ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 20 12/6/2000

 


12月6日水曜日。9月末に配信を開始して以来、早くも20号目を迎えました。メールマガジンを書き始めるようになってから、気にとまったことをメモしておくのですが、実際に記事にしているのはその1、2割程度。かなり頻繁に発行しているつもりですが、追いつきません。これは、自分でも予期していなかったことで多少、驚いています。

たとえそこが異国であれ、ひとたび生活を始めると、自身を取り巻くすべてが日常になり、当然ながら感受のアンテナが安定し、多少の刺激には反応しなくなります。しかしながら、私の場合、たとえ4年以上ここに住んでいようとも、ふっと気持ちを入れ替えると、まるで観光客のようなアンテナにすんなりと移行することができます。自画自賛しますが、これは一種の才能かも知れないと最近思うようになりました。

それは同時に、ある種の職業病かもしれません。紀行文にせよ、ガイドブックの記事せよ、新鮮な気持ちで対象に接しなければ、生まれてくる文章もどこか「偉そうで、独りよがりで、読者にはなんのことやらわからない」ものになってしまいます。場合によってはそのような文章もいいのですが、少なくともこのメールマガジンに関しては、読者の大半は日本在住の方のようですから、私も日本に住んでいる方を意識して書いています。

1号あたりの文章量がかなり多いことは自覚していますが、多くてもじっくり読んでくださっている方が多いようなので、しばらくはこの状態で続けます。推敲を重ねて短縮すると、時間を要し、一仕事になってしまうので。

ところで、最近は読者の方のメールをご紹介しなくなりましたが、きちんと読ませていただいてますし、とても参考になり、また励みにもなっています。一つ一つにお返事せず恐縮ですが、メールマガジンを書く方に時間を取りたいので、その点、ご理解ください。

 

●マンハッタンのデリバリー完了! (12/4/00)

今日もまた青空広がるいい天気。まさに配達日和だ。今日の配達は、知人(仮にジョージとしておこう)が手伝ってくれるので、ずいぶん気分が楽だ。ジョージさんはニューヨークで彼の父親と共にビジネスをしている40代の日本人男性だ。以前、私が彼の会社の印刷物制作を「格安」で受けたので、その「交換条件」として配達を手伝ってもらうことになった次第。彼は自分の車を持っているし、しかもニューヨークの道路は知り尽くしているから、頼りになることこの上ない。

ジョージさんは長崎県佐世保市出身。彼が13歳の時、一家そろって、こちらに移り住んできたという。当初は5年程度の滞在予定が、すでに30年近く。彼のご両親、二人の姉は今もニューヨーク郊外に住んでいる。

ジョージさんは27歳の時、年上のアメリカ人女性(白人)と結婚した。そんな彼が最近、よくぼやいている。

「俺さあ、最近ね、朝飯に、みそ汁とごはんとか、食べたくなってきたとよ。アメリカ人の嫁さんばもらったけん、しょうがなかけど……。なんか、最近、日本的な生活に憧れるっていうか、自分がどんどん日本人化してきたような気がすると……」

「みそ汁とご飯くらい、食べたければ自分で作ればいいではないか」などというなかれ。彼の中で、日本的な夫婦の形が理想化されているのだ。ネギを切るトントントンという包丁の音と、みそ汁の香りで目を覚ます。彼の好物である「卵かけご飯」などを、海苔やかつお節、それに温かいみそ汁と共に食して一日が始まる……。夫は縁側で新聞を広げ、妻はその傍らで縫い物などをする。軒先には干し柿、庭にはポチという名の柴犬……。そんな「絵に描いたような日本の生活」に、彼は憧れているのである。

13歳の時にアメリカに来て以来、アメリカの学校に行き、アメリカ人の友達の中で生活し、英語も難なく身につけ、「すっかりアメリカナイズされていたはず」の彼。30代後半になったころから「自分の中の日本人」が目覚め始めた。不思議なものである。尤も、彼のご両親は渡米以来30年、徹頭徹尾、日本人。実際、お宅にお伺いしたこともあるが、一日中、有料の日本語テレビ放送が流れ、家族一同、淀みない長崎弁を操り、食卓には急須に湯飲み、壁には日本のカレンダーと、取り巻くすべてが日本だった。

ジョージさんは続ける。

「俺の知り合いに、戦争花嫁のばあちゃんたちがおるっちゃけどね、俺もあん人たちの気持ちが、最近何となくわかると。年取ってから日本が恋しくなるっていうもんね。あのばあちゃんたちはすごかもん。『毛唐と結婚したけん日本には帰れん』とか言うとよ。自分の旦那のこと、毛唐呼ばわりするけんね」

いつもの半分程度の時間で配達を終え、3時頃、遅めの昼食をとる。ジョージさんが日本食が食べたいというので、ミッドタウンのレストランへ行く。昼間からビールで乾杯し、私は、肉体労働にぴったりなカツカレーを、彼は焼き魚定食を食べる。

箸を運びながら、彼が言う。

「坂田さん、結婚するときは、よーく考えた方がいいよ。特に国際結婚の場合はね」

よーく考えていると、私はいったい何歳になってしまうのか。

ジョージさん夫妻は仲もよく、結婚がうまくいっていないわけではない。ただ年を重ねるにつれ、それまでに感じることのなかった文化的価値観の差異が際だちはじめているのだ。

私が日本にいたころ、いっしょに仕事をしていた親しい友人がいる。彼女は在日コリアンで、夫はコロンビア系アメリカ人。二人の子供がいる。彼女は現在、20年前に発足した「国際結婚を考える会」という組織の仕事もしていて、先日会報誌を郵送してくれた。今度改めて、国際結婚についても触れたいと思う。

 

●Dおばさん、ウォールストリートジャーナルに登場(12/5/00)

今朝、A男から電話があり、ウォールストリート・ジャーナル(金融・経済関連の新聞)に、ペプシコーラでおなじみのDおばが載っているという電話があった。うちはニューヨークタイムズしかとってないので、外出の途中、ニューススタンドで購入。それは、Dおばが指揮をとっていた企業獲得(買収)が成功をおさめ、来春、彼女がペプシコ(PepsiCo Inc.)の社長に昇格するという記事だった。

今回は、新聞にも掲載されているので、一人のビジネスウーマンの話として、実名で紹介したい。記事はこのような書き出しでで始まっている。

日曜、朝6時15分。ペプシコがクエーカー・オーツ(Quaker Oats:オートミールやシリアルを販売する大手企業)を138億ドル(約1.5兆円)で獲得することになった事実を受け、ペプシコのチーフファイナンシャルオフィサー(財務関連の役員)であるインドラ・ノーイ氏(Dおば)は、ピッツバーグに向かう飛行機に乗り込んだ。ピッツバーグにある南インドの伝統的なヒンズー寺院に行くためだ。彼女の家族は、人生において重大な出来事が起こると、家族そろって寺院に出かけ、祈るのである……。

ちょうど、サンクスギビングデーの前後、彼女が進めていたクエーカー社の獲得交渉は山場にさしかかっていた。直前になり、コカコーラが名乗りを上げ、際どい局面を迎えたものの、最終的にペプシコが獲得に成功したとのこと。過去5年間のペプシコにおける主要な動き<ジュースのトロピカーナやスナックのフリトレー獲得>は彼女の尽力によるところが大きいという。

来春、交渉のすべてが締結した段階で、彼女は会長兼CEOに次ぐ第二のポスト、社長(President)に就任するという。

ノーイ氏はインドの中流家庭に生まれた。現在45歳。1978年に渡米し、ボストンのイエール大学を卒業後、コンサルティング会社やモトローラ社などを経て、1994年よりペプシコで働き始めた。記事は、アメリカで最も成功したインド出身の女性として、ノーイ氏の業績をたたえている。

自称「ワーカホリック」のノーイ氏は、一方で、明るいムードを絶やさない人物でもある。オフィスでよく歌っていることは有名で、自宅にはカラオケセットまであるとか。また、深くヒンズー教に帰依しており、折に触れての祈りを欠かさず、大きな出来事があると、夫と娘を伴い、ピッツバーグのヒンズー寺院にお参りに行く。

オレンジジュースが大好きなノーイ氏は、トロピカーナのオレンジジュースに出会うまで、自分でオレンジを絞って飲んでいたという。確かに、他のパック入りジュースに比べ、トロピカーナはおいしく、私もよく飲んでいる。

サンクスギビングデーの日、彼女は話していた。

「このあいだ、娘がまちがって、ほかの会社のオレンジジュースを買ってきて冷蔵庫に入れてたのよ。捨てちゃったわ」

また、ノーラ氏の姉であるCおばが、テーブルに運んできたトルティーヤチップスを見るなり声を荒げる。

「姉さん、私が持ってきたフリトレーのチップスをどうして出さないのよ! 味が全然違うんだから!」

「だって、パッケージが似てるから、わからないわよ。どっちでもいいじゃない」

「だめよ、食べ比べて御覧なさい、フリトレーの方がおいしいんだから」

そんな彼女の様子を見ていて、つくづく愛社精神が強い人だと感じていたのだが、それくらい極端で情熱的で一生懸命だからこそ、移民女性として例を見ない昇進を果たしたのだろうなとも思う。

いくらアメリカが男女平等だといっても、ビジネスにおいては、まだまだ男性の力が強い社会である。日本に比べれば、断然アメリカの方が女性の地位は確立されているが、それでも上を目指す人たちは、ただならぬ努力をしているのだ。

以前、ニューヨークタイムズにこんな記事があった。モーガンスタンレーという証券会社の女性が、自分が進めていたプロジェクトを、同僚と上司が休日のゴルフ接待でまとめてしまい、最終的に自分抜きでプロジェクトが進められたとして「会社を訴訟」した。彼女は裁判で勝利したものの、女性が不利な立場に追い込まれることは、アメリカでも決して少なくないのだ。

以前、美容室の女性が言っていたことを思い出す。カリフォルニアなど西海岸では、金髪ブロンドの髪は人気があるらしいのだが、ニューヨークではさにあらず。ブロンドの髪を持つビジネスウーマンたちは、あえて髪を染めに来るのだとか。なぜなら「ブロンドの髪は、頭が悪そうに見えるから」。彼女らの嗜好はブラウン系の髪に黒のメッシュをいれたようなスタイルだという。

外見などに拘らず、自信満々でがんばっているように見えるアメリカ人女性でも、ビジネスシーンではいろいろと神経を使っているのだ。知的に見せるために髪を染め、だて眼鏡をかけ、ブルーのシャツに黒いスーツで自分をシャープに見せる。みなそれぞれに努力しているのだ。

そんななかで、「移民」そして「女性」という壁を乗り越えた、ノーイ氏の仕事ぶりはひときわ輝いている。私もこれから、ペプシコーラを飲み、フリトレーのスナックを食べ、トロピカーナを飲んで、超微力ながらもDおばの仕事に協力しようと思う。

 

●アメリカと日本。仕事の進め方の大きな違いについて(12/5/00)

アメリカではたとえ100ドルの仕事でも、きちんと契約書を作るか、見積もりにサインをしてもらって初めて仕事に着手する。日本のように、口約束で仕事を進め、あとになって金額が変更するなど、絶対にあり得ない。私がアメリカに来て、もっとも感銘を受けたのはこのシステムだ。

日本でフリーランスをしていたころは、クライアントが提示した数字が、支払いの段になって予算が足りないからと割り引かれたことも少なくない。すべてが口約束。今考えると恐ろしい。一方アメリカは、サインに法的効力があるので、最悪、支払ってもらえない場合でも、コレクションカンパニー(取り立て屋)に依頼すれば、手数料を除いて、少なくとも半額は戻ってくる。

大きい会社は当然ながら、小さい会社も、このようなシステムがあるからこそ、守られている。たとえば、うちの場合、売り上げの大半が外注費となる印刷や通訳、コーディネーションなどの仕事の場合、万一クライアントが支払いをしぶったらピンチである。たとえ日本人を相手に仕事していても、ここはアメリカで、うちはアメリカの会社なのだから、基本的にはアメリカのシステムでやっている。

日本の出版社からの仕事ですら、記録用にサインをもらっている。

「アメリカの会社だから、仕事をするにはサインが必要なんですよ」といえば、いやだという編集者はおらず、みな気持ちよくサインをしてくれる。

しかし、多くの日本人にしてみれば、「そう堅いことを言わずに」とか、「御社とは信頼関係で成り立ってますから」などとなりそうだ。しかしそんな関係は、トラブルが発生したとき、なんの効力もない。私は、身近な人の会社が「あったはずの信頼関係」に頼ったばかりに倒産するのをみてきた。口約束の融資を期待して、実際は銀行に裏切られた知人の苦労もみた。自営業をしていた友人の父親は、保険金目当てに自殺した。

アメリカは、白か黒である。時にそれは過激で、日本人の精神土壌には合わないかも知れない。しかし8年間、日本で仕事をしてのち渡米し、試行錯誤で会社をスタートさせた私にとって、それは単純で明快で、心強いシステムだった。

実は昨日、不愉快な出来事があった。唯一、口約束で進めていた取引を、一方的な理由のもと、中途で、とてもカジュアルな言い方で破棄されたのだ。その会社は中堅の在米日系企業で、その取引は社長(日本人中年男性)から提案してきたことだった。取引の中断もさることながら、彼の私に対する接し方が耐え難かった。詳細は省くが、「もしも私が男性だったら、このおっさんは絶対にこんな対応をしないだろう」という感じだったのだ。

金銭面では何とかなる程度だからよかったが、契約もなく、曖昧に物事を進めてしまった自分にも腹が立ったし、「女が一人でがんばってるからちょっと助けてやろう」ってな感じに見られていたことも、事実だから仕方ないけど悔しかった。

そして今日。Dおばさんの記事を読みながら「ああ、おばさん、半端じゃなくがんばってるんだなあ」と思い、胸に熱いものがこみ上げてきた。自分の怒りも、とてもちっぽけに思えた。いちいち小さな壁にぶつかってひっくり返ってわめいてないで、とっとと起きあがって歩き出さなければ……、と思うひとときだった。


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