坂田マルハン美穂のカリフォルニア通信

Vol. 141 8/31/2005 


●今、ムンバイ(ボンベイ)にいる
●インドらしさに出迎えられて
●そしてムンバイで迎える誕生日

【お知らせ】アメリカ・クラブ


●今、ムンバイ(ボンベイ)にいる

あれは先週の水曜日24日の午後のこと。

母とわたしは、サンノゼにあるサンタナ・ロウという欧州風の街角のカフェで、毎度雲一つない青空を眺め、さらさらとした肌触りの風に吹かれながら、ミディアムでも巨大なマグカップに入ったカフェラテを分け合いながら、あっという間に過ぎた2週間をしのび、残り1週間を思い、明日はナパのワイナリーまでドライヴに行こうね、と、穏やかに話していた。

その数時間後、帰宅するなり、A男(夫)から電話があった。

「ミホ! 今すぐ、インドに行かなきゃならなくなったんだよ」

「今すぐって、いつ?」

「可能な限り早く!」

やられたね。

そもそも渡印予定は、8月下旬から3週間だったのが、出発間際になって9月中旬にずれ込んだ。だからこそ、9月に渡米予定だった母を先に招こうと、お迎えを兼ねて先日、わたしは急遽、帰国したのだった。母には1カ月くらい滞在してほしかったのだが、3週間でもいいよね、という気持ちで。

なのに、これである。ここしばらく、実に「急遽、出発」が多い我々である。「急遽」な旅の手配や変更は、何かと切羽詰まって緊張感高まるし、さまざまを見落としがちだから集中力を要するし、お金も余計にかかるしで、いいことはちっともないのだが、こればっかりは業務上の指令であるから仕方ない。

そもそも、出張なのだから、A男が一人で行けばいいのでは? というのが大筋の見解であろう。しかし長期出張には旅好きの妻が同行するのが「マルハン家の常識」であるうえ、行き先はインドという厄介な国であるからA男をひとりにはできない。

仕事はともかく、日常の諸々の雑事を速やかにこなせない彼を、たとえそこが彼の母国であれ、一人で放り込むのは心配きわまりないのである。

そんなわけで、母の航空券変更、我々のインド行き航空券購入のなどを急ぎ手配し、結果、母は翌々日金曜日に「送り返される」羽目になり、我々はその翌々日の日曜日、サンフランシスコを発った。

母もわたしも、非常に残念だったし、A男も申し訳なく思っていたが、それでも気候のいいこの地で、2週間あまりを極楽気分で過ごせた(多分)母は、とても喜んで帰っていった。また機会があれば、ゆっくりと遊びに来てほしいと思う。それがカリフォルニアなのかインドなのかは、まだ、誰にもわからないのだが……。

 

●インドらしさに出迎えられて

今回はルフトハンザ航空でインド入りした。サンフランシスコからフランクフルトまで約11時間、フランクフルトからムンバイまで約8時間。乗り継ぎの時間をあわせると軽く20時間を超え、時差その他の関係で「3日間に亘っての」移動である。

ムンバイに到着したのは一昨日の深夜、つまり昨日の早朝2時ごろである。欧米からインド入りする便は深夜着が多いのだ。ムンバイ国際空港に到着し、飛行機を降りる。独特の匂いを伴った湿気を含む空気に包まれた瞬間、「あ〜。インドに着いた」と思う。

薄暗いターミナルを歩き、入国管理を通過する前に、まずはトイレに行っておこうと思う。扉を開けると、3つの個室。洋式1つに和式、いやインド式が2つ。トイレットペーパーはついていないが、たいていトイレのどこかに置いてある。

視線を洗面台に移すと、トイレの隅の地べたに、3人の女性が寝ているのが目に入った。たとえ、そこがインド最大都市の国際空港のトイレであれ、掃除をする女性らが、トイレで寝ているのである。のっけから、インドである。

気分が「インドモード」に切り替わったところで、入国審査を通過し、荷物を受け取りに行く。フロアの半分ほどが改装されているが、半分はまだ古いままで、新旧混沌とした中にインフォメーションブースができているのを見つける。

ムンバイの地図とタウンガイドをもらった。数年前より政府観光局が始めた(と思われる)観光客誘致キャンペーンのキャッチフレーズ "Incredible India"の文字が記されている。印刷物の質は今一つだけれど、来るたびに少しずつ、なんらかの変化を見られるのは興味深いものである。

http://www.incredibleindia.org/

今回の滞在先はタージマハルホテル。ムンバイのランドマークであるインド門に面した、由緒ある豪奢なホテルだ。たとえオンボロの空港であれ何であれ、高級ホテルに滞在すれば、ドライヴァーが空港まで迎えに来てくれて、荷物を運んだり諸々の世話をしてくれるので、たちまち「姫気分」になれ、快適ではある。

(このホテルについては、以前宿泊した時に詳細を書いている。)

http://www.museny.com/2004/india0404-08.htm

さて、ムンバイには1週間余り滞在し、その後バンガロアを経て、ニューデリーに入る。ニューデリーは2泊だけなので、今回は実家に泊まることにした。

 

●そしてムンバイで迎える誕生日

そして、今。8月31日の昼前である。ついには、わたしも不惑な40歳を迎えるに至った。それもインドで。理由はよくわからないが、この節目の誕生日をムンバイで迎えるというのは、自分にとてもしっくりくる。ここにいるべくしているのだな、という気がする。

それにしても40。いい大人にもほどがある40。30のときとは、まったく異なる感慨が心を占める40。

要は体力と精神力だ。そこから健全な好奇心や情熱や諸々の力が沸き上がってくる。だからひとまずは、ありきたりにもほどがあるが、健康を心掛けようと思う。

今朝はそれにしても、「姫気分」台無しな、朝だった。

インドでは大理石が採掘されるから、なにかというとあちこちのフロアが大理石である。高級ホテルのバスルームも例にもれず、上から下までまんべんなく大理石である。すべすべと清潔感があっていいのだが、滑りやすいのが難点だ。

夕べは広々としたバスタブにシャワージェルをふんだんに泡立てて、優雅〜に入浴したのだが、なぜか浴槽の外が水浸しになっていて、危うく滑って転びそうになった。湯を溢れさせたわけでもないのに、おかしいな、と思って調査したところ、大理石の隙間から、水がもれている。

インドだもの。と思いつつ、明日の朝にでも修理に来てもらおうと、寝たのだった。

そして今朝。目覚めてベッドから降り、足先をじゅうたんに着地した瞬間、「うひゃ!」っとなった。

じゅうたんが濡れているではないか! バスルームから、水がしみ出しているらしい。バスルームの床は夕べ拭き取っておいたから、別の箇所からも水漏れしているのだろう。高級ホテルの、去年、改装されたばかりというこの部屋が、いきなりこれである。

そんなわけで、今朝は広げた荷物を再び詰め込み、部屋から部屋へ移動である。

その合間に、義姉のスジャータ、義父母ロメイシュとウマ、義祖母ダディマから、誕生日を祝す電話が入る。夫と出会って以来、彼らは誕生日には欠かさずカードを送ってくれ、こうして電話をかけてくれるのだ。

部屋の移動がすんだあと、洗濯をした。誕生日の朝に洗濯なんぞしたくない、とも思ったが、ランドリーの料金表を見ると呆れるほど高いので、瞬時に却下。またしても、バスタブに湯を張り、シャワージェルを泡立てて、洗濯物を放り込み、「足踏み洗い」である。全然、優雅じゃないのである。

ちなみに洗濯物は洗ったあと、バスタオルにくるんで上からのしのしと踏み付けると、水分がタオルに吸収されて「脱水機」並みの効果を発揮する。実によく乾くので、旅先で洗濯する際にはお試しあれ。

さて、我が誕生日を祝すため、午後はフェイシャルとマッサージなどをしてもらおうと、先程スパに電話をした。

「マダム。本日のエステティシャンは男性ですが、よろしいですか?」

男性のエステティシャン? マッサージなら男性から受けたことはあるが、フェイシャルは初めてだ。どうしようかと迷うわたしに、彼女は言う。

「彼は、たいへん技術のあるエステティシャンですから、ご安心ください」

そりゃ、安心じゃなかったら、まずかろう。それはさておき、ものは試しだ。2時に予約を入れた。どうなることやら。違った意味で楽しみではある。

(旅のレポートは、毎度少しずつ、ホームページに更新する予定なので、どうぞご覧ください。)

 

【お知らせ】アメリカ・クラブ

旅行や留学など、アメリカの総合情報を提供する「アメリカ・クラブ」というサイトに、カリフォルニアのガイドとして、今後記事(ブログ)を書くことになりました。

今後どれくらいカリフォルニアに暮らすのか、未だ不明ではありますが、それでも構わないとのことだったので、引き受けた次第です。まだ開設したばかりのサイトなので、これから徐々に内容が拡充されることと思います。

まとめて書いていた最初の数回分は、すでにアップロードされています。他のガイドの方々の内容に比べ、少々「生真面目」すぎたので、今後、「カジュアル」に軌道修正しつつ、週に1度の割合で更新して行きます。

我がホームページと併せて、ご覧いただければ幸いです。

http://americaclub.jp/

(8/31/2005) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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