語は完璧に話せるけれど、アメリカ人のように子供の頃から「討論」や「プレゼンテーション」に慣らされている人々の中に紛れると、どうしても押しが弱い。自分の言いたいことをはっきりと、説得力を持って伝えるには、それなりの訓練が必要なのである。特に大風呂敷を広げて憚らないアメリカ人ビジネスマンと渡り合うには。

週に一度でも、人前で話をする訓練をすると、かなり成果が出るようで、彼の場合、合計、6回ほど行っただけだが、新しい友達もでき、気分転換にもなり成果が見られた。また、アメリカ人でも、人前で話すことがひどく苦手な人たちを見て、少々安心したりもして、いい機会だったようだ。

どういうことも、それなりに訓練すれば、成長するものだということを、実感している。大人になっても学び続けやすい環境がたくさんあるというのは、アメリカの大いなる魅力だ。

 

●その3:マルハン家主催「世界の味覚が一堂に!」ポットラック・パーティー

「世界の味覚が一堂に!」というのも、何だか大げさだが、まあ嘘ではない。クラスメイトとその家族、先生を集めて、先週の土曜日(8日)我が家でポットラックパーティーを開いた。ポットラックパーティーとは、参加者それぞれが料理を持ち寄るパーティーだ。

もちろん、料理をしたくない人は、出来合いの物を購入して持ってきてもOK。アメリカではありがちなパーティーである。無論、私が自宅でパーティーを開くときは、たいてい自分で料理を準備していたので、ポットラックパーティーを開くのは今回が初めだった。

パーティーの日は部屋を片づけ、デコレーションを調え、食器などを準備したあと、料理をする。日本人のクラスメイトはほかにいるので、私は「インドの家庭料理」を作ることにした。

マルハン家直伝の味に坂田のオリジナリティを加味した「サーモンカレー」「エビのココナツミルクカレー」そして、レシピ本から引用の「ラム肉とジャガイモのカレー」。いずれもマイルドなスパイシーさが決め手のよい味に仕上がった。

さて、日が暮れ、キャンドルに灯をともし、次々に訪れるゲストを迎える。こういう時、A男は感じのいいホストぶりを発揮してくれるのでうれしい。テーブルは、瞬く間に料理で埋め尽くされた。

韓国人の女性二人は、それぞれブルコギ(牛肉のマリネ)とキムチ、ギョウザを、日本人の女性は二人は炊き込みご飯2種に、寿司とラタトィユ(日本料理?)、コソボの女性はアルベニア風のムサカ(ジャガイモと牛挽肉のオーブン焼き)とキャベツのサラダ、メキシコの女性はスパイシーなチキンの煮込みにトルティーヤを持ってきてくれた。

その他、中国料理にフルーツサラダや各種チーズ、チョコレートやスナック、その他あれこれ盛りだくさん! どれもおいしく、みんな本当によく飲み、食べた。アルゼンチン女性が、友人のペイストリーシェフに教えてもらったという「秘伝レシピ」で作ったチーズケーキとアップルパイも格別のおいしさだった。

折しも当日は皆既月食。東向きの窓の外には、最初大きな満月が見えていたが、やがてどんどんのぼりながら、どんどん欠けていき、最後には小さく見えなくなってしまうまでを、時折眺めながらのパーティーである。

今まで色々なパーティーを開いたけれど、毎日顔を合わせるクラスメイトとパーティーをするというのは、仕事や付き合いの浅い知人とのパーティーとは気分が異なり、気兼ねなく、カジュアルでいられるのが実によかった。

A男が「スピーチクラス」の成果を発揮しようと、途中で軽いスピーチをしたりなんかして、かわいかった。わたしもA男も、出会って7年、お互い、少しずつ、成長しているなあと思う瞬間である。

な〜んて、ラブラブなこと、書いてますけどね。パーティーの最中、ホストとして密かに雑事をする私に、韓国人男性のR君(32歳、妻は臨月のため欠席)が、時折、「お皿運ぶの手伝おうか?」とか、「ミホも食べたら?」なんて、こっそり声をかけてくれるのに、猛烈に感激する。惚れそうになった。というか、惚れたね。

クラスじゃなかなかわからない、気配りな一面。普段、「気配られない身」としては、こういうさりげない優しさに、めっぽう、クラクラしてしまうのだ。

クラクラついでに思い出したが、この間、日本人夫婦の会話にも、やられた。夫のHさんは日本で中学校の英語教師をやっており、このたび、政府(文部科学省?)より英語教授力を磨くよう米国に派遣された5名の教師の中の一人だ。その妻のY子さん(彼女も英語教師)と共に、約1年の予定で渡米している。

Y子さんは私と同じクラスで、自宅も近いことから、時々通学が一緒になる。あるとき、夫のHさんと、帰りのバスが一緒になった。二人で話をしていると、彼の携帯電話がなった。どうやらY子さんが学校から電話をかけてきているらしい。少々、体調の悪そうなY子さんだが、学校で勉強をして帰ろうと思っている、ということを彼に伝えているらしい。その彼女に対し、彼が一言、言った。

「早く、帰ってきなさい」

その言葉を聞いたとき、わたしは、国際結婚では決して得られない、言葉のニュアンスの、温かみ、というものを、瞬間的に、鋭く思い知らされ、クラクラした。

読者の方々は、いったい「早く、帰ってきなさい」の何に対して、私がクラクラしているのか、意味不明だろう。

「早く、帰ってこい」でもなく、「早く、帰ってきたら?」でもなく、「早く、帰っておいでよ」でもない。Hさんの、穏やかな、諭すような口調での

「早く、帰ってきなさい」

は、温かくて頼りがいのある、「いい夫」な雰囲気を、思い切り醸し出していたのである。

だからって、A男が冷たくて頼りがいがないというわけではない。ただ、ちょっと「隣の柴は青い」症状が出た次第だ。

英語じゃせいぜい、"Come back, soon"だもんね。あとは声色でニュアンスを調整するしかない。色気のない言語だ。などと言っては英語に失礼か。

日本語はいいなあ。心の機微が伝わるなあ。と、痛感した出来事であった。思い切り、話が横道に逸れたまま、今回はこれにて。

(11/11/2003) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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