坂田マルハン美穂のDC&NY通信

Vol. 135 5/11/2005 


●「90秒」と日本と世界
●それぞれの国で、それぞれの理想を
●シカゴでA男の「プチ晴れ姿」
●ささやかだけれど、役にたつこと


●「90秒」と日本と世界

先日の尼崎に於ける列車の事故は、本当に衝撃的だった。最初、インターネットのニュースで「列車事故」という文字が目に飛び込んできたとき、「またインド?」と思ったのだが、それが日本だとわかって、驚いた。

米国のメディアもこの事故について関心が高かったようで、購読しているニューヨークタイムズも、2日間に亘って大きな記事を掲載していた。

1回目の記事は、主には事故のレポートであったが、2回目の記事(4/27付)は "In Japan Crash, Time Obsession May Be Culprit" という見出しで始まる、事故原因についてを考察する記事だった。

「日本の列車事故は、時間に対する強迫観念が原因か?」といった主旨である。

記事は、日本人がいかに時間に対して厳しいかということを軸に展開され、年々顕著になっている列車時刻の過密スケジュールについてなどを紹介しながら、「時間厳守」と「安全性」の優先順位などについて言及している。

ニューヨークタイムズの「いやらしいところ」は、このように他国の習慣を批判する論調の場合、その言葉を「そこの国に住む人のコメント」として紹介するところだ。たとえば今回も、

「日本人は、列車に乗ったら時間通りに目的地に到着するものと信じている。……われわれの社会は融通がきかない。人々も、融通がきかない」

と、鉄道職員のMR. SAWADA(49歳)に言わせている。更に彼は、

「海外に行くと、列車は必ずしも時間どおりに来ない。この惨劇は日本の現代社会と日本人によって生み出されたのだ」

と続けている。また、立教大学のHAGA教授は、

「日本ほど正確に運行する列車は、間違いなく世界のどこにもないだろう」「しかし個人的には、日本人はもっとリラックスし、2、3分の遅れは気にするべきではないと思う。2分後には次の列車が来るというのに、階段を駆け上って出発間際の列車に飛び乗っているのが現状ですから……。」

と語る。また、会社勤務のMR. HABE(67歳)は、

「いつかこんな事故が起こると思っていた。日本は世界一、几帳面(時間厳守)の国だけれど、一番大切なのは安全だ」「この事件は氷山の一角に過ぎない」

と語っている。

確かに、この事件の背景には、さまざまな改善すべき根元的な要因が横たわっているだろう。重要性の優先順位の見直しも必要だし、彼らの言うとおり、「リラックス」することも大切だろう。

記事の主旨は、一見、まっとうだ。けれどわたしは、違和感、不快感に囚われる。

「米国のメディア」に、「まるで高みから評価するみたいに」、言われたくないというのが、正直な心境である。そもそも、このような生活文化や習慣に起因する事故について、他国と日本を比較することに、あまり意味はないと思うからだ。

記事には「通勤電車の場合、列車が何分遅れたら "遅れている" と感じるか」という調査結果の棒グラフが掲載されていた。西日本鉄道の場合、1分、英国のテムズリンクが5分、ニューヨークのメトロノースが6分とある。

こんな比較は、実に「無意味」で「ナンセンス」だと、わたしは思う。そもそもの基準、スタンダード、標準が違うもの同士を、比較しようがない。

日米は、国土の広さが違う。人口密度が違う。通勤時に列車に頼る人たちの人数が違う。人々の「時間を守って仕事をきちんとこなそう」という真剣みが違う……。と挙げれば切りがないほど、背景が異なっている。

主流をなす精神構造が大きく異なる日本において、米国流に「リラックスしろ」と言われたところで、それは一朝一夕にできることではない。そうすることで問題が解決するとも思えない。

米国をはじめ、他国の人々からみれば、日本人の「スケジュール管理能力」は、多分「神業」の域である。それは、海外に出ればよくわかることだ。その神業を巧みにこなしていた中で、今回の悲劇は起きてしまった。

だからといって、他国と比較した上で、「リラックスしろ」だの「日本人は時間に厳しいから事故が起こった」などと言うのは、やはり論点がずれていると思う。

わたし自身、編集者という職業柄もあり、多分平均的日本人以上に、スケジュール管理を重視してきた。フリーランスになってからはなお、「時間対効果」を考え、いかに効率よく仕事をし、収入を得、自由時間を作り、好きなことをしながら生活するかがテーマだった。

スケジュールを管理すること、時間を守ることによって得られる利点は多い。それは自分の能力管理にも結びつく。時間をうまくマネジメントできるというのは、肯定されるべき才能の一つだとも思う。

多分、日本人にとってはまた、時間を守ることは即ち、相手に対する「誠意」の現れでもある。

だから、時間に鈍感な国の人に、日本人の「長所とみなされる部分」を否定されるのは、どうも納得がいかないのである。確かに、それは「過剰」であるにせよ、改善の余地が大きくあるにせよ、今回の事故の原因を、そこに集約しないでほしいのである。

これでは、「時間を守る (punctuality)」=「融通がきかない (no flexibility)」と言っているようなものだ。だとしたら、「時間にだらしない」=「融通がきく」ということになるのか。それは違うはずだ。あくせくとするだけが、時間を守るための手段ではない。

わたしは、ニューヨークからDCに行き来する際、アムトラックと呼ばれる長距離列車を利用している。これまで何十回と乗ったが、1時間に1本のこの電車が、時間どおりに発車したことは数回しかない。数分から数十分遅れるのはごく普通のことだ。

特に、ボストン発、ニューヨーク経由でDC入りする便は、遅れて当然という状況で、便がキャンセルになることもしばしばだ。ペンステーションで1時間以上待つことは、最早慣れっこである。

車社会の米国で、鉄道は斜陽産業とはいえ、その運行スケジュールの不確かさは著しい。

更に、ニューヨークのペンステーションの場合、電車が乗り入れるプラットフォームは毎回、違う場所ときている。電車が到着する直前まで、どこに行けばいいのかわからない。

人々は、出発の数十分前から、バナナをもぐもぐ食べたり、アンティ・アンのプレッツェルをかじったり、時にスーツケースの上に座ったり、地べたに座り込んだりしながら、手持ちぶさたに、発着案内の表示板を見つめるのである。

やがて自分の列車の到着が近づいてくると、アナウンスに聞き耳を立て、表示板を凝視する。そして "WEST 12" とか "EAST 8"とか案内が出た瞬間に、どどっと皆が、プラットフォームへ向かうエスカレータへ駆けるのである。

わたしなどは、「今日は、"WEST 8"に違いない……」などと、ギャンブルよろしく予測をたて、あらかじめその周辺に立ってみたりする。たまに当たると喜んだりなんかして。

そんな時間にルーズな列車だから、点検は万全で安全なのかと言えばそうではない。数年に一度は脱線事故などが起きているし、死傷者が出る事故も少なくない。台風が来れば止まる。嵐が来れば止まる。すぐにくじける。

列車は座席が広いこともあり、乗り心地は悪くないが、しかし非常に揺れる。読書などしようものなら、たちまち酔う。

米国の鉄道とは、概ね、こういうものなのである。

たとえばワシントンDCの場合、バスもひどい。我が家の界隈には、地下鉄駅がないので、もっぱらバスを利用しているが、このバスがもう、話にならないのだ。バスの乗り心地の悪さもさることながら(DCは道路がガタガタな上に、バスそのものにクッション効果がないせいか、振動が激しい)、時間どおりに来ないのである。

我が家は、マサチューセッツ通りとウィスコンシン通りの交差点に位置しており、それぞれの通りを行く2ルートのバス停がある。どちらも平日の日中は7分から10分おきにバスが来ることになっている。

来ることになっているのだがしかし、10分、20分、30分と待っても来ないことは日常茶飯事。ようやく来たかと思えば、4台5台が団子状態でやって来るのである。列車じゃないんだから。どうしてこんなことになるのか、わたしには、わからない。

米国のバスの場合、どのバスにも身体障害者を車椅子ごと乗せられるようになっており、その際、数分の時間を要するために遅れると言うことも考えられる。しかし、それにしたって、遅れすぎ、乱れすぎである。

このような団子状態は、特に朝や夕方のラッシュ時に起こる。ラッシュ時こそ、定刻通りに、という概念は、通用しないのである。対策もとってなさそうである。従って、バスを待つ人たちと世間話になることも少なくなく、数十分ののちにようやくバスが来た日には、

「やれやれ、永遠に来ないかと思ったわよね〜」などと言い合うのである。

そんなわけで、わたしはここから徒歩30分ほどのジョージタウンへも、デュポンサークルへも、しばしば歩いていく。バスを待っていると時間の無駄なのである。エクササイズによいのである。

歩いている間、1度たりともバスに追い越されないことも多々あり、そんなときは、「歩いてよかった!」と、妙な達成感すら覚えてしまう。

ところで一昨日は、夕方A男とジョージタウンまで散歩した。夕食を食べて、さてバスで帰ろうとバス停まで行ったら、バスの時刻表が撤去されているではないか。ちなみにこのウィスコンシン通りは、利用者の多い「主要ルート」である。

そもそもバスの時刻表があったところで時間通りに来ることなどないから、その存在は限りなく無意味ではあるのだが、でもせめて、夜8時以降は1時間に6本なのか1本なのか、目安くらいはほしいものである。

結局、1ブロック、2ブロックと、後を振り返り、振り返り、歩きつつ、途中でやってきたバスに乗った。

こういう事情を鑑みれば、米国と日本を比較することが無意味であると、お分かりいただけるかと思う。

「90秒」を「遅れた」とみなす日本について、短絡的に異常視するのはよしてほしいと思う。

 

●それぞれの国で、それぞれの理想を。

以前も書いた気がするが、また書きたくなったので、書く。『街の灯』でも、いくつかのエピソードで触れたことだが、わたしが米国に暮らしはじめてまもなく驚いた、というか呆れたのは、米国のサービス業のサービスの悪さ、時間のルーズさ、インフラストラクチャーの悪さであった。

たとえばトラブルは、引っ越しのときから始まる。家具は時間通りに来ない、荷物も予定通りに届かない、電話工事に手間がかかる……と枚挙に暇がない。多人種が混在するニューヨークだからか、統制がとれぬ故にか、とも思ったが、ワシントンDCも負けてはいない。

そもそもDCは財政難のせいで、超大国の首都とは思えぬほど、インフラが劣悪だ。まず、水道管が古い。詳しいことは忘れたが、怖ろしく古いらしい。

数年前、あるメディアでジョージタウン近辺の水は「人体に悪影響を及ぼすほど」汚れていると取り沙汰された。それを受けて、去年だったか、水道局から通知が届いた。「水道管工事のため、当面、水道水に薬品を多めに混入しますが、健康を害することはありません」と。

健康を害さないと言われたって、「薬品が多めに混入されている」と言われては、いかにも気持ち悪い。だから水道水をそのまま飲むことはない。

街角ではしょっちゅう、水道管が破裂して、路上から水があふれ出している。それが何日も放置されていることもある。それに伴い、道路が陥没することも多々ある。だからDCの道路にはつぎはぎが多い。

水道管が破裂する分には、まだいい。水だから。

数年前は、ダウンタウンのホワイトハウス近くで、老朽化したガス管からガスが漏れた。そのガスが路上を走る車の摩擦熱で引火し、車は炎上、幸い、ドライバーは逃げたものの、しばらくの間、道路から炎があがっていた。フランベじゃあるまいし、路上がメラメラと燃えてどうするのだ。

ワシントンDCは、街路樹が多く緑豊かで、自然美に満ちているのは長所である。しかし長所は即ち短所にも転ずる。

育ちすぎた街路樹は、最早舗道の定められたスペースにおさまりきれず、根があふれだしている。そんな木々は台風が来るたびにあちらこちらでバタバタと倒れ、電線をなぎ倒し、停電させ、家屋を破壊する。

2年前の台風では1、2日は当たり前、1週間近くも電気が復旧しなかった家もあった。そんなこともあり、我が家の2ブロック先にあった、美しい並木道の巨木らは、つい最近、すべて伐採されてしまった。

DC内の公立学校の設備も劣悪で、「水漏れのために図書館が利用できない」とか、「椅子や机がボロボロだ」といった問題もよく聞かれる。市長曰く「教育費に予算を割く努力はしているが、追いつかない」とのこと。

挙げればきりがないが、米国とは、超大国とはいえ、それなりにたいそうな問題を抱えているのである。

つまりここでも、言いたいことは似通っているのだが、日本のメディアそのものにも、そしてそれに登場するの知識人たちにも、何か事件やトラブルがあるたびに、「米国では云々」と、まるで「お手本」を語るみたいに米国のことを引き合いにださないでほしいのである。

これだけ世界中の情報がすぐさま手に入る現代なのだから、幻想や想像をもとに語らないでほしいのである。なるたけ真実に近いことがらを、的確に、伝えて欲しい。さもなくば、解決の糸口が見つからない。核心がぼやける。

ところで最近、日本人が著したインド関連の本を大量に購入して読んだ。

読み進むうち、不快な気持ちにさせられることが少なくなかった。書き手の視点は、当然ながら「日本-インド」の二国間に限られているため、日印の違いがことさらに強調されている。それはおもしろおかしいのだが、同時にインドを「見下した」様子に満ちている。

「時間を守らない」「いい加減」「人をだます」「インフラめちゃくちゃ」「汚い」「貧富の差、激しすぎ」

確かにその通りだ。否定はすまい。けれど、PIOカードも取得して半ばインド人のわたしとしては、私情もばんばん挟みつつの感情ではあるが、その「見下す姿勢」が腹立たしい。

米国での「時間を守らない」は「大らかさ」とか「融通がきく」などといい風に解釈され、インドでの「時間を守らない」は「だらしない」とか「いい加減」などと悪い風に解釈されるのだ。そのダブルスタンダード(二重基準)が、やな感じ。

「インドでは、家を改装するときに、部屋の壁にペンキを重ね塗るから壁が厚くなり、コンセントのカバーもはずさずにペンキを塗るから、カバーにペンキの汚れがついてしまう」といった記述を読んだときに思った。それって、ニューヨークと同じじゃない、と。

以前、ニューヨークで会社勤めをしていたときのこと。ニューヨークではさまざまに予期しない事情が起こるから、遅刻する人も少なくなかったのだ。ある朝、同僚から

「ベッドルームの壁が崩れ落ちたので、遅れます」と連絡が入った。

古いアパートメントの壁が、塗り重ねられたペンキの重みで、ズサササーッと崩壊したというのだ。その様を想像して、気の毒だが、最早コメディだと思う。

こんなこともあった。イーストヴィレッジに住んでいた知人が住むタウンハウスの向かいのタウンハウスが、ある日突然、「自然崩壊」したのだ。幸い、日中で、誰もいなかったから死傷者はいなかったものの、突然、タウンハウスが崩れ落ちたというから驚く。

その残骸を呆然と見つめていた知人に、年老いたご近所さんが言ったという。「君の住んでるタウンハウスは、あれと同じ時期に建てられたはずだから、気を付けた方がいいよ」と。

気を付けろと言われてもねえ……。じわじわと歩け、とでも言うのか。タウンハウスが自然崩壊した事件は、わたしの知る限り、5年間で2件あった。ともかく、この国はこの国なりに、日本では考えられないような出来事が、至るところで起こっているのである。

ネズミも出る。ゴキブリも出る。壁も崩れ落ちる。ペンキの厚みでコンセントにプラグが差し込めない。立て付けが悪くてドアが上手く閉まらない。床が何となく傾いている。天井の梁が歪んでいる。これもまた、ニューヨークの現実である。そういう現実と戦いながら、人々は強くなっていくのである。

うまく結論を締めくくれないが、グローバルだのインターナショナルだのと、世界に目を向けることも大切だけれど、何か問題が起こったときのその対策は、決して汎用性のあるものではないということを、改めて言いたい。

 

●シカゴでA男の「プチ晴れ姿」

先週末、2泊3日でシカゴへ行って来た。シカゴ大学のビジネススクール(MBA)が主催するインドビジネスのカンファレンスに、A男がパネリストの一人として参加するので、またしても妻は、夫の「プチ晴れ姿」を見るために、同行した次第。

ワシントンDCからシカゴへは飛行機で1時間半ほど。時差があるので、1時間、得をする。シカゴの摩天楼はマンハッタンとフィラデルフィアを混ぜ合わせたような様子をしており、初めて訪れるような気がしなかった。

ホテルにチェックインした後、しばし街を散策し、かつてDC郊外に住んでいた友人夫妻(日印カップル)と、彼らが勧めてくれたフレンチのブラッセリーで1年半ぶりに会う。

最初は4人で話していたけれど、やがては日本組、インド組にわかれて、それぞれに近況などを語り合う。おいしいワイン、おいしい料理を味わいながら3時間あまりの楽しい晩餐だった。

翌日は早起きしてシカゴ大学のGLEACHER CENTERへ。インドビジネスとは何ら関係のないわたしではあるが、関心はあるし、なにしろA男が語る姿を見てみたい。従って、夫と一緒に参上し、ゲストとして入場させてもらい、ブレックファストもいただく。

パネルは8時半から開始された。インド関連のビジネスに携わる起業家、投資家、各種業界の専門家、大学教授、経済学者……と主にはインド人らがパネリストとして語り、質疑応答する。

大学の講義よろしく、途中で眠たくなりつつも、A男が登場する11時からのパネルは見届けなければと思う。

テーマは「新しい起業家たちとヴェンチャーキャピタルの役割」。A男は少々緊張気味の様子だけれど、でも、堂々と語る姿を見て、ちょっと誇らしい。

ところで、インド訛の英語は、声がくぐもって聞こえにくいことがある。A男は訛はあまりないものの、抑揚が少なく平坦なしゃべり方をする。自分のことは棚に上げて指摘してみるに。

以前、わたしが語学学校に通っていたとき、彼も影響されて、週末スピーチのクラスを取ったのだが、そのとき教わった発声練習を、A男は日ごろから、毎朝やっている。シャワーを浴びながら、

"A E I O U! A E I O U! "

"Red Leather yellow Leather, Red Leather yellow Leather"

"Baby rubber buggy bumper, Baby rubber buggy bumper"

"Yow Yow Yow Yow...."

と大声で繰り返すのである。日本で言うところの「赤巻紙青巻紙黄巻紙」であり、「生麦生米生卵」であり、「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」である。

この日もホテルの部屋で、シャワーを浴びながら練習をしていた。その成果もあってか、彼の声は、他の人々に比べるとかなりクリアで聞き取りやすく、いい感じだった。無論、自分が毎日聞いている声だから、そう感じるだけかもしれないけれど。

語る彼の緊張をほぐそうと、背筋を伸ばし、前に座っている人たちの頭の間に割り込む感じで、後方座席から満面の笑顔を送ってみたりする。が、見えていただろうか。

……ということを、聞こうと、パネル終了時のA男に近づき、話しかけようとするも、他の人々の視線を気にしてか、わたしの存在を無視するような素っ気なさ。

「あとで電話するから」とかなんとか言いながら、ランチミーティングに出かけてしまった。

なんなのよ、この人。と思いながらも、わたしはカンファレンスを午前中で退散し、午後はシカゴの街を散策&ウインドーショッピング。

夕食時にA男と合流し、本日のインドイベントについて語り合う。が、その前に、A男に不満をを少々。

「だいたいさ。なんでわたしのこと、あんな素っ気なく扱うわけ? あれじゃまるで、わたしは愛人 (Mistress) みたいじゃないよ!」

「だってさ〜。誰も奥さん、連れてきてないでしょ。ちょっと変かな〜と思ってさあ」

「別にいいじゃない。人は人、うちはうちなんだからさ。妻はインドのビジネスに興味を持っているんですとかなんとか適当に言って、紹介してくれればいいじゃない。なんで恥ずかしがるわけ? だいたいここはアメリカなんだよ。日本の古くさい親父じゃあるまいし、人前で妻を邪険に扱ってどうするのよ」

「でもさ〜、ミホ、愛人気分も楽しめたなら、いいじゃない」

よくないってば。

「でさ。わたしが緊張しているあなたに、最高のスマイルを送ったのには気付いたわけ?」

「もちろん、ミホがいるのはすぐわかったよ! だって、インド人がたくさんいる中で、ミホの顔は目立つしね。第一、ミホの顔はまんまるでブロードで(広々していて)、インド人の2倍くらい大きいしさ!」

こ、この男は……。

そんなこんなで、実質1日の短い滞在ではあったが、A男は多くのインド系ビジネスマンらと会うことができ、得るところも多かったようで、概ね、いい旅であった。

 

●ささやかだけれど、役にたつこと

以下は、ホームページの「片隅の風景」の項に、5月4日、記した文章だ。

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日本から米国に移ったとき、送った荷物の大半は、本だった。ニューヨークからDCに移ったとき、その多くを処分した。そして来月になるであろう引っ越しを前にして、更なる書物の整理を始めようと思う。

持っていく本と、人に譲る本と、捨てる本。もう、このたびばかりは、ひたすらの身軽を目指していて、だから小説の類はほとんどを、人に譲るつもりでいて、半ば目をつぶるような思いで、それらを書棚から引っぱり出しては、スーパーマーケットの大きな紙袋に詰めてゆく。

かつて読んだはずの、しかしストーリーはもう忘れ去ってしまった本ですら、最早、いいのだ。

夕食を終えてなお、まだ日が高く。部屋の隅に並べられた、いくつかの袋のうちの、入りきれなくて一番上に重ねられた、その一冊を、手に取る。窓辺のソファーに腰掛けて、灯りもつけず、薄暮の光を頼りにページをめくる。レイモンド・カーヴァーの短編集。『ささやかだけれど、役にたつこと (A small, good thing) 』。

パラパラとめくって、何気なく、目に止まった最初の一行から、読み始める。

"土曜の午後に彼女は車で、ショッピング・センターの中にあるパン屋にでかけた。"

余りにも悲しい夫婦と、やはり哀しきパン屋の主人の話。奇しくもそれは、表題作『ささやかだけれど、役にたつこと (A small, good thing) 』だった。

"こんなときには、物を食べることです。それはささやかなことですが、助けになります"

深い悲しみの中で、焼き立てのパンをひたすらに食べる夫婦。最愛の人を喪失し、どんなに悲しいときにも、どんなに苦しいときにも、生き残る者は食べなければ。いつまでも癒えることのない傷みに崩れ落ちてしまわないように、生き残る者は食べなければ。

"オーヴンから出したばかりの、まだ砂糖が固まっていない温かいシナモン・ロール"を。

"糖蜜とあら挽き麦の味がします" というダーク・ローフを。

パンの匂いを嗅ぎ、飲み込むようにしてでも。食べられる限りパンを。

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父が他界してから1年が過ぎようとしている。母とは3日と空けず、電話で話す。この文章を書いた日の翌日、母が電話で言った。

「美穂がいいタイミングで、いいことを書いてくれていたから、ちゃんと食べなきゃね、と思い直したのよ」と。

母にとっては、父が病院に運ばれた去年の5月1日あたりが、精神的に最も辛かったようで、そのときのことがどうしても思い返され、なかなかきちんと食事を作る気力が沸かず、少し沈み込んでいたようだった。

この一年。限りなく存在感の強かった父の不在を乗り越えて、母は本当に、前向きによくがんばってきたと思う。もちろん、一年が過ぎたからといって、悲しみが消えたわけでも癒えたわけでもなく、いつだって新鮮な痛みが襲ってくるはずだ。

たとえば仕事を持っていたならば、それに没頭して気を紛らわすこともできるだろう。母は家で絵を教えていたとはいえ、主には専業主婦で父を支えてきたから、尚更の喪失感だと思う。

映画を観ることで気を紛らわしたり、敢えて街に出て買い物をしたり、友人と会ったり、妹とドライブへ行ったり、おいしいものを食べにいったり、自分なりの気分転換をしながら、なんとかこの一年を乗り越えてきたのだと思う。

それでも、ときにはとてつもない喪失感があるだろう。あれだけ「食べることが大好き」だった夫がいなくなり、そりゃあ、料理をする気力も失せるだろう。それでも、やっぱり、元気で生きるためには、「しっかりとしたもの」を食べることが大切なのである。とても当たり前のことだけれど、簡単なことではない。

以前読んだときには、さほど心に留まらなかった、だから読んだことすら忘れていたこの短編を思いがけず読み、心を動かされた。それを記したことで、母が少し、励まされた。そのことを、わたしはうれしく思う。

数日後、バーンズ&ノーブルで原書を買った。"Where I'm Calling From"。この短編集には、やはり以前読んで気に入ったと感じたはずなのに、内容をすっかり忘れてしまった "Cathedral"をはじめ、30編ほどの短編が収録されている。

村上春樹氏の訳はとてもすばらしいと思うものの、英語でのニュアンスを、知りたくて読み直した。

"You probably need to eat something," the baker said. "I hope you'll eat some of my rolls. You have to eat and keep going. Eating is a small, good thing in a time like this," he said.

He served them warm cinnamon rolls just out of the oven, the icing still runny. He put butter on the table and knives to spread the butter.

甘くてやさしい焼き立てパンの匂いが漂ってくるようなこの一文に、生きるためのさまざまが凝縮されている気がして、胸が詰まった。

ちょうど去年の今日あたり、わたしは日本にいた。死が間近に迫っていてもなお、食が細くなってもなお、食べたいものを具体的にリクエストする病室の父に頼まれて、天然酵母の柔らかな食パンを探し求めて、商店街を歩いたことを思い出す。

パン屋にただよう、いい匂いを思い出す。世界中、普遍的に、パン屋にただよういい匂い……。

"It smells like a bakery in here. Doesn't it smell like a bakery in here, Howard?"

焼きたてのメロンパンを、もう柔らかな中身しか食べられなくなった父と、わたしは皮のパリパリしたところを、「おいしいね」と言いながら、分け合って食べたことを思い出す。

引っ越しまで、あと1カ月ほど。荷造りは、なかなか進まない。

(5/11/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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