坂田マルハン美穂のDC&NY通信

Vol. 122 9/19/2004 


9月も後半となりました。米国では次々に訪れる台風のニュースが耳に届きます。

先日、再びデラウエアのルイス(前回はリュイスと書きましたが正しい発音はルイス[loo-iss]でした)へ行き、この夏最後の海辺を楽しみました。

今日は、最近やっていること、思うところを書こうと思います。

 

●楽しきルイスでの休日

前回、海辺のレポートを十分に書いたので、もう、今回はさらっと書くけれど、ルイスビーチは、二度目のほうが、より、よかった。今回はお隣の大きめの町「レホボスビーチ」には行かず、ルイスだけに絞ったのがよかったのだと思う。

メインストリートといえばわずか数ブロックの小さな街だが、しかし周囲には米国建国当時の面影を残す古い住宅街があり、朝な夕なに、そのあたりを散策するのが楽しい。

静かな海辺で波の音を聞きながらくつろいだり、海風に逆らいながら自転車を漕いだり(これは疲れた)、生まれて初めて泡立ち舞い飛ぶ「波の花」を見たり……。

A男が行きたいと言っていたイルカ&クジラ・ウォッチングのクルーズは強風のため(台風の余波だったのだと思う)キャンセルとなったけれど、船酔いしやすいわたしとしては、ほっとした。

夕暮れどき、鰯雲だか羊雲だかうろこ雲だか、ちょっとよくわからないけれど、その波のような美しい雲に映える、真っ赤な夕陽を追いかけて車を走らせたり、日がとっぷりと暮れたころには、キャナル沿いのハーバーで星を見上げたり……と、いつもとは違う景色に出合えた。

レストランやカフェは数少ないものの雰囲気もよく、味わいもよく、サービスもよくて気持ちが和む。最後には新鮮なカニも存分に味わえて、前回よりもはるかに充実した「食」だった。やっぱり、旅の最中においしいものを食べることは、大切なことと痛感する。

コンピュータや電話もなく、情報から離れた場所にいると、とても遠くに来たような気がしてとてもいい。自宅から120マイルしか離れていないのに、異国に来ているような気さえした。2泊3日がとても長く感じた。

そして、短い夏が終わった。

ホームページの「片隅の風景」に、写真日記を掲載しているので、ご覧ください。

http://www.museny.com/mihosakata/katasumicover.htm

(前回、ルイス-ケープメイ間はフェリーで20分と書きましたが70分の間違いでした。失礼いたしました)

 

●そしてBack to School。お勉強の季節

レイバーデーのウイークエンドが終わったら、米国は新学期の季節。子供たちの学校が始まった。去年の今頃は、わたしもジョージタウン大学の英語学校に通い始めたころだった。

学校へ行くのは子供たちばかりではない。新学期の時期を目前にして、社会人向けプログラムを紹介するカタログが、あちこちから郵送されて来た。そういうカタログをパラパラとめくっていると、自分もまた新しいことを始めたくなる。

去年の12月に学校を終えて以来、自分なりに英語力の成長を止めまいと気を配ってきたけれど、なかなか学校に通っているときのような緊張感はなく、成長度が著しく低い。目先の雑事に時間をとられ、どうしても勉強は後回しになってしまう。

 

【日本語教師養成講座がきっかけで……】

今年前半はインドや日本に行ったりで、自分の生活のリズムが崩れがちだった。

そんな中、予定より数カ月遅れをとってしまったものの、「日本語教師養成講座」の通信教育は地道に続けてきた。といっても、「毎日こつこつと」ではなく、毎月の答案の締めきり前に一気に、なのだが。

この勉強をしていると、思いも寄らず、自分の英語の勉強に反映できることがらに出くわす。

語学教育を考えるとき、「聞く」「話す」「読む」「書く」の四つの技能を学習させることが考えられるが、一般に、日本語を教える場合でも、また英語を学ぶ場合でも、「読み書き」が重視されがちである(あるいはされがちだった)、という記述があった。

その点については、自分のこれまでの学習法を振り返ってもそうだ。聞くことや話すことは、日常生活の上でとても大切、と思っていても、まずは自分でできる学習と言えば「読み書き」だった。

だから発音やアクセントが改善されないまま、何年も「通じるからいいや」という感覚で来た。そもそも「大人になってから発音やアクセントを改善するのはほとんど無理だから」という気持ちもあって、集中して学ぼうという気持ちがなかった。

けれど、日本語教師養成講座のテキストを読みながら、(このままでは、やっぱりいやだ)と思った。いつか日本に帰るならまだしも、わたしは多分、生涯、英語を話す国で暮らすことになるだろう。中途半端な状態で妥協するには、まだ早すぎる。

今まで通ったことのある英語学校では、読み書きが中心の授業だったし、そもそもマンツーマンでもない限り、授業中に個々人の発音やアクセントを改善するのは時間的にも不可能だ。

プライベートのレッスンはどうだろうかと考えていた矢先、たまにのぞくワシントンDC在住の日本人向け掲示板(インターネット)で、偶然にも発音の先生が紹介されているのを目にした。

 

【発音とアクセントを、自分の声を聞きながら直す】

早速、その先生(セリーナという米国人女性)に連絡し、週に一度1時間、家庭教師に来てもらうことにした。セリーナに勧められた方法で、自分の声を録音し、それを聞きながら、直していく。

自分の声を録音する、というのは今まで何度も勧められて来た勉強法だったが、とても億劫でやらないままだった。そもそも日本語ですら、自分の話し声を聞くというのはいやなものだ。「誰これ?!」と思う。ましてや英語。何をかいわんや、である。

早速、携帯タイプのヴォイスレコーダーを買い求め、自分たちの会話を録音し、それを聞いて、甚だショックを受けた。想像を遥かに上回る、いや下回る? いやな感じの発音!

たまに自分が何と言っているのかわからない。レコーダーの性能が悪いわけではない。厄介な発音は、適当にお茶を濁している様子がよくわかる。

口の開閉をもっとしっかりと、顔の表情や動きも、もっと大げさにすべきなのだということが、声を聞いているだけでわかって驚いた。一般的な日本人に比べれば、自分は随分、派手な口調で話している気がしていたが、そうでもなかったようだ。 

英語を話す国は、もちろん米国だけではなく、英国やインドや、数多くの国がある。だから「米国的アクセント」にこだわることはないのだが、ともかくは「軸」となる正確な発音を身につけないと、他の国に行ったときに益々、揺らぎそうだ。

子供に比べると耳も口も舌も頑で、大人になってから発音を矯正するのは非常に難しいし、ネイティブ並みになることはほぼ不可能に近い。それはわかっているけれど、テキストにあった一文が心に響いた。

「発音の練習は、ピアノなど楽器の練習と同じです。大人になっての練習は時間がかかるかもしれませんが、訓練すれば、必ず身につきます」

ふむふむ。何だか説得力がある。ぼちぼちと、諦めずにやってみよう。

 

【そしてヒンディー語に初挑戦しようと思う】

とはいうものの、英語の勉強は、大して成長しているわけでもないのに、延々と続く終わりなき課題であり、実のところ飽き飽きしている。だからもっと、楽しみながら学べることもやりたいと思う。

さまざまなスクールのカタログを開いてみる。

ダンススクール。身体を動かすのは楽しいし大好きだ。しかし、去年フラメンコを始めたけれど、腰痛が復活して断念した経緯もあり、ダンス関係は当分、諦めるとする。フィットネスは、毎朝のヨガとウォーキングで今のところはいいだろう。

アート関係。水彩画やデッサン、油絵も楽しそうだ。でも、人とのコミュニケーションが図れる方がいいだろうか。となると、クッキングクラスもいいな。ワインテイスティングやペイストリーのクラスも魅力的。

けれど飲食関係ばかりに時間とエネルギーを費やすのも、どうだろうか。すでに毎日料理をしている上に、興味の対象は十分すぎるほど、食に傾いている。独学でもやれることはまだたくさんあるし……。

USDA(米国農務省)が実施している社会人向けスクールのカタログの、語学学習の中に「ヒンディー語」を見つけた。これはどうだろう。

インドの家族とは祖母を除いて英語でコミュニケーションができるし、ニューデリーではヒンディー語が使われていても、たとえばムンバイやバンガロールでは違う現地語が使われていて、もしもそっち方面に住むことになったら、ヒンディーを学んでもあまり役に立たないかもしれない。

にも関わらず、なぜか気になる。習ってみようかな。ためしに。

というわけで、ごく軽い気持ちで秋のヒンディー語クラスを取った。週に一度、夕方の6時から9時までの3時間だ。

そして先週は初めての授業だった。先生は1970年代に米国に移ってきたインド人女性。渡米後まもなく夫に先立たれ、以来、ヒンディー語を教え続けているという。

生徒はインド系アメリカ人の二世や三世、インド人を伴侶やフィアンセに持つ人、語学を学ぶことが好きな人、インドの文化に興味がある人、インド出張の折、現地の言葉を使いたい人、クライアントにインド人が多いから会話に花を添えるため学びたい人……、とそれぞれ理由を携えた人々が集まっている。

仕事帰りの人も多く、スーツ姿の人もちらほら。サンドイッチをかじりながらノートを取る人もいる。

なんとなく、「のんびり楽しい授業」を想像していたのだが、大間違いだった。あれよあれよと言う間に授業は進み、見よう見まねで文字を綴り、ノートは、英語、ヒンディー語、日本語の混沌。

「はい、この発音は、つばを飛ばすようにして、ダッ!」

「これは豆料理のダァルと同じ、ダァ!」

「次はパッ! パッ!」

「はいわかりましたねぇ、次はパァ! パァ!」

……おばさま先生、こてこてにインド訛の英語でもって、マイペースで突っ走る。似たり寄ったりの発音ばかりで、何が何やらわからない! 周りも懸命にノートを取ったりテキストを見たりしている。必死についていくばかり。

生徒は激走する先生に呆気にとられつつも、互いに教え合いつつ、かなり過酷だ。

「ここは宿題」「8ページ開いて」「これも宿題」「42ページ開いて」「綴りの練習は自分で」「来週書いてもらいますからね」「シュークリア!(ありがとう)」

英語よりも遥かに難しくて、大変だ! 気軽なお稽古ごとではすまないムードである。週末は宿題をやらねば。

ちなみに10月23日から3週間あまり、またインドへ行く。そのときには町の看板くらいは読めるようにはなっているだろう。意味はわからないにしても。それから、英語の話せないダディマ(祖母)と少し話ができるかもしれない。

 

●インドとわたし

最近、インドに関わりのある本を読んでいる。

ひとつはムンバイのホテルの書店で買った"The Matrimonial Purposes"。見合いを重ねれど、20代後半に入っても「良縁」に恵まれないムンバイ在住の女性が、米国在住のインド人伴侶を探す目的で、親戚を頼りニュージャージー州に住みはじめる。

なかなか相手は見つからず、やがてマンハッタンで働くようになり、ようやく30代中盤になって意中の人と出会い、結婚した、という物語。

あらすじだけを書くと「なんだ?」という内容だが、インドの結婚にまつわる文化が忠実に描かれていて、いかに結婚が一大事であるかということを改めて知ると同時に、わたしたちがいかに「簡単に」結婚できたかが、今更ながら痛感できる内容だった。

そのほか、日本でも翻訳が出ているジュンパ・ラヒリの短編集 "Interpreter of Maladies(邦題:『停電の夜に』)" を読み、今 "The Namesake(邦題:『その名にちなんで』)"を読んでいる。

どちらもずいぶん前に、夫が自分のために買ったものだ。

読んでいるうちに、自分がある種の共感と郷愁を伴いながら「インド-米国間」にたゆたう人々の話に心を傾けていることに気がつく。

ただ、夫がインド人というだけで、インドには何度かしか行ったこともないのに、米国に住むインド人移民らに対する親近感が沸いてくる。異文化にして異文化にあらず。これは何とも表現しがたい、不思議な感情だ。

ジュンパ・ラヒリの作品は、いずれも食の描写が見事で、人々の心理の描写も巧みで、わたしが日頃、見聞きしている世界が的確に、美しく表現されていることに感嘆しながら読んでいる。

ちなみに彼女は、ロンドンに生まれ、ロードアイランドで育ち、現在は夫と息子と3人でNYに暮らす、美しきインド系アメリカ人女性である。

 

【この街を離れる前に】

ヒンディー語を習ったり、インド人作家の小説を読んだり、何かとインドを意識した日々が続いているが、果たしていつ、わたしたちがワシントンDCを離れるのか決まっていない。インドへ行く前に、米国の他の街に一旦引っ越す可能性もある。が、ともかくは、数年以内に動きがあるだろう。

となると、「ここにいるからこそできること」をやっておきたいものだという気持ちがいよいよ増してきた。たとえば今年は、春から初夏にかけて不在だったから、新緑の美しい季節を見逃した。

そして迎える秋は、紅葉の一番美しい時期、インドに行く。そう考えると、一年はとても短く、四季折々の美しさに出会えることでさえ、いかに「たやすいことでは決してない」ことかが、わかる。

ニューヨークに5年も住んでいながら、わたしは自由の女神の中に入ったこともないし、ワールドトレードセンターの屋上からの景色も見ないままだった。

今のうちに、ワシントンDCの観光ポイントも、折を見て訪れておきたいと思う。

 

●最近のわたしの軸は?

ニューヨークを離れ、夫と暮らすことにより、生計をたてることに一生懸命にならずにすむようになって久しい。

最近のわたしは、何をしているのだろう。時間ばかりがどんどん流れて行くけれど、今ひとつ、強い手応えがない。

ニューヨーク時代からの広告の仕事を継続してやっている以外は、収入目的の仕事はときどき入る程度で、積極的に営業をしているわけではない。

昨年の末に『muse DC』もやめ、自分のために書くことを中心にしようと、今年に入ってから改めて思い直した。去年の春に一度挫折したフィクション、つまり小説の執筆に再び挑戦している。

エッセイやノンフィクション、取材、インタビュー関係など、事実ばかりを書き連ねて来た自分だが、どうしても、書いておきたい事があり、筆をとった。にもかかわらず、壁にぶつかってばかりで、なかなか思うように書き進められない。

伝えたいこと、表現したいことは、脳裏にぐるぐる渦巻いているのに。

「わたしは、文章を通して自己表現をするべきなのだ」と、思った矢先に、「いやいや、やっぱり違うかも」「どうもピンとこない」などという迷いが生じる。

おまけに次なる目的が何なのか、よくわからない。昔ならば「本を出す」ということが、大きな目標になっていたかもしれない。

しかし、今、このようなインターネットと言う媒体が存在し、自分の表現を少なからず表現できる自由がある。プロとして文章を「売ってきた」自分が、文章を節操なく放出することに懐疑的になった時期もあった。それはプロの書き手なら、誰もが考えることだと思う。

けれど、たとえ数は少ないとはいえ、ホームページに現れる、わたしの表現する世界を深く好んでくれる人たちがいることは事実で、その「深い」という事実がまた、わたしに書く意欲を与えてくれている。

けれど、書きたいはずのことが、なかなか思うように書けない。結局は、努力不足なのか? それともやっぱり、不向きなのか?  

 

【不惑の40を目前にして、迷いが炸裂】

先日39歳になって、今までにはなく、「今後の生き方」についてを考えた。今年は「命について」を考える機会が多かったせいもある。考えるにつけ、これから自分が、何をやるべきか、何が向いているのか、どういうふうにキャリアをどう構築していくのか、迷ってばかりだ。

その迷いに加えて、さまざまな物事に対する興味ばかりが沸き立つ。料理、音楽、映画、絵画、読書、旅行、スポーツ、写真、教育……。あれこれと手を付けたところで、何かが成就できるとも思えないのに、あれこれとやってみたい。

これは何も、わたしに限ったことではなく、多くの人たちが直面していることだろう。多分わたしは、ぐずぐず言いながらも、まだ収束しやすい場所に立っている。

たとえば日本に帰国していたときに比べると、吸収する情報量が、ここでは圧倒的に少ないからだ。日本にいたときは、人々の声の、街の看板の、テレビの音の、もう取り巻く全てが体内に吸収されて、情報過多になってしまい、著しく疲れ、焦点がぼやけた。

日常、善し悪しは別にして、わたしはほとんどテレビを観ないし(DVDで映画はしばしば観るけれど)、ラジオも聴かない。「ながら作業」が苦手なので、そうなってしまう。

ただ、インターネットという便利なものがあるお陰で、日本のニュースも即座にわかるし、知らなくてもいい「芸能情報」なども、ついつい読んでしまうことがある。「気休めに」といえばそれまでだが、これからはそういう「贅肉情報」をどんどん、排除していくことが、テーマのように思う。

自分にとって大切な何かを選び取るには、相応の気遣いが必要な気がする。

「不惑の40歳」というけれど、その40歳を目前にして、とてもとても、そういう心境ではない。むしろ「惑惑」と迷ってばかりだ。これが来年になったらスパッとするのだろうか。

 

【ともかく、時間が過ぎるのが怖ろしくはやい】

さらにはここ数年、一段と時間が過ぎるのがはやく感じられるようになった。先日、A男が出張で2泊3日不在だったとき、今更ながら、その理由を認識した。これは結婚して、彼と一緒に暮らし始めたせいだと。

たとえ日中は離れていても、朝晩と共に過ごす。朝はともかく、夕方6時からの寝るまでの4、5時間が、あっというまに過ぎていく。一人で暮らしていたとき、この時間が、もっとも仕事や自分のことに集中できた時間だったのだ。

掃除洗濯料理一切の家事をやると、たとえ育児がないにしても、一人の時とは格段に時間がかかる。そのことに、彼の出張中、気づく。一人の時代を思い返して、懐かしさに浸る。

22歳から36歳までの約15年間、自分の暮らしを自分で支えてきて、自分の好きなように生きて来たわたしが、DCに移ってから何度となく、戸惑いを重ねて来た。

懸命に働いていたころは、「休憩したい」と思っていた。収入を得るための仕事に忙殺されず、自分の書きたいこと、やりたいことに専念できたら、どんなにかいいだろうと。そして、今、少なからずそれができる状況にあって、しかし居心地が悪い。

「自立した人間でありたい」という言葉が、いつもわたしの心に在るのだ。そしてその「自立」という言葉の定義が、いつも曖昧だ。

 

【負け犬……?】

そんな折、先日、家庭教師のセリーナが、8月31日付けのワシントンポストの記事を持ってきた。酒井順子氏の写真がある。わたしはニューヨークタイムズを取っているので、その記事のことは知らなかった。

日本でずいぶんと流行っている、酒井氏の著した『負け犬の遠吠え (The Howl of the Loser Dogs) 』を軸にして、日本人女性の近年の変化、<独身女性の増加、キャリアを持つ女性の非結婚、少子化問題 >などが幅広く紹介されていた。

また、自立した女性の増加に伴う、独身女性向けの不動産市場、(結婚指輪ではなく)自立した女性を狙った宝飾品業界の戦略……と、記事は続く。

後半に未婚男性のための名古屋にある「花婿学校」を紹介するくだりの、「機知に富んだ会話の方法」「服装のカラーコーディネーション」などを学ぶ……といった記事を読みながら、二人でコメディみたいだねと大笑いをしたが、実際のところ、そこまでシビアなのかとも驚いた。

独身で、たぶんわたしと同世代であるセリーナは、この記事を興味深く読んだようだ。

わたしはこの『負け犬の遠吠え』と言う本をちらりと立ち読みしたことがあるだけで、しっかり読んではいないので、何とも言えない。

ただ、仕事を持ち、経済的に自立している現代の日本人女性が、結婚に対して懐疑的になる気持ちはよくわかる。子供を切望しないでもない限り、結婚をして得るものより、失うことの方を考えてしまうだろう。

事実わたしもそうだったし、結婚してからもしばらくは、ニューヨークとDC、別々に暮らすつもりでいた。9/11のテロと、友人の病とをきっかけに、心境が大きく変わり、その決意に変化が起きたけれど、ではそのきっかけがなかったら、わたしはまだニューヨークに住んでいたかもしれない。

結婚しない女性が増えていくことは、語っても語り尽くせない背景があるように思える。

 

●最小家族なりに

『負け犬の遠吠え』をちらと立ち読みしたときに、「産んでいない子供の歳を数えるな」という内容の一文が目にとまった。

30歳を越えて子供のない独身女性(婚姻している女性でもそうだが)は、もしも25歳で子供を産んでいたら、今7歳の子供がいる、とか、今15歳の子供がいてもおかしくない、とかついつい考えがちだが、その心理がいかにナンセンスであるかを突いての「教訓」である。

かく言うわたしも、「産んでいない子供の歳を数える」ことを、これまで何度かしてきたことがあるから苦笑した。

結婚して3年あまり。「子供は?」と、何度となく聞かれ、「いません」と、何度となく答えてきた。それで会話がすめば、何の問題ない。差し障りのない、普通の会話だ。

しかし、その先を尋ね、問いただす人が少なくない。

「作る予定は?」とか、「なぜ生まないの?」とか。

適当に返事をしていると、今度は「いかに子供が大切で生んだ方がいいか」を、とうとうと説明してくれる人がいる。さほど親しくもない人からも、それをやられる。

「結婚すれば子供が自動的に生まれてくる、それが自然の大摂理で普遍的な常識だ、女性は子供を生んでこそ一人前」と信じて疑わない人がいることは、動かしようのない事実で、避けて通りたくても通れない。

そう言う言葉のひとつひとつに反応するのも楽しくないので、だから軽く聞き流すように努めている。

わずか結婚3年目でこれだから、若くして結婚して、子供のいない夫婦、ことに子供が欲しくてならないのに恵まれない夫婦は、いかに大変な思いをしているだろう。

わたしとA男の間には子供がいないし、これから先、生まれることも恐らくないだろう。

この件に関しては、A男と二人でさまざまに学び、話し合った。かなり悩んだ時期(といっても一カ月くらいだが)もあったが、結果、わたしたちは子供を得るための治療などはしないことに決めた。

もしもわたしが子供が大好きならば、養子をもらうことを考えるかも知れないが(米国では養子縁組がとても一般的に広く行われている)、わたしは夫と自分との間の子供が欲しかったのであって、他人の子供には今のところ関心がない。

幸いにも、私の両親も、彼の両親も、事実を温かく受け止めてくれたことは、極めてありがたいことだった。

このことがきっかけで、わたしたちはこれから先の人生を、二人でいかに楽しく過ごしていくかを考えるようになった。わたしたちは「得られなかった」けれど、「失った」わけではない。

だから、わたし自身はこれからの時間を、いかに自分らしく過ごしていくかについて、目を逸らさずに模索している途中でもある。

 

●新しい時間を刻む

父がいなくなってまもなく4カ月になろうとする。1年の3分の1が、すでに過ぎようとしている。母とは数日おきに、電話で話をしている。母は元気になったり、沈み込んだりをくり返しながらも、一人の生活に慣れようと、一生懸命だ。

いつになっても悲しみが消えてしまうことはないと思うし、何年経っても、夫のことを嫌いになるわけでもないのだから、思い出せば泣けてくるのは仕方ないことと思う。

先日の母は、父にもっと、何かをしてやるべきだったか、ということを少し悔やんでいる風でもあった。

悲しむことは仕方ないにしても、「悔やむこと」は、やめてほしいと思う。悔やむことは、無意味だ。ただ、悲しみや痛みを蓄積させるだけで、何の前向きな感情も生まない。

そもそも、母が「もっと何かをすればよかった」などと思うとしたならば、わたしなどは「後悔だらけ」になってしまう。もっと父と過ごす時間を作るべきだった、ということにしても。

しかし自分を責めたところで何にもならない。そのときの自分にできることを選んだ訳で、わたしは後悔していないし、したくもない。「したくもない」というその思いだけは、貫こうと思っている。それは自分のために。

或いは、悔いることが「逆療法」になる人もあるかもしれないから、自分の考えが決して正しいとは思わない。

母は先日、思いきってお洒落な腕時計を購入したらしい。

腕時計。

それは母にとって、とてもいい買い物だったと思う。父から離れ、こんどは一人の時間を、新しく刻みながら、日々を過ごして欲しいと思う。

(9/19/2004) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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