●突然の父の死。まるで変わってしまった日々の暮らし

そんな幸せな子供時代は、ある日突然、幕を下ろした。マリアムが9歳のとき、父親が急死したのだ。

「そもそも父は、心臓に疾患があったのか、その数年前からドクターに、ストレスの高い今の仕事を辞めるように警告されていたんです。このまま続けていると、命にかかわることになると。けれど、父は仕事を続け、挙げ句、ある日突然、ぱったりと亡くなったのです」

父アバスは57歳、母ゲイリングは38歳という若さだった。奇しくもそのころ、専業主婦だったゲイリングが、フラワーショップを開店する準備をしていた。あくまでも趣味ではじめようとしていたその仕事が、4人の子供たちを育てるための生業となった。

「あれから、わたしたちの生活はすっかり変わりました。父親っ子だったわたしは、それまで母との会話が少なかったせいか、意見が合わず、反抗することが多かったのです。姉たちはおだやかな性格でやさしいのに、わたしは気が強くて、随分、母を困らせました」

一家の大黒柱として、主導権を握っていた包容力のある夫の突然の死に直面し、しかし母ゲイリングは弱音や不満を吐くことなく、子供たちのためにひたすらに働いた。

「母には本当に、頭が上がりません。彼女がどうしてあそこまで前向きに、そのうえ人に対して寛容にやってこれたのか。そもそも母は、仕事はおろか、家計のことも、何もわかっていなかったのに、父が亡くなってすべてを一人で切り盛りして来たんです」

フラワーショップの仕事は、その印象とは裏腹に、過酷な肉体労働でもある。毎朝4時に起き、仕事に向かうゲイリング。無理がたたったのか、数年後、危うく心臓発作を起こしそうになる。

「ある晩、母が、左手の先の方からどんどん痺れてくるのを自覚したんです。これは危ないと悟った母は、わたしたちに、隣人へ知らせるよういいました。幸い、隣家はドクターだったのです。すぐに彼が駆けつけ、病院に運び込んでくれ、母は九死に一生を得ました」

手早い処置のお陰で、後遺症などが残ることはなかったものの、ゲイリングは2カ月の入院を余儀なくされ、その後も過酷な労働や激しい運動を避けるよう、言い渡される。

「それでも母は、前向きに、わたしたちを支えてくれました。女性でも、きちんと教育を受け、キャリアを身につけることが大切だ、たとえ結婚しても、夫に頼り切りではいけない、わたしを見てご覧なさい、人生何が起こるかわからないのです……母はそう言って、4人の娘たちの精神的、経済的自立を促しました

父の死後、家計は恒常的に苦しかった。贅沢をせず、つつましく、しかし母はいつでも信心深く、教会に通い、さらに貧しい人たちへ手をさしのべることもあった。

「わたしたちの衣類などは、一着たりとも捨てられたり無駄になったりしたことはありません。服でもなんでも、母がすべてきちんと整頓して、貧しい人々へ寄付していました」

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