ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 17 11/24/2000

 


昨日はサンクスギビングデーでした。会社によっては、今日、金曜日も休日にし、4連休にしているところも少なくありません。ニューヨーカーたちの多くはふるさとに帰っているせいか、街は閑散としていて、通りを見下ろしても行き交う車は少なく、静かな午後です。

メールマガジンも今回で17回目。だんだん、今までに何を書いてきたのかがわからなくなってきました。今後のことを考えて、どの号で何についてを書いたかがわかるように、テーマ別にタイトルをつけることにしました。前回は、久しぶりだったこともあって内容が混乱しないようにそうしたのですが、その方がわかりやすいというメールもいただいたので……。

なにしろ、1号のボリュームが大きいので、検索するのもたいへんですから。さて、今日は、サンクスギビングデーの話題です。

 

●サンクスギビングデー前夜

毎年、サンクスギビングデー前後は急に寒さが増すが、今年は一段と冷え込みが激しかった。前日、前々日と、朝晩は摂氏0度前後。手袋や帽子が必要になってきた。

サンクスギビングデー前日の水曜夜、ワシントンDCからA男も戻ってきた。鉄道(アムトラック)は満席で、大変な混雑だったという。夜はアッパーウエストサイドを歩いて、どこかのレストランで食事をし、そのあと映画でも見にいこうということになった。ところが、一歩、ビルの外を出ると、その寒いこと寒いこと! 電光掲示板を見ると、マイナス5度である。

散歩しながらレストランを決めるなんて悠長なことはやめて、一番近くにあるメキシコ料理店に飛び込んだ。Rosa Mexicanoという店で、以前はアッパーイーストサイドにだけあったのが、つい最近、ウエストサイドにもできたのだ。ニューヨークで最も人気のあるメキシコ料理店である。お洒落なインテリアで、料理も典型的なメキシカンというよりは、かなり洗練されている。ここのシーフードは、正直なところおいしくないが、肉料理はどれもおいしい。

まずは、マルガリータをオーダーし、メニューを眺める。前菜は迷わず、この店でもっとも人気のある「グワカモレ(ワカモレ)」。アボガドにタマネギ、トマトのみじん切りやチリ(スパイス)を加えて混ぜた物で、トルティーヤといっしょに食べる。この店は、テーブルの横にワゴンを持ってきて、石臼を使い、目の前でグワカモレを作ってくれる。デモンストレーションは、料理をいっそうおいしく感じさせてくれる。

トルティーヤは、直径15センチほどのパンケーキ風のものと、三角形に切って揚げたスナック状のものが出される。揚げたトルティーヤの方がパリッと香ばしくて、グワカモレによく合い、私たちはバリバリと食べる。おいしい。

前回、友達といっしょに来たときに食べた、骨付き牛肉のグリルを頼んだのだが、残念なことに品切れだったので、ヴィール(子牛肉)のクリームソース煮にした。日本では、ヴィールはなじみが薄いが、アメリカでは一般的な肉である。牛肉よりも柔らかく、あっさりとした味わい。生肉はピンクに近く、豚肉のような感じだ。クリームソースは、タマネギとキノコ類の味がよく利いていて、とてもおいしかった。カロリーは高そうだった。

食事の後は、近所の映画館(SONYシアター)へ。いつもは込み合っているシアターも、この日ばかりはガラガラに空いている。私たちは、食べ物の趣味は合うのだが、映画の趣味は合わず、いつも中途半端なところで妥協して二人とも楽しめない映画を観てしまう。従って、本当に観たい映画は、たいてい一人で出かける。しかし、この日観た映画「Best In Show」は、単純に面白くて、二人して笑えた。

年に一度、フィラデルフィアで開催される「ドッグ・ショー」に参加する、犬の飼い主たちの暮らしぶりやショーにかける意気込みを、ドキュメンタリータッチで描いている映画だ。愛犬の様子が変だと、カウンセリングで切々と訴えるカップル、自分は犬と会話ができるのだと真剣に語る中年の独身男性、徹底的にファッションに拘り、愛犬も完璧にトリムするゲイのカップルなど……。犬を飼ったことのない私にとっては、単純に笑えるし、多分、犬を飼ったことがある人は、自分にも共通点を見いだしたりして楽しめることだろう。

深夜、映画館を出ると、更に気温は下がっていて、猛烈に寒かった。北国にお住まいの方はおわかりだろうが、身体の熱は頭のてっぺんや耳、指の先など、身体の端々から抜けていく。帽子を忘れていた私は、スカーフを頭に巻き、ロシアのおばさんみたいな風情で応急処置。A男もインド出身だけあり、当然ながら寒さに弱いから、二人して大げさに歯をがちがち言わせながら家路を急いだ。

 

●サンクスギビングデー・パレード

毎年、サンクスギビングデーの午前中は、メイシーズというデパート主催のパレードが華々しく行われる。キャラクターなどを模した、数々の巨大な風船が、北から南へ向けて行進するのだ。アッパーウエストサイドの77丁目とセントラルパークウエストという通りの交差点あたりから出発し、うちの近所であるコロンバスサークルからブロードウェイに移り、メイシーズのある34丁目までパレードは続く。

うちの近くを通過するにも関わらず、この4年間、一度もパレードを観たことがない。サンクスギビングデーの前日は、遅くまで夜更かしをしていて、翌朝10時過ぎに目が覚めた頃には、すでに時、遅しなのだ。今年もまた、見ることはなかった。多分、来年も、見ないだろう。

ちなみに、メイシーズとは、マンハッタンで最も大衆的なデパートで、行事のたびに、名物のイベントを開催する。このサンクスギビングデー・パレードもそうだし、7月4日の独立記念日には、イーストリバーで行われる盛大な花火大会も主催している。

 

●インド人ファミリーと過ごすサンクスギビング・ランチ

今年もまた、A男のおじさん(Rおじさんとしておこう)宅に招かれた。軽くシリアルで朝食をすませ、昼頃、家を出る。目指すは、アッパーイーストサイドにある邸宅だ。タクシーはセントラルパークを横切って東へ走る。

80丁目にある高級住宅街の一画にあるビル。1フロアすべてが彼らの家だ。A男はRおじを自分の従兄弟だというが、聞けば、A男の母親の母親(つまりおばあさん)の妹の息子らしいから、日本で定義するところの従兄弟ではない。しかし彼らは兄弟や親戚が少ないので、全部まとめて従兄弟と呼んでいるらしい。大ざっぱだ。

さて、Rおじと妻のCおば、その娘の3人しか住んでいないそのアパートメントは、部屋が10以上もあり、メイドが常時2人いる。4年前、初めて訪れたときは、ゴージャスぶりに驚いたものだ。そのときは、仕事関係の人たちもたくさん招かれていたので、どこぞのレストランの料理がそのまま運ばれて来て、蝶ネクタイをしたウエイターが飲み物やつまみなどをサーブしてくれた。ちょっと肩の凝る雰囲気だった。

しかし、今年はCおばの妹であるDおば夫婦、親戚のおばあさん、それにCおばの部課たちなど、気心の知れた人ばかりを招いていたせいか、とてもリラックスした雰囲気だった。料理も、インド人メイドたちによる「サンクスギビング・ランチ、インドバージョン」が用意されていた。

Cおばは、十数年前にマンハッタンでコンサルティング会社を興し、「アメリカでもっとも成功した女性」として、しばしばメディアに取り上げられている。おしゃべりでにぎやかで、アグレッシブ(攻撃的)な雰囲気。一方、Rおじも、有名企業のいいポストに就いているのだが、終始、妻に押され気味で、頼りないけれどやさしい夫、という雰囲気である。

妹のDおばは、4年前、ペプシコーラのトレーナーを着てパーティーに来ていた。「パーティーにトレーナー姿とは、ださい」と思っていたのだが、彼女はペプシコーラの重役で、愛社精神ばりばりの人だったのだ。毎年、ペプシコーラはもちろん、ペプシが販売しているトロピカーナジュースや野菜ジュース、スナック菓子などを大量に差し入れている。

彼女は、今年、フォーチュンという経済誌で「最もパワフルな女性」に選ばれていた。姉と同様、おしゃべりで、にぎやかで、丸顔で、アグレッシブである。彼女の夫もまた、コンサルティング会社を経営しているやり手なのだが、Rおじ同様、おとなしくて影が薄い。私は名前すら覚えていない有様だ。

会話の中で、Rおじが、「僕はブッシュを支持する」と言った途端、Dおばが「ブッシュのどこがいいのよ!」と反撃に出る。激しい論争が展開され、最終的に、Rおじはやりこめられ、しゅんとおとなしくなっていた。

なんの話からか「骨折」の話題になる。Cおばが「私はスポーツをしていて足の骨を折ったことがある」といえば、Dおばは、「私は小学生の時、マンゴーの実を取ろうとして木から落ちて、肘の骨を折った」という。Rおじは、「ミホはどうなの?」と聞くから、「私は骨折したことはないけど、子供の頃遊んでいて、鉄の門に指を挟まれて親指がちぎれてブラブラとぶらさがったことがある。ちゃんとくっついたからよかったけど」なんて話をする。

ところが、その場にいた男たちは、全員、けがらしいけがをしたことがない。A男にいたっては「僕は本を読むのは好きだったけど、スポーツは苦手だったから、けがをしたことがないんだ」とニコニコしながら言う始末。だいたい、A男ときたら、クリケット(だらだらと長時間かけて行うスポーツ)が好きだといいながら、実はゲームに出たことはほとんどないらしい。

「僕、クリケットの本なら、書けるよ。攻略法はすごくたくさん頭に入ってるけど、実技はだめなんだよ」などと、屈託なく言う人なのだ。

幼少時代の行動からも察せられるとおり、アクティブな女性とおっとりとした男性というカップルの図式が、その場での共通項だった。

さて、Cおばの会社で働いているというオーストラリア人男性とその妻(ブラジル人女性)はとても感じのいいカップルだった。彼が転勤でブラジルにいたときに出会い、1カ月前に結婚して、二人でマンハッタンに来たばかりなのだという。

彼女らは、ブラジルのポピュラーなアルコール飲料を作ってくれた。まず、グラスに、トロピカルレモンと呼ばれる、ライムのようなフルーツをスライスにしたものをたっぷり入れる。ライムより酸味が弱くマイルドで、日本の「かぼす」に似た風味のフルーツだ。それに砂糖をスプーン3杯ほどいれて、トロピカルレモンを潰すように混ぜ合わせる。これに、サトウキビから作られたラムのようなブラジル産蒸留酒(無色透明)をなみなみと注ぎ、氷をいくつか浮かべてできあがり。

甘くて口当たりがよく、とてもおいしい。けれど、アルコール度数は40度だし、空腹だし、あっというまに酔いが回る危険な状況だった。数口飲んだところで私の顔は赤くなり始めたらしく、A男は酔うと饒舌になる私をおそれて、耳元で「飲み過ぎないで」とうるさい。

2時を過ぎた頃、いよいよサンクスギビングランチの始まりである。20人は座れそうな、大きな大きな円形のテーブルが置かれたダイニングルームへ。Rおじが、こんがりと焼き上がったターキー(七面鳥)の丸焼きを大きなナイフで切り分ける。鶏肉に比べるとパサパサしていて淡泊なターキーは、私もA男も好きではなく、普段、食べることはないけれど、この日ばかりは特別である。

なにより、10種類以上も作られた、さまざまなカレーがおいしいのである。日本では、カレーといえば、いわゆる、茶色いカレーを指すが、本来、インドでは煮込み料理の総称をカレーという。ラム肉の煮込み、トマトソースで煮込んだチキン、ホウレンソウとカッテージチーズの煮込み、野菜や豆の煮込みなど、さまざまな「カレー」が用意されていて、ゲストは自ら大皿を持って、好みの物を皿によそう。

レストランでは食べられない、「家庭の味」のカレーはどれもおいしい。インドのカレーは決して辛くなく、マイルドなのが多いのも特徴だ。「スパイシー=辛い」という風に解釈されがちだが、スパイスというのは、もちろん、辛さだけを強調するものではない。「香り」がポイントなのだ。

おいしい料理を3回ほどおかわりして、もう著しく満腹になったところで、デザートが登場。パンプキンパイ、アップルパイ、そしてスイートポテトパイ。全部を少しずつ切り分けて、お皿に載せる。どれもおいしい。毎年の事ながら、この日は食べ過ぎてしまう。

食後は皆で、暖炉の前のソファーに座り、しばしマサラティー(インドのスパイス入りミルクティー)などを飲みながらくつろぐ。部屋にはグランドピアノがある。もう15年、いや、20年近く、真剣にピアノを弾いていないので、鍵盤を叩いても、重くて重くて、指が動かない。それでも、なんとか、曲らしい物を弾き始めたところ、Cおばが「ミホ、何か日本の曲を歌って」という。

弾き語りをリクエストされても、ろくに指が動かないのだが、こんなとき、もじもじするのもいやなので、私の好きな曲の一つ「おぼろ月夜」を歌う。「菜の花畑に入り日うすれ〜」で始まるあの曲だ。好きだというわりに、歌詞を全部覚えていないのだが、どうせ間違っても誰もわからないから、適当にそれらしく歌う。

もう一曲、とリクエストがかかり、今度は「ふるさと」を歌う。はっきりいって、伴奏は乱れまくっていたが、この際、上手い下手は関係ない。歌うことに意義がある。しかし、こんなときのために、2、3曲、完璧に弾き語れる曲をマスターしたいものだと痛感した。うちにピアノを置くスペースはないから、せめてキーボードでも買おうかと思う。

みな、満腹で、日が暮れて、インド人以外のゲストは私を除いて、みな帰っていったところで、インド映画を観ることになった。全員、オーディオルームに移動する。

数年前、日本で「踊るマハラジャ」という映画がはやったので知っている方も多いと思うが、とにかくインドは映画王国。だたしその大半は、なんともくだらないストーリーの物ばかり。男女の求愛をダンスと歌で表現するミュージカル仕立てのものばかりで、どの映画も私の目からは同じとしか思えない。もちろん、なかにはいいものもあるのだろうが……。

私にはヒンディーは理解できないが、歌って踊るばかりだからストーリーはよくわかる。アグレッシブなCおばもDおばも、やさしい夫に寄り添って、楽しそうに観ている。RおじはCおばの頭をやさしく撫でたりしている。なんだか微笑ましい。

たとえアメリカであれ、男性が、ビジネスの上で成功を遂げるよりも、女性が同じ事を成し遂げる方が、はるかに大変で、パートナーの理解が重要な鍵となる。独身女性は別として、既婚者の場合、伴侶の理解なくして女性の成功は困難だと思われる。

かつて、鉄の女と呼ばれたサッチャー元英国首相が引退した際、夫の手記が新聞に掲載されていた。詳細は覚えていないが、夫のコメントを読んで、その寛大な精神と包容力、妻を信じる真摯な姿勢に、たいへん心を打たれた。サッチャー氏が自らの力を存分に発揮できたのも、いい伴侶を得たからだったのだということを知った機会でもあった。

CおばもDおばも、いい男性に出会い、自分の実力を余すところなく発揮でき、楽しく暮らしている様子を見て、とてもいいことだなと感じた。

映画を観て、そのあと暖炉の前で再び語り合い、夜8時を過ぎて帰路についた。来年のサンクスギビングデーまでは、多分、彼らと会うことはないだろう。


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