ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 19 12/1/2000

 


ついに12月。世界的に大騒ぎで始まった2000年も、残すところあとわずかですね。私は年末、マイアミとキーウエストに行く予定です。大統領選でおなじみのフロリダです。本当はカリブなど、常夏の海に行きたかったのですが、就労ビザの更新のため、年内は国外に出られません。

気分よく休暇を過ごすためにも、あと20日間ほど、気合いを入れてがんばろうと思います。

今日は、muse new yorkの配達をしてきたので、その模様をお伝えします。

 

●郊外へドライブ気分でmuse new yorkの配達

今朝はいつもより1時間早く7時に起床。この時間に目を覚ますと、カーテンの隙間から、オレンジ色の朝日が射し込んできていて、本当にきれい。マンハッタンは夕日だけでなく、朝日もとても美しいのだ。

さて、今日はmuse new york配達の1日目。配達はたいてい、マンハッタン1日、郊外1日の計2日。今日、金曜日はマンハッタン島を離れ、多くの駐在員家族が住んでいる「ニョーヨーク州ウエストチェスター郡」と、「ニュージャージー州」にあるいくつかの町を訪れた。マンハッタンは月曜日、配達する予定だ。

アメリカ国内では、muse new yorkは無料配布している。日本食料品店や日本食レストラン、日本の書店など、日本人が出入りする店舗に置かせてもらっているのだ。他にも日系のフリーペーパーは少なくないので、きちんと置き場所を設けてくれている店舗も多く、その点に関しての交渉はさほど難しくない。

1日に配達するのは段ボール約10箱。2日で20箱。1箱約25キロだ。これらをレンタカーに積み込んで配達する。

ニューヨークで会社を作ったこと、仕事の傍ら、季刊誌を発行していることなど、自分でもなかなかよくやってるとは思うが、基本的には目標高く、謙虚な心で日々精進しているつもりだ。しかし、配達に関してだけは、声を大にして自分をほめたい。実によくやっていると。

35歳の女性が体力を自慢してどうするのか、と自分でも思うし、多分これを読んでいる両親も嘆かわしく思っているだろう。しかしながら、配達するたびに思う。体力と腕力が、標準以上(日本人女性を基準にして)でよかったと。段ボールをカートに積み込んで移動させ、さらに車に積み込むという準備だけでも、かなりのものである。

郊外での配達の場合は、駐車スペースもあるし、道路も込んでいないから、作業そのものはとても楽だ。ぎっくり腰にさえならないように、気を付けていればいいのだから。しかしながら、マンハッタン内の配達。それはまるでスリリングなゲームである。

私は日本にいる頃、ペーパードライバーだった。昨年、日本の雑誌の取材で西海岸縦断ドライブをすることになり、慌ててアメリカの運転免許証を取得した。その取材でいきなりキャンピングカーなどを乗り回して度胸がついた。しかし縦列駐車やバック、車庫入れなどは、いまだにきちんとできない。

去年の夏、初めてmuse new yorkを配達したときは、本当に怖かった。マンハッタンは碁盤の目のように道路が交差しているから道に迷うことはないのだが、一方通行が多いことと渋滞が激しいのが難点。加えて、イエローキャブ(タクシー)の運転のひどいことといったら! ちょっとモタモタしていると四方八方からクラクションの嵐だ。車線変更をしたくても、全然割り込ませてくれないものだから、どんどんどんどん遠くまで行ってしまう。自分がどこへ行きたかったのか、わからなくなってしまう。

そして何よりも怖いのが歩行者。私自身も歩いているときは、他のニューヨーカーと同様、全く信号に従っていないから文句を言える立場ではないのだが、とにかく運転してみるとその恐ろしさがわかる。

「歩行者が車に向かって突進してくる」感じなのだ。渋滞でちょっと車の流れが止まると、歩行者が左右からうわーっと襲いかかってくる。そんな中を、「どいた、どいた!」という感じで激しくクラクションを鳴らしながら、通り抜けるのだ。

最初の頃は、几帳面にパーキングに停めて、ワゴンに数軒分を積み込んで、歩いて配っていたのだが、だんだん面倒になってきたのと、駐車代が高すぎるのとで、最近は、店の前に駐車、もしくは二重駐車してライトを点滅さて、大急ぎで配達して戻ってくるようにした。かなりスリリングである。

マンハッタンは路上駐車の取り締まりがものすごく厳しいから、油断しているとすぐレッカー移動されてしまう。ある時など、私がうっかり消火栓の前に駐車しようとしたら、前に止まっていたFEDEXのお兄さんが、「そこはだめだよ、すぐにチケット切られるよ、僕の車がすぐに出るから、ちょっと待ってて」

なんて声をかけてくれる。そのやさしい言葉に「おまえもがんばれよ」といった風な温もりが感じられ、うれしかった。

ちなみに、なぜ業者に頼まず、そんな面倒な思いをして、自分で配達するのか、といえば、予算の問題もあるが、一軒一軒の様子を見ることも、大切なのである。他の雑誌の下敷きになった前号を片づけたり、どんな冊子がどのように配られているかをチェックしたり……。どの店に何冊置くかも、その時の状況によって決めるので、なかなか業者には頼めないのだ。

配達も、奥が深い仕事なのである。

さて、今日の配達。9時に積み込みを終え、マンハッタンの最西端に横たわるヘンリー・ハドソン・パークウェイを北へ走る。左手に銀色に輝くハドソン川が見渡せる。対岸のニュージャージー州は切り立った崖の向こうに広がっている。何ともすがすがしい光景だ。マンハッタン島を離れ、北東部へ向かい、ウエストチェスターの町を目指して走る。この辺りには中規模の日本食料品店がいくつかあるのだ。

マンハッタンを離れた途端、あたりの風景は一変し、緑豊かな自然に包まれる。配達は3カ月おきだから、季節ごとの風景の違いが顕著に感じられる。今日は天気もよく、青空が広がっていたので、ドライブには最適の日和だった。

ウエストチェスターの配達を終え、今度はニュージャージーのフォートリーという町へ。ハドソン川に架かるジョージ・ワシントン・ブリッジを渡ってすぐのところだ。

この町にもたくさんの日本人が暮らしている。バブル景気のころは、今よりももっと日本人が多かったそうだが、現在はコリアンの人口が増えて、繁華街はジャパニーズ&コリアンの看板が乱立している。「日本ビデオ」という名のコリアンビデオショップがあったり、ハングル名の日本食レストランもある。行くたびに、その混沌度は上がっており、独特の生活文化が形成されているようだ。

 

●配達帰り、日本食料品のスーパーマーケットでお買い物

日暮れ前になんとか配達を終え、本日のメインイベント! ミツワ(旧ヤオハン)スーパーマーケットでのお買い物だ。3カ月に一度、配達の帰りに大量の日本食をここで購入するのが楽しみなのだ。車があるから、重い米や瓶ものなど、何でもOK。この週末は「鍋」をする予定だから、白菜やこんにゃく、厚揚げ、ギンダラなど、ほかでは手に入らないものを次々にカートに入れる。

今日は、ホームページに「ニューヨーク駐在日記」を書いてくれているふじやま太郎さんのお買い物リストもある。彼はマンハッタン一人暮らしだし、うちからも近いので、ついでに買ってきてあげると伝えていたのだ。ふじやまさんのリストには、米、そば、などに続き、下の方に「かまぼこ、数の子、お餅、栗きんとん」とある。早くもお正月の準備か?

かまぼことお餅はあったが、数の子がない。魚コーナーのおじさんに「お正月用の数の子はまだですか?」と訪ねると、「奥さん、まだ早いですよ、また買いに来てくださいよ」と笑われてしまう。

 私は奥さんでもないし、私が数の子を買いたいのではないのに……。「めったに買い物をしないずぼらな主婦」のような印象を与えたようだ。日本では、12月に入れば正月用の食品は売られていたと思うが、さすがにここはアメリカだから、少しは遅れるのだろう。当然、栗きんとんなどもなかった。

野菜売場を歩いていたとき、大きな大根を1本握りしめ、うろうろしているラテン系の大柄な中年男性に出くわした。挙動不審! と思った瞬間、彼が私に声をかけてきた。

「ぼく、あの刺身の横についてくる、髪の毛みたいに細い大根を作りたいんだけど、あれはどうやって作るの?」

刺身のツマのことである。

「あれは、一般家庭ではあまり作らないわね。プロフェッショナルな料理人が、よく切れる包丁で、うすーく皮をむくように切っていって、それをさらに細く切るのよ。でも、あなたには無理だと思うわよ」

「わかってるよ。ぼくは切る器具があれば、それを買いたいんだ」

「だったら、お店の人に聞いたら?」

「それが、だれも僕が言ってることをわかってくれないんだよ」

仕方なく、彼といっしょに調理器具のコーナーへ。あれこれと探していると、あった。替え刃付きの下ろし金が。「一番、目の細かい刃を利用すると、刺身のツマができます」と書いてある。写真まで付いている。「ほら、あったよ」と、写真を見せると、彼は大喜び。

「諦めかけていたけど、ああ、君に声をかけてよかったよ。ありがとう、ありがとう、本当にありがとう!」

何度も礼を言いながら、彼はレジへ消えていった。それにしても、彼はいったい、どんな料理を作ろうとしているのだろう。聞けばよかった。

私はこれまでも、スーパーマーケットでしばしば質問されたことがある。ほとんどが年輩の女性からだ。

ある日、卵売場で、私が卵を選んでいると、おばあさんが私に尋ねる。

「ねえ、どの卵がいいかしら。この白いのと茶色いの」

「わたしは、このオーガニックの茶色い卵が好きだけど」

私がそう言うと、彼女は、「じゃあ、私もこれを買うわ」といって1ダースのパックを抱えていった。まるで生まれて初めて卵を買うかのように。

ある時は、精肉コーナーで。牛の挽肉を手に持ったおばあさんが尋ねる。

「ねえ、あなた、これはどうやって料理するの?」

この女性は長い人生の間、アメリカの国民食であるハンバーガーを作ったことがないのだろうか。アメリカ人の夏の暮らしにバーベキューは欠かせない。バーベキューではステーキやハンバーグなどを焼くのが定番なのだが……。

無論、アメリカのハンバーグは挽肉ばかりで日本のものとは違う。私は、簡単に、日本のハンバーグの作り方を教えてあげた。タマネギや人参のみじん切りを入れて、卵やパン粉で繋ぐと柔らかくて食べやすいよ、と。彼女はうれしそうに「作ってみるわ」と言いながら去っていった。

多分、多くのアメリカ人は「日本人女性は料理が上手だ」というステレオタイプを持っているのだろう。なにしろ、アメリカ人女性の大半は、缶詰を空けて皿に盛っただけでも「料理した」と言い切るのだから。

街に出ると、本当に思いがけないことを経験するから、何年暮らしても、飽きることがないニューヨークである。


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