坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 70 4/9/2002

 


先週の日曜からからサマータイムに入りました。例年ならば、サマータイムに入った途端に夏のような気候に早変わりするところですが、今年はちょっと具合が違って、土曜、日曜と冬のような冷え込みでした。

6日土曜日は、ワシントンDCでチェリーブロッサム・パレードが行われました。このパレードはワシントンDCの年間行事の中でも、最も盛大なパレードです。寒くて時折曇ったものの、天候は概ね晴れで、去年とは違い桜の満開と重なって、パレードの行われたモール周辺(ワシントン記念塔やリンカーン記念館、連邦議事堂、スミソニアンミュージアム群があるあたりがモールと呼ばれる)はたいへんな賑わいでした。

パレードを見、日本の露店が並ぶストリートフェアをのぞき、桜並木が続くタイダル・ベイスン(内湾)のほとりを一周してきました。

今年ほど、桜の花を見る機会があったのは、生まれてこの方はじめてのことです。

 

●すっかりこの街のが気に入った。こんなにも桜を愛でたのは初めてのこと。

世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし(在原業平)

久方の光のけどけき春の日に しづ心なく 花の散るらむ(紀貫之)

日本を離れて暮らす自分が、こんな歌をしみじみと思い返すのも不思議なものである。3月下旬あたりから、街角の木の梢や誰かの家の庭先で春の兆しを見つけ始め、やがてピンクや白の桜を目にし始めた頃から、毎日のように桜の存在が心にあった。

最近、晴れた暖かい日の夕暮れ時には、外でエクササイズをしている。まず、家の向かいにあるセント・アルバン・スクールのバスケット&テニスコートの扉がいつも開放されたままなので、そこでバスケットボールをする。一人の時は、フリースローをしたりドリブルシュートをしたりして、一人でコートを駆け回ってへとへとになっているのだが、A男が早く帰宅したときなどは、彼にバスケットの基本などを教えるコーチと化して、特訓に励む。と書けば大げさだが、ボールと戯れ遊んでいる。

しばらくバスケットコートで過ごした後、近所を軽く走る。たまに歩く。そしてこのカテドラル周辺の、木々と緑と花とに抱かれた、のどかな住宅地の様子を、眺める。我が家の近所では、まずしだれ桜が花を付け始め、やがてソメイヨシノが開き始めた。桜が開くまでは少しも気付かなかったのだが、この界隈は、驚くほどにたくさんの桜の木が植えられている。

歩きながら、走りながら、1ブロックごとに次々と目に飛び込んでくる桜の木々に、ひたすら感嘆する。中には見上げるほどに大きなしだれ桜がいくつかあった。そのうちの一本はA男のお気に入りで、仕事の帰り道に見つけたから美穂にも見せてあげようと、連れていってくれたのだ。

それは通りに面した誰かの家の、柵のない芝生の庭に植えられていた。薄桃色の枝がレースのようにしなやかに垂れていて、時折風にゆらゆらと揺れる。下から見上げれば、うつむいている桜がこちらに向かってきれいに花開いているのが見え、しだれ桜をこんな風に、しみじみと眺めるのは生まれて初めてのことだと思う。人の家の庭先に腰を下ろし、ジョギングは中断、日が暮れるまで静かに眺めた。

天気のいい日などは、部屋に籠もって仕事をするのが苦痛なほどで、先週は何度か散歩に出かけた。

カテドラルの庭、各国大使館の庭、大小の公園、病院の前庭、幼稚園や学校の庭、個人の庭……、あらゆる場所に薄桃色のふんわりとした木々がたたずんでいる。見上げるほどに大きな木もあれば、まだぽつぽつとしか花を付けていない小さな木もある。その一つ一つを眺めながら歩く。

桜の木のたもとに、ぐるりとチューリップや水仙を植えているところもある。たいていが芝生の中に立っているから、鮮やかな緑と薄桃色の対比が美しい。木の下にベンチを置いているところもある。一年のうちのわずかな期間、そこはすばらしい特等席となる。

ジョージタウンまで南下すると、ここの住宅街にもまた見事な桜の木々。高級住宅街の一角に、ダンバートン・オークス&ガーデンというのがある。邸宅はミュージアムとして開放されており、庭園もまた見学することが出来る。フランス、イギリス、イタリアの要素が取り込まれているという説明通り、欧州の庭園の魅力的な部分が抽出されたかのよう。自然で美しいレイアウトとなっている。

ダンバートン・オークス&ガーデンの近くにはまたチューダー・プレイスというやはり邸宅と庭園がある。ここは小さな庭園で、観光客も少なく、それはそれはのどかである。見知らぬ花が揺れ、緑があふれ、小さな噴水のせせらぎが聞こえ、野鳥のさえずりが時折響きわたる。

澄み渡った青空に白い線を引きながら、飛行機がとどろかせるそのエンジン音が、不思議な郷愁を伴って、胸を締め付ける。思えばあれは3歳のころだったか。よく晴れた日、家の縁側に座って、遠くに見える山の稜線を眺めながら、同じように飛行機の音を聞いていたのだ。その時の太陽の暖かさと、空の色と、緑の匂いと、飛行機の音が、今この瞬間と一致して、ノスタルジックな思いがこみ上げてきたに違いない。

いくつもの、「初めて見る花」を見たけれど、中でも印象的だったのはOld fashioned Bleeding Heartと呼ばれる花だった。Bleeding Heartを直訳すれば「血を流す心臓」。キリスト教世界を彷彿とさせる名前が印象的だ。それは小さな草花で、スズランのように、小さな赤い花が茎からいくつも下がっているのだが、一つ一つをよく見ると、ハートの形をしていて、下の方からやはり赤い花弁が飛び出している。その形状が本当に、心臓から血が流れ出しているように見えるのだ。

あんなにニューヨークを恋しがっていた自分が、春を迎え、すっかりこの街が好きになり、A男も喜んでいる。この街で、自分ができることを探していこうと、真に前向きな気持ちにさせられている。

 

●なぜこんなにも日本の露出度が低いのか、DCの桜祭り。もったいない限りだ。

1912年3月、日本からワシントンDCに桜が贈られて以来、今年で90年目になる。

パレードを見に行くのは今年が初めてだった。9時半から始まり、12時過ぎまで続いていたパレード。わたしたちは10時半ごろから沿道で様子を眺めていた。

中国、中南米ほか、祖国の民族衣装をまとった人々、地元学校のチアリーダー、消防隊、各種団体、企業など、さまざまなグループが参加していたのだが、マンハッタンでパレードを見慣れているわたしにとっては、参加者がとても少なく、やや間延びした感じに思えた。

それよりなにより、腑に落ちなかったのは、日本人の参加者が余りにも少ないことだ。現地の学校や小さな団体が、着物を着て「東京音頭」を踊りつつ練り歩いていたのと、ミキモト(真珠)が華やかな「花自動車」を走らせていたのが印象に残っている程度。最初の一時間のうちにもっとなにかあったのかもしれないが、それにしても、である。

わたしたちは今年、三度もタイダル・ベイスンへ行った。一度目は桜が咲き始めた3月31日の日曜日、雨降る中、傘をさして。二度目は平日の夕方、早く帰宅したA男と夕暮れの桜を見に。そしてパレードの行われた4月6日土曜日。

いずれの日も、遊歩道には桜を見に来た人々が行き交っていた。水辺にせり出すように枝を伸ばした桜のトンネルの下を、人々は静かに、語り合いながら、ゆっくりと歩く。

遊歩道のそばには随所に案内板のようなものがあり、そこに桜の種類や歴史など、さまざまなインフォメーションが載せられている。そこには「JAPAN」「JAPANESE」という言葉が散らばっていて、擦れ違う人々の口からも、やはり「JAPAN」「JAPANESE」という単語を、何度聞いたかわからない。

つまり、ワシントンDCのシンボルである桜は、日本とは切っても切れない関係にあり、ただアメリカに観光に来た数多くの異国の人々でさえ、間接的に日本の美、日本の文化に接する機会があるのである。

ワシントンDCの桜は見事である。この見事な桜は「日本が贈った」のである。ワシントンDCの春は、桜あっての春なのだ、と恩着せがましく言っても過言ではないほどだ。無論この街は、贈られてきた小さな春の種子たちを、年々見事に開花させる努力をし続け、町中にその美しさをちりばめることに成功したのである。

人々は、家に桜の木を植えることを好み、だからこんなにもたくさんの木々を、至る所で目にすることができる。桜の木の下で酒を飲み、大騒ぎをするなど決してない。大人も子供も、みな一様に、同じ場所で、桜を愛でるのだ。

話を戻せば、日本である。桜祭りは実際には2週間ほどの期間が設けられ、さまざまな催しが各方面で行われ、そのしめくくりとしてパレードが行われる。イベントのすべてにわたしは参加したわけではなく、パレードしか見ていない。それでも一般のアメリカ人よりは高い積極性と注意力で、インフォメーションを見てきたつもりだ。

そして思ったのは、余りにも、日本からの働きかけが少なすぎるということ。ちなみにミキモトは1957年に当時の社長が桜祭りのクィーンが被る真珠のクラウンを寄付したことから、この祭りと密接なつながりがあるようだ。

パレードの日に開かれていた日本の縁日(ストリートフェア)では、地元のレストランが屋台を出し、各団体が小さなブースを出し、サッポロビールが大きなボトルの形をしたバルーンを置き、特設ステージでは歌や踊りが披露されていた。非常に賑わっていた。

しかし、規模としては学園祭か、それ以下である。もちろん、地元の有志の方々が一生懸命運営なさっているのだろうし、それに対して批判をするつもりは毛頭ない。わたしがいいたいのは、こんなにも、人々が日本に注目しているときに、なぜ、もっと起動力のある組織が動かないのだろうか、ということだ。

アメリカで最も大きな都市はマンハッタンである。しかし、マンハッタンでは一年を通して、日本の良さがこんなにも注目され、市民が日本に思いを馳せる日は一日もない。せいぜい12月7日、パールハーバーくらいなものである。

しかしDCでは桜のおかげで、「日本=すばらしい」「日本=ありがとう」と人々が感じ入る期間が春の間続くのである。少なくとも、桜が咲いている間。

さらにいえば、ここは「首都」である。世界各国の大使館があり、そこで働く人たちも無数にいて、彼らもパレードを見、桜並木を歩いている。ワシントンDCで日本をアプローチすることは、世界に日本をアプローチすることになるのともいえる。人々の好奇心が日本に向かっているこの時期、日本ができることはたくさんあるのではないかと思うのだ。

文化交流も大切だが、経済不振の日本が、日本の商品を知ってもらうのにも、いい機会なのではないだろうか。具体的なことはさておき、日本の企業ももっと工夫して、広告になりすぎず、しかし人々の興味をそそる出し物でパレードに参加するとか、縁日のスケールを拡大して、もっと立体的なイベントを企画するなどできないのだろうか。

旅行会社はアメリカから日本へ向けての観光客を送るために、ここで日本への旅行のキャンペーンを大々的にやったらどうだろうか。きっとどこかがやっているには違いないのだろうが、少しも目立たない。

日本のストリートフェアで、スミソニアン協会が発売していた90周年を祝するTシャツを購入しながら思った。ここで、日本製の、洗濯しても縮まない、色落ちしない品質の高いTシャツでも売ればいいのに。このTシャツは、多分一度洗濯したら、一回り小さくなって、色あせてしまうだろう。日本製品が優れているのは、何も自動車や電化製品ばかりではないのだ、ということを示せばいいのに。

とにかく、思ったのだ。もったいない。この時期を有効に使わないのはもったいないと。考えれば考えるほど、いろいろな方面で、このイベントは足がかりとなると思えてくる。文化的側面、経済的側面、両方において。

国内のもめごとで忙しいのだろうけれど、外務省、大使館、なんとかしてほしい。本来、こういう場面でも力を発揮すべきが外務省の仕事であるとも思うのだが、期待する方が愚かだろうか。

 

●日本からワシントンDCに贈られた桜の種類とおおまかな歴史

わたしは桜の種類などにまったく詳しくなかった。だから、タイダル・ベイスンの遊歩道を歩きつつ、案内板で桜の種類などを読み、A男に尋ねられるにたびに戸惑った。それで、ワシントンDCの桜について、ウェブサイトで調べてみたところ、以下のような情報があったので、簡単な抜き書きだが紹介したい。

1912年の3月26日、日本からワシントンDCに贈られた桜3020本の内訳は下記の通り。

YOSHINO (1,800)

ARIAKE (100)

FUGENZO (120 )

FUKUROKUJU (50)

GYOIKO (20)

ICHIYO (160)

JO-NOI (80)

KWANZAN (350)

MIKURUMA-GAESHI (20)

SHIRAYUKI (30)

SURUGADAI-NIOI (50)

TAKI NIOI (140)

ちなみに、アメリカでよく見られる白い桜は、ソメイヨシノから生まれたアメリカ産の桜で「アケボノ」という名前。日本では「アメリカ桜」と呼ばれているらしい。

1935年には、毎年、チェリーブロッサム・フェスティバルが開催されるようになる。1941年12月11日、真珠湾攻撃を理由に4本の桜が切り倒される事件があったが、以降、反日感情が高まる中「オリエンタルの桜」として、大半は傷つけられることなく、市民によって守られてきた。

1952年には、第二次大戦ですっかり痛んだ荒川の桜を復活させるため、ワシントンDCの元気な枝(接ぎ木用)が送り返されたという。

1965年、日本政府は更に3800本のヨシノをDCに贈っている。

詳しい歴史を知りたい方はこちらへ(英文)

http://www.nps.gov/nacc/cherry/

 

では、最後に、中国は唐の時代の詩人、干武陵(うぶりょう)の五言絶句と、井伏鱒二による名訳を以て、今日の所はしぶく深く、東洋の心でしめくくりたい。

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「漢詩・勧酒」干武陵

勧君金屈卮

満酌不須辞

花発多風雨

人生別離足

 

君に勧む、金屈卮(きんつくし)

満酌(マンシャク)、辞するを須(もち)いず

花発(ひら)けば、風雨多く

人生、別離足(おお)し

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コノサカズキヲ受ケテクレ

ドウゾナミナミツガシテオクレ

ハナニアラシノタトエモアルゾ

サヨナラダケガ人生ダ

 


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