「デコレーションケーキ」か「煎餅」か

(2003年3月号)

 


あらかじめ断っておきたい。以下はあくまでも私が出会った人々の場合であり、当然ながら、皆が皆、そうではないということを。

NYにせよDCにせよ、さまざまなバックグラウンドの日本人が暮らしている。企業や団体の駐在員とその家族、フリーランスを含む自営業者、留学生、外国人との婚姻者などなど。

さらにマンハッタンの場合、「夢を追って」あるいは「憧れを抱いて」、仕事はないがともかく来た、という人も多い。街そのものの魅力が諸々の障害を凌駕して、ときに人を無謀にさせる。だから、観光ビザが切れたまま居着いている不法滞在者、あるいはその経験者も少なくない。

「実力があれば這い上がれる、誰にも等しくチャンスがある、それがアメリカだ!」

というイメージを胸に、人々はマンハッタンを目指す。歌手やダンサーなどエンターテインメント関係、カメラマンやデザイナー、アーティストなどクリエイティブ関係……。私の友人も、この業界に身を置く人が多い。

当然ながら、NYに来たからといって、誰もが夢を実現できるわけではない。実現したとしても、その状況を維持するためには並々ならぬ努力が必要だ。

生計を立てるため日本食レストランでアルバイトをするうち、日々の生活に追われて目的を失いかけている人、家賃が高いからと部屋をシェアしているが、ルームメイトとの諍いでストレスが溜まっている人、思うように言葉が通じず、物事が運ばず、慢性的に苛々が募っている人……。歳月は流れ、歳を重ね、しかし理想の自分に近づけず、かといって志半ばで帰国することができずにいる人も少なくない。渡米前の夢が大きいほどに、実現が困難だと思い知らされたときの打撃も大きい。

たとえば同じ東洋人でも、一般にチャイニーズやコリアンの場合、逆境に対応する底力があるから、少々の困難にもめげる様子はない。無論、彼らの多くは、渡米理由が日本人のそれとは異なるから比べるのに無理があるが、それにしても日本人(戦後生まれ)の多くは、彼らほど逆境に強くないと思われる。では、強ければいいのか、といえば一概にそうとも言いきれない。

そもそも、協調性が重視され「出る杭は打たれる」風潮の日本社会に順応できない人が多い中にあって、さらにその傾向に拍車がかかる。知らず知らずのうちに負けん気や意地が強くなり、それに伴って顔つきが険しくなる。いつしか大風呂敷を広げることに慣れ、日本人的な謙虚さを喪失し、押しばかりが強くなる。かなり苦い事態だ。

NYには、ポジティブなエネルギーが満ちあふれている反面、住む者を「エキセントリックで胡散臭い人」に変えてしまう魔力がある。それが吉と出るか凶と出るかは状況次第だ。なにせ「個性的で魅力ある人」と「胡散臭くて疎ましい人」の境界線は著しく微妙で、うっかりすると本人にその気がなくても、後者のカテゴリーに入ってしまう。認めたくないが、私自身にも思い当たる節はある。

「胡散臭さ」の形はさまざまだが、ここではあまり毒のない、ありがちな例を挙げてみる。

たとえば、あるカメラマンが、都内で最もクールだと評判のバーでマティーニを飲みながら、女の子たちと話している。

「俺、昔ニューヨークに住んでたんだよ。ノリータに、うまいマティーニを出す店があってさ。そうそう、○○(NY在住の著名な芸能人)にもよく会ったぜ」

という具合に。それが1カ月の短期滞在で、英語もしゃべれず、○○に関してはソーホーの本むら庵(そば屋)で2回ほど見かけただけだとしても。このように、NYは短期間でさえ人を胡散臭い人間たらしめるのである。

NYに住み始めれば、ここがいかに野暮ったく、格好いいばかりの街ではないということを身に染みて知ることになる。しかし肩書きにNYという「箔」をつけたいがために束の間ニューヨークライフを楽しむ人々は、現実の痛みを知る前に帰国してしまうから、傍目には滑稽だが、傷は浅いともいえる。

大好きなニューヨークを褒め称えるばかりではまずいという気持ちが高じて、図らずもネガティブなことを書き連ねてしまった。もちろん、こんなケースばかりではなく、自分の力で仕事をつかみ取り、マンハッタンで生き生きと暮らしている人もたくさんいる。

そんな尊敬すべき我が友人らは、過去に大変な努力をしている人が多い。際どい局面をいくつも乗り越えた上で、現在も走り続けている人たちだ。経験に裏打ちされた、少々のことでは動じない強さと、人の痛みがわかるやさしさを持ち合わせている。

 一方、DCに住む日本人は、身元や肩書きがしっかりした良識のある人が多い。無論、不法滞在をしてまで「憧れのDCに住みたい!」という人はあまりいないだろうから、両都市の特徴を考えてみれば想像できることではある。

DCに移って以来、この1年間、パーティーなどを通して友人、知人も増えた。最初のころは、出会う人々が、政府機関や報道関係の仕事に従事する人、あるいは研究者などアカデミックな人が多いことが新鮮だった。

初対面の際はもちろん敬語。正確な日本語を話し、声の大きさも品よくほどよい。人の話をきちんと聞き、のべつまくなしに自分を語って座を白けさせる人もおらず、皆、大人っぽい。

ところで、あるパーティーで同世代らしき女性から、自己紹介をし合った直後に、

「お子さんはいらっしゃるんですか?」

と尋ねられたときには驚いた。かつて初対面で、子供のことを聞かれたことがなかったからだ。

DCには、育児と仕事を両立している女性が多い。マンハッタンでは子供のいる同世代の友人が少なかったので、3、4人もの子供を育てつつ仕事をこなしている女性たちと出会うにつけ、感嘆させられる。背後には波乱もあるのだろうが、傍目には、しっかりと自分のキャリアを積み上げ、堅実に家庭を築き上げているバランス感覚のとれた人が多いように見受けられる。彼女たちから学ぶこともまた多い。

甚だ乱暴ではあるが、NYとDCに住む日本人の傾向を「菓子」に例えるならば……NYに住む日本人はデコレーションケーキ型が多数。見た目は華やかでおいしそうだが、実際に口にしておいしいものは少ない。生クリームたっぷりで、後味の悪いものも多い。しかし、おいしいものは病みつきにさせる魅力がある。

一方、DCに住む日本人はあっさり煎餅型。一見したところ地味で、食指が動かされるわけでもないが、食べれば品のいい甘みと歯ごたえで、後味も悪くない。

ちなみに私はデコレーションケーキも煎餅も、「おいしければ」どちらも好きだ。そして自分自身も「おいしく」あるよう、精進し続けたいと思っている。

 


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