坂田マルハン美穂のNY&DCライフ・エッセイ

Vol. 71 5/7/2002

 


またもやお久しぶりのメールマガジンです。前号を送信してから早くも1カ月がたとうとしています。

4月11日から2週間、母と妹が遊びに来ていました。ずいぶんいろいろなところへ出かけたりして楽しみました。二人が帰国した三日後に、今度はA男の父とその妻(再婚者)が訪れ、2週間半、来週の月曜まで滞在する予定です。

DCに拠点を移して早くも3カ月が過ぎ、すっかりここでの生活にも慣れ、充実した日々を送っています。当初の予定通り、1カ月に1度へのニューヨーク行きも実行していて、なかなかいいペースで月日が流れています。

今日は家族が来たときのことなど、書いてみます。

 

●母と妹が、ワシントンDCに来た当日のこと。

母も妹も、ニューヨークへは来たことがあったが、アメリカ大陸の他の場所に足を踏み込むのは初めてのことだった。

その朝、DCの空は雲一つなく晴れ渡っていた。薄い黄緑色の、萌えたばかりの新緑がまぶしいハイウェイを、わたしはレンタカーで滑るように走る。目指すはヴァージニア州にあるダラス国際空港。こんな爽やかな朝、母と妹を出迎えられるのは幸運だった。

長旅の疲れよりも好奇心の方が勝り、目が輝いているように見受けられる二人を連れて、約30分ほどの道のりを、ワシントンDCの市街を目指して走る。

360度見渡せる広々とした青空、延々と続く道路脇の緑……すでに空港から街へ向かう道中の風景に、二人は感嘆している。アメリカに暮らしていると、茫漠とした光景が当たり前のように思えるけれど、この広大な地平線や、遮るもの何もない青空というのは、北海道にでも行かない限り、なかなか日本では見られないだろう。

DCの中心地をドライブし、軽く市内観光する。桜の少し残ったタイダル・ベイスンあたりを経由し、連邦議会議事堂やワシントン記念塔、リンカーン記念館のあるモールのあたりを通過。やや北上し、ホワイトハウスの傍らを横切り、ランチに出かけるワシントニアンが行き交うビジネス街を経て、我が家のあるカテドラルハイツへ。

カテドラル周辺の住宅街などをゆっくりと巡り、今を盛りと咲き誇るハナミズキや八重桜などを眺めつつ、アパートメントへ。母と妹は、すでに景色のよさ、環境のすばらしさに大感激の様子。彼女たちだけではない。初めてこの地で春を迎えるわたし自身が、DCの緑の豊かさ、花々の美しさに、毎日のように心を動かされているのだ。

1カ月前とは比べものにならないほど、街の風景が清々しく生命の息吹に満ちあふれている。4月に入って芽生え始めた新緑は数週間のうちにめまぐるしく成長し、ストリートをトンネルのように覆い尽くしている。空から街を見おろせば、木々の緑で道路も家も見えないのではないかと思うほどだ。

そしていよいよ、我がアパートメントに到着。アンティークな調度品でまとめられたラウンジや、母好みのインテリアで統一されているサロンと、案内する先から二人は感嘆し、とてもうれしそう。そんな二人の様子を見て、わたしもまたうれしかった。

 

●ワシントンDC滞在中の出来事など。

2週間と言えば長い滞在だと思われそうだが、過ぎてしまえば本当に瞬く間だった。

DCでは、ご近所の散策だけでもずいぶんと楽しめた。カテドラルはもちろん、大使館通りに近い住宅街を歩いたり、ジョージタウンにあるダンバートン・オークス・ガーデンズという庭園を訪ねたり、アンティークショップが立ち並ぶ通りをウインドーショッピングしたり……。

もちろん、スミソニアンのミュージアム群にも出かけた。いくつもあるから2日にわけて観光した。それでも国立アメリカ史博物館、国立自然史博物館、それに国立絵画館の3つを、軽く見て回っただけである。妹はそれに加えて、最終日、国立航空宇宙博物館にも出かけた。

中でも印象深いのは、毎度のことながら自然史博物館の宝石、鉱物のコーナーだ。世界最大級のダイヤモンド「ホープ・ダイヤモンド」をはじめ、エメラルドにルビー、サファイアなどの宝石、それに実に多彩な鉱石の数々……。展示場にいるだけで、石のパワーが伝わってくるような迫力だった。

観光地巡りの他にも、郊外の巨大なモールなどへショッピングに出かけるなど、二人には束の間の「アメリカンライフ」を楽しんでもらった。

特に母はすっかり我が家のご近所が気に入り、朝な夕なに一人で散歩に出かけていた。ガーデニングをする人々や、すれ違ったご近所さんに挨拶を交わしながら、木々を見上げ、花を愛で、自然の空気を全身に満たしていたようだ。毎朝、早く目覚め、旅の疲れも見せず、相当に元気だった。

アメリカ合衆国の歴史は浅い。しかし、アメリカ大陸そのものは、当然太古の昔からあるわけで、見上げるようにそびえ立つ高い木々や、鬱蒼と茂る森は、建国の以前からここに存在する。

建国のあと、土地を造成して木々を植林したわけではないから、樹齢何百年もの木が、当然のように、そこかしこにある。しかし、建国の古い日本に生まれた日本人にしてみれば、国が誕生する前から存在する森や木々や自然の存在が、今ひとつ感覚的にピンとこない。

母も最初はそのことで、一瞬、混乱していた。アメリカの歴史は浅いのに、なぜ、こんな大きな木があるのか……、と。その混乱は、わたしにもよくわかる。

日本だと、「江戸時代の初期に植えられた木」とか「鎌倉時代の建物」とか、千年以上を遡っても、そこには「記録に残された歴史」があるけれど、アメリカではせいぜい1492年のコロンバスによる新大陸「発見」以降が、具体的な記録の始まりとなり、それ以前はネイティブ・アメリカン(アメリカン・インディアン)と大陸との歴史が延々と続いているのだから。

アメリカ大陸は、ともかく広く、手つかずの自然がそこここに残っている。わたしたちは、そのほんの一隅を刹那、眺めているに過ぎない。そのことを、大きな木々を眺めることを通して、母は感じ取っていたようだった。

 

 

●ショッピングにミュージカル……マンハッタンでの観光も楽しんだ。

母と妹とわたしの3人で、ニューヨークへも出かけた。A男は仕事があるので留守番だ。レンタカーを借りてのドライブ旅行。マンハッタンに3泊4日、その帰りにペンシルベニア州のランカスター・カウンティ(アーミッシュの人々が住むところ)にも1泊した。

1カ月ぶりのニューヨークは異常気象かと思われるほど暑く、まさに真夏。前月の寒くて大雨の日々とは大違いだ。セントラルパークを散歩するにも汗がにじむほど。日差しも暑くて多少ぐったりさせられたが、晴天だったのは幸いだった。

ホテルはかつての住まいの近く、コロンバスサークル付近にあるメイフラワーホテルに予約を入れていた。中級のツーリストホテルだが、ロケーションがいいせいか、決して安くない。3人だからスイートルームを予約していた。ところが建物も古ければ部屋の設備もいま一つで、チェックインの直後はなんだか意気消沈。

しかし、ちょっと割高でもセントラルパークに面した東側の部屋を予約しておいたのは正解だった。昼間はさほどでもないと思っていたその光景が、すばらしい日の出の情景を見せてくれたのだ。

翌朝、日の出と共に目覚めた母に起こされて、眠たい目をこすりつつ窓の外を眺めれば、黄金色の朝日がセントラルパークの木々の上に降り注いでいる。木々の上を幽けき朝霧がたゆたい、それはまさに「極楽浄土」のような様相を呈していた。

昔住んでいたアパートメントもやはり東に面していたから、時折朝焼けを眺めたものだ。それはいつ見てもエネルギーを与えてくれる、希望に満ちた光だった。

そんな朝日を眺めつつ、(やっぱり、マンハッタンは、特別なパワーに包まれた場所なのだ)と感じずにはいられなかった。

実質二日間のマンハッタン滞在。それはそれは濃密だった。初日はセントラルパークを散策したのち、メトロポリタン・ミュージアムを じっくりと見学。その後アッパーイーストサイドをウインドーショッピングしたあと、ネイルショップでフットマッサージなどを受ける。

夕方からは、あらかじめ予約していたミュージカルAIDAを観に行く。これがまたすばらしいミュージカルだった。

翌朝は、57丁目の五番街と六番街の間にあるMANJIAという洒落たデリで朝食をとったあと、五番街を歩く。お決まりのティファニーをはじめ、ヘンリー・ベンデル、サックス・フィフスアベニューなどのぞきつつ、ロックフェラーセンターで記念撮影などをして、ニューヨーク観光。

ランチはコリアタウンの豆腐料理店(わたしとA男のお気に入り)で。冷たいOB ビールで喉を潤し、スパイシーな前菜、海鮮お好み焼き、石焼きビビンバに豆腐の料理を平らげる。母も妹も気に入った様子で満足のランチ。

その後、ユニオンスクエアにあるABCカーペットというインテリア専門店へ行った。ここには家具、ベッドリネン、バス用品、小物などバラエティー豊かなインテリア用品が揃っている。中でも最上階のカーペットは圧巻で、エレベータのドアが開くなり、母は絶句。遮るもののない広大なフロア。2階分ほどを貫く高い天井から、無数の巨大なカーペットが吊されている。見ようによってはミュージアムのようでもある。

しばらくABCカーペットで過ごした後、ヴィレッジ、ソーホーあたりを巡り、ショッピングを楽しむ。最後に再びネイルサロンに立ち寄り、フットマッサージやマニキュア、ペディキュアをしてもらってリフレッシュした。

 

●ペンシルベニア州はランカスター、アーミッシュ村へも行った。

朝、マンハッタンのホテルをチェックインしたわたしたちは、一路ペンシルベニア州へ。途中で目的のハイウェイに乗り損ねたり、猛烈な夕立に見舞われ、視界を著しく遮られて恐ろしい思いをしたりしつつ、なんとかランカスターに到着。雨がやむと、洗われた大地がすがすがしく、緑豊かな牧草地の景色が一段と輝いて見えた。

通称、ダッチ・カウンティとも呼ばれるランカスター・カウンティ。ここにはオランダやドイツから移り住んできたアーミッシュの人々が暮らしている。彼らは近代文明を受け入れず、電気やガスのない家で、昔ながらの自給自足の生活を営んでいる。

ちなみにアーミッシュとはキリスト教の宗派の一つ。独自の宗教観を貫き、アメリカ合衆国に暮らしながらも基本的に外部との接触はなく、限定された世界の中で生活している。

さて、Gardens of Edenと呼ばれる、広大な庭に囲まれた小さな宿の、わたしたちは離れの2階建てコテージを予約していた。アーリーアメリカンのインテリアが愛らしい部屋。暖炉、ロッキングチェアー、キルト、バスケットなどが素朴な温もりを漂わせている。

チェックインを済ませた後、オーナー夫人に招かれて、クッキーとお茶をいただく。広々とした庭の向こうには小道が入り組んでいて、野生の花々が咲いている。川のせせらぎも聞こえてくる。

夫人におすすめのレストランなどを尋ね、アーミッシュ村ならではの、素朴でおいしい料理が楽しめる場所を教えてもらう。ドライブしつつ、途中のクラフトショップなどに立ち寄りつつ、レストランへ。

他のゲストたちと一緒に大きなテーブルに座り、大皿に出される食事を皆で取り分けながら食べる「ファミリースタイル」の食事だ。ザワークラウトや豆、野菜のマリネ、素朴なパンにはじまり、さわやかなレモネードを飲みながらメインを待つ。

やがてフライドチキンやマッシュポテト、茹でたインゲン、ドライ・コーンのソテー、ローストポーク、ソーセージ、ニョッキ風入りクリームチキン、パスタのバター和えなどが次々にテーブルに運ばれ、それらを少しずつ自分の皿に取る。瞬く間に皿は食べ物でいっぱいになる。

どれも素朴な味付けで、ほっとするおいしさ。季節季節の食べ物を供するらしく、現在は冬から春にかけての食べ物が主。だから新鮮なコーンではなく干したコーンを煮込んだりしているようだ。それはそれで、甘みが濃厚でおいしい。

デザートは三種類。チョコレートケーキにアップルパイ(丸ごとのリンゴをビスケットの生地で包んで焼いたもの)、それにアーミッシュならではの甘いパイ。アイスクリームやホイップを添えて食べる。

日が長いから、夕食後もあたりはまだ薄暮。日中は暑かったけれど、日が陰ると風が涼しく心地よく、牧場の緑もすがすがしく、仕事帰りのアーミッシュの人たちが馬車などでのんびりと帰宅する様子を眺めながら、わたしたちもゆっくりと車を走らせ、宿へ向かった。

翌朝は早起きして宿を取り囲む広大な庭を散策。朝日を浴びてきらめくさまざまな野生の草花や木々の緑、花を眺めながら、すがすがしい朝の空気を全身に吸い込む。

朝食をすませチェックアウトした後、インフォメーションセンターで予約していたガイドツアー(ガイドを車に乗せて案内してもらう)でアーミッシュの人々が暮らすローカルなエリアなどを巡る。

暑さとちょっとした湿気で空が少しばかりくすんでいたものの、太陽はまぶしく晴れている。見渡す限りの緑の牧草地を走り、なんとも気分がいい。

途中でファーマーズマーケットやキルト、家具、手工芸品の店に立ち寄るなどしつつ、アーミッシュ・カウンティーを駆け抜ける。午後は早めにアーミッシュ・カウンティーを離れ、A男の待つワシントンDCへ戻った。

 

●「自分中心に決められない=自分にとってよくない」ではないことを知った。

DCに暮らし始めて以来、かなり濃密な毎日が続いている。ことに4月以降は、家族の来訪で一日一日が更に濃い。

そんな「新しい生活」のなかで、自分自身の新しい仕事に向けて、わたしは歩き出している。向かっている場所は、自分にとってよい方向であるとも感じている。

先日、アーヴァンドとジョギングしていたときのことを、ホームページの日記に書いた。その時の心境を、日記には書かなかったが書き加えたい。

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夕立のあと、雨に濡れた街をジョギングする。今日もまた、違うルートを走る。雨に洗われた緑がきらきらとしていて、少し湿った緑の匂いが心地よい。途中でグルメなデリを発見して寄り道したり、アメリカ大学のキャンパスを通過したりして、マサチューセッツアベニューに戻る。

途中、わたしは疲れて歩き始める。先を走るアーヴァンドがどんどん小さくなっていくのを見ながら歩く。あたりは大きな大きな街路樹が生い茂っていて、道路を覆い尽くしている。その緑の中を、白いTシャツ短パン姿のアーヴァンドが走っていく。そんな光景を眺めながら、なんだか気が遠くなるような、不思議な感覚にとらわれる。

わたしはどうしてまた、こんなところに住んでいるのだろう。そうして、わたしはどうしてまた、インド人の夫などがいるのだろう。前を走るコロコロとした彼を見ながら、自分の来し方行く末を思う。

そうして、ふと視線を上げると、左手の前方に、夕映えに輝くカテドラルのてっぺんが見えてきた。さらに視線を上げると……そこには七色の虹!

緑がきらめくこの地上、夕映えのカテドラル、それを包み込むように、大きく弧を描く七色の完璧な虹。その風景の中を、豆粒のようなアーヴァンドが走っている。本当に、夢を見ているようだった。

大急ぎで走り、アーヴァンドを呼び止め、二人して広々とした芝生の広場で休憩し、大きな木にもたれかかって虹を見つめる。虹は瞬く間に薄く色あせていき、やがては消えていった。

あとには、グレイの雲が残され、それもまた次第に薄れていき、中から澄み渡る柔らかな青空が見えてきた。そんな様子を、しばらくの間、眺めた。

「天国みたいな風景だったね」とアーヴァンドが言う。

「本当に」とわたしもうなずく。

アーヴァンドと手を繋いで歩きながら、わたしはここに引っ越してきて、本当によかったと心の底から思った。

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今までは、自分自身ですべてを決められないということは、心のどこかで「何かを犠牲にすること」「我慢すること」という風に解釈してきた。

しかし、虹の下を走るA男を見ながら、それは違っていたかもしれないと思った。自分一人で決める分には限界があって、可能性も限定される場合がある。でも、二人で決めるということは、二人分の可能性プラスそれ以上の可能性があって、そこには決して一人では実現できない未知の世界が待ち受けているかもしれない、ということに初めて気が付いたのだ。

多くの人々は、結婚と同時にそういうことに気がつくのかもしれない。いや、そう思うからこそ結婚するのかもしれない。しかしわたしは結婚するとき、そんなことは少しも思い至らなかった。

結婚はしたかった。したかったけれど、それによって得るものよりも、「失うものの勘定」に気を取られていた。それはずっと独身で、自分のペースで生活をしてきた日々が長かったせいもあるだろう。

だから今頃になって、ようやくそんなことに気がつきはじめている。ぼちぼちと。

一人だったら絶対選ばなかったであろう場所に暮らし、そこでの暮らしが予想以上に快適で、新しい境地を開きつつある自分。自らの頑なな殻を、月日を追うごとに、一枚一枚、剥がしているような日々だ。

久しぶりに、また長くなってしまった。今日はこの辺で。

 


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