ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 37 4/12/2001

 


昨日、久しぶりに「エアロビ・キック」のクラスを取り、張り切ってしまったら、足腰が筋肉痛になってしまいました。がんばってエクササイズして、「食べたい」と思うその8割方しか食べてないにも関わらず、全然痩せないので、なんだか腹が立ってきた今日この頃です。

ウエディングドレスでも着るのだったら、結婚式までに痩せようとか思うかも知れませんが、サリーは思い切り体型を隠すし、ウエストも自由自在、肌が見えるのは顔と肘から下くらいだから、やる気がでません。

先日は、たくさんの方からお祝いのメールをいただきました。ちょっとばかり期待していたものの、とてもうれしかったです。最初のうちは頑張ってお返事をお送りしたのですが、途中からくじけました。ごめんなさい。でも、一通一通、とてもありがたく読ませていただきました。

インドでの挙式だから、式やら披露宴の段取りは、A男の家族がやってくれ、私自身は特にすることがなく、今ひとつ実感がわかなかったのですが、なんとなくうれしい気持ちが盛り上がりました。

ところで、これまでのメールマガジンを、先日ざっと読み返してみたのですが、私はとても大切なことを書き忘れていました。A男の年齢です。「年齢なんて関係ない」「興味ない」と、おっしゃる方もありましょう。しかし。

もしも彼が私よりも10歳ほど年上で、45歳だったとしたら、酢豚を3回も試食したり、夜中の電話で自分の人生の不安を問いかけられたりしたら、「気色悪いヤツ」もしくは「なんて頼りない男なの?!」と思っていたかもしれません。もっと早い時期に、破局は訪れていたでしょう。

でも、幸い、彼は7つ年下の28歳なので、素朴な質問をされても、運動神経が鈍くても、車の運転が下手でも、何となく「仕方ないな」ですまされ、他のよい部分を見るようにしてきました。その他の誤差については、基本的には「国籍が違うから仕方ない」で、ひとまとめに解決です。

今朝、日本の妹と電話で話していて、

「私、メールマガジンにA男の年齢書いてなかったけど、それって重要だったよね」

と同意を求めたところ、

「えーっ、関係ないんじゃないの? 28歳だって、十分、大人じゃない」

と冷静な返事が戻ってきました。

ちょっと返答に窮した私ですが、なんというか、「親にとっては、いくつになっても子供は子供」「姉にとっては、いくつになっても妹は妹」、そんなニュアンスに近い関係だということを、ちょっと主張しました。なんだか余計に話がややこしくなりましたが……。

というわけで、これまでA男の、比較的まぬけな部分ばかりを描いてきた反省もこめて、ひとまず年齢を公開させていただきました。

彼が日本語を読めなくて、本当によかった……。

 

●春を通り越して夏が来る。
フラワーショップの店頭が賑やかになってきた

ニューヨークは基本的に夏と冬の二つの季節しかない。春と秋は本当に短いのだ。つい先日まで暖房が入っていたかと思えば、いきなり冷房に切り替わる。夏時間に変わった途端に季節までもが変わってしまう。

フラワーショップの店頭に、百合(鉄砲百合)やアジサイが並び始めた。春を告げる黄スイセン、ヒヤシンスの姿もまだ見られる。チューリップやバラは一年を通して美しく陳列されている。以前も書いたが、マンハッタンでは至る所で気軽に花を買うことができる。フラワーショップだけでなく、デリの店頭でも色とりどりの花を扱っているのだ。

日本でも、アメリカでもそうだが、百合はあらかじめ黄色い雄しべが取り除かれて売られることが多いが、あれはいけない。あの黄色があってこそ、白が引き立ち美しいのに……。花粉が飛び散り、服などに付くと取れないから、その配慮で取り除かれているのだ。

百合は私の好きな花の一つ。清楚でありながらも、力強い野菜のような茎や葉、そしてきつすぎるほどの芳香。百合が好きになったきっかけは、高校3年の時に遡る。国語の教科書で、(またもや)夏目漱石の短編『夢十夜』を読んでからだ。多分、知っている方も多いかと思うが、「第一夜」において、白い百合の花が、何とも美しく、妖しく、描かれている。先ほど読み返してみたが、何度読んでも、鮮明な情景が脳裏に浮かび、さまざまに思いを馳せさせてくれる。

また、漱石の『それから』においても、百合は意味深長なモチーフとして描かれている。『それから』は、15年ほど前、映画化され、松田優作と藤谷美和子が主演だった。なにしろ随分前に一度見たきりだから、今見るとどう思うかわからないが、その時はとてもいい印象を持った。

白い百合はまた、キリスト教世界においては、聖母マリアの純潔を象徴するものとして、絵画のモチーフにしばしば登場する。たとえば、天使ガブリエルがマリアに受胎したことを告げる「受胎告知」の絵画には、白百合が描かれている場合が多い。

こちらでは、鉢植えで売られていることが多い百合。明日にでも、買ってこようかと思う。

 

●インド人の移民法弁護士事務所を訪れて。

弁護士にもいろいろあるが、私たち外国から訪れた人間にとって一番関わりが深いのは「移民法弁護士」だ。アメリカ国内にどれほどの数の移民法弁護士がいるのか知らないが、その数が膨大であることには違いない。

その弁護士の質もピンからキリ。かつて私は、経験が浅く知識の乏しい弁護士にひっかかり、無駄な時間と金を費やした苦い経験を持っている。弁護士の国籍もさまざまで、日本人は、日本語が通じて日本の事情に詳しい弁護士に頼むことが多い。

現在、私が依頼しているところは、弁護士本人はアメリカ人だが日本人のアシスタントがいて、細かな手続きを日本語で説明してくれるので、誤解や思いこみがなく、比較的順調に物事が進んでいる。

A男は現在、就労ビザの手続きを、勤務先が提携している弁護士に頼んでいるが、今ひとつ与えられる情報が腑に落ちないため、セカンドオピニオンを得ようと、他の弁護士にも当たってみることにした。

A男の親戚の勧めに従い、先週の木曜、ワシントンDCにあるインド人弁護士のオフィスを訪れた。その日、タイダル・ベイスンへ桜を見に行った私は、A男と弁護士事務所で待ち合わせ、一緒に話を聞いたあと、夕食をとって帰ることにしていた。

夕方、アポイントメントの6時より少し早めに弁護士事務所に着いた私は、待合室でA男の到着を待つ。途中、常連らしき、インド人のおじさんがやってきて、私の向かいに座る。ターバンを巻き、頬からあごにかけて髭をたっぷりとたくわえた、「いかにもインド人」という風情のおじさんだ。

ちなみに、日本人がインドと聞けば、まずは「カレー」「ターバン」「暑い」など、次には「ガンジス川」「仏教のふるさと」「ガンジー」「カースト」「貧しい」などを思い浮かべるのではなかろうか。最近では「IT関連」「娯楽映画」も候補に挙がるかもしれない。それはいずれも、日本をして「富士山」「芸者」「サムライ」「ニンジャ」「スシ・スキヤキ・テンプラ」というのと、ほとんど変わらぬ認識だと言えるだろう。

ターバンを巻いているインド人というのは、パンジャブ州のアムリツァルという街を拠点とする「シーク教徒」たちで、インド総人口のわずか2%程度だという。2%とはいうものの、全人口が10億の大台にまもなく達し、12億の中国を抜くことになるだろうと予想されているから、実際の人数としてはかなりのものだ。

地球上の全人口が約60億人。そのうちの3分の1が、中国人とインド人で占められているというのは驚きだ。純粋に人口比率から考えるに、日本人と結婚するより、中国人やインド人と結婚する方が、圧倒的に確率が高いというものだ。

さて、イエローキャブ(マンハッタンのタクシー)のドライバーには、シーク教徒のインド人が多く、ターバン姿をよく見かけるが、面と向かって話をするのは、この日が初めてだった。「いかにもインド人」のおじさんは、私をしげしげと見つめたあと、声をかけてきた。

「君はなに人? チャイニーズ?」

「日本人よ」

「なんでまた、インド人の弁護士事務所に来たんだい? 僕はもう何年もこの事務所に出入りしているけど、インド人以外の客を見たのは、はじめてだよ」

「ボーイフレンドがインド人なの。彼がアポイントメントを取っているから、ここで待ち合わせているのよ。渋滞で遅れてて、だから待ってるの」

「日本か。日本はすばらしい国だ。エコノミックも豊かで、知的な人ばかりが住んでいる。実に優秀な国だ」

「ありがとう。でも、最近は不景気で、経済は芳しくないのよ」

「えっ? それは知らなかった。信じられないな。日本が不景気だなんて。僕にとって日本といえば、いい国だという印象しかないんだよ。みな礼儀正しくて、アメリカ人みたいにがさつじゃなくて、話し方も丁寧で。それに、日本製品は本当にすばらしいものが多いし。日本製は『Quality:クオリティ(品質)』、中国製は『Quantity:クオンティティ(数量)』っていうからね」

ほほう。そういういい方があるとは知らなかった。日本を好意的に思ってくれている人にマイナス情報を提供することはないと思い、「日本の製品は、本当にすばらしい」と彼に同意する。

さて、A男が到着し、弁護士のいる部屋に通される。弁護士は50代半ばかと思われる、やはりターバンを巻いたインド人。お腹がぽってりと出た、体格のいいおじさんだ。鼻の下の髭がジェルのようなもので固められているらしく、ピンと上を向いている。サルバドール・ダリのような髭だ。大きな机の上は資料がバラバラと山積みされ、著しく散らかっている。

日本では、接客をする際、応接室を利用するのが一般的だが、アメリカの場合は通常、個人のオフィスを持っている場合が多いから、大きな机にゲスト用のイスが用意されていて、机を挟んで相手を話をすることが多い。机は当然ながら、使い主の個性が思い切り出ている。

この弁護士のように資料を散乱させている人がいれば、きちんとファイルを整理して見事に片づけている人、家族の写真を大量に飾っている人、妙な土産物の置物を並べている人など……。壁に絵画を掛けている人もいれば、やぼったいカレンダーを吊している人もいる。この弁護士は、インドの神様らしき人物が描かれた、原色鮮やかなポスターを壁に貼っている。

A男は、自分のドキュメント(資料)を彼に渡し、まずは状況を確認してもらう。その後、弁護士とA男は、お互いにゆったりとした口調で質疑応答を進める。30分ほどの面談のあと、A男は面談料として50ドルのチェックを切り、弁護士に渡す。これは随分良心的な値段で、マンハッタンなら1回の面談で100ドルというところも少なくない。それなりに実のある情報を得た私たちは、ドキュメントを受け取って、オフィスを去った。

さて、翌日、金曜日の夜、ドキュメントを整理していたA男が声を上げる。

「あれ〜、これ僕の資料じゃないよ。僕が彼に渡したのは全部あるけど、別の人の資料まで一緒に入っているよ」

よくよく見てみれば、それは昨日の弁護士の、別のクライアント(顧客)のファイルだ。それには、グリーンカードを申請するのに必要な資料が、すべて入っていた。しかもいずれも「オリジナル」で、コピーではない。さらには、サポーティングレターといって、その本人がグリーンカードを申請するのに何人かの「支持書」みたいなものが必要なのだが、それが4、5通入っていて、しかもオリジナルのサイン入り。

彼のステイタスは「インド料理のシェフ」らしく、勤務先のレストランの資料や、メニューなども同封されている。

「この店、近所だよ。今度食べに行こうよ」

A男と言えば相変わらず、違う視点からのコメントを発するのだが、このインド人シェフにしてみれば、人生を左右するほど大切な書類なのだ。

それらがどれくらい大切な資料かと言えば、もしも私たちが悪人でその資料を捨ててしまったら、このインド人はグリーンカードの申請が滞るかストップし、本国強制送還っていうこともあり得るくらいのもの、なのである。

机の上が散乱していたから、間違ってA男のファイルとまぜこぜになってしまったに違いない。それにしても、自分が同じことをやられたら、たまったものじゃない。

「今すぐ弁護士に電話して、他の人の資料があるって伝えなきゃ」

「いいよ、月曜日で。もう7時過ぎてるし」

「だめよ。絶対に探しているに違いないんだから。今すぐ電話しなさいよ」

「そうかなあ」

ぶつぶついいながら受話器を取ると、当の弁護士が出た様子。悠長な風情の弁護士も、さすがに慌てていたらしく、案の定、一日中、資料を探していたそうだ。それを告白するところが妙に素直で、それなりに気の毒ではある。郵便で送ろうか、と言うA男に、いますぐ資料を取りに行くと言って電話を切ったという。

郵便などで気軽に送られては困るくらい、大切な書類なのだ。人ごとながら、怖い一件だった。この弁護士には、絶対頼んじゃだめだとA男に念を押した。

 

●西日本B型、ニューヨーク上陸

以前もホームページに書いたことだが、改めて書く。日本人に最も多い血液型といえば、A型のはずだが、ニューヨーク在住日本人には、ともかくB型が多い。ちなみに、日本以外で、「血液型」を星座占いのように性格分類のバロメータにする国はあまりないようだから、非日本人は、自分の血液型を知らない人が大半で、A男もその例に漏れない。

私自身、とりたてて血液型で性格の傾向を分類しようとは思わないのだが、ニューヨークに来て以来、やはり血液型とは、かなり信憑性のある要素であると思わずにはいられない。

グループで集まった場合でも、その場の多数がB型であることが多い。続いて、O型、A型、もしくはAB型となる。駐在員やその妻、また学生などは別としても、たとえば私のように自営業をやっていたり、「ちょっと一旗、揚げようか」と思っている人などは、私の知る限りでは、9割方がB型だ。これは決して脚色しているわけではない。

これまで登場した人をあげてみても、エステティックサロンのSさん、ヘアサロンのIさん、ジュエリーデザイナーのHさん、ダンサーのAさん、音楽ライターのIさん、それ以外にも、フォトジャーナリストのKさん、翻訳家のOさん、スタイリストのYさん……(まだまだ続く)ってな感じで、B型だらけ。やはり血液型というのは、性格の傾向を分類する目安になるのだなあと、思わざるを得ないのである。

私も含め、B型の人たちの大半は自分がB型であることに、なにゆえにかわからぬが、妙な「誇り」を持っている人が多く、多分「B型以外の何型でもありたくない」と思っている人が多いように見受けられる。ほめられた性格というわけでもないのに、なんでだ?

ついでに言えば、ニューヨークには九州、関西など西日本出身者が多い。

さらに言えば、私を含め、ニューヨークで私が親しくしている人たちは、よく言えば「独立心が強く、一人でも平気」「友達とつるまない」、悪く言えば「あまり協調性がない」「組織で従順に働くのが苦手」な人が多く、「思ったことをはっきり言いすぎて、日本在住の日本人に嫌われがち」で、身体的傾向においては、「歩くのが速い」「大食い、もしくは大酒のみ、あるいはその両方」「声が大きい」といった人が多い。

「歩くのが速い」に関して言えば、私は日本にいる頃からそうだったが、ニューヨークに来てからは拍車がかかった。マンハッタンは歩きやすいから、打ち合わせなどの際、地下鉄を使わずに歩いていくことが多く、その場合、目的が決まっているわけだから、ダラダラ歩く理由もなく、最短距離を駆け抜けるが如く歩く。もちろんエクササイズも兼ねている。私だけでなく、働くニューヨーカーの多くは歩くのが速いから、特に私が目立つわけではない。

先日、日本から取材に来たカメラマンと編集者を伴って街を案内しながら歩いていたときのこと。ゆっくりと彼らに合わせて歩いているつもりが、つい油断するといつものペースに戻ってしまい、気が付くと彼ら(おじさま方)が、後方から叫んでいる。

「坂田さん、もうちょっとゆっくり歩いてくださいよ! ショーウインドーが走馬燈のようにしか見えません!」

あまりにも配慮がなさすぎたと反省した。

さて、そのように一見、たくましい傾向にあるB型関係の友人たちの中でも、トラブルに巻き込まれたり、ビジネスがうまくいかなかったりすると、こっそりと思い切り落ち込み、胃を痛めたりする人も少なくない。いくら気合いをいれてがんばっている風でも、そこは人間。一から十まで突っ走れるはずもない。お互いにアドバイスをし合ったりして、気持ちを奮い立たせている。

日本にいたころは、そのようなニュアンスを分かち合える友人は極めて少なかったから、ニューヨークに来て自分に近い感覚を持つ人たちに出会うにつけ、なんとなく心が和むことが多い。そんな人たちの多くは、密に連絡を取り合ったりしないから、うっかりすると半年、一年会わないこともざらだ。しかし、滅多に会わなくても、久しぶりに食事をしたりすると、会話が盛り上がって元気が出る。そんな友人たちに出会えたのは幸せなことだと思う。


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