英語力

(2003年11月号)

 


そもそもは「英語力の向上」が私の渡米目的だった。しかしながらニューヨークは、英語学習にふさわしい街ではなかった。日本の書店、食料品店、レストラン、ビデオショップ……。巷には日本語があふれており、さほど英語が話せずともやっていける生ぬるさがあった。そもそもは1年間、語学学校に通う予定だったにも関わらず数カ月でやめ、仕事を始めたこともあり、腰を据えて勉強することのないまま歳月は流れた。折に触れ(このままでいいのか?)と自問することもあったが、ともかくは仕事をし、生活を成り立たせることで精一杯だった。

ニューヨークには、「情熱」や「憧れ」という勢いに乗り、英語力は二の次に、兎にも角にも渡米し生活を始める人々が大勢いる。無論、わたしの友人らはきちんとした英語を話す人が多かったが、そうでないニューヨーカーもごまんといて、だから自分の英語力について、さほど悲観的にならなかったのも事実だ。

無論、渡米後まもなく出会った夫とは英語で会話をしていたし、会社を運営し、業務を遂行していく上で、当然ながらある程度の英語力は必要だった。しかし、その「ある程度」の線引きはかなり微妙で、今から思えば、随分、自分に対して寛大だったと思う。

「家庭で英語を話しているのだから、英語力は当然、伸びるでしょう?」

世間は気軽にそう言う。確かに、毎日話していれば、スラスラと言葉が出てくるようにはなるし、自分の考えのほとんどは伝えられる。しかし「スラスラと伝えられる」からといって、正しい英語を使っているとは限らない。夫は、すでに私の誤った英語表現に慣らされている上、私に対しては極力簡単な単語を使うよう習慣づけられている。何度か英語力の向上に協力してもらおうと思った時期もあったが、最後には口論になってしまうのがおちだった。夫は私と出会った当初、私の、英語力がおぼつかないが故のゆったりとしたしゃべり方に、

「ミホは僕と同じでsoft spokenな女性だ」

と大いなる誤解をしていた。歳月の流れと共に、私の英語力はそれなりに向上し、どうやらsoft spokenどころではないらしいと気づいた時には、すでに時遅し。気の毒をしたものだ。

そして約2年前。夫の仕事の都合でDCに移り住んだ。ほどなくして、出会う日本人の大半が「正しい英語」を話すことに、少なからず衝撃を受けた。ニューヨークとは状況が異なり、仕事や留学など確固たる目的のもと渡米する人の多いこの街には、当然ながら英語の基礎力をきちんと備えた人々が多い。コンピュータの日本語環境が整っていないこともあるのだろうが、日本人同士での電子メールのやりとりに英語を用いる人が多いのにも驚いた。ニューヨークではありえないことだったからだ。日本語ではスイスイと文章が出てくるが、英語となると気負ってしまい、下手な文章を送るのがいやで、夫が帰宅したあと、校正をしてもらってから返事を出すものだから、時間がかかって仕方がない。しゃべる分には間違っていてもさほど気にならないが、職業柄、たとえそれが英語でも、誤った表現の文章を送ることには抵抗があった。

事態を重く見た私は、ニューヨークにいたころに比べると時間の余裕ができたこともあり、心機一転、近所の語学学校に通ったりもしたが、さほど成果が見られなかった。

数カ月前の、ある週末のことだ。夫と口論をしていたときに、彼が言った。

「ミホ! 今、何て言った? 全然、意味がわからない!」

喧嘩の際、夫は私の誤った英語表現を、鬼の首でも取ったかのように指摘するが常だ。

「だいたい夫の名前もまともに発音できないなんて、どういうこと?」

彼は続ける。夫の名前には日本人の苦手とする[r]と[v]が混在しており、尚かつインド独特の抑揚も加味され、発音しにくいことこの上ない。だから喧嘩の際には、間違いを指摘されぬよう、あえて「ハニー」と呼ぶ。決して懐柔策ではない。さて、この日の口論はなかなか解決を見ず、矛先が私の英語力に向けられた。  「ミホはこれから先もずっと、そんな中途半端な英語のままでいくつもり?! そのままでいいわけ? ジョージタウン大学はどうしたの?」

実は去年の年末から、評判の高いジョージタウン大学のEFL (English as a Foreign Language) に行ってみようかと、プログラムを下調べしていたのだが、期間が長く、一般の語学学校に比べると学費も高く、どうしたものかと躊躇していたのだ。しかし、このときの夫の一言に背中を押された。色々と理由を付けていたら、いつになっても学ぶ機会を得られない。だいたい自分で勉強すると言っても、読書は日本語が楽だし、書くのだって断然日本語が楽しい。易き方へとついつい流れて、自律できやしないのだ。そんな次第で、この8月末からフルタイム16週間のコースに通い始めた。かつて学生だったころは、学生であることが当たり前で、大したありがたみを感じることもなかった。しかし、社会人となりさまざまな経験を積んだ上で学校に戻ると、気持ちの有り様が全く異なる。学生たちの、学ぼうとするエネルギーに満ちあふれたキャンパスに身を置いていること自体が、すでに心へ躍動感を与えてくれる。

それにしても、世界各国から訪れた人たちと、国籍、人種、年齢、宗教、学歴、職歴、その他一切のバックグラウンドを問わず、「クラスメイト」という対等な立場で接せられることの面白さ。渡米以来、主には仕事を通して出会った人と付き合ってきたから、尚更、この出会いが新鮮に思える。クラスメイトらはそれぞれに、豊かなキャリアやバックグラウンドを備えており、話を聞いているだけでも興味深い。 毎朝、早起きをし、規則正しく元気な毎日。勉強、仕事、主婦業と、それぞれをきちんとこなすのは無理なので、適当に手を抜きつつ、しかし、DCに暮らし始めて以来、最も充実した日々を送っている。そしていつか自分の書籍を英訳したり、英語の冊子を発行できるようになりたいと考え始めている。道のりは長そうだが、ニューヨークにいたころには、頭から諦めていたことに挑戦しようという気持ちが芽生えただけでも、DC生活に感謝すべきだろう。

去年の12月以来、1年間に亘り、ニューヨークとワシントンDCを比較する文章を綴ってきた。客観的な視点から二つの街を捉えようという気持ちはあったものの、ニューヨークに対する愛情を随所に漂わせてしまったことは否めない。未だニューヨークに対して未練はあるものの、DCも、すでに私の中へ、深く染み込みつつある昨今だ。

1年間、お読みいただき、ありがとうございました。

 


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