坂田マルハン美穂のDC&NY通信

Vol. 113 3/26/2004 


一昨日、ワシントンDCのダウンタウンにあるウィラード・コンチネンタル・ホテルで、メディア向けの「桜」に関する催しがあるというので行ってみました。ウィラードホテルと日本との関わりは深く、万延元年(1860年)、初の日米友好条約を結ぶために渡米した勝海舟や福沢諭吉らが率いる使節団77名は、このホテルに滞在したそうです。

当時の様子を示す、羽織袴にちょんまげ頭、刀をさしている使節団の姿が描かれた絵が展示され、小さな日本庭園が施され、傍らで日本人形制作のデモンストレーション、酒を使ったカクテルの試飲などが行われていたものの、予想を遥かに下回る地味な催しでした。

瞬間的なサムライ・ブームに乗って、今年の桜祭りはもう少し盛り上がればいいのだけれど、とも思います。ワシントンDCの桜祭りに関する不満は、すでに去年、一昨年と書いたので、もう今年は書きません。今年はただ、桜の美しさを堪能します。

さて、友人とランチを食べたあと、あまりにのどかな陽気だったので、一人でスミソニアンのミュージアム群が立ち並ぶあたりを散歩しました。お気に入りの美術館「ナショナル・ギャラリー・オブ・アート」に立ち寄り、好きな絵を見て、日差しの降り注ぐパティオでくつろぎ、外へ出たら、その一画だけ、桜が満開でした。

なんだかとてもうれしくなって、思わず靴を脱ぎ、裸足で芝生の上を歩きました。犬の糞とかゴミなどが紛れている可能性もなきにしもあらずなので、あまり人には勧められないませんが、裸足で芝生を歩くのは、ひんやりとして本当に気持ちいいです。

思えばセントラルパークのシープメドウの、あの広大な芝生の広場を、よく裸足で歩いたものです。

DCの桜は、あと1週間もすると次々に満開となることでしょう。

最近のわたしは、『muse DC』をやめて以来、ミューズ・パブリッシングの仕事は極めて地味に続けつつ、色々な文章を書き連ねたり、アーユルヴェーダの科学を日常に取り込もうと書物を紐解いたり、A男の好物であるエクレアやクッキーを焼いてみたり、春風に吹かれたり、コリアンスパであかすりしてもらったりと、平穏な日々を送っております。

「やりたいこと」「書きたいこと」はたくさんあるのに、それが消化できないもどかしさは相変わらずです。日本に比べると、明らかに、圧倒的に、情報の密度が浅い生活を送っているのにもかかわらず、時折、焦燥感に襲われることもあり、しかしその感情がいかに不毛かと言うことも自覚しているので、「時間との付き合い方」を考察し、理想と現実の折り合いを付ける方法を模索しています。

そして最近、それがだいぶ、うまくなってきたような気がします。

よほど情報から隔離された場所にでも住まない限り、今の世の中、どこにいても、色々な情報や誘惑や魅力や権利や義務や任務や使命が盛りだくさんで、だから、静かに目を閉じて、頭の中を空白にする必要があると思うのです。

そういう意味で、アーユルヴェーダにも興味を持ち始めた次第です。アーユルヴェーダの勧める一日の在り方を実践するだけでも、心持ちが変わります。何においても、調和(バランス)が大切で、以前も夏目漱石の三四郎の引用を書いたけれど、「囚われてはいけない」と、改めて思います。

 

●インド度が高い昨今の我が家

今年に入ってから、我が家の「インド度」は恒常的に高い。夕食時や散歩時、就寝前など、A男と語っているときの7割は、インドな話題である。残り2割はA男の仕事のインド以外のプロジェクトや人間関係について。つまり、我々の会話の9割はA男が中心だ。

A男は多分、今が「人生の頑張りどき」の第二波か第三波あたりにいる。一方のわたしは、それなりに懸案を抱えてはいるものの、これまでの人生のなかで最もストレスの浅い時機だと感じる。だから、彼の話に耳を傾けていられるのだと思う。

わたしたちは現在、将来のインド移住の実現に向けて、日々作戦会議を重ねている。わたしが「早くインドに行こうよ!」と騒いだところでどうなるわけでもない。こればかりはA男の「戦いぶり」にかかっているわけだ。だからわたしも、自ずと彼の仕事の話に身を乗り出さずにはいられないのである。失敗されたらいやだし。

わたしは、A男がインドで新しい仕事に就くのもいいと思っているが、最良の方法は、現在の会社からの赴任である。米国のベンチャーキャピタル会社の多くは、現在、中国やインドに強い関心を抱いており、A男の会社も先日、中国の企業と契約を結んだばかりだ。

我々としては、「中国の次はインド」というスタンスで、社内のコンセンサスを得たいところである。そのためには、中国チームにも、順調にことを運んでほしいところだ。ちなみに中国チームの担当は、A男のMIT時代のクラスメイトの台湾系アメリカ人で、サンフランシスコ・オフィスに勤務している。

A男の会社の「人種・年齢別人間関係」も非常に興味深いので、いつか改めて書きたいと思う。

さて、昨年末に渡印した際、A男はいくつかの投資家やIT企業のCEOとミーティングをしており、その際に得た情報をも含め資料を作成し、鍵を握るボスらへのプレゼンテーションを行っていた。

予想通り彼らは積極的な反応を見せ、A男は近々、インドに出張することになった。第一段階、クリアである。出張するのはもちろんA男だが、わたしもついていく予定だ。

先日、このことをホームページの日記に記しながら、冷静に自分を省みるに、「夫の出張に同行する妻」というのは、一般的に言うと、結構、変だと思う。でも、米国では、いや、少なくともA男の会社では、妻どころかガールフレンドさえ出張に同行する人もいる(妻およびガールフレンドの交通費などはもちろん、自費である)。

米国ではパートナー同伴の会社主催のパーティーなども少なくなく、だから伴侶の会社の人間関係などを理解しやすい。

ところで、日本ではどれほど話題になっているか知らないが、米国のメディア、たとえば「ニューヨークタイムズ」などの新聞や「エコノミスト」「ビジネス・ウィーク」「タイム」などの雑誌では、このところ頻繁にインド経済についての記事が紹介されている。

別にわたしがインドについて関心を持っているから目に留まるのではなく、実際にインドが注目されているのである。

去年の後半あたりまでは、「インド経済が急成長をはじめた」ということを啓蒙する程度の内容だったが、最近は、ここ半年の間に急速に進んでいる米企業のインドへのアウトソーシング(外注)の問題で、インドの好況がネガティブに捉えられる傾向にある。

現在、米サービス業の多くは、自社のコールセンター、日本でいうところの「お客様相談窓口」とか「カスタマーサービス」といった電話窓口業務を、インドに移し始めている。

米国に住んでいる人なら熟知のことと思うが、米国のサービス業、ことにコールセンターのスタッフの対応は一般によくない。むしろひどい。礼儀正しい的確な対応をしてくれる人はほとんどいない。

電話をたらい回しにされるなどは日常茶飯事、ガムを噛みながら話す人もいる。周囲の笑い声が聞こえてくることもある。処理が完了したと思わせておいて不完全で、また改めて電話をせねばならないこともしょっちゅうだ。ともかく、挙げればきりがないほど、質の低い仕事をする人が多い職種なのである。

一方、インドでコールセンターのスタッフになる人材は高学歴の優秀な人物らが大半である。学歴はあるものの、就職先が見つからない人たちがあふれているのだ。それは、米国や日本の失業率の比ではない。

米企業にとっては、インド人を採用する方が人件費が格段に安く(平均月収300ドル〜400ドル)、しかしそれらはインド人らにとっては平均を大きく上回る収入で、仕事への意欲も高い。礼儀も非常に正しい。なにせ、英国式に「マダム」「サー」である。

一見、事務的に思えるコールセンターの仕事を「米国の人たちとおしゃべりできて楽しい」とインタビューに答えるスタッフもいるなど、職場の空気はポジティブだ。米国やカナダなまりの英語を話す訓練も行われているそうである。

わたしたちも、すでにここ半年の間に、インド人のコールセンタースタッフと話す機会が何度かあった。ちょうどこの潮流が始まったばかりの去年の夏、A男がコーリングカードのセールス電話を受けた。そのときの男性がインドなまりだったので、A男が尋ねたところ、彼はインドから電話しているとのこと。そのことをA男はとても驚きつつ、世間話をしていた。

その趨勢は、瞬く間に一般化し、受話器を通してインド人の声をしばしば聞くようになってきた。この間もインドなまりの女性がクレジットカードのプロモーションの電話を、A男にかけてきていた。彼女はアメリカ人を装って、名前も「オードリー」と名乗っていたらしい。オードリーとはこれいかに。

更には、A男の名前を、彼女は明らかにインド人にも関わらず、わざわざ「アメリカなまりの発音で」読み上げたらしい。

前置きが長くなったが、つまり、インドへのアウトソーシングが、米国における米国人の雇用機会を減らしている原因になっているとの批判の声が高まっているのである。

つまり、米国人がインド人に職を奪われている、と言いたいようなのだ。しかし、これはほとんど言いがかりに近い。たとえば1000人のアメリカ人が職を失っているとしよう。失業中の彼らは、米国企業が採用した、たった1人のインド人のポジションを巡って、1000人が1000人、「ヤツが俺の仕事を奪った」と言っているのである。

現在、米国は自分たちが失うことにばかり目を向けているが、インドをはじめ、その他の発展途上国が米国経済に貢献してきたことが、きちんと知らされていないと思う。

だいたい、インド人を使うことで多くの「米企業」は利益を上げているわけで、それをやっているのもアメリカ人である。どう考えても「お互い様」だと思うのだが、一時的、表面的な現象だけを見ていると、米国の失業者はインド人を忌々しく思うのだろう。

インドの肩を持つわけではないが、表層だけをみてインドが叩かれているのを見るのはいい気がしないので、今回は、長くなるが、わたしが去年、学校に通ったときにまとめた研究論文を日本語訳したので、以下に掲載する。

これを読んでいただければ、インドと米国の関係について、もう少し、深く理解してもらえると思うのだ。

これはあくまでも、研究論文で、さまざまな資料から引用した文章や内容によって構成されており、従って、同じような表現が重複するなど、やや冗長な文章だ。

あくまでも客観的な視点から(ちょっとだけインド寄り)にまとめているつもりなので、読んでいただければ幸いだ。

■インド新経済

 


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