ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 12 10/25/2000

 


10月も残すところわずか。ハロウィーンももうすぐです。だんだん、仕事が津波のように襲いかかり始めてきました。取材を終え、書くべき原稿がたまってきました。でも、ついついメールマガジン用のフォルダを開いて、何やら書き始めてしまいます。ちなみに津波(Tsunami)は英語化した日本語です。

月曜は、muse new york冬号の「私の母、私のふるさと」に登場してくれるペルー・リマ出身のベンジャミン氏(42歳)にインタビューしました。約束の時間より1時間も早くオフィスに現れた彼、祖国からやってきたばかりの旧友を、急に移民局へつれていかなければならなくなったとかで、早めに来たといいます。ビル管理の仕事をしつつ、医学の学位を取るために勉強を続けているそうです。日本と同様、アメリカでも、医学部に通うにはお金も時間もかかります。23歳の時、渡米して以来、いまだにコツコツと夢に向かって歩き続けている人です。

その後、先週に引き続き、エステティックサロンのSさんと打ち合わせ。彼女の友人のAさんもやって来て、3人で、前回ご紹介したホテル「ハドソン」でランチをとりました。ダンスのために十数年前渡米したAさん。かつては日本でそろばん塾を経営していたそうです。彼女の夫もアメリカ人。渡米のきっかけや夫との出会いのエピソードを聞きながら、すっかり話に夢中になりました。ホームページの掲示板に読者の方からコメントがありましたが、確かに、「マンハッタンにはパワフルな女性が多い」のではなく、「パワフルで行動的な女性がマンハッタンに来る」のだと思います。もちろん、そうでない人もいますけれど。

火曜もまた、パワフルで行動的な女性を取材してきました。去年、自分のヘアサロンをミッドタウン(ロックフェラーセンターの近く)にオープンしたIさんです。2カ月ほど前、どうしても気に入らない感じに髪をカットされ、別の店でもう一度カットしてもらおうと、パラパラと日系誌をめくっていたとき、彼女の店の広告を見つけました。

「このカット、ちょっとひどいわね」という、平均的日本人女性らしからぬ歯に衣着せぬ物の言い方、「あなたには、**したスタイルが似合うわよ」と、きっぱりと言い切る爽やかさに、共感を覚えました。そのアドバイスが、的を射ているように思ったからです。カットしてもらっている間、仕事のことなど、いろいろな話をしました。そして感動したのは、へんてこに切られていた髪が、見事に格好よくまとまったことです。

仕上がった後、鏡に映る私を見て、彼女は一言、

「ブリジット・バルドーをイメージしてるんだけど」

(ブ、ブリジット・バルドー?? この、極めて彫りの浅い、こてこてに東洋人顔の私に向かって、それは無理があるやろ。第一、ブリジット・バルドーって、どんな髪型よ?)と一瞬、引いてしまいましたが、何はともあれ、いい感じに仕上がってとても感激しました。

アメリカでは、質のいいシャンプーを見つけるのは難しいけれど、彼女の店で安くていいシャンプーとコンディショナーも購入できました。それからしばらくは、鏡を見るたびに、心の中で「うん、ブリジット・バルドーっぽいかも」とつぶやいていました。

その彼女の夫がシンガポール人だと聞いていたので、muse new yorkの「国際結婚をした日本人女性インタビュー」に登場してもらうことにしたのです。詳しいことは記事にするので端折りますが、印象的だったのは、彼女は自分が「国際結婚だったからこそうまくいった」と思っていることです。

一般的な感覚だと、「国際結婚って互いの文化も違うし大変そう」と思われがちですが、「ニューヨークに来て一旗揚げよう」と思うような女性にとっては、日本人男性と結婚する方が、よほど難しいのです。周りを見渡してみると、私自身を含め、私の知っている仕事を持つ女性たちは、みな一般的な日本人男性とはうまくやっていけそうにない人たちばかりです。もちろん、そんな女性たちとうまくやっていける日本人男性もいるだろうけれど、多分、確率は低いと思われます。

Iさんの、美容師になろうと決意したエピソードがユニークだったので、紹介します。彼女は子供のころから、ヘアスタイルにはこだわっていて、地元の美容室を転々としたけれど、ちっとも思い通りにカットしてくれる店がなく、不満に思っていました。

さて、高校1年の夏休みのこと。忘れもしない、近所のH美容室に行った彼女は、当時人気アイドルだった、バスボンCMの松本ちえこみたいな髪型にしてほしいと頼みました。ところが、仕上がったそのスタイルは、まさに当時の和田アキ子。裾がくるりんと外に向かってカールされた状態で、まるでキノコのようだったとか。

鏡を見つめ、あまりのショックに泣き出しそうな彼女の気持ちも知らず、美容師は屈託なく聞きました。

「Iちゃんは、将来、何になりたいの?」

その時、彼女は、天の言葉が聞こえたように思いました。そしてそれまで考えもしていなかったことを言いました。

「私、美容師になりたいんです」

H美容室での出来事が、彼女の人生を方向づけたわけです。人生、人それぞれ、いろいろあるものですね。

muse new yorkの仕事の中では、インタビューの取材が最も楽しいです。事実は小説より奇なり、という言葉通り、人それぞれの経験談を聞くに付け、感心させられることしきりです。

ああ、今日はカウンセリングの話を書くと予告していたのに、また話がそれていきます。

ところで、こんなメールをいただきました。興味深く思ったので、一部抜粋してご紹介します。

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私は現在韓国在住のOと申します。

さて、先日のメルマガにありました「両手でお釣り」の件ですが、「儒教の教え」に基づく韓国社会では「珍しくはない光景」です。韓国では お釣りに限らず「(お客さんを含め)目上の人」に対して物mag12.htmQシッッ0 ッァ TEXTBlWdカE憾F~耋AG12 HTM0mag13.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカFカF耄AG13 HTM0mag14.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカFカAz耆AG14 HTM0mag15.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカF*カF q飜AG15 HTM0mag16.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカF ェカF リ翹AG16 HTM0mag17.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカF ゙カB、翳AG17 HTM0mag18.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカFメカNカk翩AG18 HTM0mag19.htmQシッッ0 ッァ TEXTBlWdカMト惴Nケd翦AG19 HTM0mag2.htmヲQシッッ0 ッァ TEXTBlWdカEeワカF$翡AG2 HTM0mag20.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカT-8カT/ァ翔AG20 HTM0mag21.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカ[「ヲカ[、翕AG21 HTM0mag22.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカbマカbミ翊AG22 HTM0mag23.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカi;ミカヲk翆AG23 HTM0mag24.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカrハカzl翅AG24 HTM0mag25.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカ圃カ譱AG25 HTM0mag26.htmQシッッ0 ッァ TEXTBlWdカ載ヲカ際シ羸AG26 HTM0mag27.htmQシッッ0 ッァ TEXTBlWdカ仗「カ仭羶AG27 HTM0mag28.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカ」惴」i羮AG28 HTM0mag29.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカェlカェ羹AG29 HTM0mag3.htmヲQシッッ0ッァ TEXTBlWdカEgカF>羲AG3 HTM0mag30.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカセィ0カセゥ羯AG30 HTM0mag31.htmQシッッ0ッァ TEXTBlWdカニ亳ニレ羣AG31 HTM0!! !#!$!'!(!(!)ォりしないのです。テレビドラマとか、映画とかで取り上げられると分かり易いのだけれど、メディア上「有名人」がいません。米映画では、実によくカウンセリング場面が出て、日本人としては不思議に感じます。近くはマフィアのボス(ロバート.デニーロ)に困らされる精神科医「アナライズ.ミー」映画が実生活を忠実に反映しているとは限りませんが、米で暮らしたことがないので映画や本を通してうかがい知ることしか出来ません。「カウンセリングを通して見る日米の文化的差異」興味あるところです。 (一部抜粋/K.T.さん)

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私は、特にカウンセリングに詳しいわけではないので、知っていることをここで紹介します。読者の方にはアメリカ在住の方も多く、この件について実際の経験があるかたもいらっしゃるかと思いますので、もしも体験談などがあればメールをお送りいただければと思います。

さて、アメリカでは、カウンセラー、またセラピスト(療法士)の存在は非常に一般的です。日本も近頃はカウンセリングの重要性が認識され始めているように思いますが、実態はどうなのでしょう。

こちらでは、特に「精神的疾患」がなくとも、自分の精神の安定を保つために「いきつけの」カウンセラーを持っている人は少なくありません。一般的には1度訪れて解決、というわけにはいかないので、何度も彼らのオフィスに足を運ぶ場合が多いようです。状況としては、K.T.さんのご覧になった「アナライズ・ミー」という映画のように、私服を着たカウンセラーが患者に向き合います。特に白衣を着たりはしません。

学校には(小学校から大学まで)専属のカウンセラーがいて、子供のあらゆる問題(成績、いじめ、人種、その他学習障害など)について的確なアドバイスをし、親子で、あるいは子供だけでカウンセリングを受ける環境が整っています。コロンビア大学に通っている知人は、ボーイフレンドと別れ、今後のことに頭を悩ませて疲れ切っていましたが、学内のカウンセラーのアドバイスを受けることで、ずいぶん心の均衡を保っていたように思います。

また、金融関係の企業などにも、専属のカウンセラーがいるようです。以前A男が勤めていた会社にもやはりカウンセラーがいて、ストレスのたまりがちな仕事で、精神的に参る社員に対し、カウンセリングを行っていました。日本は事業や仕事の失敗による「自殺者」が非常に多いのが現状ですが、自らが置かれている状況から少し自分を俯瞰した位置から、物事を見ることができたなら、救われた人も少なくないのではないかと思います。その導きをしてくれるのが、カウンセラーの役割かもしれません。

映画などでも、教会で牧師さんに身の上についてを告白、懺悔しているシーンをよく見かけますよね。あのように、自分を振り返り、反省する機会をもつということは、自分の精神状態を安定させるためにとても大切だと思います。「真情を吐露する」「祈る」「反省する」という行為を通して、気持ちが落ち着くという前提を考えれば、ただ、ひたすら、患者の話を聞くだけのカウンセラーがいてもおかしくないわけで、実際にそのような対応の仕方もあるようです。もちろん、個々人が持っている「問題」の程度にもよりますので、もっと具体的な処置が必要な人もたくさんいるかとは思いますが。

私も仕事で疲れたときなど、ふらっと教会に入って、ただボーっと祭壇やステンドグラスを眺めつつ、ゆっくりと気持ちを反芻します。それでけでも、随分気持ちが洗われます。私はキリスト教徒ではありませんが、特にそのことは私にとって重要ではありません。

次号musen new yorkの「ニューヨークでがんばる日本人女性インタビュー」ではカラーセラピストの女性を紹介します。彼女は現在、精神障害を持つ犯罪者たちが収容されている病院で、セラピストとして働く傍ら、勉強を続けています。彼女については、また別の機会に紹介したいと思います。

ところでこの3月、私の父(63歳)が末期の肺ガンであることを医師より告げられました。最悪の場合、5カ月程度の命かもしれないとも言われました。父は精神的に強い男性なので、自分の病については包み隠さず話してほしいと医師に言ったそうで、父から母にガンのことを話したそうです。その話を電話で聞いた直後は、私も非常にショックで泣いたりもしましたが、ハッと思い立ち、父のガン(小細胞肺ガン)に関する資料をインターネットでかき集めました。翌日はロックフェラーセンターの紀伊国屋でガン関連の書籍を買いあさり、仕事を忘れて「ガン研究」に没頭しました。

そして達した結論は「父は大丈夫かもしれない」ということでした。このあたりのいきさつを話すと長くなるので、いずれはホームページにガンについてのページを設けようと思っていますが、何が驚いたかと言えば、一時帰国した際に目の当たりにした、日本の病院の対応でした。

九州で最も大きいQ大病院。まず、病院そのものの内装が暗く陰気で、元気な人間でも具合が悪くなりそうな雰囲気です。なにしろ、あの寒々とした蛍光灯がよくない。それに天井が低くて圧迫感があります。気が滅入ります。

父の担当医は20代前半の研修医で、まるで頼りない男性でした。母と妹と共に、冷たい蛍光灯の光に包まれた、寂しげな会議室で、その大半をガンに冒された肺のレントゲン写真を見ながら、主治医に話を聞きます。私が日本に滞在できるのは限られた日数ですから、できる限りのことを聞いておきたいと、調べてきた内容に基づいて、あれこれと質問します。しかし、どんな質問にもはっきり答えられず、しどろもどろで、彼自身がすでに不安定なのです。顔が紅潮しています。もちろん研修医ですから、経験がないのは当然ですが、どうして、こんな頼りない若造に、父の命を預けられましょうか。預けられません。

肉体的には「抗ガン剤を打つ」という方策があるものの、当然ながら精神的なケアなどありません。

アメリカでは、ガンなどの大病を告知された患者には、その直後、カウンセラーが付きます。患者の心を少しでも和らげ、希望を持つよう導くのです。

そしてそれは決して「気休め」ではなく、必ず何らかの効果があります。交通事故で出血多量、といった状況の場合は精神論は無用で、早急な措置が必要でしょうが、ガンなど、時間をかけて広がっていく疾病に関しては、精神的な在り方が病の進行に大きく影響するのです。

ガンを告知された本人だけでなく、家族はどうすればいいのか、たいていはパニックに陥り、本を調べたりする気持ちにはなりません。そういう時にも、カウンセラーのアドバイスが非常に役に立ちます。

日本人の死因の3分の1はガンです。そう考えると、病院におけるカウンセラーの存在も、非常に重要に思えます。

話は長くなりましたが、父はその後、驚くほど回復し、レントゲン上の肺ガンはほぼなくなりました。母や妹の看病(昼夜、お弁当を持っていく)、父の持ち合わせていた基礎体力や精神力、抗ガン剤及びそれと併用して摂取していた機能性食品など、すべてが功を奏したのだと思います。一時退院した後、現在、検査入院をしていますが、とても元気で病人には見えないようです。

私自身は、これまでカウンセリングを受けたことがありません。ただ、数年前、A男が自分の将来について思い悩んでいたとき、カウンセリングを受けることをすすめ、一緒についていきました。私は彼に対し、当然ながら自分自身の価値観で判断した上で、さまざまな提案をしていたのですが、提案する方向性が間違っていたことを間接的に知る機会になりました。ちなみに1回のセッションで70ドル程度でしょうか。値段はカウンセラーによってまちまちのようです。その人の収入に合わせて値段を設定するところもあるようですので。ちなみに、学校など公共機関のカウンセリングは無料です。

国それぞれによって、文化や習慣が異なることは当然ですが、「人間として普遍的に必要なもの、こと」もあるわけで、カウンセリングという行為は、人種国籍を問わず、人が生きていく上で大変重要な位置にあると思います。特に、少年の犯罪や自殺、また中高年男性の自殺率が高い日本にあっては、国をあげて環境を整えていく必要があると思います。

というわけで、もう、いい加減、仕事をはじめます。それでは、また。


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