ビジネス・ファッションにみるニューヨーカー&ワシントニアン

(2003年5月号)

 


かつて東京で暮らしていたころ、ニューヨーカーとは、非常にお洒落で洗練された服装をしているものと思いこんでいた。「ニューヨークファッション最新情報」「ニューヨーカーが選ぶおすすめブランド」といったタイトルを掲げた記事を、女性誌などで目にしていたせいもあるだろう。

しかし、ニューヨークに暮らすようになってまもなく、それらは日本のマスコミが作り上げた虚像だということに気がついた。語学学校に通う道すがら、ミッドタウンの働けるニューヨーカーを観察したが、雑誌で見たようなファッションに身を包んだ人に出くわすことは、ほとんどなかった。

わたしが渡米した1996年以降は、経済の好況に加え、ジュリアーニ市長の尽力がニューヨークの治安に貢献していた時期でもあった。かつてマンハッタンを形容していた「犯罪の街」というイメージは消え、安全でにぎやかな、アミューズメントパークのような街になりつつあった。「クール」なレストランやブティックが次々にオープンし、レントは高騰、キャリアを持つ若い男女のファッションもまた、華やかに移行していった。

世界各国からの移民が多数を占めるマンハッタンにあて、そもそもファションの傾向を語ること自体が厄介であるが、あえて言えば、渡米当初は、だらしない服装のニューヨーカーを頻繁に見かけた。まず、伝染したストッキングを履いている女性の多さに驚いた。足首のあたりでストッキングがたるみ、ゾウの脚のようになっている人もいる。伝染に気づくやいなや、大急ぎでコンビニに駆け込み、新品に履き替える平均的日本人女性とは大違いである。

靴はといえば、ジョギング用と兼用しているに違いない薄汚れたスニーカー、あるいはヒールを保護するプラスチックが剥がれて、崩壊寸前の靴を履いている人もよく見かけた。

ジャケットの袖のボタンが取れていたり、スカートの裾が綻びていたりは日常茶飯事。穴が開いた服を着ている人もいる。衣替えの概念がないのか、汗ばむような夏日なのに、厚手のウールのジャケットを着ている人もいる。

このように、服装に無頓着な人々が多い一方で、お洒落なニューヨーカーの数も着実に増えていた。日本人の「小ぎれいさ」には及ばないものの、彼女らには脚の長さやプロポーションのよさという「天然の武器」がある。リーズナブルな衣服でも、ハッとするほど格好いいスーツ姿に変身してしまえるところが憎い。彼女らのビジネスファッションは一般にシンプルで、黒やベージュのパンツスーツに白やブルーのシャツを組み合わせるのが定番である。「BANANA REPUBLIC」や「BROOKS BROTHERS」「ANN TAYLOR」あたりのスーツが価格的にもスタンダードだろうか。

いつしか通勤時に薄汚れたスニーカーを履く女性も減っていった。「EASY SPRIT」や「ROCKPORT」「AEROSOLES」など、脚の健康を意識した履き心地のいい靴を扱う店があちこちにオープンしたことも理由だろう。

また、東京ほどではないにしても、「LOUIS VUITTON」や「CHANEL」など高級ブランドのハンドバッグを持つ若いニューヨーカーの姿もしばしば見られるようになった。かつては野球グローブのようなバッグばかりだった「COACH」も、次々に新しいシリーズを発表し、お洒落な女性たちの関心を集め始めた。

96年、ソーホーにオープンした「KATE SPADE」は、当時人気を集めていたセレクトショップ(さまざまなブランドの衣服を集めて販売するブティック)のオーナーに見いだされたのち、瞬く間に若い女性たちの心をつかんだ。シンプルなデニム地の箱形バッグは、原価に見合わないような高価格ながら、持ち歩く人は少なくなかった。

男性はといえば、スーツは日本同様、一般にグレーや紺、ブラウン系が主流。詳しい流行の推移はわからないが、一時期、若者の間で3つボタンのジャケットが流行ったように見受けられた。私の夫も欲しがったが、デザイン上、細身で背が高めではないと似合わないため、やむなく2つボタンを購入した経緯がある。

シャツに関して言えば、日本のそれに比べるとずいぶんカラフルだ。薄いピンクやイエローなど華やかな色、ストライプ柄、あるいは襟とカフスの部分だけが白いコンビネーションのシャツなど選択肢は広い。ちなみに最近ではアイロン不要のシャツも定番化している様子。洗濯してハンガーに掛けておくだけでピシッとするので、クリーニング代が浮く。我が家でも非常に重宝している。

しかし、どんなにお洒落なシャツや仕立てのいいスーツを着ていたとしても、それらすべて台無しにしているが、「TUMI」に代表されるナイロン製の黒くて大きなブリーフケースである。ノートブック型コンピュータをはじめ、さまざまな書類が詰め込まれているのだろう、みな一様に、片方の肩が重みで傾いている。ジャケットは見るも無惨に型くずれしているが、さほど気にする様子も見られない。

加えて言えば、男女問わず、カンファレンスなどで支給される企業ロゴの刺繍が入った野暮ったいトートバッグやショルダーバッグを使用している人が多い。

さて一方、ワシントンDCである。ニューヨークを離れた直後、DCで通勤時の地下鉄に乗ったときに真っ先に感じたのは、「時代が止まっている」ということだった。

コンサバティブな職場の多いDCという土地柄がそのまま顕著に、人々の服装に現れている。まず目に付いたのはスカートを履いた女性の多さだ。それも、まるで日本の銀行の制服のような「模範的な膝丈」のスカート。それに肌色に近いストッキング。パンプスもまた、かかとが高すぎず、低すぎず、シンプルなデザインのものを履いている人が多い。ハンドバッグも、いまだに十年以上前の「COACH」的なデザインが主流。肩紐の長いバッグをたすき掛けにしている人もよく見かける。絵柄やパターンのある華やかなバッグを持ち歩いている人はごく稀で、ファッション全体に華がない。

男性もまた、ニューヨークに比べるとシャツの色柄が地味で、白や薄いブルーなどが多いように思う。オーソドックスな紺のブレザーを着ていれば間違いないだろう、という風潮すら感じられる。私服ながらも「制服的」である。

ところで、マンハッタンに住んでいたころ、いきつけのヘアサロンで日本人美容師と話をしていたときのこと。私が「ニューヨークで仕事をしている若い白人女性って、濃い栗色の髪に明るめのメッシュを入れて、一つに束ねている人が多いよね」と話をふると、彼女は言った。キャリアを意識する彼女たちの中には、美しいブロンドの髪を、わざわざ濃いめの茶色や黒に近い色に染める人がいるのだと。本人が言うことには、「ブロンドヘアだと頭が悪そうに見えるから」なのだとか。

西海岸では、ブロンドはセクシーでもてはやされるから、濃い色の髪をブリーチしてブロンドに染めるという話をよく聞くが、ニューヨークはその逆で、知的に見られたいがためにわざわざ濃く染め直すわけだ。更には、やはり知的に見せるため、「だて眼鏡」をかける人も少なくないという。

いかにも男女平等に仕事をこなしている女性が多そうなニューヨークだが、みなそれぞれに、それなりの事情があり、地道な努力をしているのだ。その話を聞いて以来、きりりとしたビジネスウーマンたちを見るにつけ、<人それぞれ、それなりに悩みながらがんばっているのだな>と、シンパシーを感じるようになった。

 


Back