坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 65 2/7/2002

 


お久しぶりです。

大変ご無沙汰しておりました。この間、新年のごあいさつメールを出してから早1カ月が過ぎました。みなさま、お変わりありませんか? 私のほうは、すっかり環境が変わり、新たな生活を始めたところです。

ホームページの方に日記のようなものを書き記しているせいか、このメールマガジンにはこの先、何を書いていこうか、まだ考えがまとまっていません。けれど、まとまるのを待っていると、あっという間に月日が過ぎていきそうなので、ホームページの文章を一部抜粋しながら、ひとまず書いてみようと思います。

 

●二回の引っ越しを終えて、ニューヨーカーからワシントニアンになった

予想はしていたけれど、1月は実に慌ただしかった。何しろ1カ月のうちにニューヨークとワシントンDCの間を4往復もしたのだから。荷造り、引っ越し、荷ほどきの間に仕事をし、人と会い、極めてドタバタとしていた。

2月に入ってようやく一段落し、ここ数日は心身共に落ち着きを取り戻した。

それにしても引っ越し。日本からニューヨークに来たときには、最低限の荷物と捨てきれなかった本だけだったのに、この5年のうちに、なんとまあたくさんの「物」が増えたこと。想像を遙かに上回る量にうんざりしつつも、不要な物は潔く捨てた。

過去手がけた仕事の資料などは、念のためにと保存していのだが、ごく一部を除いて一掃した。一旦捨てると決めたらどれもこれも不要な物ばかり。いったいどれだけのゴミ袋を消費したことか。私ってゴミと一緒に暮らしていたのかしらと思うくらいだった。

アーリントンにいる間は、アーリントン宅の荷造りに集中し、ニューヨークでは荷造りをしつつも仕事の打ち合わせや、友達との会合に時間を割いた。尤も、私は特定の友人と頻繁に会う方ではないから、引っ越し前だからといって慌てて会うこともなかったのだけれど、何となく「最後だから」という気持ちがそうさせた。

1月の第三土曜にアーリントンからDCへ、第四金曜にニューヨークからDCへ引っ越した。引っ越し第一弾は雪の降る中、第二弾は快晴のもとの移転となった。

これまで、幾度となく引っ越しを重ねてきた。荷物をすべて運び込み、ガランとなった部屋を片づけて、立ち去る前に部屋を見回すとき、さまざまな思いが走馬燈のように脳裏を駆け巡るのは、いつも同じだ。

少し寂しいけれども、さっぱりとした気持ちで部屋に「ありがとう」を言い、ドアを閉める。

途中で部屋が変わったものの、このアパートメントには丸5年暮らしたことになる。18歳の時、親元を離れて以来、最も長く暮らした場所だった。

ニューヨークからDCへ向かう列車に揺られながら、私は色々と考えないようにした。ひどく疲れていたから、駅員が切符を切りに来たあとは、本も読むこともなく目を閉じた。

うたた寝をしながら、「私は選んだのだなあ……」という実感を、しかしほのかに覚えていた。

去年、インドでの結婚式を目前に控えたころ実家に電話をした折、母と話しているその向こうで父が歌っていた曲が、ふと頭に浮かび上がった。

♪は〜な〜よめは〜 夜汽車〜に乗って〜 嫁い〜で〜ゆ〜くの〜♪

そのときは、「お父さん、なに歌ってんの?!」と大笑いしたのに、なぜかこの歌詞が、妙に自分の心境に一致しているように思えた。

夜汽車じゃなくて日差しまぶしい昼間の列車に揺られているわけで、なおかつ続く歌詞 ♪命かけて〜燃え〜た〜恋が結ば〜れる〜♪ は、甚だ大げさで、心境に不一致だけれども。

私は結婚したのだなあ、と改めて思った。これまで36年間、自分のことを優先して生きてきたけれど、これからは本当に、二人が単位になるのだ。どうなるんだろ。

うつらうつらしながらも、改めて、夫と歩いていくそのことの、覚悟をした。

 

●ホーム・スウィート・ホーム

ニューヨークで生活をはじめたのも、仕事をがんばっているのも、私にとってそれらは「憧れ」から来るものではなく、あくまでも「目標」だった。

確かに渡米1年前に「ニューヨークに来たい」と思い始め、そのために努力をしたのは事実だ。しかし人から「憧れの街に住めていいですね」と言われると(それはちょっと違うんだけどな)という違和感がいつも心にあった。

そんな憧れ体質ではない私にも、実は長い間、憧れていたことがあった。かれこれ十年ほど、心の隅にあった憧れ。それは自分の「ホーム」を持つことだ。この場合、日本語で「家庭」と言ってはしっくりこない。あくまでも「ホーム Home」だ。

努力さえすれば、自分一人でも何とか達成できることを、これまでは目標として少しずつ実現して来たけれど、「ホーム」を持つと言うことは、私一人の力では実現しないことだった。だからこそ、それは自分にとって「憧れ」になっていたのかもしれない。

ホームには「家庭」のほかにも、拠点だとか拠り所、故郷といったニュアンスの意味合いが込められていると思う。ホームという響きは私に、とても温かい場所を連想させる。

記憶は定かではないが、「風と共に去りぬ」ではスカーレット・オハラが「ホームに帰ろう」みたいなことを言ったような気がするし、E.T.だって、地球外から来たにも関わらず "E.T. go home!" と叫んでいたような気がする。違ったっけ?

ともかく、私はようやく「ホーム」という一つの単位を築くことができたのだ。なにはともあれ、私も、A男も「ただいま」「おかえり」と言い合える一つの拠点ができたことを、心からうれしく思っている。

 

●独り立ちて、強き者は真の勇者なり

山崎豊子さんの「沈まぬ太陽」全五巻を読んだ。日本ではベストセラーらしいからご存じの方も多いだろう。日航機の御巣鷹山墜落事件を題材に、政治家と経済界の絡みを描いたノンフィクションの要素が濃いフィクションだ。

内容の真偽については、さまざまな論が交わされているようだが、いずれにしても山崎さんの取材力と構成力、そして衝撃的な内幕を書き上げる勇気に心から敬服した。

印象に残るくだりはいくつかあったが、筋から少しそれたところで、心に残った一文があった。

事件後、時の総理大臣、利根川首相(中曽根首相)によって国民航空(日本航空)の再建を託された関西紡績(鐘紡)の国見会長(伊藤会長)が、座右の銘としている言葉の一つがそれだ。

「独り立ちて、強き者は真の勇者なり」という、シラーの言葉。

18-19世紀ドイツの詩人シラーは、ベートーベンの第九の歌詞「歓喜に寄す」を記したことでも知られている。

この一文を読んだときに、モデルとなっている国見会長の人柄が好意的なこともあってか、ひどく心に響いた。そして「私も、こうありたい」と思った。無論、国見会長のそれとはスケールはまったく違うけれど、感銘を受ける気持ちに変わりはない。

「独り立ちて、強き者は真の勇者なり」

なんて勇ましくも清々しい言葉だろう。

背の高い草がたなびく広野の、小高い丘の上で、向かい風を受け、髪を風になびかせながら独り立つ。そんな自分の姿を思い浮かべる。

「ホームが憧れだった」だのなんだの言っておきながら、矛盾したことを言うやつだと思われそうだが、私の心意気の基本は、独身だろうが結婚していようが「独立独行」である。

だから、ふと目に飛び込んでくるこんな言葉に、過敏に反応するのかもしれない。裏を返せば、属する組織や権威を笠に着てしか物を言えない人を、私は好まない。

私自身が、権威とする何もないから、負け惜しみと言われればそれまでだが、これまでそう言う人たちから、見下されたような物言いをされたことが多々あった。卑怯な人だと思いながらも、言い返すことの出来なかった自分がどれほど悔しかったか。舐められてうれしい人間などいるはずはないのに。

一方、私にとって真に尊敬させられる人というのは、たとえ私が女だろうが若かろうが何だろうが、決してバカにしたような態度を取らず、丁寧に接してくれる人だ。そんな人には、心底、敬意を抱いてしまう。社会的な地位や名声を持ってなお、奢ることなくいられる人というは、偉大だと思うのだ。


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