民主主義を肌で感じる大統領選

春日真由美 MAYUMI KASUGA
(4/25/2001)

 


 かつての我が家のテレビは、コンピュータのモニターのようなサイズの年代物のソニーであった。毎日の生活が、幼い年子の子供二人に振り回されていた当時はテレビの前に座る時間などほとんどなく、また、ニュースは新聞で読む方が性に合っており、我が家でのテレビの存在感は皆無に等しかった。ある日突然、夫がワイド・スクリーンのテレビを衝動買いしてから、一時は一家全員テレビ漬けになったが、しばらくすると、また元のように30分間に凝縮されたニュース番組を見るだけの日課に戻った。

 しかし、昨年の10月から12月にかけて、私の生活はそれまでの空白を取り戻すかのようにテレビ三昧になってしまった。言わずと知れたアメリカ大統領選挙のせいである。ライブで刻々と伝えられる選挙情勢の変化は、まるでスポーツ観戦のように私をテレビの前に釘付けにした。今回の選挙の混乱で、アメリカは世界各国から溜飲を下げられたようだが、むしろ私は、この混乱を通じて、アメリカという国の基盤を成す民主主義を肌で感じたような気がした。今もって投票権はないのだが、アメリカで生活し始めて以来4回目の大統領選挙で、ようやく今までの外野席から内野席に移って観戦できたのである。

 大統領選挙が行われた11月の第一火曜日は「選挙の日/Election Day」と決められており、州や連邦の各選挙は毎年この日に集中して行われる。市民は、出勤前や昼休みに立ち寄る、という感覚で投票に参加できる。オフィスのアメリカ人の同僚たちからは、「投票は済ませたかい」という会話が聞こえる。

 投票への関心は教育を通じて培われていることも、我が家の子供たちから学んだ。小学5年と4年の子供たちのクラスでは、大統領選を前にして模擬選挙が行われた。各候補者の写真と、政党や政策の説明が書かれた紙が配られ、生徒はどちらかの候補に投票する。この年令では、候補者に対する確固とした意見を持っている子供は当然ながら少ない。先生はそれぞれの両親の意見を参考にしながら決めるように宿題を出すのである。5年生の娘のクラスでは22人中21対1でゴア氏が圧勝したそうだ。(ちなみに、ただ一人のブッシュ氏支持者は日本人の男の子だった。)

 また、この国の政治が庶民のレベルに浸透しているのを示すのは、政治家をジョークのネタにするコメディアンやトークショー・ホストが常に高い人気を集めていることからもうかがえる。この種のジョークで笑うには、ネタにされた政治家に関するある程度の知識が必要だ。選挙期間中から選挙後の混乱期にかけて、私はこの種の番組の中毒になってしまった。『デビッド・レターマン・ショー』、『サタデイ・ナイト・ライブ』、『ポリティカル・インコレクト』などの番組の中で、ホストたちは、政治家の建て前や虚飾を剥ぎ取り笑い飛ばす。ネタにされる側もこれらの番組の影響力は承知しており、時には本人自らがゲストとして登場することもある。この国では、政治を伝えるのは報道番組だけの特権ではない。

 また、6週間に渡ったフロリダ州の手作業による票の再集計の様子と、逆転に次ぐ逆転の、ブッシュ、ゴア両陣営の裁判所での法的攻防戦をテレビで見ていると、公開できるものは全て国民に公開するその姿勢には感動すら覚えた。なんと風通しの良いことだろう。一方、一つの法律の解釈を巡り、専門家たちが議論を尽くすのを見ると、ディベートの面白さに引き込まれる。

 ともあれ、連邦最高裁が手作業の集計を打ち切る判決を出し、ブッシュ氏の事実上の勝利が決まった後、私のテレビ漬けの生活は終わった。今回の混乱で表面化した投票方法や選挙制度をはじめとする様々な問題や課題は4年後に向けて改善されるだろう。何よりも興味深いのは、今回投票しなかった人々へのアンケートで約65%が後悔しているという結果が出ていることだ。一連の選挙ドラマで、アメリカ市民は自分の一票で政治が変わることを目の当たりにした。20世紀最後の大統領選の混迷は、民主主義が成長の過程に経験する痛みのようなものだったのに違いない。2004年にテレビにかじりつく日々が今から楽しみだ。


春日真由美:山口県生まれ。梅光女学院大学大学院で日本文学を専攻したが、本多勝一の本とロバート・キャパの写真に出会って文学からノンフィクションの世界へ転向。教師などを経て、1987年よりニューヨーク在住。ICPで写真を学んだ後、フリーランスのフォト・ジャーナリストとして日本の雑誌や本などに写真や記事を掲載。最新書は『世界の子供たちはいま/アメリカの子どもたち』(学研)。

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