坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 82 10/27/2002

 


昨日から夏時間が終わり、日暮れが1時間早くなりました。これからは、冬に向かって一直線の時候となります。DCの街を覆い尽くす豊かな緑は、徐々に赤や黄色の暖かな色に染まり始めました。

連続射殺事件の犯人らしき人物が逮捕され、向かいのスクールの校庭には再び子供たちが姿を現し、幸せな歓声がこの部屋にも響いてきます。

世界の各地から届くニュースは、気を重くさせるものが多い昨今。とても当たり前のことだけれど、一日一日を、大切に、過ごしたいと思います。

さて、日本紀行三部作の「京都・下関編」、ようやく書きましたのでお送りします。

 

●9月10日(火)新幹線で京都へ。先斗町で、鴨川を望みつつの夕餉

5泊6日の滞在を終え、東京を離れる。四谷からタクシーで東京駅へ。最終日は風も涼しく、青空も美しい、これまでで一番の天気。わたしたちが訪れる数日前までは信じがたいほどの猛暑だったらしいから、雨が降っても涼しくなってよかったと、いろんな人に言われた。

京都へは新幹線で行く。わたしたちは米国を発つ前に、在米の日系旅行代理店で「ジャパン・レールパス」というものを購入していた。これは、外国人、もしくは外国人と結婚した日本人、他国の永住権を持っている日本人などが購入できるJRのパスで、かなり割安だ。

種類は7日間、14日間、21日間の3種類あるが、わたしたちは7日間のパス(一人28,300円)を購入していた。このパスがあれば、最初に使った日から7日間、のぞみを除く新幹線などさまざまなJRに乗り放題なのだ。

本当はゆっくりと駅弁を吟味して買い、新幹線に乗り込もうと思っていたのだが、ちょうどすぐ出発する便があったので、急いで乗り込む。新幹線のカフェには2種類くらいの弁当しか残っておらず、選択する余地なく、それらを購入。味はまあまあだ。無念である。

京都駅近くのホテルにチェックインしたあと、東本願寺へ。ここは前回も訪れたから二度目である。靴を脱ぎ、広々とした回廊を歩く。久々に、静寂に包まれて、心がすっきりとする。

階段に腰掛けて、のんびりしているところへ携帯電話が鳴った。ポプラ社の編集者、斉藤さんからだ。ポプラ社の新刊広告が読売新聞に掲載されるとのことだった。

ところで東京では、結局、自分の本が書店の店頭に並べられているのを目にしないままだったので、どうしても見たかった。

ポプラ社では、紀伊國屋書店であれば、どの店に何冊置かれてるかわかるというので、その内訳を教えてもらう。大半が3冊、5冊、多くて15冊という少ない数字だが、大阪の梅田にある紀伊國屋は30冊とダントツで多いという。自分の本が平積みされているのを見てみたい。でも、それだけのために大阪に行くのもなあ、と電話を切ったあと、少々思いを巡らす。

東本願寺から祇園の辺りまで、のんびりと歩く。A男は、前回の旅で舞妓さんの姿を見ることができなかったので、今回は必ず見たいと意気込んでいる。祇園辺りを歩いていれば出会えるのではないかと思って、先斗町に向かう。しかし、舞妓さん、おらず。

夕食は、鴨川畔に面した床席のある店を選んだ。数年前に来たときよりも、この界隈はカジュアルな居酒屋風の店が増えている気がする。わたしたちが入ったのは「招月庵」という店。床席というか、ビアガーデン風。

夕暮れの涼しくなった風を受けながら、鴨川を見下ろしつつ生ビールを飲む。何とも気分がいい。ようやく、「旅行をしている」という気分になり始めている。京都では、しばし仕事(『街の灯』営業)を忘れて、旅を楽しもうと、二人決める。

 

●9月11日(水)三十三間堂に銀閣寺、金閣寺、龍安寺と観光三昧

いい天気だ。朝食を買おうと、近所のセブンイレブンへ。それにしても、日本のコンビニはあれこれと食べ物がそろっていて楽しい。

ホテルは安っぽいが、和室なので広さがあり、従って、部屋で食事をしてから外出しようという次第。おにぎりとおでん、サンドイッチ、野菜ジュースなどを購入し、気合いの入った朝食。A男はセブンイレブンのおでんが大いにお気に召した様子で、朝から旺盛な食欲を発揮していた。

それにしても、日本の野菜ジュースやトマトジュースって、どうしてあんなにさらさらあっさりしているの? わたしはアメリカのV8のような、濃厚でドロッとして癖がある野菜ジュースの方が「ビタミンたっぷり!」って感じがして好きなのだが……。

日本って、チョコレートなどのお菓子にしてもそうだけど、「口当たりが滑らかであくがない」ものがとても多い気がする。洗練されているといえばそれまでだが、なんだか過剰に「人工的」な印象を受ける。

さて、まずはホテルから歩いて三十三間堂へ。京都には何度か訪れたことがあったが、三十三間堂は今回が初めてだ。出発前にメールマガジンの読者から勧められ、ぜひ行ってみたいと思っていたのだ。

ともかく、圧倒された。本当に、たいへんな迫力だった。

1001体の千手観音像が、ずらーーーーーーーっと並んでいる様の、その異様なまでの非日常的な光景を、言葉ではうまく表現できない。A男もたいへん驚いている様子だ。

千手観音と信者を守っているという28体の仏像もまた、それぞれに迫真的な姿。ほとんどの神々がインドを起源としており、インドの神の名を冠した仏像も多々見られた。A男は、じっくりと英文の解説を読みながら、インドと日本のつながりに思いを巡らせているようだった。

ここでは、英文のカタログを購入して帰った。

その後、タクシーで銀閣寺へ。銀閣寺そのものは地味な建物だが、庭園がのどかで美しい。でも、暑くて、二人してだらけて、一巡してそそくさと去る。銀閣寺近くの食堂で天丼などを食べたあと、二人がお気に入りの金閣寺へ向かう。

金閣寺。何度見ても、美しい。池に浮かぶ様を眺めていると、実在している建物なのに、なんだか精密な絵画を見ているような心持ちにさせられる。しばらく見ていても見飽きない、独特な気品と優雅さときらびやかさが漂っていて、本当に美しいと思う。

前回、金閣寺に来たときは、A男と大げんかをしていた。どこかからタクシーで金閣寺に向かったのだが、わたしが運転手と日本語で楽しげに話したのが彼の怒りに火を付けた。

なにしろ、初めての日本で、ここまで英語が通じないとは彼も予想しておらず、せめて京都に来ればわたし以外の人も英語が出来るだろうと思っていたらしいのがそうではなく、ホテルでトイレはどこかと英語で尋ねても誰も理解できず(サインは「お手洗い」「男子」「女子」とくっきり日本語だった)、どうにもわたしの「金魚の糞」であり続けることに怒り爆発したらしいのだ。

「もう、美穂は日本語で楽しそうに話してるけど、僕には全然わからない!」

「あのねえ、わたしもいちいち通訳するの、疲れるのよ! たまにはいいでしょ!」

「もう、毎日毎日、日本語ばかりでいやだ!」

「仕方ないやん、文句あるなら、日本語勉強し!」

そんな不毛な会話を交わしつつ、金閣寺の庭園内に入った。

それでも、金閣寺の美しさには見とれて、ふてくされながらも写真撮影をした。そのときの二人の顔は、ぶーたれていて、きれいな背景なのに惜しいことをしたものだとのちのち悔やんだ。途中にある茶室でお抹茶とお茶菓子をいただいて、少々気分がよくなり、茶室を出る頃にはややお互い気分を取り直した。一旦外に出たものの、心を入れ替えてもう一周しようと改めて入場した。しかし二回目はもうすでに日が暮れかかっていて、いい写真が撮れなかった。

今回は「喧嘩してはならない」と二人心に決めていた。円満に写真撮影をすませた。

ちなみに今回の旅では、A男は少々、日本語を勉強してきた。といっても、基礎の基礎だが。

「トイレは、どこですか」

これは、最低限、必要な言葉。

「**、ひとつ、ください」「**、ふたつ、ください」

これは、お店でオーダーしたり物を買うときに使う。でも、「ひとつ」と「ふたつ」がいつも混乱して、間違った数量を買い求めてしまう。たまに「ふとつ」とか「ひたつ」とか、違う言葉になってしまったりもする。簡単そうで、実は紛らわしい言葉だ。

日本の店員さんは、たいてい親切でやさしいから、A男がでたらめな日本語でオーダーしても、にっこりとしてくれる。どうやらA男はそれがうれしいらしく、カフェでもレストランでも、率先して自分がオーダーしていた。ともかく、アメリカの無愛想で雑な応対に比べると、日本人女性の多くは一様に丁寧で上品でやさしく見える。

さて、金閣寺のあと、A男が英語のガイドブックを見てどうしても行きたいと言う龍安寺へ向かう。あの石庭は、欧米では「禅(ZEN)」のシンボル的な存在となっている節があり、あの庭園を模した卓上の「庭園セット」なるものが、ユニークな雑貨店などに売られているのを見たことがある。

「あの石の並びに哲学があり、禅の精神が宿っている」みたいなことが、そのガイドブックの龍安寺をして解説するところである。

夕暮れになりつつあるところを、急ぎバスに乗り、龍安寺へ。池の水面を蓮の葉が覆い尽くしている。蓮の花はあいにく盛りを過ぎたようで、わずか数本が花を残すばかり。これが満開の頃は、いかにも美しかろうと思いを馳せる。

さて、肝心の石庭であるが、二人、他の観光客に紛れて望むに、沈黙……。

ううむ。何がどう哲学なのか、さっぱりわからぬ。清澄な心持ちになる、というわけでもなく、しかし、他の観光客は神妙かつ気むずかしそうな顔をしつつ、庭園を見つめている。

浅薄な感性を披露するようだが、今のわたし(たち)は、この庭園を、じっくりと味わい、沈思黙考することはできなかった。三十三間堂とか、金閣寺とか、見るからに圧倒的でインパクトのあるもののほうが、わかりやすくて好き。

ただ、銭形のつくばいにある禅の格言は、印象的だった。

「吾唯知知」(ワレタダシルヲシル)

"I learn only to be contented"

無論これは、A男がガイドブックで見つけたこの英文に感銘を受け、それをわたしに教えてくれた次第で、わたしはちっとも気が付かなかった。英文の方が、むしろ日本語よりもわかりやすい。名訳にも思えるし、なんかちょっと違うような気もするが、それはそれで、とてもいい言葉だ。

観光三昧だった今日一日。最後にもう一度祇園へ。しかし、やっぱり、舞妓さんはおらず。そうそう歩いているものではないのね。

夕食は、知人が勧めてくれた、縄手通りにある「とり安」へ。予約もせずに行ったのだが、二人だというのにお座敷(個室)に通してくれ、サービスがとてもいい。よく冷えた梅酒で乾杯。たちまちリラックスする。ここではおすすめの「名代 特選若鶏水炊き」と「すきやき」のコースを注文する。

水炊きもすき焼きも、どちらもとてもおいしくて、A男もわたしも大満足。水炊きのあとのぞうすいもまた格別だった。

舞妓さんには出会えなかったが、満たされた心持ちでホテルに戻った。

 

●9月12日(木)京都最終日。結局、大阪へ。
 午後はお土産ショッピング

「梅田の紀伊國屋に30冊」

その言葉をどうしても忘れられない。見たい。店長にも挨拶したい。

気の進まないA男を説得し、ちょっとだけ大阪に行くことにする。ジャパンレールパスがあるから新幹線に乗れるし、乗り換え時間を含めても梅田までは30分で到着するから……と。

紀伊國屋では、ちょうど『街の灯』を店頭に出す作業をしているところだった。そしてついに、自分の本が書店に並んでいるのを目にする。第二課課長の平山氏がそのあたりの責任者らしく、平山氏にご挨拶ののち、記念撮影をさせてもらう。

せっかく大阪にきたんやから、やっぱお好み焼き食べなあかん思て、店頭で雑誌やガイドブックで探すけど、どうにも近所によさげな店は発見でけへん。駅のそと出て、食堂街でもあらへんかなあ、とうろつくけど、なんも見つかれへん。

通りすがりの人に、「この近所で、どこぞ、おいしいお好み焼きの店、知りまへん?」と尋ねるけど、「さあ」とか、「ぼく、大阪の人間じゃないんです」とか、つれない返事ばっかりや。

しゃーないから、どこぞのビルの屋上のレストラン街に行ってんねんな。

そこで、お好み焼き屋をようやく見つけて入ったんやけどな。お好みもたこ焼きも、あかんやったわ。全然おいしゅーない。むしろまずいくらいや。無念やったなあ。二人して、無口になってもうたわ。

(ちょっと大阪弁で書いてみた。結構、楽しい。間違いは、見逃がして〜な)

さて、京都に戻り、A男がおみやげなどを買いたいというので、タクシーで河原町周辺に行くことにする。ところが、タクシーの運転手に「外国人にいい土産物屋がある、町中で買うより安い」と言われ、その言葉を信じて連れて行かれたのが、町はずれにある「お土産会館」みたいなビル。正式名称は……忘れた。ハンディクラフトセンターとか何とか言ったかな。

7階建てくらいのビルに、伝統的な土産物が入っているのだが、そのビルの古くさいこと、並んでいる商品の、なんか胡散臭いこと、この上ない。「一番」と書かれたTシャツとか、金きらプラスチックの金閣寺とか、プラスチックの漆塗り風食器とか、サテンの着物とか……。この店の顧客はGIか、と突っ込みを入れたくなるような時代錯誤の店内風景。

最上階には食券を購入するスタイルの食堂。その寂れ方もまたなんとも言えず。昭和30年代から40年代の高度成長期の日本がそのまま凍結してそこにある。

ともかく商品は玉石混淆で、なにがなんやらわけわからず。しかも、少しも安くない。ともかく、古くて、変な店。A男も、「あのタクシーの運転手は変なところに連れてきた」とぷんぷん怒っていた。

気を取り直して、今度はバスで河原町周辺に戻る。お洒落な民芸品店や土産物店をいくつか見つけて、あれこれとショッピング。A男は男性のボスや同僚に「だるま」を買った。達磨はそもそもインド人だし、片目を入れて、念願が成就するともう片方の目を入れるというストーリーもおもしろい。多少かさばるけれど、軽いからお土産にぴったりだ。

その他、女性の同僚には、和柄のかわいらしいポーチ、セキュレタリーらには、桜模様に舞妓さんの刺繍が施された美しいハンカチなどを買った。わたしも自分用に、ハンカチや、和風のバッグを購入する。シンプルな黒いドレスなどを着たときに、和柄のバッグはアクセントになってよさそうだ。

そのほか、木製(竹製?)のスプーンやフォーク(これはもっと買ってくれば良かったと後悔するほど気に入っている)、小さな升、ざるそば用のざるなど、アメリカでは手に入らないこまごまとした台所用雑貨などを買う。

途中、くずきりで有名な「鍵善良房」で休憩。くずきりは暑い時候にぴったりの、喉ごしのいい甘味だ。見た目もまた涼しげな容器に入ったくずきりを箸ですくい、黒蜜に軽く浸して食べる。しかし、二人でわけても結構なボリュームで、意外に重たかった。というか、途中で飽きてきた。ここのアイス抹茶がおいしかった。

その後もしばらくデパートなどを見て回る。日本に来て以来、A男はことあるごとに、

「日本の若い女性はきれいな格好をしている。美穂の服はなんだかみすぼらしい。新しい服を買ったら?」と言っていた。

確かに、日本の服は縫製がきっちりとしていて、とても小ぎれいに見える。高級ブランドの服などを除いては、アメリカの一般的な衣服と比べると、クオリティが格段にいい。というわけで、デパートに行き、服を探してみた。

しかしね。わかっちゃいたけどね。日本の服は、サイズが小さいよ! 年輩のコーナーに行けば大きいサイズもあるんだろうけれど、「小粋なファッション」は、どれもこれも、サイズは1つしかない。しかも、人はそれをフリーサイズと呼ぶ。

パンツやスカートはとうに諦めているが、せめてシャツやブラウスは入る物もあろうかと、あちらこちらの店をふらつく。

「このシャツ、大きいサイズ、あります?」

「こちら、フリーサイズになっております」

「このシャツ、大きいサイズ、あります?」

「こちら、フリーサイズになっております」

こんな会話を何度も繰り返して、ほとほと疲れた。フリーサイズって、7号とか9号なのよね。身長が高い人だっているのにさ。それに日本だって、太った人、いるじゃない。太った女性はおしゃれができないのか??? とやり場のない怒りに包まれた。

思えば日本にいたころから、状況は厳しかったのに、あれからさらに増量しているからなあ(わが体重)。でも、アメリカでは、わたしは標準サイズ(身長166センチ、体重はそれなり)で、一番、種類が豊富にあるのよねえ。

そういうわけで、何も買わずに、試着疲れする。

夜は軽く「串焼き」などを食べ、ホテルへ。なかなかに充実した京都滞在だった。

「今回も、舞妓さん、見られなかった……」

やや寂しげなA男ではあった。

 

●9月13日(金)下関、我が母校、梅光女学院大学へ

新幹線で一旦、九州に入り、小倉で下車。小倉のステーションホテルにチェックインしたあと、再び下関、つまり本州側へ戻る。

わたしが大学に通っていた当時、下関から山陰本線で30分ほどいったところにある梅ヶ峠という無人駅のど田舎に、梅光女学院大学(四年制)のキャンパスがあった。しかし、最近この大学は共学になって「梅光学院」となり、さらには数年後に梅ヶ峠のキャンパスを引き払い、そもそも市内の中心近くにあった短大に統合されるらしい。

この日恩師を訪ねたのも、この、かつて短大だったキャンパスだ。梅ヶ峠は猛烈に田舎だったが、田舎だったからこその得難いさまざまな思い出が脳裏を去来し、少なからず寂しい思いがする。

恩師は進路課の担当でもあり、だからわたしに、自分の仕事の経歴などについて、あれこれと体験を学生たちの前で話してほしいと、あらかじめ頼まれていた。ただ、わたしの訪日のタイミングが悪く、試験中にかかっているから、学生はあまり集まらないだろうとも聞いていた。

先生は、あらかじめ貼り紙などをして今日のことを知らせておいてくれたらしいが、学生らの反応は芳しくない様子。

試験中とはいえ、サロンには多数の学生が残っており、恩師は「先輩がアメリカから話をしに来てくれたから集まるように」と声をかけるのにも関わらず、大半の学生らはその声を無視し、関心を払おうともしない。特に何を期待して行ったわけでもなく、わたしは恩師に挨拶をし、少しでも学生たちの力になれたらと思っていたくらいだが、とはいうものの、彼女らの反応には、かなりがっかりとさせられた。

わたしの在学中は、知名度の低い大学ながらも、すばらしい教授たちに恵まれ、学生もまた個性的な人が多く、漂う空気が異質だった。うまく言えないが、もっと真摯だった。たとえそれが無名なライターであれ、先輩が話をするとなれば、率先して話を聞こうという心意気の学生が多かった気がする。ましてや、先生の声を無視することはなかった。

一方、集まったわずか十数名の学生たちは、真剣に話を聞いてくれ、質疑応答などを交わし、多分、充実した時間を過ごしてくれたと思う。

小さいながらも味わいのある大学。得難い経験が凝縮された、大切な4年間。母校を誇りに思っていたが、月日は流れたのだなあと少し寂しい気持ちになった。

夜は、先生が声をかけてくださり、下関界隈に住んでいるかつてのクラスメートたち数名と食事に出かけた。懐かしい話題に花が咲き、楽しいひととき。しかし、一抹の寂しさは拭えなかった。

下関に一泊し、自分の記憶に、一つの読点が打たれた気がした。

 


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