ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 14 11/3/2000

 


窓の外を見れば、まばゆいほどの青空。空気も爽やかで、まさにピクニック日和です。でも、ここ数日は室内にこもって、パソコンと向かい合う日々。仕事とはいえ、「外に出たい」という本能に背いた行動はよくないなあ、と思います。

さて、前回のメールマガジンは、いつもよりも反響が多く、「心が温まりました」といったコメントをたくさんいただきました。どうもありがとうございます。

しかしながら、ここ数日、「温まる」を通り越して「ぐらぐら沸騰する」ような出来事がありました。アメリカの「サービス業のサービスの悪さ」については、すっかり慣れきってるのですが、今回もかなり、強烈です。

私は現在、2カ所のインターネット・プロバイダと契約しています。というのも、アメリカでは、サーバの接続状況が悪かったり、システムがダウンしたりというトラブルは珍しくないため、保険が必要なのです。このメールマガジンにも記載していて、仕事でも使用している@museny.com のサーバが、このところ頻繁にダウンし、長いときでは半日以上も不通になっていました。 不便なことには慣れているのですが、復旧したあと、メールを確認すると「来るべきメール」が入っていないことに、最近になって気づきました。

試しに、ダウンしている間、自分宛にメールを送るテストをしてみたのですが、最終的に届きませんでした。どうやら、今年の3月にサービスを利用し始めて以来、サーバがダウンしている間に受け取ったメールは、すべてどこかに「消えていた」らしいのです。半年以上もそのことに気づかなかった私も、かなり平和的だとは思います。

さて、ここ数日、同様のトラブルが立て続けに起き、試験的に送ったメールは、その都度消えていました。そのたびにプロバイダに電話をするのですが、「原因が分からない」の一点張り。しかし彼らに改善しようという兆候は見られません。ちなみに企業における「改善」という概念は、日本独特の言葉のようで、以前A男が、日本の企業に関するケーススタディ(事例研究)を行っていた際、何かのレポートに書かれていた、KEIRETSU (系列)やKAIZEN(改善)といった言葉の意味するところを、細かく聞いてきたことを思い出しました。

日本の産業が経済が発達した背景には、「改善」という概念が大きく影響していると思います。改善、改良、すなわち「より便利で使いやすい商品」を作るため、切磋琢磨を怠らない在り方です。日本では、どんな製品にしろ、「以前よりはグレードアップした物」を次々に世に送り出すのが一般的で、消費者もそれを期待しています。もちろんたまには失敗もあって、旧型の方が使いやすかったということもあるようですが……。

しかし、アメリカはさにあらず。いずれご紹介しますが、家電にせよ日用品にせよ、ここ数十年モデルチェンジをしていないものが、本当にたくさんあります。善し悪しは別として、改善の国からやってきた私にとって、「取りあえず、使えればOK!」という感覚を第一としているこの国のやり方に対し、時に業を煮やさずにはいられません。

アメリカが開発途上国であればそれなりに妥協の余地はありますし、私も無理を言うつもりはありません。しかし、自らが先進国を誇示している国の割に、改善するという感覚に乏しいサービス業の対応には、本当に呆れます。

というわけで、アメリカではサービスの不手際に対する「クレームの電話」をかける機会が大変多く、文句を言い慣れてる私ですが、今回はほとほと疲れました。

今、ドメインごと引っ越す先を探しているのですが、どこも一長一短のようで、本当に面倒です。こういうこと、日本では考えられませんよね。

ニューヨークでは、あらゆる面で、インフラストラクチャーの不備が大変目立ちます。ここで、電話関連のエッセイ、それからサービスの悪さに関するエッセイを、ホームページから合計4つ引用します。

長いので、お時間のあるときに、少しずつお読みください。すでにホームページをご覧になった方も、もう一度、どうぞ。

 

★老人雇用問題 (3/18/2000)

ニューヨークでのローカル通話はベル・アトランティック(注:現在はVerizon) という会社のサービスを利用している。マンハッタンに限ったことなのかどうだかわからないが、電話回線の環境が非常に悪い。通話の途中に、突然ぶつっと切れたりすることも珍しくない。

面白いのは、正しい番号をかけているのに、全然違う電話番号につながること。これは4年間のうちで5回ほど経験した。たとえば、123-4567にかけているのに、何度かけても全然番号の違う333-4444にかかる、といった具合。そんなときは、ファックスの電話からかけ直すとつながったりする。相性の問題なのか、電話線がどこかで入り交じってしまうのか、理由はわからない。

アメリカに来たばかりの頃、電話回線を接続するのに面倒な思いをしたことがある。たまたま、わたしの部屋に住んでいた過去の住人が、電話代を滞納していたらしく、わたし自身は、後から加入し、まったく新しい番号を得ているにも関わらず、その住人の後に入ったというだけでブラックリストに登録されており、長距離電話がかけられないよう制御されていたのだ。

ある土曜日の午後のこと。長距離電話をなぜかけられないのかを確認するために、ベル・アトランティックに電話をした。当時、本当にたどたどしい英語だったので、きちんと意図を伝えられるか不安を覚えつつも受話器をとった。

「ヘェロゥォ〜」

ものすごくのんびりとした声のおじいさんが出た。一瞬かけたところを間違えたのかと思ったが、確かにカスタマーサービスらしい。わたしが事情を説明すると、おじいさんは孫にでも話しかけるように言った。

「よ〜くわかったよ、ミホ(アメリカ人は相手の名前を知った瞬間からこうして親しげに呼びかけてくる)。でもね、君はブラックリストに載ってしまっていて、直接電話会社に出頭しなければならないんだよ。身分証明書と、それから電話会社の請求書を持ってね、わかるかい?」

わかったけれど、なんでわざわざ電話会社まで、しかもうちからは結構遠いチャイナタウンの営業所まで行かなければならないのか。ひどい英語ながらもしっかりと文句を言うわたしに、

「でもね、仕方ないんだよ。そういう仕組みになっているんだ。楽しい土曜日にこんな電話をするなんて、いやかもしれないけどね。君が直接行かなきゃ、長距離電話は使えないんだよ」

こう言われた以上、文句を言ったところで埒があかないだろう。あきらめて電話を切ろうとすると

「ミホ、ところで君はどこからきたの? おお、ジャパン、そうかそうか。学校に行ってるの? そうか、語学学校か。来てどれくらいたつんだい? ほう、2カ月でそれだけしゃべれりゃ、たいしたもんだ。がんばって勉強するんだよ。あと数カ月も勉強すれば、もっとうまくなるよ」

電話している間、わたしはこのおじいさんが、広いリビングのカウチに腰掛け、片手にコーヒーの入ったマグカップを持ち、窓越しに庭などを眺めつつ話している情景を思い浮かべていた。とても電話会社の無機質なオフィスで話しているとは思えない、筋金入りの穏やかさだ。ブラックリストにのってしまい、面倒な手続きをせねばならないことに腹は立ったが、おじいさんの温かい言葉になんとなく励まされたのも事実だった。

さて、現在、弊社の電話回線は、キャッチホンにはせず、話し中の間は留守番電話につながるようなシステムをを利用している。その留守番電話に入ったメッセージは、指定の電話番号にアクセスし、パスワードをダイヤルした後に聞けるようになっている。つい、先日、そのシステムを変更するとかで、新しいパスワードを入力しなければならなかった。一応は設定したものの、間抜けなわたしは新しいパスワードを忘れてしまい、メモさえもなくしてしまった。

そして、今日、土曜日。設定を変えてもらうべくベル・アトランティックに電話をすると、またもや、おじいさんが出た。もちろん、4年前とは別人に違いないが……。土曜日は老人デーなのだろうか。

新しいパスワードを忘れたので、リセットしてほしいと頼むと、身分を検証するため、名前や住所などを尋ねられた。そして古いパスワードを聞いた後、おじいさんはこういった。

「で、あなたの新しいパスワードはなに?」

それを忘れたから電話しているんです。わたしはやんわりと言った。おじいさんは、あ、そうだったね、ちょっと待ってね、といってなにやらコンピュータと格闘している模様。しばらくしたのち、彼は再びこういった。

「もう一度、君の古いパスワードと新しいパスワードを教えてくれる?」

ここで、早くも、私の心の糸は、ぷつんと切れた。もう、4年前のしどろもどろではない。

「だから、新しいパスワードを忘れたから電話してるんでしょ?!」

年輩者にはやさしくしなければと思うけれど、わたしは今、ボランティアサービスをしているわけではない。新しいメッセージを聞きたいのだ。明らかに痴呆症が入っているおじいさんを、なぜカスタマーサービスに配置するのかが、どうにも理解できない。

結局、長い間待たされた後、リセットしたからと言われ、一旦電話を切り確認するも、リセットはされていない。何度もかけ直しては、同じ質問を繰り返され、土曜の午前中の数時間をそのやりとりで費やしてしまった。

アメリカのカスタマーサービスには、まさに忍耐力をもって挑むべきなのである。……ああ、もういや。

 

★悲劇的なサービス(1)  2/20/2000

アメリカに暮らし始めると、誰もが少なからず驚き、呆れさせられることに「サービス業のサービスの悪さ」が挙げられるだろう。トラブルは渡米の第一歩を飾る引っ越しの時から始まる。例えば家具や電化製品など、業者に配達を頼んでおいたものが、予定通りに届くことが、まずないのだ。

ドアマンがいないところに住んでいると、家具など大きなものが配達される日には、仕事や学校などを休んでの自宅待機が必要となる。配達時間の設定が幅広いから、たいてい一日がつぶれる。時間通りに来ないならまだ許されるものの、結局その日は届かずじまい、ということも少なくない。ここでまず、アメリカのサービス事情に慣れていないたいていの日本人は怒りに打ち震える。

すったもんだの末、ようやく家具が届いたとしよう。さて、梱包を開いてみると、あれ、頼んでいたものと違うものが入っている。そこでまた怒りがこみ上げてくる。受話器を上げ、おぼつかない英語で

「頼んだのと違う家具が届いてるんだけど! 一刻も早く交換して!」とまくしたてるが、のれんに腕押し状態。無駄な時間が流れていくばかりだ。わたしの場合、郊外にあるIKEA(アイケア)と呼ばれる家具・インテリアのチェーン店で、組立式の家具をよく購入するのだが、ここでも同種のトラブルが頻発する。

本棚や机などを組み立てはじめ、最後の仕上げという時になって、大切なネジが不足していることに気づく。ネジの代わりに家にあった釘をガンガン打ち付けてお茶を濁したこともしばしばだ。しかし、それがなくては形にならない、あるいは崩れてしまう、といった大黒柱的な部品がない場合は最悪である。しかし、その部品を再オーダーするのは極めて危険。正しいものがすぐに届く確率は非常に低いからだ。いつにまでも中途半端な家具を部屋に転がしておくわけにはいかないので、近所の日曜大工の店に出かけ、似たような部品を購入するなどして、その場をしのぐ。

「そんな店からは、二度と買わなければいいじゃないか」と思うだろう。でも、どの店も似たり寄ったりのサービスなのだから仕方がないのだ。

最近は景気がよくなったせいか、なんとなくマンハッタンのサービス全体がよくなった気がする。いや、もしかすると自分がこの環境に慣れてしまっただけかもしれない。(M)

 

★覚悟 (5/9/2000)

ここ数日、突然猛暑である。今朝も暑さで目が覚めた。エアコンを入れればいいのだが、日本のように温度の微調整ができないから、体調を崩すのだ。日本の電化製品は、本当に本当によくできているよな……。

さて、オフィスの書類や本などが飽和状態を超えてしまったので、新しい棚などをいくつか注文した。最近はやっている「hold everything」という家具店のチェーンでカタログ注文した。すっきりとしたデザインの収納家具や小物類を扱っているのだ。なかなかリーズナブルでもある。

アメリカのサービスの悪さについては他のエッセイでも触れている通りだ。だから、木曜が配達日だと聞いていたのに、いきなり昨日、月曜日に届いたのには、珍しいこともあるものだと驚いた。

早速、箱を点検してみる。……? どうやら、全部、まとめて届いたのではなく、一部が届いているようだ。しかも、2本一組の本棚が1本だけ、という中途半端な状態で届いている。キッチンの棚の支柱部分だけもある。そのキッチンの上に付ける、鍋などをぶら下げるためのパイプは、筒状の段ボールに梱包されていた「らしい」のだが、梱包の片方が開いており、空箱が届いている。

バラバラに届くと言うことは、組み立てられず、狭いオフィスに段ボールを数日転がしておくということだが、まあ、仕方あるまい。

しかし、空で届いた梱包については、やはりクレームを付けるしかあるまい。早速受話器をとり、カスタマーサービスへ電話。しばし待たされた後、オペレータの若い女性に事情を説明する。

「あの、空の箱が届いたんだけど」

「えっ、何ですって?」

「途中で箱が壊れたらしくて、空なんだけど!」

「えっ、空箱が届いたの? おかしい! アハハ」

あなた、笑ってる場合じゃないでしょ。アメリカのサービス、覚悟はできているけれど、毎度期待通り、やってくれます。(M)

(ちなみに数日後届いた本棚の片割れは、オーダーした物と違う色が届き、結局完璧にすべてが揃うまで、予定より更に1週間かかった)

 

★悲劇的なサービス(2) 2/20/2000

仕事柄、写真の現像をする機会が多い。急ぎのときには、1時間仕上げのサービスを利用しようと思うのが世の常だろう。しかし、この1時間仕上げが曲者なのである。これまでに、何度となく辛い目にあわされている。

マンハッタンにはCVSやDuane & Reade と呼ばれるドラッグストアーのチェーン店が点在しており、店の一画に1時間仕上げの現像所がある。普段、わたしはここを利用しているのだが、急ぎの時はトラブルが多く、頭を痛めることがしばしばだ。

1時間仕上がりと銘打っているのだから、例えば3時に持っていった場合、4時に上がることを期待する。しかし、窓口の対応はこうである。

「今日は、他のお客さんがたくさん来て、現像するものがいっぱいあるから、1時間じゃ仕上がらない。5時なら大丈夫」。

要するに、1時間仕上げ、というのは「暇なときには可能ですよ」ということなのだ。写真のあがりは今日中にFEDEXで送ればいいから、7時までに上がればいいだろうという判断で、「絶対5時なら大丈夫だよね」と念を押して去る。 

そして5時30分頃、写真を取りに行く。窓口の女の子いわく、

「思った以上に時間がかかって、やっぱり間に合わないわ。今日はもうわたし、帰らなきゃならないから、明日になるけどいい?」と、悪びれもせず、平気な顔をしていう。

ここで、激しい怒りが込み上げるわたし。

「どういうことよ、だいたい表に"1 Hour Photo" なんて看板出しておきながら、大嘘じゃないのよ!」

でも、彼女はいそいそと帰る準備をして、全く動じない。

「マネージャーを呼んでよ、マネージャーを!」と言っても、マネージャーも帰宅していて埒があかない。怒りに震えつつも、こういうときは、辛抱して翌日を待つしかないのである。

それならば、きちんとした写真店などで現像すればいい、と言われるかもしれない。しかし、写真店だからといって、決してよいサービスを期待できないのだ。

まず、第一に現像代が高い。例えば24枚撮りを現像する場合、CVSだと1セットで7ドルほど。しかし、たいていの写真店は2セットで11ドルや12ドルという値段設定なのだ。1セットの場合はフィルムのおまけつきで同料金。わたしは、フィルムは安いところでまとめて買うので、ただ、1セットだけを現像をしたいのに、これでは非常に無駄なのだ。現像料が高いからといって、写真のクオリティが高いかといえば、さにあらず。CVSの24時間と変わりないから、どうしたって安い方に引かれる。もちろん、サービス面においても疑問符だ。

店にもよるから一概には言えないが、先日は近所の写真店でひどい目にあった。その時も急を要していた。CVSでトラブルがあった直後だったので、ちょっと足をのばして写真店まで行き、1時間現像を頼んだ。1時間後、受け取りに行き、大急ぎでオフィスに戻って封を開けるや、愕然とする。

見知らぬおっさんが水着姿でビーチに横たわっている写真が目に飛び込んできた。なんじゃ〜こりゃ〜! 他の客の写真じゃない! フィルムを確認すると、間違いなくわたしのものである。店頭で確認しなかったわたしがうかつではあったが、なんという腹立たしさ。

速攻で写真店に電話をするも、

「あら、間違ってた? じゃあ、もう一度取りに来て」

その謝りもしない態度の大きさに腹が立ち、

「ちょっと、そっちが間違えたんでしょ!」と謝罪を要求すれども

「仕方がないでしょ、間違えたんだから」の一点張り。

見知らぬおっさんの写真を握りしめ、わなわなしながら写真館へ駆けていき、「早くわたしの写真をちょうだいよ!」と言えば、しらーっとした表情で、先ほどの電話に出た女性が現れた。どうしたって謝らせたい負けん気のわたしは「急いでるから1時間サービスを頼んで取りに来たのに、中身を確認せずに渡すなんて、ひどいんじゃない」とむっとして言うと、あろうことか、同僚と思われる男が「怒ったって仕方ないでしょ。よくあることなんだから」と来たもんだ。

よくあることなのか。そうかそうかとさらに憤っている

と、裏からマネージャーらしきおじさんが出てきて、"Excuse us"と、なんとも半端な謝り方をする。 "We are sorry" と言えないのか、と思いつつも、これ以上騒ぐのもなんなので、ぐっと我慢してまた大急ぎでオフィスに走る。

こうして書いていると、なんだかばかばかしく思えるが、こういうことが連発する日常は、精神衛生上、よくない。だからいやなことはどんどん忘れる方がいい。

ついでに、写真にまつわる印象的なエピソードをもう一つ。再びCVS。その時は、やや時間に余裕があったので、窓口の女の子に「3時間後くらいに取りに来るから」と言って立ち去った。"OK, no problem" という言葉を信じて。

そして3時間後。先ほどの女性が、現像の機械の一部を分解し、慣れない手つきでドライバーを扱っている。いやな予感がする。「わたしの写真はどこ?」と尋ねると、「途中で機械が壊れちゃって、今、作業がストップしてるのよ」

またか、である。

「あなた、自分でその機械修理できるの?」

「ううん、よくわからないけど、修理の担当者が来ないから、自分でやってみようかなと思って」

やる気をみせるのはいいが、状況を悪くするだけじゃないのか。

「わたしの写真はどこ?」改めて聞くと、現像の機械にいれるべく、フィルムがだらりとひっぱり出された状態で、ぶら下げられている。「急ぐんだったら、これ、他の現像所に持っていった方がいいと思うよ」と前向きなアドバイスをくれるが、そんな半端な状態のものを持ち歩くのはいやだ。

わかったわよ。待つわよ。1日でも2日でも。

こうして、悲劇的なサービスに慣らされて行くのである。

ついでに言えば、アメリカに暮らしていると、クレームすべき場面がたびたび出てくる。だが、クレームをつける際に、英語力のなさが際だち、自分自身に腹が立つこともしばしばだ。だいたい、怒っているはずなのに、間違って丁寧な言い回しをしたりして、ものすごくかっこ悪いこともじゃんじゃんやってしまう。異国での暮らしは、悔しくて、情けないことの多い日々でもある。(M)

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久しぶりに自分のエッセイを読み返してみると、私って本当に、しょっちゅう怒っているな、と思います。

冷静に自分自身を省みて、確かに激しやすい性格だとは思います。とはいえ、誇張ではなく、アメリカのサービスは本当にひどいです。日本に暮らしている方々は、日本のすばらしいサービスを、「これは世界でもまれにみるすばらしさなのだ」と認識した上で、満喫していただきたく思います。


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