ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 32 3/12/2001

 


この週末は久しぶりにいい天気です。今は日曜の昼。昨日の残りの「海鮮鍋」に白菜やご飯を加えて卵を落とした雑炊がブランチでした。午後はダウンタウンに遊びに行く予定です。

先日は、たくさんの方々にアンケートのご協力をいただきました。本当にありがとうございます。アンケートの内容もさることながら、メールマガジンに関する感想を書き加えて下さった方も多く、とてもうれしく思いました。メールマガジンを書くことは仕事ではないので、自分のなかでは特殊な位置づけにあり、なぜ配信しているのだろうと時々ふと我に返ったりしているのですが、いろいろな方のコメントを読むに付け、これからもまだ続けていこうという気持ちにさせられました。

ところで、途中から購読を始められた方のなかには、muse new yorkが何かをご存じない方もいらっしゃるようなので、文末に説明文をいれておきます。また、定期購読の要領も記しておきますので、ご興味のある方は、ぜひご購読ください。

それでは、この一週間の出来事から、またいくつかピックアップしてご紹介します。

 

●日本男児の格好良さ

数年前、日本から太鼓のグループ「鼓童」がニューヨーク公演に来たとき、音楽関係の仕事をしている友人の招きでコンサートに行った。アッパーウエストサイドにあるビーコンシアターが会場だった。

太鼓の種類、音色の幅広さ、音の強弱、リズム……と、シンプルな楽器にも関わらず、その表現力の多さ、繊細さに、とても驚かされた。笛のメロディーを除いては、太鼓は単純にリズムを取るだけなのに、そのリズムの躍動が、じかに心臓に響いてくるようで、本当にエキサイティングだった。

太鼓(ドラム)は、万国共通の楽器だから、そのリズムはどんな音楽にも応用できるし、技術にも共通点があるのではないかと思う。観客席にはアメリカ人のミュージシャンも来ていたようで、近くに座っていた黒人のドラマーがいたく感銘を受けていたのも印象的だった。

それにしても、あのときほど「日本男児」の格好良さをストレートに感じたことはなかった。自分のやっていることに誇りをもって、それを人々に伝える。目に見えないパワーがみなぎっていて、感激した。

今年もまた、「鼓童」が全米ツアーを行うらしく、今年はA男をつれてワシントンDCの公演に行こうと思っている。昨日はそのプロモーションで、一部のメンバーが、うちの近所のバーンズ&ノーブルという大型書店の一画で正午から30分ほどライブをやるというので見に行った。

いつもはコンピュータの書籍が置かれているコーナーがまるまる小さなライブハウスになっていて、そこに買い物客らがぎっしりと見物していた。A男も興味津々の様子。直径が1メートルを超える大太鼓が打ち鳴らされた瞬間、天井からパラパラと埃が降って来た。ライブが終わった後、メンバーの人たちにmuse new yorkをプレゼントして、激励の言葉を述べ、その場を去った。

海外に暮らしはじめて、以前よりいっそう、政治やイデオロギー云々に関わらず、純粋に人々の心に響くことをやっている人たちに対して、格別の思いを抱くようになった。ことに「日本」をポジティブに伝えることのできる彼らは、まさに「友好の架け橋」という言葉がぴったりなのである。優等生的な言葉であるが、彼らは見事に「距離を縮める」役割を果たしていると思うのだ。

距離を縮めるという意味では、映画もそうだろう。黒沢明の映画などは、時代設定が古いから、一般的には親近感よりもエキゾチックな印象がアメリカ人の興味をそそるのではないかと思われる。一方、最近の日本映画もマンハッタンではしばしば上映されており、日本に対するステレオタイプの印象を、払拭する役割を果たしているようにも思える。

アメリカ人の性格からして、大半が「コメディ好き」だから、あまり詩的な映画はメジャーになり得ないという前提もあるけれど、北野監督の「Fire Works (花火)」「Kikujiro(菊次郎の夏)」や、周防監督の「Shall we Dance」、伊丹監督の「Tampopo」などは、かなり人気が高く、近所のビデオショップでもレンタルされている。

ダウンタウンのこぢんまりとしたシアターでは、是枝監督の「ワンダフルライフ」や、三谷監督の「ラヂオの時間」といった系統の映画が上映され、ニューヨーカーたちの反響も大きかった。映画については、また折を見て書こうと思う。

 

●muse new york春号の配達

先週末から今週頭の数日間は印刷所とオフィスを行き来し、ようやく印刷物が仕上がった。muse new yorkは水曜日、雪の降る日に配達された。今回は、いつもと違って表紙のまわりの4ページを2色にした。印刷経費はもちろん余計にかかるけれど、ささやかな先行投資である。

やっぱりモノクロの地味な体裁だと、内容がどんなにしっかりしていても、華やかさに欠ける分、広告も取りにくいのだ。muse new yorkはまだまだ自社出版状態だから、せめてコストの分だけでも自立してもらわねばならないから、そうなると広告費を増やすしか方法はないのである。

クリエイティブもやっている私自身が広告営業をするのは、結構難しい。広告を断られる時は、当然何らかのマイナス要素を先方に言われるわけだから、それを聞くとクリエイティブな気持ちがちょっとばかりダメージを受けてしまうのだ。いや、それは言い訳か。ただ「営業」が嫌いなのだ。しかし、そんな「根性なし」なことを言っていられないので、ここは他の人格になりきって、今後はもっと営業もやらなければならないと思っている。

木曜日は郊外で配達をしてきた。恒例の日系食品スーパーマーケットで食料を大量に仕入れ、冷蔵庫とキッチン収納が充実している。

月曜日にマンハッタン内の配達をすませれば一段落だ。もう少しがんばろう。

 

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カメラマンはメニューを閉じる。視覚的にやられたらしい。私と編集の女性はそれでも、しっかり軽めのパンケーキを食べたが、それにしても、アメリカ人の底知れぬ食欲とは、いったいなんなのだろう。国民の半数が肥満なのだし、成人病が社会問題になっているのだから、もっと食生活を改善したらどうなのかと声を大にしていいたくなる。

話がそれたが、「ブランチはさわやかな日本食がいちばんです」という結論だ。

 

●春を探しに、アッパーウエストサイドからセントラルパークへ

鍋を食べて、鼓童を見に行った後は、アッパーウエストサイドを散歩してセントラルパークへ行った。ここ数カ月、ゆっくりと歩いていなかったうちに、また新しい店が増えている。寒いとどうしてもウインドーショッピングという気持ちにもならなかったが、昨日は天気もよく、少し暖かだったのだ。

印象的だったのはオリーブオイルの専門店。まるでファッションブティックのような店構えの店内に、地中海各地のヴァージン・オリーブオイルが、ずらりとディスプレイされているのだ。容器の缶も味わいがあって、とてもいい感じ。ハーブやスパイスがブレンドされたものもあり、見ているだけでも楽しかった。

A男と私は、オリーブの実をすりつぶしたペーストを試食して、「また来るわ」などといいつつその場を去る。A男は試食が好き。気づいてないふりをして、さりげなーく試食コーナーに行き、いかにも「あ、試食できるんですか」という顔をして一つ二つ味見させてもらうのが常套手段。その見え見えの行為を、私はいつも遠目に見て笑っている。

日本に旅行したときも、デパートの地下が試食のパラダイスだったので感動していた。なかでもその時初めて食べた「酢豚」がいたく気に入って、3回も前を通ってもらっていた。第一、インド人だから目立つんだし、「また来た」ってすぐわかるんだから、やめてくれと頼んだのだが、お店の人もやさしく勧めてくれるものだから、A男は図に乗ってニコニコしながら食べている。恥ずかしかった。

しばらく街をうろうろしたあと、オノ・ヨーコさんが住んでいるダコタハウス(高級コンドミニアム:マンションのようなもの)の横を通り抜けてセントラルパークへ。ジョン・レノンを記念するストロベリー・フィールドは、暖かい日差しが降り注いでいて、ベンチではニューヨーカーたちがくつろいでいた。IMAGINEの碑の傍らには、黄色いラッパスイセンが捧げられている。

池のほとりを歩けば、白鳥やカモが気持ちよさそうにスイスイと泳いでいる。青空を見上げ、大きく深呼吸すると、頭の中がすっきりと覚醒する。

犬の散歩をする人、乳母車を押すカップル、ジョギングをする人、読書する人、昼寝をする人……。みなそれぞれに、週末の午後を過ごしている。

桜の木の枝が、小さな芽を付けていた。開花を待っているのだ。「木から気をもらおう」と幹に抱きついたりする。こうして木に触れると、本当に温かな気が伝わってくるようで、なんだかホッとするのだ。

最初は「ミホ、変だからやめてよ」と言っていたA男も、私が「木はエネルギーをもっているのだから、こうして触れると、あなたの身体の中の気が循環して、とてもいいのよ。頭もすっきりするし、気持ちもやすらぐんだから」というと、そうなのかと納得して、抱きつく。

二人して木に抱きつく姿は、いささか怪しい光景ではあったろうが、ニューヨークには奇行をはたらく人間が満ちあふれているから、誰も気にしない。本当にいい街だ。

森の中の遊歩道を歩けば、小鳥のさえずりがあちこちから聞こえてきて、本当にのどかだ。小川のせせらぎもまた、気持ちを和ませてくれる。私もA男も金曜日は疲れ切っていたけれど、数時間の散歩でずいぶんリラックスした。

あと数週間で、スイセンが咲き始め、さらに1カ月ほどたてば新緑が芽生え桜が咲き始めることだろう。早く暖かい季節が来て欲しいものだ。

 

●インド人に囲まれて日本食を食べる夕べ

昨日、土曜の夜は、A男のMBA時代の友達夫婦と食事に出かけた。夫はインド・ボンベイ生まれのインド人(仮にL男)で、妻はマイアミ生まれのインド系アメリカ人(仮にD子)。彼はA男と同じ業界、ベンチャーキャピタルファームのマンハッタンオフィスに勤務していて、うちのすぐ近所に、まもなく1歳になる娘と3人で暮らしている。

MBA時代から、A男はインド人や日本人、コリアンなどアジア系の友達が多かった。どうしても、気心が知れるのはアジア系の人たちらしい。MBAの学生たちは、少なからずアグレッシブ(攻撃的)な人物が多いから、穏やかな性格のアジア人は、時に自己主張の強い欧米人に気圧(けお)されてしまうのだ。

L男とD子は夫婦揃って日本食が好きだからと、ダウンタウンのイーストビレッジにある日本料理店に出かけた。先日友人に「絶対おいしいから行ってみて」と勧められた店に行くことにしたのだが、ぜんぜんおいしくなくて、大失敗だった。それでも、彼らはいままで寿司しか頼んだことがなかったから、揚げ出し豆腐や焼き鳥、カキフライ、天ぷら、枝豆などの小皿料理に感銘を受けていた。

それにしても、彼らの子供のかわいいこと。子供なのに怖いくらいに目が大きくてまつげが長くて彫りが深い。人種の違いをつくづく感じる。

さて、昨日の夕食の席では、L男は元気そうだったのだが、実は仕事がうまくいっていないらしい。D子や私の前では話しにくかったのか、先ほど近所のスターバックスにA男を呼び出し、小一時間ほど仕事の相談をしていた。A男によれば、L男はMBA時代の成績も常にトップで、人当たりもよく、頭も切れるのだが、やはり問題は「人種別・性格の傾向」なのだという。

L男の勤務する会社はほとんどがユダヤ系アメリカ人。みんなシャープでアグレッシブで、人に対しても厳しい。多くのアメリカ人にしてみれば、「大風呂敷を広げる」ことや、「相手を煙に巻いて論破する」ことも一つの技術であり才能となるのだが、そのあたりの塩梅を、アジア人の多くはすんなりと受け入れられない。

A男にせよL男にせよ、高校まではインドで育ったから、その習慣の違いはなんとも覆しようがないのだ。A男やL男にしてみれば、大して意味のない話を、いかにも大げさに話すアメリカ人の傾向にも耐え難いらしく、そのようなのりについていけないことがしばしばなのだ。自己を過剰にアピールすることをよしとしないのは、アジア人の共通点であろう(中国人は別か?)。

結局L男は、近々転職するらしい。グリーンカードを持っているから、無職の状態になっても基本的に問題はないが、A男のように、私と同じくH1ビザでグリーンカード申請中の身の上となると、少なくとも3年近くは絶対に会社を辞められないし、辞めさせられたらビザのプロセスの問題が出るなど、仕事以外に頭を痛めることも多い。

どんなに優秀な人物でも、異国で働くということはたいへんなことである。最悪の場合、L男はボンベイに帰ることも考えているらしい。そうなると、アメリカ生まれの妻が反対することは必至で、人ごとながらたいへんそうである。早く新しい仕事が見つかればいいと思う。


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