坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 63 12/21/2001

 


いよいよ今週末からクリスマスホリデーに入ります。A男と私は明日、ニューヨークに向かい、サンクスギビングホリデーの時と同様に、ニューヨーク観光を楽しむ予定です。

それにしても、ビザの更新の都合とはいえ、2年も連続して冬休みに海外に出られないのは、旅行好きの私たちとしてはとても寂しく思います。この間インドには行ったけれど……。今、ヨーロッパ的な環境に飢えているので、クリスマスイブにはマンハッタン郊外にある欧州風の「古城ホテル」に泊まる予定です。

「古城ホテル」と書くと、なんだかラブホテルみたいなのを想像されそうだけど(っていうか字面を見て自分が想像したんだけど)、20世紀初頭に建てられたスコットランド風の古城がホテルに改装された、由緒ある建築物らしいです。クリスマス・イブのディナーはこのホテルのレストランに予約をいれました。感想は、またレポートします。

今週は月曜から毎日、ずーっとコンピュータに向かっていました。原稿書きとホームページの更新です。来年に向けて、ホームページを「改訂」しているのです。 

2年前に友人からソフトウエアをコピーしてもらい、説明書をプリントアウトして(数センチほどにもなった)学習して、なんとか自力でやりとげたものの、今ひとつ基本がわかっていないから凝ったことなどできません。

作った当初、全体のコンセプトをきっちりと考えていなかったので、ファイルの作り方も不統一で気持ち悪かったのを、今回きれいに作り直しました。ホームページに掲載したい事柄は次々と出てくるのですが、そんなことをしていたら、本当にコンピュータの奴隷になってしまいそうなので、ほどほどに関わりたいと思っています。

これが今年最後のメールマガジンになるかもしれません。みなさま、よいお年をお迎えください!

 

●束の間、アメリカの「新興住宅地」に暮らして感じたことなど

マンハッタンにいれば、仕事で煮詰まったりすると、ふらりと街に出てカフェに入ったり散歩をしたりすればいいが、このヴァージニア州アーリントンのボルストンという郊外の「新興住宅街」は、本当につまらない。散歩する気にならない街だ。来月引っ越すから声を大にして言うが、あー本当にもう、つまらん街やったね。

この街に限らず、アメリカの郊外、しかも新しく開発された街というのは、どこもここも同じような色合いをしている。うちなどは、目の前にデパートを併設したモールやレストランがあり、地下鉄駅やバス停も徒歩数分の場所にあるから、そこそこの日常生活をするには何ら問題ない非常に「便利」な場所ではある。

少なくとも、郊外の一軒家でどこへいくにも車がなければ身動き取れない、アメリカの大半の家々に比べれば、確かに便利ではある。でも、「便利=快適」ではないし、「便利=住みやすい」でも、ましてや「便利=好き」でもない。 

ジム・キャリーが主演した「トゥルーマン・ショー」という映画をご存じだろうか。生まれた時から、テレビドラマの「主演俳優」として、撮影用に作られた街の中で成長を続ける主人公。彼を取り巻く人々は家族も含め、みな俳優だ。本人は自分の姿が隠しカメラで撮影され、全国に人気ドラマとして放映されていることなど知らないまま大人になる。 

ちなみにこの「トゥルーマン・ショー」は、あたかもコメディ仕立てになっているが、アメリカ社会の歪みや矛盾に対する皮肉が伏線に描かれているようにも解釈でき、印象に残る映画だった。 

さて、私の目には、その「トゥルーマン・ショー」に出てくる街こそが、一見豊かそうに見える現代アメリカの「新興住宅街」そのものの風景に見えた。このボルストンもそっくりだ。どこにでもあるピカピカでモダンな街。誰をも受け入れるあくのなさ……。 

しかし私は、このような街を好きになれない。居心地が悪いのだ。誤解を恐れず、大ざっぱないい方をすれば、文明はあっても、個性や文化がない。

そもそも個性や文化というものは、肌に合わなければとことん不快で、好きか嫌いかの二極に大きく分かれる場合があるが---例えばニューヨークに住んでいる人はニューヨークが好きか嫌いかのどちらかで、「まあまあ」という人はあまりいない----このような「新興住宅街」は「好きでも嫌いでもなく、どっちでもいい」という反応を住む人間に与える。その生ぬるさがまた私の性に合わないのかもしれない。

肌に合わない理由はそれだけではない。ニューヨークでは決して味わうことのない、アジア人、もしくは有色人種であることを、ネガティブに認識させられる機会がとても多いからだ。

「人種差別」について、今までも何度か書こうと思った。しかし軽く触れられるテーマでもないし、なんだか厄介でもあるのでタイミングを逸してきた。今回も、別に結論付けが出来るわけでも何らか訴えたいことがあるわけでもないのだが、ありのままの出来事を、この機会に記してみようかと思う。

 

●移民の国、アメリカ。だからこそ、人種差別は終わらない課題

アメリカで生活し始めて、来年の春で丸6年になる。この間、他人から差別的な態度を受けたことは少なくない。異国で生活をする以上、日本では味わうことのない不快なことや面倒なこと、辛いことはあるのが当然で、しかしそれを思い通りに解決できずに苛立つことも数え切れないほどあった。

腹が立っても適切な英語で言い返せない、自分の語学力の不足だけでなく、押しの弱さに対しても苛立ちが募り(日本人としては押しが強い方なのだが)、最初の数年間はまさに「怒り狂う」ようなことが毎日のように起こった。 

それでも、月日とともに「いやなこと」に遭遇することに慣れたり、あるいは敢えて関わらないようにする習性が身に付いていき、苦痛の度合いが徐々に浅くなった。そうでもしなくては、精神衛生上、非常に不健康だからだ。現にそのようなことがストレスになり、精神的に病んでいる在米の日本人はとても多い。 

「不便かつ不愉快」が起こりうる生活にも関わらず、私はなぜニューヨークにいるのだろう。それは不愉快だろうが騒がしかろうが、この街が好きだからだ。この心理は「理想の男性像と、付き合ったり結婚したりする相手は違う」というのと似ている。 

私の憧れる街は、ヨーロッパにあり、アメリカにはない。しかし実際に住むことを考えると「憧れや理想」だけでは実現しないのである。なんかわかるようなわからないような理屈ではあるが……。 

日本人である私にとって、マンハッタンが居心地がよい理由の一つに、マイノリティ(少数派)が集まった混沌とした街だから、ということも挙げられる。世界中のあらゆる人種が集っているから、誰が強いとか優位だとかの順列がつけにくい。 

マンハッタン以外の街でも、昔に比べれば人種差別は少なくなっているようだ。しかしそれは、「潜めている」だけであり、何かをきっかけにして「目を覚ます」こともある。たとえば9月11日のテロ事件以降は、それまでにはなかったムスリムへの迫害が全米各地で起こった。 

地域によっては差別される人間の対象が「黒人からアラブ人へ移行」し、ほかでもない、これまで抑圧されていた黒人の一部がここぞとばかりにアラブ人を攻撃しているという話も聞いた。

真珠湾攻撃以降、強制収容所に送られた日系人のことなどを考えれば、今、私たちが受けている「差別的行為」など、取るに足らないちっぽけなことだ。とはいえ、不快であるには変わりない。

例えばマンハッタンだと、見知らぬ人と目が合ったときに、ニコッと微笑むのは普通である。たとえばエレベータで一緒になった人や、バスや地下鉄で隣り合わせた人に「まあ、そのバッグすてきね」とか「今日はずいぶん寒いわね」とか声をかけるのは、ごく一般的な行動だ。

ところが、このヴァージニア州アーリントンに「通い住み」はじめて1年半。まず驚いたのは、白人の私に対する笑顔のなさ、だった。たとえばレストランで。隣り合わせた白人の中年夫婦と目が合ったのでいつもの癖でニコッと微笑むが、彼らは表情も変えずに料理に視線を戻す。

エレベータに乗り合わせてこちらが「ハイ」と声をかけても、義務的に「ハイ」と返すだけでニコリともしない。

最初のころ、何度かそういうことが続きとても驚いたが、徐々に一方的な笑顔が不愉快になってきたため、私はこの街で他人に微笑むのをやめてしまった。DCで地下鉄に乗っていても、人の視線が妙にきつい。これは自意識過剰とは違う、明らかに居心地が悪い空気なのだ。地下鉄そのものは清潔でとてもきれいなのに。

狭い座席に無理矢理座ろうとする白人男性のために、詰めて空間を作ったにも関わらず、「サンキュー」の一言もない。ニューヨークではまず遭遇しない出来事だ。こういうと反感をかいそうだが、なんだか東京みたいなのである。

そうこうしているうちに、この周辺の社会が、人種別に交わり合うことなく、歴然と分かれていることに気が付いた。コリアン社会、ベトナミーズ社会、チャイニーズ社会と、それぞれのソサエティが独立した社会を構築しているさまが見て取れる。

A男が先日、会社のそばでサンドイッチを買おうとレジの前に並んでいたときのこと。目の前に立っていた白人の中年女性が傘を落とした。大きな音がしたから、当然落とした本人も気づいているはずだ。しかし彼女は自分で拾おうとしない。

レジの女性が、「あなた、傘を落としましたよ」と彼女に言ったところ、その白人女性はA男を睨みつけながら、

「世界には、最低限のマナーすら教えない国があるんですね」と言ったという。

例えば彼女が身動きの取れない身体障害者だったり足腰の不自由な老婆だとしたら、拾ってあげるべきだろう。しかし、普通だったら自分で落とした物を自分で拾うのが当たり前ではないか。

怒ったA男は

「自分勝手なマナーを世界中の人間に押しつけるよりはましだ」とか何とか言い返したらしいが、彼女は知らん顔をして去っていったという。レジの女性から「あなたは悪くないわよ」と言われたことで少し気持ちが落ち着いたらしいが、相当に腹を立てていた。

以前も高速の料金所で、A男が空いたところを選んで車線変更したところ、最初からそこを目がけて後ろから来ていた車が腹を立てたのか、盛大にホーンを鳴らしてきた。かちんときたA男が窓から顔を出し、振り返ってホーンを鳴らし返したら、なんとその中年白人男性の運転手は、A男の車に自分の車を追突させてきたのだ。

本人は認めないが、ひょっとするとA男の車線変更は際どくて危なかったのかもしれない。それでも、車をぶつけてくるとは驚きである。ぶつけたあとその男は

「このバカ外人野郎! てめえの国に帰れ!」と、A男をののしったという。

プライドの高いA男である。怒り狂って警察を呼んだらしいが、結局、バンパーが丈夫だったせいか車には傷が見あたらず、証拠不十分で不完全燃焼のまま帰宅してきた。

アメリカ人は銃を持っている可能性があるし、ひとけのあるところならまだしも、うらさびれた料金所なんかで喧嘩して、バンと一発撃たれたら最後なんだから、変なヤツには関わり合うなと言っておいたが、彼なりに相当、腹が立っていたには違いない。

あんまりネガティブなことは書きたくないのだが、たまにはいいだろう。「アメリカの素顔」の断片である。

 

●感動的なおいしさだった。丸ごとマッシュルームのフライ

私は料理が好きな方だ。料理をしながら「私って天才かも」と思うこともしばしばある。我ながら、おめでたいやつだ。

昔からお菓子作りなどは大好きで、中高生のころは、しょっちゅうクッキーやらタルトやらケーキなどを作っていたものだ。大学時代の冬休みに豪勢なおせち料理を作ったこともあった。できばえを思い出に残そうと記念撮影までした。

でも、社会人になり、仕事に追われる生活が始まり、料理とは無縁な時代が続いた。外食やデリバリーが主の不健康な食生活。自分一人のために食材を購入しても、週に1、2回の調理では使い切れず、たまに気合いをいれて準備しても、ダメにして捨てることがしばしばだった。

ところが、この1年、DC(アーリントン)に来ている間の平日は、料理をするようになった。なにしろDCでは、日中はずっとコンピュータに向かうことが多いから、料理は気分転換にもなるのだ。

週末、大量に食料を仕入れ、平日の時間があるときに、私がいない間のA男の夕食も作って冷凍保存しておく。おかずは電子レンジで加熱できるパックに詰め、ご飯はサランラップに包んでおく。ガスコンロが4つあるから、調理時間もあまりかからず、さほど面倒な作業ではない。

こう書くと良妻ぶりをアピールしているようだが、実際、料理という点に関していえば良妻なのである。なにしろこの近所は安っぽい中華やハンバーガーやピザの出前くらいしかないから、そんなものを毎晩デリバリーしていたのでは、身体に悪い。

一方、私はニューヨークで一人の場合、手を抜いて適当な料理を作るか、出前で済ませたりしてむしろ不健康ではある。自分のためだけに料理をするというのは、かなり張り合いのないものである。

お菓子作りなどはきちんとレシピを見て作らなければ失敗をするが、普段の食事はほとんど自己流だ。主には日本料理が基本だが、たいていは国籍不明な気ままなメニューが食卓に並ぶ。日本にある食材と同じものが揃うわけではないから、料理の本に忠実に作ることは出来ないが、たまに目を通してヒントを得ることもある。

中小サイズの魚であれば、丸ごと買ってきて自分で開く。これは子供の頃、母が料理をする風景を見ていたせいか、結構うまい具合にできるものだ。この間もイカを調理しながら、A男を呼びつけて、

「ほら、これがイカの墨で……ほら、潰したらインクが出るでしょ。これがカラスで……」などといいながらA男にも手伝わせた。自分がかつて母に教わったことと同じことをしていることに気づいておかしかった。

「私って天才かも」と思うことがある一方で、自己流には失敗もある。しかし少なくともA男は日本人じゃないから、失敗した料理が別の料理に姿を変えていたとしても気づかないし、味さえよければOKだから、その点便利である。

イカといえば、この間、急にイカめしが食べたいと思い立ち、自己流でご飯に味付けし、生のイカに詰めて煮込んでいたところ、しばらくたって鍋を空けてみたらイカが小さく縮みゆく最中で、ご飯がおしり(というか下の方)からムニュムニュとあふれ出していた。イカがあそこまで縮むとはびっくりした。かなりおぞましい光景だった。

あれは一度ゆでたイカにご飯を詰めるべきだったのかしら。いずれにしても、はみ出たご飯は翌日のランチにまわし、その場をしのいだ。

失敗と言えば数日前に作ったコロッケ。何が悪かったのか、揚げてる最中に衣がボロボロと溶け出した。大急ぎですくいだし、残りのコロッケは俵型から急遽、平たく潰して、フライパンでこんがりと焼いた。それはそれでおいしかったのだが無念だった。やっぱりアメリカのパン粉がまずかったのだろうか。

アメリカでは日本のようなパン粉がない。自分で食パンを乾燥させて砕いて作ればいいのだろうが、それも面倒だったので、手元にあったアメリカ製のパン粉を使ったのだ。ブレッド・クラム (Bread Crumbs)と呼ばれるそれは、砂のような感じのサラサラとしたもので、スパイスが入った「イタリアンフレーバー」なるものもある。

久しぶりに揚げ物を作りたかったのに、コロッケは別の食べ物になってしまったので、翌日のためにとっておいた大振りのマッシュルームを揚げることにした。丸ごとのマッシュルームに小麦粉をまぶし、溶き卵、ブレッド・クラム をつけて揚げただけなのだが、これが大成功! マッシュルームの水分がじんわりとにじみ出て「イタリアンフレーバー」の効いた、香ばしい衣と絶妙の相性だった。

思えば10年前、オランダへ取材に行ったとき、地方のレストランで、メニューが読めずに適当にオーダーして出てきたのが、大皿に山ほど盛られたマッシュルームのフライだった。「なんだこれは? 大失敗!」と思いつつ食べてみれば、そのおいしいこと! 当時、日本ではマッシュルームはそれほど一般的ではなかったから、尚更、食べ慣れない味に感動したものだ。

あれだけおいしかったのだから、マッシュルームそのものやパン粉、油などの品質がよかったに違いないのだが、今回自分で揚げたものも、それに近いくらいおいしかった。結局、簡単な料理だったのね。

前置きが長くなったが……。

アメリカ在住の方には、ぜひブレッド・クラムを用いての「丸ごとマッシュルームのフライ」を、前菜やおつまみに、おすすめしたい。


Back