坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 56 11/6/2001

 


いきなりな題名に変えました。ギョッとさせてしまったかしらん。

最近、「自己回帰」をテーマに生活を移行しているその一環として、露骨に「坂田マルハン美穂」を出すことにしました。「ニューヨーク」「ミューズ・パブリッシング」「muse new york」「DC」その他諸々の、建前や形容詞はすべて二の次。

マルハンって名前、今でもあんまり好きじゃありません。でも、「坂田美穂」は日本全国で同姓同名が何人もいるであろう一方、「坂田マルハン美穂」っていうのは、この地球上で、この私、一人だけのはず。だからどうだ、というわけではないのですが、その「世界に一つ」という感覚が、わが心の琴線に触れている次第。

会社を作った当初は、少しでも多くの仕事を取ることが目標でしたので、できるだけ会社のキャパシティを大きく見せようと、何かにつけ「会社ぶって」いました。だって、いくら私が「1人で5人分働きます」とそれとなく、厚かましく主張してたとしも、仕事を出す側としては、個人にあれこれ発注するには不安がありますよね。

もちろん仕事が取れて、作業が順調に進みそうであれば、クライアントに応じて実状をさりげなく伝えて来ましたけれど……。ま、何というか「見栄を張っていた」わけです。ここ数年。仕事を取る上では、多少、大風呂敷を広げることも必要です。

とはいえ、もともと人を雇って会社を大きくしようという発想がなかったこともあり、最近、自分がやっていることに懐疑的になって来ました。そもそも会社を作った理由は、アメリカで働くための就労ビザが欲しかったからであって、グリーンカードを持っていればフリーランスでもよかったのです。

会社を作ったことで、muse new yorkを出版しようという気持ちにもなれたし、仕事も順調に取れたし、これはこれでよかったのですが、今、分岐点に立っているせいか、今までと違うことをあれこれとやってみたいのです。

「できるだけ身軽に」が目下のプラン。目に見える物も見えない物も。5年前に渡米したときに、いろんな物を捨ててきたのと同じように、もう一度、身の回りを見直す時機に来たようです。来年1月の引っ越しのときには、物理的にもかなり身軽になりそうで、考えただけでもすっきりさばさばしてきます。

この5年間で、私の部屋は飽和状態となってしまい、表面張力を突き破って、今にもあふれ出そうな状態なのです。

ところで、おととい(11/4 )からボストンに来ています。A男の出張(カンファレンスへの参加)についてきたのです。4泊5日の滞在です。休暇を兼ねてのんびりと過ごそうと思っています。朝からのんびりと、「作家大先生」の如く、ゴージャスなホテルの一室でノートブックに向かうひととき。かなり幸せな気分です。

では、先々週からの出来事から、記録しておきたい出来事を綴ってみるとします。

 

●10月26日(金)〜:メリーランド州の国立公園にあるリゾートで過ごす週末

金曜の夜から2泊3日で、メリーランド州にあるロッキーギャップ国立公園に行った。すばらしい彩りに紅葉した木々に囲まれるように湖がたたずみ、その湖畔にはゴルフ場とロッジ(ホテル)がある。

私は、ただのんびりと静かな大自然の中に身を置きたかったので、ボート遊びやトレッキングなどができるこの場所を選んだ。

この週、日本の情報誌の取材で、毎日のようにDCの町中を歩いていた。ジャケットもいらず、長袖のシャツを着ていると汗ばむくらいに毎日暑かった。半袖でもいいくらいの陽気だった。ところが、金曜になって急に気温が下がり、まるで晩秋のような寒さになってしまった。

夕方早めに帰宅したA男と、5時過ぎに家を出る。夜、部屋で飲むためのワインや、翌朝寝過ごして朝食を食べ損ねた時のためのフルーツなどを車のトランクに詰め込んで……。

夕暮れのハイウェイを北西に向かって走る。山間のドライブルートは見事な紅葉に包まれていた。

8時頃、湖畔のロッジに到着。ロビーの暖炉には灯がともり、すっかり冬の風情が漂っている。おなかが空いた私たちは、チェックインをすませるやレストランへ向かう。

金曜の夜だけ「シーフードビュッフェ」というのをやっていて、大人25ドルで食べ放題というメニューがあった。カキフライ、エビのグリル、白身魚のフライ、サーモンのソテー……そして山のように盛られたズワイカニ。田舎のホテルのレストランだから、料理は少しも期待していなかったのだが、凝った調理の必要がなく「蒸されただけ」のズサイカニが一番おいしかった。

木製のハンマーで、カニの足をコンコンと叩いて砕き、身を取り出して食べる。私もA男もすっかり黙り込み、ひたすら食に集中した。私たちって、おいしいものを与えられるとひとまず心身共に満たされるから幸せ者だ。車中の大バトルも忘れ、食に熱中する。

大バトル……。A男の危険な(鈍くさい)運転に、しばしば私が叫び声を上げるため、私たちのドライブ時には、喧嘩は付きものなのだ。ならば私が運転すればいいと言われそうだが、それはそれで地図が苦手なA男にナビゲーターを頼むと、とんでもないところへたどり着くから、別のタイプの大喧嘩になるのである。A男には悪いが事実だから仕方ない。

さて、翌朝は、あらかじめ予約を入れていたスパへ。初体験の「ストーン・マッサージ」を受ける。温められた丸みのある石で、オイルを塗った身体の表面をマッサージしてもらうのだが、そのほどよい温かさと石の質感が、なんとも気持ちいい。

セントラルパークには、古生代からの巨大な岩石が転がっていて、天気のいい日など太陽の熱で温まった石の上に寝転ぶと、固いにも関わらずものすごく気持ちいいのだが、それに似た感覚だ。すごくリラックスさせられる。

マッサージのあと、しばし部屋で休憩し、二人で湖畔を散策する。かさかさと鳴る落ち葉を踏みしめながらゆっくりと歩く。足下にはどんぐりがいっぱい転がっている。

「先週は夏みたいに暖かだったのに、今日は冬のようね」

擦れ違ったホテルのスタッフが、肩をすくめながら言う。

風が冷たくて、ボート遊びどころではない。

冷たく澄んだ空気は、頭の中をすっきりさせてくれて、それはそれで気持ちがいい。何より青空に映える紅葉の彩りが何とも美しい。

ロッジに戻り、レストランでランチを食べたが、夕べの食事に比べると格段にまずい。素材の質や取り合わせは悪くないのに調理が下手な料理だから非常にもったいない。ランチ担当の調理人が未熟者なのか。

いずれにせよ、ホテル近辺で食事が出来るのはこのレストランが唯一。まずい上に値段も高いから、これでは今夜が思いやられる。夕食は自分たちで用意しようと、車で近所のスーパーマーケットへ行くことにした。

スーパーマーケットでは、なぜかわからないが、ワインがすごく安かった。メリーランド州は酒税が安いのだろうか。ニューヨークやDC周辺の2割から3割安。それを発見したA男は、「ミホ、買いだめしようよ」と賢い主婦の如く提案。

ベルギー産のストロベリーやチェリーのビールも安い。甘酸っぱくてとてもおいしいビールなのだ。ワインとビール、思いがけず大量に買い込んでしまう。

フルーツやチーズ、普段はデブ予防のために買わないスナック菓子なども買い、ロッジへ。それぞれベッドに横たわり、それぞれに本を読み、ワインを飲み、ポテトチップなどをバリバリ食べ、だらだらと過ごしているうちに、二人とも寝入ってしまう。

目が覚めたら夜の8時を回っていた。軽く3時間は寝ていた模様。シャワーを浴びて軽くフルーツを食べ、「あんなに寝たから寝られないかもね」といいつつ、11時頃には再びベッドに入り、二人ともあっという間に寝付いた。

翌朝、目を覚まして時計を見ると10時。よく寝たもんだ。しかもこの日から夏時間が終わるので、実際には9時だ。時計を巻き戻し、1時間得した私たちは、ノロノロと朝食を取り、本の続きを読み、午後になってロッジを離れた。

たっぷりと安らかに眠られるって、とても幸せなこと。

 

●10月30日(火):muse new york 郊外デリバリーの一日

月曜日にDCからNYに戻ってきた。muse new yorkの最終号が、印刷所から届いていた。なかなかいい出来だ。表紙も今までとはレイアウトを変え、全面写真にしている。とてもいい感じだと思う。

朝、レンタカーをピックアップし、トランクに段ボールを詰め込んで、郊外へ配達へ。2年余りの間、これで9回目の郊外配達ドライブ。ハドソン川沿いを北に走りながら、この短いような長いような、2年余りの月日を振り返ってみる。

「よく続けたよな」という気持ちと、「何やってたんだろ」という気持ちと。結局、「どうしたい」という具体的なビジョンのないものは、具体的な何かにたどりつけないまま終わってしまう。muse new yorkは、どこにもたどりつかないまま、パタリと幕を閉じた。良くも悪くも。

 

◎R子の新居を訪問。庭で運動会ができそうなほど広い400坪の敷地

配達の途中、ニューヨーク州ウエストチェスター郡のホワイトプレーンズという街で、R子一家と待ち合わせ、モール内の日本料理店でランチを取る。R子一家は数日前、イーストヴィレッジのアパートメントからこの近所の一軒家に引っ越してきたのだ。

事件以来、R子はひどく消耗している。ヴィレッジでの生活がどうにも落ち着かなかったらしい。小さい子供もいるし、少しでもリラックスできる場所に引っ越したかったのだ。

ランチのあと、彼らの家に立ち寄った。樹齢何百年もありそうな大きな木に守られるように立つ角地の一軒家。2階建てプラス地下室もある。裏には広々とした庭。ここにも「木立ち」があり、芝生の上に黄色や茶色の枯れ葉がつもっている。

敷地面積は約400坪だとか。なんだか笑いがこみあげるほど広い。マンハッタンに住んでいると、比較的日本的な尺度で家屋のスペースを捉えるけれど、このような広さの居住空間が、本来の「アメリカンライフ」なのだ。

郊外に住む人たちが「マンハッタンは人間の住む場所じゃない」などと言う理由が、こういう所に来るとわかる気がする。

郊外にある「Home Depot」などのホームセンターに行くと、自分たちで「家造り」をする材料が、ぴんからきりまで揃っている。木材などの材料はもちろん、浴槽にキッチン、ドアや窓枠といった大物がゴロゴロと展示されているわけで、そういうところにアメリカの「開拓者精神」を垣間見たりもできるのだ。

それにしても彼らの住まいは広かった。表面張力を突破しそうな自分の部屋が、本当に息苦しく感じられてくる。

2歳になったばかりの息子が、「庭の片隅」で、同じ場所をぐるぐると駆け回っていた。

「まだ広いところを駆け回るのに慣れてないのよ」と苦笑するR子。

そのうち、この広々とした庭一杯を我がものに、彼は走り回りながら育っていくのだろう。

かなりハウスシチューのコマーシャル的なR子の近況だった。

 

◎日系食料品店「ミツワ」でのお買い物も、これが最後か

ウエストチェスターの配達を終え、ニュージャージー州へ向かうべく、ジョージワシントン・ブリッジを通過する。2階層になっているこの橋、トラックは上階を使用せよとのサインが表示されている。

テロのあった直後、橋で爆弾が発見されていたらしく、また主要ルートとして狙われる可能性の高いこの橋。危険物を積載したトラックが爆発した万一の場合を想定して、ダメージを軽減するために上階を走らせているという。

配達先の顔なじみになった店主らに、「これで最後なんです」といいながら配達する。なんとなく、しみじみとした気持ち。

そして配達を終えた夕暮れ時、配達後の恒例として日系食料品店「ミツワ」へ行く。このスーパーマーケットへ向かう途中、Edgewater Rd.という道を西から東へ走るのだが、小高い丘からマンハッタンが一望できる、すばらしいビューポイントがある。私はここからマンハッタンを眺めるのが好きだった。時には車を停めて休憩を兼ね、その風景を眺めたものだ。

この、最後の配達で、秋の夕陽を浴びながら輝く摩天楼を、あったはずのものが欠けた風景を見るのは、ひどく辛いものだった。いろいろと考えたくなくて、スーパーマーケットへ急いだ。

新鮮なサーモンやカレイ、サバなどの魚介類、地鶏にしゃぶしゃぶ用牛肉、味噌、醤油、キューピーマヨネーズ(アメリカのマヨネーズは締まりのない味だから苦手なのだ)などの調味料などをカートに放り込む。

お菓子売場を歩いていると、またもや今度は怪しげなアメリカ人に声をかけられる。前回は刺身のつまを作りたいと訴える大根を抱えたラテン系の中年男性だったが、今回はデブな白人の老夫婦だ。彼ら、まだ支払いを終わっていないチョコレートのポッキーを食べながら買い物している。

アメリカ人って、これ、よくやるんです。スーパーマーケット内で支払ってないものを食べながら買い物し、空箱や空の包みをレジに出して支払うという、日本人には信じがたい行動を。子供なら、いや子供にだってそんな行儀の悪いことさせるのはどうかと思うが、大人がこれだから。ぎょっとさせられる。

さて、その老夫婦の妻の方が、ポッキーのチョコレートの匂いをプンプンさせながら近寄ってくる。

「ねえ、ちょっとお尋ねしたいんだけど、このスナック、おいしい?」

そう言いつつ、カッパえびせんの「バーベキュー味」を指さした。カルビーのカッパえびせんはアメリカ国内でも製造されていて、パッケージも英語表記のものがあるのだ。日系食料品店だけでなく、コリアンやチャイニーズ系の店でも販売されている。

「わたしはプレーンのカッパえびせんの方が好き。バーベキュー味はちょっと味が濃すぎて塩がきついのよ。でも濃い味が好きならこちらのほうがいいかもよ。……あ、私はこの枝豆スナックが好きだわ。これ、なかなかおいしいわよ」

聞かれてもいないことまで教えて、感謝されながら立ち去った。それにしても、毎回のように、商品について尋ねられる私。なんでだろ。

一画に神戸風月堂が新しく店舗を出していたので、懐かしくなりゴーフルを購入。A男もきっと好きなはず。

以前は食べなかったカキピーや、サラダ一番風のお煎餅など、ここ数年のうちに嗜好がどんどん日本人化している彼。前述のカッパえびせんも好きだわね。どらやきやカステラにも目がないし。っていうか、ただ単に、何でも食べる奴ってだけのことかもしれない。

夜はご飯を炊き、白菜の煮物と魚の煮付けを作り、しみじみと、一人の夕食を味わった。おいしかった。

 

★不景気の風が吹き始めている。在米日本人の傾向の断片

不景気の有り様が、街の様子や人々の会話から、確実に伝わってくる。航空業界、旅行業界が大打撃を受けているのは周知の通りだが、テロ直後に比べれば客足が戻りつつあると言っても、エンターテインメントやファッション業界、レストランなど、あらゆるシーンで、人々の財布の紐が堅くなっているようだ。

不景気を予想して、人々は散財を抑えようとしているらしい。それはニューヨーカーだけでなく、アメリカ人全般に言えることかもしれない。

株に投資することで資産を運用している国民が多いアメリカだから、株価が下がり景気回復の見通しが立たない状況にあって、ひとまずは倹約を心がける気持ちは理解できる。

一方、日本人を相手にしている日系企業やビジネスはどうだろうか。これもまた、芳しい話はほとんど聞かれない。

主に日本からの旅行者を相手にしてきた土産物店やブティック、日本食レストランなどは閑古鳥が鳴いている。旅行代理店の打撃は何をかいわんや。うちの会社にも、テロ以来、旅行代理店からの「特別キャンペーン」をうたった格安航空券やホテルパッケージ、ツアーの案内が次々に届くが、「これで売上げは立つのか?」と心配になるほど、安いプランが目白押しである。

すでに小さな日系旅行会社が倒産したという話も聞いた。

ジュリアーニ市長が言うように、ニューヨークに旅行者が戻ってくることが、何よりの景気回復になるのだろうが、そうは見えなくても現実的には「戦時下」であり、「厳戒態勢が敷かれている」昨今、旅行者が気安くニューヨークを訪れるまでに時間がかかることは否めない。

日系企業の駐在員が撤退し始めているという話も聞く。先を見越して駐在員を削減し、安い給料で採用できる「現地採用の社員」を充てる方策に出ている企業も少なくないようだ。大手企業に勤務する知人の夫は、事件以降、帰国命令が出た同僚たちの仕事を現地採用のスタッフに引き継ぐなどの作業で、連日、夜遅くまで仕事に追われているという。

駐在員妻の帰国も増えているらしい。そもそも「来たくて来たわけではない」駐在員夫人は、テロ以来ノイローゼ気味になっている人が少なくなく、夫を残して単身、もしくは子供だけを連れてひとまず帰国するケースが多いという。

ニュージャージーのフォートリーという街は、日本人やコリアン系住民が多く住んでいるのだが、日本人を相手にしているヘアサロンのオーナーが、客足が遠のいていると嘆いている。

マンハッタンでもないのになぜ? と思うのだが、自宅から外に出ることすら抵抗を覚えている人たちが多いという。あるいは「髪を切る」ことまで考えられないというのか。

そもそも駐在員夫人の多くは、テロ以前でさえ、橋を超えてすぐの対岸にあるマンハッタンへは滅多に足を踏み入れない。以前、とある駐在員夫人が主催する料理教室のクリスマスパーティーに招かれたとき、そのような現実を目の当たりにして非常に驚いた。

さて、マンハッタンには駐在員以外でも、私のように自営業をやっている人や、フリーランスで生計を立てている人がたくさんいる。日本のメディアからの仕事を請け負っているライター、フォトグラファーなどは、仕事がパッタリと来なくなり、たちまち収入源を失っている。

デザイナー、ミュージシャン、ダンサーなど、ニューヨークだからこそ実力を発揮できると訪れた人たちの多くも、収入の道が途絶え始めている。

なぜなら、本業で生計を立てられない「発展途上」の人たちは、日本食レストランでアルバイトをしたり、旅行会社からの下請けでツアーコーディネートをしたり、企業視察の通訳などをして生計を立てている人も少なくないのだ。

日本人駐在員御用達の「ピアノバー」と呼ばれるクラブで働いている女性も多い。49丁目東側界隈に多いピアノバー。すでに数軒が店を閉じたと聞く。「今年いっぱいがんばって、レントの契約が切れたら手放す」と言っているオーナーもいると聞く。

「今年いっぱい」をキーワードに、区切りをつけようとしている人が多いようだ。

現地採用されている日本人には、更に「就労ビザ」の問題がある。たとえばグリーンカードを持っていれば、たとえ解雇されたとしても「何でもいいからバイトして稼ごう」とか、「しばらく職探しをして、地道に食いつないでいこう」という方法もあるだろうが、私たちが外国人である以上、それは不可能だ。

会社のスポンサーなしに就労ビザを維持することは出来ず、期限を越えて滞在することは即ち違法(イリーガル)となる。

就労ビザの受給に関しては、会社がコーディネートしてくれるから何の苦労もなく渡米し勤務できる駐在員と、現地採用の人間との間は、この「ビザの問題」が断然違う。しかし、外務省の把握している情報や、日本に流される情報による「アメリカで働く日本人」とは、駐在員のことだけを中心に取り上げられ、自力で渡米してきた数多くの日本人たちへのケアはほとんどなされていないし注視されていない。

現地採用者は一般に、立場も給料も低いのだ。不条理なほどに。

「アメリカに来たくて来てるんだから仕方がないでしょう」などと言うなかれ。人それぞれに、それぞれの事情があり、それぞれに懸命なのだ。想像力も働かせることも、思いやりのひとつだろう。

就労ビザのために、そしてそれを通してグリーンカードを得るために、泣けてくるほど辛い思いをしながらがんばっている人たちを、私は何人も知っている。ビザスポンサーという名目のもと、人質同然、薄給で何年も働いている人たちを知っている。

そうまでしてでも、アメリカに住んでいたい、いつかはグリーンカードを得て自由に仕事ができるようになりたい、そういう思いでがんばってきた人たちが、今回のテロで解雇され、数年間の努力を水泡に帰しているケースもある。たまらない。

 

●10月31日(水):マンハッタン・デリバリーの一日。ジョージさんの苦悩

そして最後のマンハッタン・デリバリー。マンハッタンでの配達をジョージさんに手伝ってもらいはじめて、すでに5回目。muse new yorkは合計で9号出したから、半分以上を手伝ってもらったことになる。

この日はハロウィーンだった。第二のテロが起こると噂されていた日。数日前から再びHighest Alert(厳戒態勢)に突入している。そんなマンハッタンを、ジョージさんの車で縦横無尽に走りながら、配達する。

「ねえ、ジョージさん。私、muse new york、何となく発行を始めて、ちゃんと目標がなかったから、何となく終わっちゃって、利益が上がるどころか赤字でさ。それはそれで、やりがいもあったし楽しかったけど、なにやってたんだろうな〜、ってちょっと思ってるんだ」

何とはなしに、ポロッと本音を言ったら、それまでテレテレとした会話をしていたのが、急に改まった声で彼は言った。

「何言ってんだよ、美穂ちゃん。世の中には口先ばっかのヤツが多いのに、美穂ちゃんはちゃんと実行してるじゃないか。やろうと思ったことを行動に移せるヤツはそうそういないって。利益より何より、残った物はたくさんあるやろう。よくやったよ。第一、こんなに重い段ボールを抱えて配達しようなんて、誰も考えないって」

ジョージさんが、お世辞ではなくて、心からそう言ってくれているのがわかって、とてもうれしくなった(我ながら単純……)。そうだそうだ。2年余り続けただけでも立派なもんだ。

「そうよね。実行することって、なかなかたいへんだもんね」

お得意の自画自賛で相づちを打った。

それにしても今日は道路が空いていて、配達は順調に進む。厳戒態勢だからポリスが多くて移動に支障があるかと思いきや、むしろ人々はマンハッタンを避けているのか交通量が少ない。

「あのテロ以来、マンハッタンのドライバーが、なんだか優しくなったよ。前は道を譲る人なんてほとんどいなかったけど、最近譲られたりするしね」

彼の妻(アメリカ人)はミッドタウンに勤務していたが、あの一部始終をオフィスビルから目撃したため、精神的にひどいダメージを受け、マンハッタンに出勤するのは当分いやだといって、アップステート(ニューヨーク州の北部)の自宅で仕事をし、会社とは電話やインターネットで連絡を取り合う日々が続いているという。

「最初の1カ月くらいは、突然泣き出したり取り乱したりして、結構たいへんだったよ。最近はタリバーンの替え歌を歌ったりしてだいぶん元気になったけど

「でもさ、アップステートだから安心ってわけでもないんだよ。最近、うちの近所のハドソン川沿いにあるニュークリア・プラント(原子力発電所)が狙われてるって言う噂もあるし。いやになっちゃうよ、まったく」

本当に、いやになる噂ばかりだ。それでも、いちいち恐怖におののいていては生活ができなくなる。こんなときにはある程度「鈍感」に生活をしていく必要があるのだ。「過敏」になるほど、疲弊する。

そのジョージさん、このところ本業の調子は今ひとつらしいのだが、今回は更に重かった。彼ら夫婦が資産運用のために購入していた家を、まとまったお金が必要になったため手放そうと、ブローカーに依頼して購入者を探していた。数カ月前、買い手が見つかったので、それまで住んでいた人に出ていってもらったところ、あのテロが起こった。

買い手は航空業界に勤務していた人で、契約の直前になって購入を取り消される。それからしばらくして、ようやく次の買い手が見つかったにも関わらず、その人のビジネスがうまくいかなくなったとかで、私たちが配達をしている最中に断りの電話が入った。

誰も住んでいない家を維持するだけでも、支払いは自分がせねばならないからたいへんなことだ。ジョージさん、すっかり落胆している。

「あー、もう! タリバンのせいだ。畜生!」

慰めの言葉もない。

配達を終え、恒例、日本食レストランでお酒を飲みつつ遅いランチを食べて解散。

「お互いがんばろうね。元気でね」

彼の車が走り去るのを、手を振って見送った。

 

●11月1日(木):もしかすると最後かもしれない中国系印刷所へ

午前中、例のクイーンズにある中国系の印刷所へ。今後はDC近辺で印刷作業をすることになるだろうから、ひょっとするとここに来るのは最後になるかもしれない。そう思うと、感慨深い。

ミューズ・パブリッシングを設立して以来3年間、何度この印刷所に足を運んだことか。毎回印刷の現場に立ち会うのは、きっと私だけだったに違いない。ほとんどの製作会社は印刷所に任せきりだから、印刷所のジェームズも、いちいちスケジュールを指定する私にうんざりしていたものだ。

「完成度」の基準が違う彼らと私だから、気を許したら「傷物」が仕上がってくる。しつこいほどに印刷所に通い、重箱の隅をつつくように品質管理を促したのは、たとえ面倒でも、それが最低限の、私自身の仕事に対するプライドであり責任感だった。

「取るに足らないことだ」と他人から思われるようなことでも、最低限のルールを自分の中で決めることは、自分が持っていた慣習とは違う世界の中で仕事をする際、とても大切なことだと思う。さもなくば、さまざまな事柄が「なし崩し」になってしまい、ひいては自分が混乱することになる。

印刷所とはもめることばかりの3年間で、怒り狂いながら帰ったことも数知れず。でも、もう来ないだろうと思うと、少し寂しい。

私を取り巻くいろいろな事柄が、移り変わりの節目にある。過渡期だ。

 

◎髪を切りに行った。ヘアサロンで、9/11以降の出来事を語る

印刷所の帰り道、午後の打ち合わせがキャンセルになったので、行きつけのヘアサロンに電話を入れる。以前紹介した、Iさんが経営するサロンだ。日本にいたころは思い切りショートカットだったから、頻繁にカットに行く必要があったのだが、ニューヨークに来て髪を伸ばし始めて以来、気がつけば半年過ぎていた、いうこともしばしばだった。

前回は結婚式前に、少し髪の色を明るく染め、整えた。あれから4カ月と少したっている。本当は髪を切ると言うよりも、Iさんに会いたかった。日系のヘアサロンが不振だと聞いていたから、様子を見に、そして景気づけに行きたかったのだ。無論、私一人が訪れたところでたいして売上げに貢献できるわけではないが、賑やかさでは3人分は軽いだろう。

ロックフェラーセンターの近くにあるサロン。Iさんは相変わらずにこやかで元気だった。この日はたまたま暇だったらしいが、事件以来、一時客足が減ったものの徐々に回復し、今は通常と変わりないという。よかった。

Iさんのお客さんには、ワールドトレードセンターで働いていた日本人駐在員(男性)が10人以上いるらしいが、全員無事だったという。多数の行方不明者を出した金融会社に勤める人たちばかりだったが、みな「偶然に」助かったのだという。

多くの同僚を失った顧客の一人は、あの朝、生まれたばかりの子供が熱を出し遅刻した。地下鉄の駅を出た途端に一機目が激突。自分だけが助かったことに対し、罪悪感もあって、ひどく落ち込んでいるという。

そのような、お客さんの話をあれこれと聞きながら、彼女はポツンと最後に言ったこと。

「私ね、今回の事件でびっくりしたのはね、日本人の駐在員で、アメリカのこと嫌ってる人が多いってことなの。ざまあみろ、って感じに思ってる人が結構いるのよ」

「えっ? それって年輩のおっさんたち?」

「ううん。30代くらいの若い人でもそうだよ」

「ニューヨークに住んでて、アメリカでお金稼いでて、しかも日本人だって被害に遭っているのに?」

……やはり、という思いと、ニューヨークに住んでいてもそういうことを言うのか、という驚きとが交錯する。

「遅刻して助かった人がいて、彼は苦しんでいるの」と彼女が言えば、「そんなやつは苦しんで当然。同僚が死んだのに遅刻して助かるなんて」なんてことをいう駐在員もいて、彼女は心底、驚いていた。

今回のテロに関して、いろいろな意見が出るのは当然のことで、その善し悪しを議論するつもりは一切ない。このメールマガジンでも、私はテロに関する私見を明記せず、できるだけありのままの出来事を記してきたつもりだ。なぜなら自分が今考えていることを具体的に文字にした場合、その発言にまったく責任を持てないから。

ただ、このような話を聞くと、本当にがっくりときてしまうことだけは記しておきたい。

 

★郵便局の風景。炭疽菌、炭疽菌……。

ご存じの通り、アメリカは炭疽菌騒ぎが延々と続いている。テレビのニュースにも新聞記事にも、Anthrax(炭疽菌)という言葉が出ない日はない。

先日、muse new yorkの郵送分を山ほど抱え、郵便局に行った。窓口に並ぶ5人の職員はみな、密着型のビニール手袋をしている。

うち二人の女性はマスクをしていたが、それ以外の3人はしていなかった。

彼らはいつもと変わらず、雑談をしつつ、ノロノロと手際悪く作業をしていた。いつもなら苛々として(おしゃべりはいいから手を動かせ!)と内心悪態をつくところだが、この日はそういう気持ちにはなれなかった。

私が職員だったら間違いなくマスクをしているだろう。

していない彼らはただ鈍感なだけなのか? それとも過剰反応をしたくないから? 

彼らの真意はわからない。けれど、いつもと同じだらけたムードで働いている彼らを、いつもより短い列から眺めながら、少しだけ目頭が熱くなった。


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