坂田マルハン美穂のDC&NYライフ・エッセイ

Vol. 94 4/14/2003

 


定期的に一週間に一度発行するのが理想的だと思っているのですが、またもや間が空いてしまいました。みなさん、お変わりありませんか?

今日は4月14日月曜日。爽やかに晴れ渡った空が清々しい午後です。先週から夏時間に変わり、日没がずいぶん遅くなりました。窓から見渡せる木々は、日増しに緑を濃くし、さまざまな花が次々に開き、街を歩く足が自ずと軽やかになる季節です。

1996年の4月に渡米して以来、丸7年が過ぎました。大学卒業後、東京で暮らしたのが8年間ですから、今年で東京生活とアメリカ生活のボリュームが同じになります。同じ時間の長さでも、経験してきたことの種類の違いはとても大きいものです。

実は、先週の月曜日から語学学校に通い始めました。今更のようですが「英語」のやり直しです。月曜から金曜、朝9時から午後1時までの集中コースをひとまず1カ月申し込みました。毎日宿題がたっぷりで、てんてこまいしています。

前回発行して以来、相変わらずいろいろな出来事が通り過ぎていきました。今回は、一つのテーマを掘り下げて書くエネルギーがないので(この後の宿題のためにエネルギーを温存しておかねばならない)、軽くダイジェスト版をお送りします。

 

●久々に、A男と共に4泊5日でニューヨークへ行った。楽しかった!

3月28日(金)から4月1日(火)にかけて、久しぶりにニューヨークへ行った。新年に遊びに行って以来、4カ月ぶりだ。週末はA男も一緒に滞在した。

気候も暖かくなり、ニューヨークの空気を吸わないことにはいてもたってもいられなくなったこともあるが、大学時代の教授がマンハッタンのヒルトンホテルで行われたアジア文学の学会に参加するというので、教授の渡米に合わせて予定を決めた次第。

わたしがニューヨークに行くと、必ずと言っていいほど、雨や雪や嵐などの悪天候に見舞われるのだが、今回もそうだった。雨は降るし、やたら寒いしで、本当に、ムッとした。

それでも週末は、A男とメトロポリタンミュージアムで行われていたレオナルド・ダヴィンチのドローイング展に行ったり、映画を見たり(『ベッカムに恋して』を見た。面白かった!)、ショッピングに行ったりと、久々に「刺激のある」週末を過ごした。

それから、わたしも彼も、行きつけの日本人経営のヘアサロンに行って髪を切った。ワシントンDCには日本人経営のヘアサロンがないから、わたしはいまだにニューヨークで切っている。A男の髪はわたしが時々切ることもある。なかなかうまいのよ。

アメリカ人経営の一般的なサロンでは、ひどい仕上がりになる確率が非常に高い。はさみを使わず「バリカン」で切られたりすることも珍しくなく、左右がきちんと揃っていなかったり、毛先がばらついていたり、まあともかく、とんでもないことが発生する。

だからわたしが切った方が、幾分、いや格段に「まし」だったりするのだ。

久しぶりに何人かの友人たちに再会し、一緒に食事をし、思い切りしゃべって、思い切り笑って、本当に楽しかった。

ニューヨークの友人の多くは、はじけていたり、無茶していたり、際どかったり、非常識だったり、突拍子もなかったりするので、よくも悪くも刺激が強く、話していると心が躍動する。ニューヨークという土地柄ならではである。

やっぱり定期的にマンハッタンにいかなければなあ、と思いつつ帰ってきた。

 

●友人夫婦(日印カップル)に赤ちゃんが産まれた!

以前も書いたが、わたしたちには、日本人女性とインド人男性のカップルの友人が3組いる。この一年のうち、計4組、もしくは3組で合うことも何度かあった。ユニークなのは全カップル、女性の方が年上(それもずいぶん)だということ。一般にインドでは、年上の女性は結婚相手に望ましくないらしいのだが、ともかくみな年上である。

それはさておき、中でも、DCに移って一番はじめに出会った日印カップル(奥さんの名前はわたしと同じくミホさん)に、4月3日、ベイビーが誕生した。彼女が入院していた病院が我が家の近くだったので、翌日、見に行った。というかお見舞いに行った。

ベイビーは、今のところお母さん似の、本当にかわいい女の子だ。桜が満開の春の日に、本当におめでたい。A男も見たがって(会いたがって)いたので、もうしばらくしたら、二人一緒に遊びに行こうと思う。

ちなみに彼女は出産の前日、つまり水曜日まで会社に通勤していたという。木曜日の昼頃病院に行って、夜出産して、翌々日の土曜日には退院である。

以前も書いたが、アメリカでは出産や手術の際、日本のように長々と入院しない。去年ニューヨークで出産した友人も帝王切開のため痛みがあったにもかかわらず、数日後には退院させられたという。

ちなみに、アメリカの医療は「痛みを感じさせない」ことに主眼を置く傾向があり、従って、無痛分娩も一般的である。妊婦の9割が無痛分娩で出産すると聞く。痛みが軽減する分、母体の負担も和らぐらしい。

以前、友人から聞いた話。彼女の息子が通うプレスクール(保育園)に臨月の母親が、やはり子供を連れてきていた。お腹には双子の赤ちゃんがいるのだという。とある金曜日の午後、「もうすぐ生まれるのよ」と言っていた彼女。週末をはさんで月曜日、なんだかお腹のあたりをすっきりさせて、プレスクールやってきた。

友人は一瞬、戸惑い、「あの〜、赤ちゃんは……?」と尋ねたところ、「あぁ、産んだわよ」と返されたらしい。

金曜から月曜まで中2日である。その間に産んで、回復して、まるで何事もなかったかのように、普通に歩いている彼女を見て、友人は思わず心中でつぶやいたという

(まるでイヌのようだ……)と。

いくら無痛分娩とはいえ、安産にもほどがある。というか、その回復力のものすごさには、出産経験のないわたしが言うのも何だが、たいそう驚かされる。人種の違いもあるのだろうか……。

……ともかく、そういうわけで、春らしい、おめでたいニュースだった。

 

●マグノリア、ソメイヨシノにしだれ桜、八重桜に梨の花……

百聞は一見にしかず。いくらここで文字を書き連ねても伝わらないとわかってはいるものの、この時期の、この街の緑と花々の美しさについて、触れずにはいられない。マグノリアが咲き、ソメイヨシノが咲き、しだれ桜が、八重桜が咲き、そして街路にはスイセンやチューリップ、ヒヤシンス、パンジーなどが、色とりどりに咲き乱れる。

あらゆる木々の新緑が、驚くほどの早さでみるみる芽吹き、日一日と、目に入る緑のボリュームが増して行く。天気のいい日には街を歩かずにはいられない。

この美しい季節を、思う存分、味わいたい。今こうして、コンピュータに向かっていても、ちょっとウォーキングに行こうかしらと気もそぞろなのだ。

ニューヨークもいいけれど、春から秋にかけての自然の美しさは、この界隈が格別だと本当に思う。

 

●全米桜祭りがあった。今年も、タイダルベイスンの桜は見事だった

2週間にわたって行われていた全米桜祭りも先週で終わった。イベントのハイライトは午前中パレード、午後、日本の縁日が出る4月5日土曜日だった。縁日は日米協会が主催でボランティアも募っていたため、何らかの形で参加しようと思っていたのだが、今ひとつピンと来ないことが多く、今回はよした。

その代わり、『muse DC』で桜祭り特集を組み、スケジュールの一覧などを制作するなど、間接的に、それなりに、ずいぶん貢献したと思っている。今回はひとまずそれでよし、とした。

ブッシュのお膝元ワシントンDCで、この時期、屈託なく「お祭り気分」に浸るのは、なかなか難しいことである。

 

●ニューヨークの友人が遊びに来た。一緒に温泉に行った。楽しかった!

ニューヨークから友人のスミコさんが遊びに来た。いや、正確にはDCで行われたColorectal Cancer Conference(結腸ガンの学会)に参加することが主目的だった。

彼女のことは、Vo. 61の「生命力」の項で触れている。

http://www.museny.com/essay%26diary/mag61.htm

2001年の9月、ニューヨークがテロに襲われた直後、彼女もガンという病に襲われた。手術をし、以降、ずっとキモセラピー(抗ガン剤による化学療法)を受けながら、元気で生活している。日本のように入院してではなく、彼女は「通院」でキモセラピーを受けている。だから、会社にも通勤している。

彼女の病気のこと、そしてわたしの父の病気のことは、きちんと書きたいので、また別の機会に改めたい。

さて、彼女と会うのは4カ月ぶりだが、相変わらずとても元気だった。ちょうど桜が咲き誇っていた4月4日(金)、ニューヨークから4時間以上かけて、自分の車を運転してやってきた。

土曜は丸一日カンファレンスに参加していたが、夕方には終わるというので、桜祭りの縁日を訪れたわたしとA男と合流し、タイダル・ベイスンの満開の桜の下を散歩した。

桜に限らないけれど、でも、満開の美しい桜は、その盛りが短いだけに、自分一人で見るのは惜しく、できるだ多くの人に「見せたい」と思う。日本の両親や妹たちにも、いちど見て欲しいと切に思う。

満開の桜の下を、ただ、みんな、幸せそうに、そぞろ歩いている。芝生の上に腰掛けて、語り合う人もいる。ベンチでのんびりとくつろいでいる人もいる。わたしはこの街の、この桜の楽しみ方が、本当に好きだ。

夕暮れ時、オレンジ色の夕日を浴びて、ほのかに燃えるように色づいた桜もまた、ことのほか美しかった。

スミコさんとは、彼女のカンファレンスが終わった日曜の午後から、車でヴァージニア州のシェナンドー国立公園近くにある「温泉宿」へ行った。Vol. 90で紹介した、日本的な浴場のある宿だ。

日曜の夜だったこともあり、他のゲストはおらず、宿も浴場も貸し切り状態。広々とした湯船に浸かり、思う存分、温泉浴を堪能した。宿に用意されている浴衣を着て、夜更けまでワインを飲みつつ、おやつを食べつつ、あれこれとおしゃべりをし、本当に楽しかった。

思えば、友人と泊まりがけで出かけるなんて、何年ぶりのことだろう。A男と出会ってからは、たいてい彼と一緒だったから、本当に久しぶりのことだ。

※近いうちに、今年の桜の様子をホームページにアップロードしますので、来週あたりにでも、ご覧ください。

 

●今更ながら、語学学校の集中コースに通い始めた。

在米7年。もちろん、それなりに英語は話せる。

しかし、「話せる」と一言でいっても、そのレベルにはピンからキリまである。成人した後に、母国語以外の語学力を身につけるというのは、かなりの努力が必要だ。その国に住んでいたら、いつの間にかペラペラにしゃべれるようになる、なんてことは、ごく稀である。

能動的に学習しなければ、立派な語学力が「自然に身に付く」ことは、まずない。

現在のわたしは、そこそこの語彙量を駆使して、それなりに意志疎通はできる。しかし決して満足できるレベルではない。豊富な語彙、正確な文法、的確な表現など、修練すべき事柄は山ほどある。

これまでは「仕事が第一だから」と甘んじて学習を怠っていた。しかし、常日頃から「このままじゃだめだ」という思いもあった。

自力で学習しようと試みたこともあったが、3日と持たない。強制的に、学びの環境を作らないことには、わたしはついつい仕事に「逃げて」しまう。わたしにとっては仕事の方が、英語の勉強よりも「とっかかりやすく」「やりがいがあり」「無理ができる」のだ。

しかし、もう、あれこれごたごたと言い訳をしている場合ではない。A男も「ミホは英語の勉強をやり直すべきだ」後押しする。

というわけで、あれこれと検討した結果、我が家から徒歩7分ほどのところにある英語学校の、集中コースに申し込むことにした。ここの利点は1カ月ごとに申し込みができること。一度に数カ月分も申し込むのはプレッシャーが大きすぎるし、もしも自分に合わないときにキャンセルできないなどの問題が起こる可能性があるので。

そもそも、この年齢になって、語学学校で「英語」を目的に学ぶことには少々リスクがあることは承知している。クラスメートとの会話のポイントがずれるであろうこと、クラスの空気がさほどシリアスではないなど……。

とはいえ、なにか特定の学問を、カレッジなどで学びつつ、英語も並行して勉強するとなると、違った意味合いでの「気合い」が必要になり、また先延ばしになってしまう。ともかく、始めてみよう、というわけで、先週の火曜から通い始めた。

最初の数日は、朝から普段使い慣れない脳味噌を使ったせいか、午後、帰宅した後は、信じがたいほどの睡魔に襲われ、起きていることが辛かった。

数日を経て、なんとか生活のリズムを「通学モード」に合わせられるようになってきた。何しろ一日に占める英語学習の時間が宿題を含め6時間以上になってしまっため、他の仕事や家事や趣味などに費やす時間が急に圧迫されている。

ともかく1カ月様子を見て、今後の勉強法を検討しようと思っている。

さらっと終わるつもりが、また長くなってしまった。宿題をしなければならないので、今回は、この辺で。

(4/14/2003) Copyright: Miho Sakata Malhan

 


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