坂田マルハン美穂のDC&NY通信

Vol. 116 5/21/2004 


濃密な、この1カ月あまりです。

インド旅を終えた直後、実家のある福岡に、一時、帰っていました。

4月13日から5月1日までの印度滞在は、今回もまた、とても有意義な経験ができました。夫の出張に同伴する旅だったので、観光の予定などをいれず、気ままに時間を過ごしたので、長く感じられるかとも思ったのですが、瞬く間に過ぎていきました。

「マダム。あそこは汚いところですから、あなたには行けません。わたしですら、行かないんですから」

そうホテルマンに言われたにも関わらず、オートリクショーのドライバーに連れていってもらった地元のマーケットの楽しさ。

産地ムンバイ(ボンベイ)で、濃密な、甘くかぐわしい香りのする、極上の、とはいえ1ダース2ドル程度のアルフォンソ・マンゴーを口にしたときの感激。

ホテルのプールサイドで、優雅な旅行者気分を味わった直後、ホテルを一歩出た途端、貧しき人々に米を買ってきてくれと乞われたり。彼ら曰く、金をもらっても、自分たちは店で買い物をさせてもらえないのだとのこと。

わたしたちのホテルから流れ出すその排水溝の水で、子供の身体を洗う若い母親。

アーユルヴェーダのマッサージやフェイシャルに出かけ、極めて安くて質のいい基礎化粧品を見つけ、たっぷりと買った。

なぜか格安の料金を提示する謎のオートリクショードライバーに連れられて、サリーショップやギフトショップを巡ったり。

髪のマッサージにいいという100%のココナツオイルや、カルナータカ州特産の、極上のサンダルウッド(白檀)のオイルを買ったり。

今回はサリーも7着購入し、いったいいつ着るのだか、と思わぬでもないが、そのシルクの、織りの美しさに感じ入り。

チェンナイ(マドラス)では、市街からほど近い、海辺のリゾートに滞在し、地元の漁師が網で引き揚げたばかりの魚を、ホテルのレストランで食べたり、ハンモックに揺られて星を見たり……。

ともかくも、これまでとは違った視点でインドを見ることが出来、早くこの経験を書きあげてしまいたいと思っています。

多分、今回も、長いレポートになると思うので、ホームページに掲載する予定です。仕上がり次第、ご報告します。

肝心の、A男のビジネスですが、連日、さまざまなIT企業やヴェンチャーキャピタル会社を訪れ、CEOらと打ち合わせ、多様な情報を得られたようです。

経済が急速に成長しつつある最中である反面、懸案も多く、また政治情勢も不安定で、先行きの見極めが難しいと思われるインド経済ですが、ともあれA男にとって、やはり母国の風は心地いいようで、米国にいるときよりもリラックスして仕事をしているように見受けられました。

   *  *  *

さて、インド旅を終えたわたしたちは、5月1日の午前0時半、ニューデリーを発ち、同日の午後2時過ぎにワシントンDC郊外のダラス国際空港に到着しました。

約20日間、留守にしていた間、あたりの木々は見事に芽吹き、インドのそれとはかけ離れた、静かで、きれいで、広々としたハイウエイをすべるように走るタクシーに揺られ、淡き緑、濃き緑の海の中を走り、無事、家にたどり着きました。

わたしたちが大西洋上空に浮かんでいた頃、自宅で療養していた父の病状が急変し、救急車で病院に運ばれていました。一時、危篤状態に陥ったようですが、薬を投与され、半日を経たのち、ひとまずは落ち着いた状況であるとの旨、妹からのメールで知りました。

荷物を解く間もなく、航空券を手配するため、日系の旅行代理店へ連絡しました。土曜とあって、休業もしくは午前中のみ営業の会社が多かったのですが、時差のあるカリフォルニア支店に電話をし、なんとかその日のうちに予約を入れることができました。

ゴールデンウィークの最中だったにも関わらず空席があったのは幸運だったと思います。4日発の便に乗り、5日の夜、無事、福岡空港に到着しました。

2000年に肺がんを発症して以来、何度も再発を繰り返しつつも元気で過ごしていた父ですが、今回は、もう無理のようです。

現在、父は近所の総合病院の一室に入院していますが、明日、ホスピスに移ります。

今回、わずか10日足らずではあったけれど、父の病室を見舞い、近くにいて、取るに足らないことであったにしろ、話をすることができただけでも、わたしは幸運だと思います。

父を見舞う傍ら、母や妹とおいしい焼き肉や寿司を食べに行ったり、地元香椎にできたイオンという大きなショッピングモールに出かけてマッサージを受けたり、また妹と二人で博多や天神に出かけ、豚骨ラーメンを食べたり、デパートの地下食料品店街を巡ったり、それなりに楽しい時間も過ごしました。

それにしても、不景気不景気というけれど、日本はなんて豊かな国なのだろうと感嘆せずにはいられません。無論、インド直後だったせいもあるでしょうが、「どこが不景気?」と思います。

ものがあふれるほどたくさんで、まばゆくて、日常生活をする上での視覚的な情報があまりに多すぎて、くたびれるほどです。豊かなのはいいけれど、緑があまりに少なすぎることも気になりました。

父の病気を巡っては、本当に一言では綴れぬさまざまがあり、書き始めると切りがないので、今は書きません。

こういう事態になり、あらかじめ予測はしていたものの、自分が海外に暮らしていることについて、向き合わずにはいられません。ともかくは、自分にできることを誠実にやるしかないと思っています。

先月、友人を失い、その直後のインドで、あからさまな生のせめぎあいというものを目撃し、自分の感情を、抑制するのではなく、少々鈍感にすることも、生きていく上で必要なことなのだということを、実感しています。

たとえイラクで多くの命が奪われていても、たとえ身近な人々が死んでいっても、たとえ餓えた人々が道ばたにあふれていようとも、わたしの生命はみなぎっているし、みなぎっている以上は、その生命を大切に育み、元気に生活することが、わたしの一つの役割であるとも思うのです。

 

●飛行機を巡る体験

この1カ月の間に、乗り継ぎも含め、都合11回、飛行機を乗り降りした。

ワシントンDC→パリ

パリ→ムンバイ(ボンベイ)

ムンバイ→バンガロール

バンガロール→チェンナイ(マドラス)

チェンナイ→ニューデリー

ニューデリー→パリ

パリ→ワシントンDC

ワシントンDC→成田

成田→福岡

福岡→成田

成田→ワシントンDC

インドからDCに戻ってきた直後、日本へ帰国するという「ほぼ地球一周」の事態には、さすがに疲労困憊したが、それはさておき、今回は飛行機を巡って経験した一部を綴ろうと思う。

【空港のセキュリティーチェックを巡って】

今を遡ること1カ月余り。

DCからパリ経由でボンベイのホテルに到着したわたしたちは、スーツケースの一つからデジタルカメラ、A男のレンタル携帯電話、コンピュータなどのバッテリー類一式をいれたポーチがなくなっていることに気づいた。そのかわりTSA(米国運輸保安局)が発行する小さな紙切れが入っていた。

紙切れに記されていた主旨は、「このスーツケースは一旦開封され、手荷物を取り出され検査されたが、内容物は元通り、戻しています」というもの。しかし、戻されてはいなかったのである。

大切なコンピュータやもう1台のデジタルカメラは手荷物として持参していたものの、かさばるバッテリー類やもう1台のカメラなどは、手荷物用のバッグに入りきれなかったこともあり、スーツケースに入れていたのだ。それが間違いのもとだった。

9/11/2001以降、空港のセキュリティーチェックは厳しくなっており、チェックインした後にスーツケースを開封されることもあるため、鍵をかけないままでいることが多かった。鍵をかけているとスーツケースが「壊される」こともあるのだ。

TSAのスタッフがセキュリティーチェックのためスーツケースを開封した際、上記製品を我々のスーツケースから取りだした後、「別の人のスーツケース」に戻してしまったのではないか、というのが、我々の推測である。

旅行中、コンピュータに文章を書けないし、カメラは一台残ったもののバッテリーがないしで(ボンベイのカメラ店を巡り巡り、とうとう小さなカメラ店で、ちゃちなチャージャーを、しかも高額で購入したが、旅の終盤、壊れた)、非常に不便を強いられた。第一、1000ドルを軽く超える損失である。

帰りの空港で、TSAのマネージャーに会ったが、これまでそんな事件はなかったという。彼が嘘をついているか、あるいはわたしたちが極めて運が悪かったか。

「インドでは、チェックインをする前に、乗客の目の前でスーツケースのセキュリティーチェックをするのに、この空港じゃ、どうしてチェックインをしたあとに、乗客の荷物を開けるの? こういうトラブルが起こるのはそのシステムのせいじゃないの?」

そう詰め寄るわたしにマネージャーは言った。

「この空港だって、チェックインの前にセキュリティーチェックできる設備がある。ほら、あそこを見てご覧!」

わたしたちが使用したエールフランスのチェックインカウンターからは遠く離れた場所に、セキュリティーチェック用の機械があった。

「チェックインの前にセキュリティーチェックを受けるか、それともあとにするか、それは、乗客次第、乗客の自由選択なんだよ」

彼は「自由」という単語を何度か強調した。わたしは、脱力した。そういうところで「自由」を使うのか。自由という言葉が、なんて安っぽいのだろう。

これが、現在戦争をしている国の、首都の国際空港の、在り方だろうか。よほど頻繁に海外旅行をしていない限り、そんな「自由」があるなど、気づかないだろう。エールフランスの窓口スタッフは、そんな自由の有無を教えてくれさえしなかった。

ちなみに日本行きの全日空は、チェックインの際、自動的にその場でセキュリティーチェックの機械に通してもらう仕組みになっていた。

なお、インドは昔からテロに対する姿勢が固まっているから、空港のセキュリティーチェックも万全だ。くどいほどだが、アメリカのそれに比べると、よほど効率がいい。アメリカも、その手順をインドから学べばいいのにと思う。

とはいえ、この件に関しては、電気機器類をスーツケースに入れたままにしていたわたしたちも迂闊だった。今後はどんなに重くても、チェックにひっかかりそうな所持品は手荷物にすべきだと反省した。

   *  *  *

ところで、経由地パリからDCに戻る際、飛行機に乗る直前の、ランダムの手荷物検査に、わたしはひっかかってしまった。その、検査官である若いフランス人女性の態度の、余りにも無礼なことに呆れた。

まず、彼女は、わたしに聞いた。「フランス語はしゃべれるか?」。わたしは英語ならしゃべれると言った。

彼女は、きちんとした英語が話せないこともあるのだろうが、無礼な口調で「靴を脱げ」「カバンを開けろ」「ジャケットを脱げ」と、横柄な態度で次々に「命令」しはじめた。

飛行機を目前にして、なんでまた一からこんなチェックを受け直すのかと、わたしが軽くため息をついたのが気に入らなかったのだろう。

「ちょっとあなた。今、何て言った?」

と食ってかかる。その偉そうな態度に、あっけにとられる。何も言ってはいない。態度の悪い検査官に対しての、しかしかなり軽めの「ため息」だったのだ。

著しく細々と、所持品の一つ一つをチェックされた後(財布の中身や、化粧ポーチのコンパクトや口紅までも開かれた)、「コンピュータを起動させろ」と言う。

バッテリーがほとんどないのに……と思いつつも起動した瞬間に、今度は「スイッチを切れ!」と言う。「立ち上げた瞬間に、すぐに切ることはできない。完全に立ち上がるまで待たねばならない」というと、「パニックになるな」とあざ笑うように言う。

「パニックになどなっていない」と言うと、隣にいた男性スタッフにフランス語でなにやら囁き、わたしを見て大笑いする。後から来たA男が、状況を察してわたしのそばに立って待っていたら、「お前は先に行け」と、やはり命令する。まるで米国の移民局に勝るとも劣らない無礼な人々である。

あまりのことに、「あなたはどうして、そんなにも無礼なの?」と尋ねた。しかし彼女はわたしを完璧に無視し、同僚と声を立てて笑いながら話し始めた。ともかく、言いようのない、屈辱的な態度なのだ。

こんなとき、思うのだ。わたしたちが白人のカップルだったら、彼女は同じ態度をとっただろうかと。そんなことを考えることは不健全だが、そう考えずにはいられない。そして、憤りを通り越して、やりきれないほど悲しくなる。

わたしは後に、イラク人捕虜を虐待する女性兵士の写真を見て、この検査官のことを思いだした。なんだか、似ているタイプの人たちだと思った。

こういうことに直面したとき、わたしはただ、耳を塞いで、目を閉じて、見聞きしなかったことにすべきなのだろうか。ただ、憤るばかりで、何も変わりはしないのであれば。

 

【客室乗務員のサービス】

久しぶりに全日空に乗って思った。日本のサービスは、なんてきめ細かいのだろうと。

アメリカ人の大ざっぱな、いや怖いくらいに無愛想な対応、インド人のスローで気が利かない対応、それに比べ、日本人の対応は、テキパキと、打てば響くの極みである。気配り過ぎて疲れるだろうな、と心配になるくらいだ。 

なにしろ、乗客の話を聞くときは中腰、物を渡すときには必ず両手。挙げればきりがないほど、一挙手一投足が丁寧。 

思えば成田空港のセキュリティーチェックでも、スタッフのみなさん、とてもご丁寧で、「申し訳ございません、お荷物を開封させていただきます」とか、「恐れ入りますが、両手を挙げていただけますか?」とか、もう、いちいち、礼儀正しい。

パリのあの女性に爪の垢でも飲ませてやりたいというものだ。 

だいたい、インドの国内線なんて、出発の前に客室乗務員が殺虫剤を片手に通路を歩きながら、機内にスプレーをシュワ〜ッと噴霧するところからしてワイルドだし。 

最初のころは、「インド人の体臭がきつすぎるから、芳香剤をまいてるのかしら」などとお門違いな推測をしていたが、どうやら蚊を殺すためのスプレーだったらしい。それを頭上に振りまかれるのだからたまらない。 

そんな直後だったから、わたしはもう、日本のスチュワーデスさんらの有様を、珍しいものでも見るように、しげしげと見入ってしまう。とにもかくにも、絶やさぬ笑み。

そしてみなさん、美白に専念していらっしゃるのか、お肌が白く、ファウンデーションもテカることなく、睫毛も著しくカールされ、マスカラもくっきりと施されている。

食事をサーブするときには、キュートな感ありのエプロン姿に変身で、そのエプロンの紐も、後の結び目が蝶々みたいにきれいだ。細い腕には免税の商品の腕時計が輝き、動くサンプルと化している。そしてなにしろ、スリム。

しかしながら、食後の、ただならぬ情熱を伴っての免税品販売には辟易した。大事な収入源とはいえ、頼むから電灯を消して、わたしを寝せて、と言いたかった。

全日空の客室乗務員は、米国やインドの乗務員と、たとえ同じ時間、働いたとしても、疲労度は相当に高いだろうと見受けられた。 

そしてわたしは、最早、日本を離れて丸8年が過ぎ、日本のことを、異国を見るときと同様の新鮮さで見ている。そして、丁寧すぎるサービスも、実のところ、なんだか落ち着かないのである。 

 

【ビジネスクラスって、やはりいい】

米国-インド間のエールフランスは、A男は出張だったのでビジネスクラス、わたしはエコノミークラスのシートを予約していた。とはいえ、夫がすべての旅程、ひとりでビジネスクラスを独占するほど冷酷な人間ではなく、従って交代で、わたしも米国-フランス間、ビジネスクラスに乗せていただいた。 

サービスは格別。広さも十分。エコノミークラスとは雲泥の差である。自分がビジネスクラスに乗っているとき、夫の様子を見ようとエコノミークラス側に入ると、「うわ、ぎっしり!」という感じで、いかにも息苦しく見える。

どうして、エコノミーとビジネスの、中間くらいのシートがないのだろう。少々高くなっても、ゆったりとしたシートに座れた方がよほどいい。現在の、ビジネスクラスとエコノミークラスの料金の格差は、余りにも大きすぎる。

ところでビジネスクラスの機内食。エールフランスは前菜にたっぷりのフォアグラが出され、あまりに重そうで食べきれず、また料理もクリーミーなものが多い上にチーズなども豊富で、飛行機で食べるには胃に持たれるメニューばかり。

ゴージャスだったらそれでいい、というものでもないと思うのだが、欧米人はパクパク食べている。わたしは食べきれず、残した。 

一方、日本からDCへ戻る便。これは、溜まっていたマイレージによるアップグレードができてビジネスクラスを取れたのだが、機内食がよかった。往路、エコノミークラスでの軽食に日清のカップヌードル、それも米国産が出されたときには、あまりのチープさに驚いたが、復路で利用したビジネスクラスは、さすがに違った。

2度出された食事は、どちらも、どこぞの料亭の料理とかで、何よりごはんがほかほかでおいしい。デザートまでぺろりと平らげてしまった。軽食にもおにぎりやうどんなどがあり、わたしはおにぎりしか食べなかったが、しかし、なんとなく、胃に快適で気分がいい。

どんなに日本から離れて暮らしていて、感覚は日本人から遠のいてしまっていても、胃袋は100%、日本人なのだなあ、わたしは。と痛感した。

 

●自分の軸 

インド、日本、米国。1カ月のうちに、自分にとって縁の深い、この3つの国に身を置いた。いずれの国も、自分の軸、つまり拠点であるような気がするし、いずれの国もそうでない気がする。 

インドでも、日本でも、米国でも、しかしコンピュータに向かい、自分のホームページを見ることができる。これは貴重な時間だった。

わたしは、インターネットを礼賛するつもりも、過度に心を寄せるつもりもなかったが、今になって、この、物理的に特定の場所を要しない、インターネットという空間が、かなり深く、わたしの精神的な軸になっている、ということを実感した。

世界のどこにいても、自分の「ホームページ」が目の前にあり、そこからさまざまを発信できる。今となっては世界中の多くの人が、最早なんの不思議もなく、まるで朝晩の食事を取るような当然さで、それを行っているそのことが、改めて、意義深いことに思えた。 

チェンナイの、ショッピングモールのインターネットカフェで、自分のホームページの掲示板にメッセージを書いているとき、実家の父のコンピュータから、自分の愛読しているホームページを読んでいるとき、わたしはリラックスしていた。

機械というものに頼りすぎたくない。できるだけ、できるだけ、シンプルでいたい。普段はそう思っている。

だから今回、旅の最初のトラブルで、コンピュータなどが使えないとわかったとき、一瞬、慌てたけれど、いやいや、ノートに書けばいいのだ、コンピュータに頼ることなどないのだ、と気を取り直した。 

そして実際、コンピュータを使うことなく、デジタルカメラもほどほどの使用で、何の問題もなかった。 

けれどやはり、インターネット、という存在感は、ほかには変えられないとも思った。 

これまで数年間、旅先に伴ってきたPower Bookがどうやら寿命を迎えたようなので、昨日、新しいiBookをオーダーした。これからしばらくは、このiBookが、わたしと共にあちこちを旅し、そしてわたしの「軸」になってくれることだろう。 

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久しぶりの日本での、カルチャーショック、病院でのできごと、その他たくさん、綴りたいことがあるにも関わらず、取るに足らないことを書いてしまった気がします。 

ホームページの「片隅の風景」で、日本滞在中のことをほんの少し、写真と共に書いています。どうぞご覧ください。

それから、現在、米国東海岸を席巻している「17年蝉」の写真も、かなり不気味なものも含め、やはり「片隅の風景」に載せています。なにしろ、17年に一度しか見られない希少価値のある光景ですから、昆虫が苦手な方以外は、ご覧ください。 

http://www.museny.com/2004/katasumi0504.htm 

また近々、日本へ帰国することになると思いますが、ホームページを「軸」にして、近況を掲載していこうと思っています。

(5/21/2004) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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