ニューヨークで働く私のエッセイ&ダイアリー

Vol. 51 9/8/2001

 


今は土曜日の夕方。先ほどDCに到着したところです。本当は夕べのうちに来る予定だったのが、今週は「事件」があり、丸一日仕事ができなかったので、ニューヨークですませる仕事が山積していて、今日になってしまいました。

A男はテレビでUSオープン(テニス)を観ています。連休明けの火曜早朝にニューヨークからDCに戻ったにもかかわらず、翌日水曜の夜に、再びニューヨークに戻ってきて、翌日はUSオープンを見に行きました。仕事の関係で招待されたらしいのですが、明らかにうれしそうに元気に出かけていきました。好きなことをやる分には、疲れを感じないようです。

わたしといえば、数年前、やはりA男とUSオープンを観戦に行ったことがあるのですが、テニスに全く興味がないのと、やたら暑くてたまらなかったのとで、途中で帰ってきてしまいました。

自分がやっていたバスケットや、メジャーリーグの試合をスタジアムで観るのはとても楽しいけれど、テニスって、なんだかよくわからない。

まあ、そういうわけで、彼がテレビに集中している分、週末ながらもひとりの時間を持てるので悪くないかなと思っています。

ところで、前号を発行したのち、お誕生日おめでとうのメールをたくさんいただきました。どうもありがとうございます。読者の中には同じ誕生日の方もいらっしゃいました。

でも、「投稿募集」についての反応は今ひとつ……。できれば、日本とアメリカ以外のケースを知りたいので、それ以外の国にお住まいの方、ささやかなことでも構いませんので、「子供と大人の関わり」のようなことで、その国独特のスタイルなどがあれば、ぜひ体験談を教えていただきたく思います。

先週から今週にかけては、次号のmuse new york の取材のため、たくさんの人にお会いしました。主には日本人に対しての取材ですが、一人韓国人女性の話を聞きました。彼女の話は実に強烈で、非常に印象に残りました。「わたしのヒーローは、ナポレオンと、織田信長なの!」というティーンエージャーの母親です。またいつかご紹介しようと思います。

さて、今日は、主に「事件」についてを記します。凶悪事件の起こった日の新聞では、いいニュースが小さい扱いになるのと同様、今回は悪い事件の印象が強かったため、その他のことを書く気力がありません。ご了承ください。

 

●怒り爆発! 9月4日のダイアリー

昨日(月曜日・祝日)、A男と二人で五番街に出かけ、誕生日のプレゼントを買ってもらった。GUCCIのハンドバッグだ。小振りに見えるけれど、レターサイズ(日本でいうA4サイズくらい)の書類も入るし、仕事に使えて、とてもいい感じ。今、自分が持っているハンドバッグのどれよりも素敵で、気に入った。

COACHやDOONEY&BURKEといったランクのブランド品であれば、丈夫で実用性も高く、いくつか愛用しているバッグがあるのだが、GUCCIクラスのブランド品は、自分では財布以外買ったことがなかった。

ファッションや流行でブランド品を追ったりする発想は昔からないのだが、丈夫で、機能性も高く、使いやすい上に、デザインが美しい物があれば、そしてそれが予算に見合えば、欲しいと思っていた。

高級ブランド品の多くは、作りがしっかりしているから長持ちする場合が多く、しかも部品が壊れたり傷んだりした場合、無料で修理をしてくれるから、一概に高すぎるとはいえない。

普段は赤など目立つ色のバッグを好んで買っていたのだが、長く使うことを考え、店頭で悩んだ挙げ句、今回はシンプルで飽きのこない感じの黒いバッグを選んだ。

うれしくて、買ってもらった直後から使い始めて、今朝も、やはり持って出かけた。午前中、クイーンズの印刷所に立ち寄った後、午後はマンハッタンで打ち合わせの予定が入っている。1日の仕事に必要な書類などは全部収まるうえに、意外に軽くて持ちやすい。最近愛用していた他のバッグに比べると、肩への負担も非常に軽く、本当に気に入った。

……多分、それは今朝、家を出るときから始まっていたのだろう。

外が涼しく感じられて、夏用のサンダルではなく、ローファー風の靴を出して久しぶりに履いた。久しぶりに履いた靴は、なぜかきつくて、足にまめができてしまった。印刷所での仕事を終え、地下鉄駅に向かう途中、ドラッグストアでバンドエイドを買う。

印刷所でまたもや若干のトラブルがあって、少し苛立っていたのに加え、足が痛い。更には午前中に電話をしなければならない用件がいくつもあったので、その界隈では唯一の飲食店であるマクドナルドに立ち寄った。足にバンドエイドを貼り、コーヒーでも飲みながら携帯で電話をし、マンハッタンに戻ろうと思ったのだ。

最初に座った席は、太陽の光が暑すぎた。だから奥の席に移動した。すると今度はトイレに近すぎて、かすかにトイレの洗剤のような匂いが立ちこめてくる。それがいやで、今度は中央部の席に移動した。

ベンチのような席に腰掛け、ハンドバッグは右の脇に、わたしの身体に触れるように置いていた。そしてわたしはスケジュール帳を広げ、何人かに電話をし、メモなどを書き込んでいた。

わたしのテーブルの前を歩いていた若い男性(プエルトリカンとオリエンタルの混ざったような、国籍判別不可能な顔)が、たくさんのコインを落とした。わたしの足下に転がってきたコインを、わたしは何気なく拾い、彼に渡した。

数分後、ふと、右脇を見たら、バッグが……ない。

バッグがない! なんで?! なんで?! 盗まれたの??!!!!

コインを散らして気を引いて盗むなんて手口は、超古典的手段だと言われておきながら、まんまと、まんまと、ひっかかったのだ。彼らは少なくとも2人組で、コインを落とした輩のほかに、背後からハンドバッグを盗んだやつがいたのだろう。

盗まれたんだと気づいたときの衝撃度といったらなかった。まるで夢を見ているかのように、頭の中が真っ白になった。「時間って、巻き戻せるものじゃなかったっけ?」と、思ってしまうほどに。

だいたい、わたしは2年半前にも、メイシーズというデパートで、油断している隙にハンドバッグから財布を抜き取られて、痛い目に遭っているのだ。そのときだって、頭の中が真っ白になったはずなのに、またやられるとは!! ばかばかばかやろう!!

あの日以来、ハンドバッグから財布がすられないように極力注意を払ってきたつもりなのだが、ハンドバッグそのものが奪われようとは思わなかった。

こちらでの生活に慣れ、最初の頃のような緊張感を失っていたのも確かだ。この街から旅行に出かけるときは所持品に気を配っている癖に、ニューヨークに戻ってくると、気を抜いている。でも、考えてみれば、いくら自分が住む街だからといっても、ここが一番「やられる」場所なのだ。しかも、クイーンズやブルックリン、ブロンクスなどの他区は、低所得者層も多く、マンハッタンよりも、さらにやばく、危険度が高いのである。

日本よりも、インドよりも、ヨーロッパよりも、ここは「狙われやすい」場所なのだ。

ハンドバッグの中には、お気に入りの 赤いGUCCIの財布をはじめ、化粧ポーチや、鍵やなんやかんやが入っていた。もちろん財布には、クレジットカードや運転免許証や、現金(普段は、危険だから100ドルくらいしか持ち歩かないのに、たまたま200ドルおろしたばかりだった)が入っている。

とにかく、最初の数分は大混乱。とっさに店の外に出ては見るものの、犯人はすでに逃げているに決まっているわけで、どうしようもできない。幸いにも携帯電話は使用中でバッグに入れていなかったので、各方面への電話はできる。

とっさに、A男の携帯に電話して、

「バッグが盗まれたのよおおおおぉぉ!」とひとまずの感情を吐露する。三連休を終え、仕事に戻ったばかりの彼にも、思い切り衝撃を与え、今思えば悪かったなあと思うが、そのときは取りあえず誰かに告白せずにはいられなかった。

「とにかく警察に電話しなさい」といわれ、そりゃそうだ、と思った矢先、前方に婦人警官二人(太った黒人のお姉さん)を見つけたので、

「バッグが盗まれたの、どうにかして!」と懇願するが、

「私たち交通課だから。マクドナルドのマネージャーにでも言ったら?」と返される。

(何なのよ! POLICEってエンブレム付きの制服を着てる癖に役立たず! 無線で通報してよ!)と思うが、とにかく二人にやる気は見られないので、携帯から警察に電話をする。ちなみにアメリカの警察と消防はどちらも911である。

警察は、どれくらい時間がかかるかわからないが、とにかく、来るという。店内に戻り、マクドナルドのマネージャーにも訴える。しかし、マンハッタンとは違って、いまひとつ反応が鈍く、シンパシーを感じない。さらには店内にいるお客の面々も協力的な姿勢がなく、「他人事」ってな顔をしていて、なんだかいやな感じ。

とにかく手元に一銭(1セント)もないから、たまたま隣にあったシティバンクに駆け込む。スケジュールノートが無事だったのも幸いした。なぜならこのノートに、クレジットカードや銀行口座の番号、カードナンバー、電話番号などを書き込んでいたからだ。それは一度財布を盗まれたときに得た教訓である。役に立つ日が来てよかった……などとと思うわけがない。

まずは、個人と会社両方の銀行カードを止めてもらい、新しいカード発行の手続きをしてもらう。データが揃えばその場で新規カードを発行してもらえるのが助かる。これでひとまずは現金が手に入る。

発行の手続きをしてもらっている間、アメリカン・エクスプレスに電話し、カードを止めてもらう。他のカードもすべて止めて再発行の手続きをする有料サービスがあるというので、とにかく、代行してもらうことにする。

ひとまず、クレジットカードと銀行カードをとめたので、新たな損失は防げる。しかし、わたしとしたことが、持ち歩く必要のない「ソーシャルセキュリティーカード」をたまたま財布に入れていた。これは、国民の「背番号」のようなもので、このナンバーは、納税や銀行口座の開設や、クレジットカードの取得などあらゆる場面で必要になる。

逆にいえば、このソーシャルセキュリティーカードとわたしの住所や生年月日が記されている運転免許証を盗まれたら、個人情報の大部分が流出したも同然となるわけで、彼らが巧妙であれば、新しいクレジットカードなどを開設することも可能なのである。奴らの第二犯罪をくい止めるためのセキュリティー・サービスもあるわけで、それもアメリカン・エクスプレスを通して依頼した。

ちなみに、個人情報の照合の際、本人確認に使われるデータとして「母親の旧姓」「出生地」などがある。

銀行で新しいカードを作ってもらっている間に、ポリスもやってきた。銀行の一画でレポート(事情聴取)をしてもらい、名前や住所、生年月日をはじめ、盗難の詳細と、盗まれたものの具体的な内容などを告げる。ありがちな窃盗であるゆえ、ポリスにも今ひとつやる気がなく、緊張感のないムード。

わたしの誕生日を聞いたポリスが、メモを取りながら、

「おう、つい最近、誕生日だったんだね。ハッピーバースデーじゃないか」と言うもんだから、ここぞとばかり、

「そうなのよ! このバッグはね、昨日、ハズバンドが買ってくれたばっかりなのよ!!!」と言うと、そのポリスをはじめ、シティバンクのお兄さんも、隣のデスクにいたお姉さんも、口々に

「オーマイガー!」

「オウ! ジーザス!」

「なんてこったい」

「そりゃひどい!」

「まあ、なんて不運なこと!」

と、みなそれぞれに、同情した様子を見せてくるものだから、わたしもさらに哀れみを強調したくなり、いかにそのバッグをもらってうれしかったかなどを、ひとしきり説明する。

「たとえ、100枚のコインが床に散らばったとしても、今度は拾っちゃダメだよ!」

急に親身になってくれた様子のポリスに忠告される。

コインだろうがお札だろうが、床が一面埋まるほどに落ちても、二度と拾わない(もしも手ぶらのときなら拾うけど)。それにしても、なんてイノセントなわたしだったのか。あんなところで、スケジュールノート広げて仕事なんぞしたわたしがばかだった。

マンハッタンとは違うのだ。もっと貧乏くさい格好をしていくべきだった。

ただ、救われたのは、次号のmuse new yorkに掲載するためのインタビューを10名分近くメモしたノートを、いつも持ち歩いているのに、オフィスに置いてきて無事だったこと。インタビューのメモは、お金にはかえられないから、本当によかった。

もしも、今朝、夏用のサンダルを履いていたならば、もしも、太陽の日射しが弱くて席を移動する必要がなかったら……、あれこれと仮定をしてみるけれど、結局は無駄なこと。でも、後悔せずにはいられない。

バンドエイドを買ったときにもらったビニール袋に、スケジュールノートと携帯電話を入れ、脱力してタクシーに乗る。地下鉄に乗る気もしないのだ。タクシーに乗った途端、それまで晴れていたのが急に曇り始め、やがて大雨になった。まるでわたしの心のようだわ。などと思いつつ、車の外を眺めた。

 

●怒り冷めやらぬその後のことなど

盗難されたその日。一日仕事が手につかず、それでなくても仕事が立て込んでいた週なので、予定が大幅に狂った。

午後、家に帰り着き、しばし放心状態で遅いランチを食べた後、仕事を始めようとするが、悔しくて悔しくて、泣くに泣けない事態が悔しくて泣いた。

「隙があった」と言われればそれまでだが、それにしたって悔しい。

「怪我をしたわけではないし、あなたが無事だっただけ、よかったわよ」と言われれば、そりゃそうだけどとは思うものの、全然うれしくない。擦り傷ぐらいだったら、バッグ盗まれるよりまし、などとも思う。縫うほどの傷はいやだけど。

「新婚で、少し気が緩んでたんじゃない?」と言われた日には、火に油を注がれた思いがした。一般人は思っても口に出さないようなタブーをうっかり口にする女、我が母親の身内ならではのストレートな意見である。そういう意見が出るであろうとは予測していた。しかし、考えてもみてほしい。

「わたし、新婚なの〜。らぶらぶで幸せ〜」なんて思いつつ、ハートを飛び散らしながら、わたしはマクドナルドで仕事をしていただろうか。否、していない。むしろ、ピリピリとしていたくらいだ。

わたしは、一見、シャープで注意深いタイプに思われがちだ。しかし実状は、集中する余り「ボーッ」としてしまうことが、多々ある。いや、集中していなくても、かなりそそっかしいところがある。地下鉄で反対方向の列車に乗ったり、高速で降りる場所を逃したり、「あれ、わたし、今、なにしようとしてたんだっけ?」とアルツハイマー的物忘れに陥ることも、少なくない。

だから、マクドナルドなんぞで仕事をし、そちらに集中する余り「危険」を感じ取る感覚が麻痺していたのは確かだ。もう、マクドナルドだろうがスターバックスだろうがバーガーキングだろうが、人の出入りの激しい場所で、絶対に集中して仕事なんかしないと決めた。

それにしても、憎むべきは盗んだやつら。腹が立つけどどうしようもできない。「地獄におちてしまえ!」とか思うけれど、それでも物足りず、「生き霊になって、夜な夜な出てやる!」などと思ってしまい、我ながら怖い。

結局は、わたしが加入している傷害保険に申請すれば、減価償却がなされるものの、かなりの現金が返ってくるはずだ。あるいは、クレジットカードに付帯されている保険のサービスを利用することもできるほか、購入の際に使用したA男のクレジットカード会社からの保険もきくため、いずれか割のいいものを選んで申告する予定。だから、金銭的には大きなダメージを受けることはない。

ただし、申告の際には、警察証明が必要で、それを入手するのに郵送での手続きとなるから2週間ほど、更に保険会社に申請してからの手続きが1カ月ほどかかるので、手元にお金が戻るまでは2カ月程度かかるだろう。

盗まれたその夜は悔しさでなかなか寝付けず、しかし、一つの確信があった。必ず、何かが戻ってくる、と。

翌朝7時。目覚まし時計が鳴るより早く、電話の音で目を覚ました。普段はそんな早い時間の電話は出ないのだが、わたしは「来たな」という思いで、受話器を取った。

電話の主は、犯行現場から2マイルほど離れた場所にあるショッピングモールに勤務する女性だった。なまりのきつい声から察するに太った黒人の中年女性とみた。彼女いわく、パーキングにわたしのクレジットカード類や名刺入れなどが落ちていたという。

住所を聞いたのち、「今日、取りに行くわ」とはいったものの、頭がはっきりしてきたのちに考えると、取りに行くのは危険に思えた。うかうかと指定の場所に出かけていき、第二次犯罪に巻き込まれる可能性があることを、以前財布を盗まれたとき、ポリスに忠告されていたのだ。

彼女は、そのショッピングモールに一日中働いているから、そしてわたしの名前、RUFFELLをいえばわかるから、といって電話を切った。スペルを聞きながら、RUFFELLとは、変わった名前だと思いつつ、電話を切る。

ショッピングモールだから大丈夫だろうと思いつつも、その日に行くのはやめて、翌日、またもや印刷所に行かねばならなかったので、ついでに立ち寄ってみた。

モールの掃除担当らしきおばさんたちがいたので、「RUFFELLを探しているんだけど」と告げるが誰もわかってくれない。そこへ、一人の若くて小柄な黒人男性が現れた。

「君がミホかい?」といいながら、自分の制服の胸に刺繍された名前を指す。「RUSSELL」とある。おお。ラッセルか! しかもあなた、男だったのね。男性を女性と思っていた上に、スペルを聞く際、SとFを聞き間違えていた。われながら、とほほ。である。

彼は、オフィスへわたしを導き、ビニール袋を渡してくれた。なかには、クレジットカード類一式、運転免許証、ソーシャルセキュリティーカード、日本語の本とメモ帳、名刺入れ、化粧ポーチなどが入っていた。

盗まれたのは現金と、GUCCIのハンドバッグと財布、そして、DOONEY&BURKEのキーホルダーだった。ご丁寧にも鍵だけ残されている。一応革製品だがブランド物ではない名刺入れと、それから、決して安くはないのだが、ビニール製でカジュアルに見える化粧ポーチなどは残されていた。選り好みしやがって! と、残されていたら残されていたで、腹が立つ。

ま、運転免許証やソーシャルセキュリティーカードの再発行手続きをしなくてすんだだけでも、よかった。

結局、狙いは「ハンドバッグ」そのものだったのだようだ。その後聞いた話しによると、今、ブラック系ミュージシャンたちの間で、GUCCIが流行っているらしい。いったい、誰に売られてしまったんだ、わたしのバッグ。

盗人の立場からすれば、ブランド物を見極めて盗むことなどたやすいことで、わたしは格好の餌食だったわけだ。事件後、数日、人々のバッグを中心とする行動を見ていると、隙がある人のなんと多いことか。「わたしにも盗める」というシーンに、何度も出くわす。できるかどうか、試してみたいくらいだ。

わが身は自分で守らねば。緊張感を持ち続けるっていうのは非常にストレスになることだが、それもこの街に住む人の定めであろう。仕方ない。

 

●所持品に気を付けよう。わが知人たちの体験談

ところでこの数日間に会った人、電話で話した人の大半にこの事件を語った。もう何十回も同じ話をした。そして改めて知ったのだが、ニューヨークに住んでいる友人(女性)の大半が、一度は何らかの形で盗難の被害に遭っているということだった。紛失のケースも含め、いくつか紹介したい。

 

★盗難 ケースその1:ポシェットから財布を抜かれる(Jさん)

マンハッタンのBloomingdale'sというデパートで。所持品はたすきがけにしたジッパー付きのポシェット。化粧品(クリスチャン・ディオール)のカウンターで、商品を眺めていると、突然、数名の黒人女性たちが集まってきて、店員と話し始めた。数分後、気が付いたらポシェットが軽い。ジッパーを開けて確かめると、財布が抜かれていた。しかもご丁寧にジッパーが閉められていたのに腹が立った、とのこと。

教訓:たとえ所持品が肌に触れているからといって安心するなかれ。他人が近寄ってきたときには、バッグに手を添えることを条件反射化しよう。

 

★盗難 ケースその2:車の助手席からハンドバッグを盗まれる。(Sさん)

友人を助手席に乗せ、運転していたときのこと。パーキングに駐車した際、友人が助手席にバッグを残して、車外に出た。その次の瞬間、運転席側の窓から見知らぬ男性に「車の後ろの方にケチャップがついてるよ」と声をかけられる。Sさんが、「えーっ?」といいながら、車の窓から首を出した隙に、助手席のハンドバッグを盗まれる。

教訓:車内にいる際は、窓を閉め、ロックすること。たとえそれがケチャップだろうがソースだろうが醤油だろうが味噌だろうが、車についているといわれても、見ないこと。

 

★盗難 ケースその3:高級レストランにてバッグを盗まれる。(Kさん)

マンハッタンのダウンタウン、トライベッカにある高級レストランにて。日本から来た友人と食事をしていたところ、若い男女数名が、静かな店内にどやどやと入ってきた。予約なしでは入れないと言う店員の言葉を無視して店内をうろうろしたあと、数分後に全員が去った。その直後、日本から来た友人が、椅子の肩にかけていたハンドバッグがなくなっていることに気づいた。パスポートや航空券など大切な物がたっぷり入っていた。

教訓:高級レストランだからといって油断するなかれ。特に椅子の肩にバッグをかけるのは危険。たとえ向かいに座っている人の視野に入っていても、盗まれていることに気づかないことが大半なのだ。

 

★盗難 ケースその4:デパートにて財布をすられる。(わたし)

クリスマスシーズンの込み合ったメイシーズ。わたしは靴売場で、あれこれと履き比べていた。椅子が3つ並んでいるうちの、右端に座り、真ん中の椅子にバッグを置いて、あれこれと靴を脱いだり履いたりしていた。買う靴を決め、レジで支払おうと思った時に財布が抜かれていることに気づいた。多分、左端の椅子に座っていた女性が抜いたのに違いない。

教訓:ハンドバッグは肌身離さず持つこと。バッグの口を開けたまま歩くのも厳禁。きちんとジッパーを閉じること。特にホリデーシーズンなどは要注意。財布とハンドバッグを紐やチェーンなどで結んでいるニューヨーカーは少なくない。

 

★盗難 ケースその5:コリア・タウンでカバンを盗まれる(Yさん)

コリア・タウンのカフェにて、窓際のカウンター席に座り、ハンドバッグは足下に置いていた。気づいたときにはバッグはなかった。

教訓:置く場所がなく、足下に置く場合は、せめて足と足で挟むとか、紐の部分を足に通すなどの対策を。

 

★紛失 ケースその1:タクシーにハンドバッグを置き忘れる。(Pさん)

たくさんの買い物をして、タクシーを降りたとき、手には紙袋があるばかりで、ハンドバッグを忘れてしまった。結局、戻ってこなかった。

教訓:タクシーを降りる間際には、必ず振り返ってシートを確認する。また、いざというときのために、車のナンバーが記された領収書を受け取る習慣を。

 

★紛失 ケースその2:地下鉄駅で、ダイヤモンドを落とす。(Mさん)

初出勤の日。母親にもらった十数万円のダイヤのペンダントをして行くつもりが、家で付ける時間がなかったため、地下鉄駅で付けていたところ、自分の乗る電車が来た。急いで飛び乗った次の瞬間、ダイヤモンドのペンダントヘッドがないことに気が付いた。(5年前に紛失したが、未だに母親にはなくした事実を告げられず心が痛む

教訓:ダイヤモンドに限らず、移動しながらジュエリーを身につけるなかれ。

 

まだまだ、たくさんの例を聞いたのだが、このへんにしておく。日本ではこのような被害は少ないのだろうが、アメリカでは日常茶飯事である。

みなさんも、お気をつけください。


Back