ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 28 2/4/2001

 


ここ数日、ちょっと暖かくなったかな、と油断していたら急に冷え込んだ今日は土曜日。このところ仕事が立て込んでいて休日返上でコンピュータに向かっていますが、夜は外に出て食事をし、今、映画を観て帰ってきたところです。正確にはもう日曜日です。

A男は今、「サタデーナイトライフ」という、人気のコメディ番組を見ています。30年も続いている風刺番組で、最近まではブッシュとゴアの大統領選に関わる痛烈な風刺を頻繁にやっていました。本当にものまねがうまく、当人たちにそっくりな俳優たちが、ウィットに富んだ台詞で観る者を笑わせます。日本では、政治家をあからさまに風刺するようなことはありませんよね。

さて、今週は、取材と執筆が入り交じった、濃い5日間でした。また、muse new yorkの制作が迫ってきているので、2月いっぱいは、いろいろと立て込んでしまいそうです。

 

●ベースボールの発祥地、クーパスタウン

ここ数日、頭の中に「ベースボール」が駆けめぐっている。実は昨年の秋、日本の雑誌の仕事でクーパースタウンとデトロイトに取材に行ったのだが、発行が今年の5月だということもあり、なかなかデザイナーからレイアウトが上がらず、原稿を書き始めることができなかった。ようやく今週、レイアウトが届いたので、まずはクーパースタウンの記事から書き始めた。

ニューヨーク州の中心部、マンハッタンから車で約4時間半の所に、ベースボールの発祥地とされるクーパースタウンという村がある。ここには「ベースボールの殿堂と博物館」があるほか、世界で最初にベースボールがゲームされたという「ダブルデー・フィールド」という球場があり、国内だけでなく、世界中のベースボールファンが憧れを抱いてやってくるところなのだ。

私自身は、ベースボールに対し、さほど興味はなかったのだが、仕事を受ける以上はあれこれ調べねばならない。ここ数日は、取材前に収集していた情報に目を通し、脳に取り込み、咀嚼した上で原稿にする作業で、やや疲れてしまった。ライターの仕事は(編集やコーディネート、リサーチなどもそうだが)、得意分野ばかりを受注できるわけではないから、不得手なジャンルはとにかく勉強せねばならない。試験前の受験生のように、ひたすら要点を詰め込む。

昔はインターネットなどなく、資料を集めるのがひと苦労だった。図書館に足を運んだり、関連機関に資料を請求して郵送で送ってもらったり、膨大な書籍を購入したり……。今はインターネットがあるお陰で、こうしてニューヨークにいてもなお、日本だけでなく、全世界の情報が瞬時に得られるからありがたい。

これまでも、さまざまな「未知なるジャンル」の原稿を書かねばならないことがあった。書くことによって、その知識が自分に残ればいいものの、短期間で得た情報は、しかも自分があまり興味のないことは、驚くほどにきれいさっぱり、忘れ去ってしまうからすがすがしい。自分の書いた過去の記事を読んで、「ほほう」と感心することも珍しくない。阿呆じゃないかと思う。

ベースボールファンではない私でも、クーパースタウンには、強く引きつけられる魅力があった。わずか100メートルほどのメインストリートがある以外は、自然がいっぱいの湖畔の村に過ぎないのだが、「来てよかった」と思わせる魅力があった。詳しくは記事に書いているので、ここでは割愛する。

ところで、私の父は昔、野球をやっていて、母への熱い思いを「感嘆符付き」で白球に記し、贈ったりもしていた。私の「ドラマチック&演出好き」な傾向は、父の血によるものかもしれない。その父に、往年のメジャーリーガーたちのカードや、小型のミット(父はキャッチャーだった)、Tシャツ、ネクタイなど、細々した物をお土産に買い、日本へ贈った。

今でこそ、末期の肺ガンから復活して元気な父であるが、去年は病で滅入っていたので、それらの品々は、思いのほか、父を喜ばせてくれたようだった。「青春の日々が蘇ってきたよ、ありがとう!」と、連絡が入った。

いつか両親をクーパースタウンに連れていき、誰でも借りることのできる「ダブルデー・フィールド」で、父とキャッチボールでもしてみたいと思った(これもやはりドラマチックか)。

なお、掲載される雑誌の発行日などが決まったら、改めてお知らせしますので、ご興味のある方はご購入ください。

 

●マンハッタン在住日本人ママのパーティーに参加

muse new yorkの読者アンケートは、毎号100通以上のレスポンスがあるのだが、送り主は30歳前後の駐在員夫人が6割を占めている。近年、駐在員は若年化の傾向にあるので、こちらで出産する女性も少なくない。「出産や育児の情報がほしい」というリクエストも多く、子供どころか結婚すらしていない私としては、ためらいがちに、しかしながら、他のフリーペーパーにはない切り口で記事にしたいと思い、どうしたものかと考えていた。

手始めに、昔、語学学校で同じクラスだった駐在員夫人で一児の母のKさんに話を聞こうと電話をしたら、なんでも「ママ&キッズ」のパーティーを開くから取材に来れば、と誘ってくれた。ママ約10名プラス子供たちもやってくるという。壮絶。子供が苦手な私がどこまで「にこやか」でいられるか、ひとつがんばってみようと出かけた。

パーティーに参加する面々は、みな「セントラルパーク」で出会ったのだという。セントラルパーク愛好者の私なのに、それまでちっとも気が付かなかったのだが、パークの随所に柵のある子供用の「プレイグラウンド」があって、皆、そこで子供を遊ばせるのだという。

ニューヨーカーの多くは「働くお母さん」だから、休日は別として、子供を連れて来るのは主に黒人のナニー(ベビーシッター)たち。しかし、ビザなどの都合上、仕事ができない、もしくは仕事をする必要のない駐在員夫人をはじめとする日本人は、自分の子供を自分で連れてくる。公園で、互いに出会って声をかけあって、親しくなることが多いという。

彼女たちは、アッパーウエストサイドのプレイグラウンドで知り合った人たちらしい。みな、うちの近所に住んでいる。

パーティーの途中、子供たちのために、日本の子供番組をビデオで流していたのだが、それに合わせて一人のお母さんが子供に歌ってやっていた。その歌のうまいことうまいこと。聞けば彼女は「オペラ歌手」だったという。歌のお姉さんも影がかすんでしまった。

集まっていた彼女らは、それぞれにキャリアや個性があり、とてもユニークな人たちばかりだった。駐在員夫人だけでなく、そのオペラ歌手だった人、夫婦揃ってジュリアード音楽院を卒業したピアニスト、ジャーナリスト、料理人だった人など……。子供は平均1、2歳だったが、母親は30代中、後半とおぼしき人が多かった。

私と言えば、努力してやさしいお姉さん(おばさんか?)を装い、トイレに立った母親を追って泣いている子を抱きかかえてあやしてみたりしたものの、子供はのけぞって、よりいっそう泣き叫ぶ。すると、どこぞのお母さんが飛んできて、<まったくこの人、抱き方がなってないわ>みたいな感じで、私の手から無言で子供を奪い取っていった。やな感じ。

さて、皆が異口同音に言ったのは、マンハッタンは日本よりも子育てしやすいと言うこと。特に、街を歩いていても、誰かがドアを開けてくれたり席を譲ってくれたり、地下鉄の階段を下りるときに乳母車を抱えてくれたりするのは当たり前だから、子供を連れて一人で歩いていても困ることがないという。ベビーシッターも頼みやすいから、その気になれば身軽に外出できる。仕事を続けることも可能だ。

一方、日本に里帰りをして思うのは、手を貸してくれるどころか、みんなが「我先に」の態度で、「お先にどうぞ」なんて精神がないということ。ようやくドアを開けたのに、おじさんが先にすっと通り抜けてしまったり、後ろの人のためにドアを押さえてあげていたら、その後に何人も何人も通り過ぎてドアマン状態になってしまったことなど、みなそれぞれのエピソードを語ってくれる。

以前、A男と日本に行ったときのこと。新幹線を降りようとしたところ、私はすんなり先に降りたのだが、スーツケースを引っ張っていた彼が降り口でで持ち替えようと一瞬止まった途端に、数名のおばさんたちが彼を押すようにして新幹線に乗り込んできた。彼は唖然として、しかも日本語ができないから何も言えずにいたのを、私が「降りようとしている人がいるのが見えないんですか!」と声を上げ、それでようやく彼は降りられた。

「ミホ、助けてくれてありがとう!」とA男は言い、(ああ、この人はほんとに鈍くさい)と思ったりもしたが、なんだかやりきれない気持ちになった。日本は昔から、そんな感じだったのだろうか。国民性から考えると「我先に」よりは「お先にどうぞ」の優しさがありそうなイメージなのに。でも、中国の押し合いへし合いの喧噪に比べれば、まだいいかもしれない。

さて、結局2時間ほど、その場にいていろいろな話を聞いた。自分一人の仕事ですらどたばたしてしまうのに、子供という、自分の思惑通りにコントロールすることの決してできない一人の人間を、ある程度成長するまで見守り続けるというのは、実にたいへんなことだとつくづく思う。「子育てが楽しいから、仕事は今のところいい」という人もいれば、「一刻も早く仕事に復帰したい」という人もいる。

みなそれぞれの生き方の中で、さまざまに折り合いを付けながら育児をしている。親や頼れる人が身近にいない分、ふと知り合った友人が、大切な存在となる。「いざと言うときに、近所に連絡できる人がいる」というのはきっと心強いだろう。

日本では「公園デビュー」というと、なんだかグループだとか仲間はずれだとか、鬱陶しい人間関係もありそうだが、彼女たちは、それぞれにバックグラウンドが大きく違うせいか、互いに深くプライベートに立ち入る様子もなく、敬意をもって接し合っている様子が印象的だった。

それにしても、子供の騒ぎ声にどっぷり浸り、著しく消耗したひとときだった。

 

●ニューヨークでがんばる日本人女性

muse new yorkの人気連載の一つが「ニューヨークでがんばる日本人女性インタビュー」だ。すでに著名な人ではなく、「発展途上」でがんばっている女性たちを取材するようにしている。今回は、マンハッタンのアパレル卸販売店に勤務するKさんを取材した。今年38歳になる女性だ。私と彼女は、共にニューヨークに来たての頃、同じ日系の出版社に勤務していて、よくランチを一緒に食べに行っていた。

彼女の名前は、キョウコ、わたしはミホ、なので、互いに「キョンキョン」「ミポリン」と呼び合っては、周囲のひんしゅくをかっていたものだ。

さて、ランチタイムに取材をさせてもらおうと、ソーホーにある彼女のオフィスに行く。赤ちゃんを持つ同僚が他に2人いるということで、オフィスの一画に託児所が設けられ、2人の黒人ナニーが、彼女の1歳になる息子を含む3人の子供の面倒を見てくれているという。

彼女は、ニューヨークに来る前、コム・デ・ギャルソン青山店の店長をしていた。30歳を過ぎて、次のステージを探しにこの街へ来たという。仕事に対する「野心」はあるけれど、同時に「子供が大好き」だから、もう一人産んで、それから仕事についても改めて考えていこうと思っているという。

働きたい女性、働かねばならない女性にとって、出産を決め、自ら育児をすることは、さまざまな取捨選択や決断が必要だろう。しかしながら、今週、彼女を含め、たくさんの「マンハッタンのママ」に会って話を聞いたが、日本に比べアメリカは、女性が仕事をしながら出産・育児ができる環境が整っていることを、改めて実感した。


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