INDIA: BANGALORE
●バンガロール●

DAY 8-2
12/22/2003

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■ゴルフクラブにて、ご歓談ランチの午後

ゴルフクラブは、市街地から車で20分ほどしか離れていないのに、あの喧騒がまるで嘘のように、のどかで静かな場所にあった。激烈排気ガスもなく、青空は澄み渡り、気分爽快である。

ここで待ち合わせをしているのは、マルハン一家がバンガロールに暮らしていたころ、お向かいに住んでいた友人夫婦らしい。彼らがここのゴルフクラブの会員らしく、ここでランチを食べることになった次第。

我々が先に到着し、ラウンジで待っていると、午前中の打ち合わせをすませたA男がやって来た。打ち合わせの内容を皆の前で語るA男。ラウンジにA男の声が響き渡り、またしてもアメリカ人化している我が夫である。

ほどなくして、その友人夫婦と、さらに彼らの友人の女性とその娘の計4人が登場した。何が何やらよくわからない人間関係だが、ともかく外のテラスに座り、ゴルフコースの爽やかな緑を眺めつつ、ビール飲みつつ、アペタイザーを食べつつ、ご歓談が始まる。

「君たち(A男とスジャータ)を最後に見たときは、まだこ〜んなに小さかったのに、立派になったなあ!」

とサングラスをかけた人の良さそうなおじさんが、手のひらを胸の辺りでヒラヒラさせながら言う。

A男たちが小学生のとき以来、約20年ぶりの再会らしい。彼の妻はショートカットがよく似合う、知的な雰囲気の女性だ。

皆でとりとめもなく、近況を報告しあい、世間話をする。

そんな折、いきなりスジャータが、

「ミホ、サイババの施設があるところはここからそう遠くないけど、住んでいるところは車で数時間かかるらしいから、今日行くのは、ちょっと無理だと思う……」

と、午後のスケジュールを説明し始める。あらいやだ。みんなの前でサイババの話を持ち出すなんて、物議を醸しちゃう、と思ったが、サングラスのおじさんが、

「僕は信者じゃないけれど、彼は無料の病院などを貧者に提供していて、社会に貢献しているんだよ……」

と彼の業績を認める発言をしたので、ほほう。と思う。

30分ほどしたのち、一足先にランチをすませていたA男は、次の打ち合わせがあるため去っていった。わたしを残して……。

我々はダイニングルームに移り、本格的なランチタイムとなる。なぜか中国料理のメニューが充実していたが、わたしは「朝食メニュー」のドサを作ってもらう。ドサ好きなの。

友人夫婦のそのまた友人女性とその娘は、どちらもインド訛の英語を話すが、顔立ちがインド人とはちょっと違う。聞けば、母親の方はフランス人とアイルランド人の混血で、植民地時代に訪れた欧州人の末裔らしい。

彼女の祖父母の代でインドに移ってきたらしく、従って彼女の両親もインド生まれのインド育ちだという。英語とローカルの言語を話すがフランス語は話せないという。

彼女はクリスチャンだが夫はイスラム教徒のインド人。そしてその娘はと言えば、

「わたしは宗教に拘らないの。自分では無宗教って言ってるんだけどね。ちなみに夫はヒンズー教なの」

と、にこやかに説明する。彼女はフリーランスの広告モデルらしく、テレビのコマーシャルなどにもよく登場しているらしい。囚われのない、何とも自由な気風の魅力的な女性だった。

彼女の妹はオーストラリアでエステティックの技術を学び、バンガロールでビューティ・サロンを経営しているらしい。非常にすばらしい技術を持っているので、ぜひ試して欲しいと名刺をくれた。

ぜひ行きたいが、果たしてわたしに自由時間はあるのか……。

それにしても、わたしはこの日記において、「植民地時代」という言葉をいかにも軽く使用しているが、その背景に、どれほど凄惨な史実が横たわっていることか、と思い巡らす心もある。

だから、かように、建築物にせよ、文化にせよ、習慣にせよ、そうして植民の血を受け継ぐ人々にせよ、時を経てインドの中に同化し、融合している事実が、感嘆すべきことであるとも思える。

ところで、サングラスのおじさんは実に気さくで、

「僕のチャーハン、味見する?」とか、
「ほら、ビールをもっと飲みなさい」とか、
「デザート、半分ずつ、食べようか」などと気を遣ってもくれる。

いや、このおじさんばかりでなく、マルハン家周辺の人々は、本当に、「因習に対する拘泥や囚われのない人々」が多い気がする。たった一度の会合で、その人たちの人となりを判断するのは難しいが、それでも、会話の端々に、「垣根の低さ」を感じるのだ。

わたしが日本人であるからといって、日本のことを根ほり葉ほり聞くでもない。日本人だろうがロシア人だろうがトリニダード・ドバゴ人だろうが、基本的には関係ない、といった姿勢が感じられる。

彼らは、自分たちも含め、欧米諸国に飛び出した親戚、友人らが多い。そういう背景が育んだ傾向でもあるだろう。

「僕の周りは、息子も含めて、米国に暮らしている若者が多いよ。でもね、みんな最後には、インドに帰って来るんだよ」

サングラスのおじさんが、さりげなく口にした一言を、わたしは聞き逃さなかった。

そんなこんなで、歓談は延々と続き、結局、解散するころには3時となっていた。

 

■家族揃ってお買い物に行く。寝間着など購入。

サイババ訪問は却下。

というわけで、ロメイシュ、ウマ、スジャータとわたしの4人は、繁華街の一つである「コマーシャル・ストリート」へ出かけることとなる。

「どこでも、好きなところに入ってね」

と、わたしを気遣ってくれる3人。根本的には、とてもやさしい人たちなのだ。「往生際」が甚だ悪いわたしは、いちいち「家族行動が多すぎる」とぶつくさ言ってはいるものの、「四六時中家族行動は当たり前」と、割り切って同行すれば、彼らは心底、いい人たちなのである。

でも割り切れないダメなわたし。業が深いの。

それはともかく、わたしは前回訪れたときに購入したコットンのナイトウエアが気に入っていたので、それを買おうと思う。

幸いにもよさそうな「部屋着&寝間着専門店」を見つけた。上下別々のパジャマもあるが、丈の長い、ダボッとしたナイトウエアが主流と見受けられる。

コットンはジャージータイプの柔らかなものと、さらっとした一般の木綿とがあり、どちらも手触りのいいものが揃っている。

商品には、一つ一つ手刺繍が施されており、柄、デザイン共にそれぞれ異なる。わたしはブルーと薄いオレンジのナイトウエアを購入した。ウマも2枚、購入した。

ちなみに、一着が15ドル程度。インド・ルピーとしては高く、USドルとしては安い。

通りには、サリー専門店、パンジャビ・ドレスの専門店などのほか、玩具店に、文具店、宝飾品店、雑貨店と、さまざまな店がびっしりと軒を連ねている。

近くにイスラム教のモスクがあり、祈りの声がスピーカーから流れてくる。ベールで顔を隠すムスリムの女性も通りを歩いている。

ウマはパンジャビ・ドレスが欲しいらしく、あちこちを覗いて探している。ロメイシュは退屈なのか、

「ねえ、アイスクリーム、食べる?」

と女性陣に尋ねる。誰も食べたくないと答えたので諦めるのかと思いきや、ふと気づくと、一人でおいしそうに食べていた。しかも、それは、A男が「機内食でおいしかったんだよ〜」と説明していた、バスキン・ロビンズの「ハニー・ナッツ・クラッシュ」だった。ロメイシュ。ぬかりのない男だ。

コマーシャル・ストリートを一通り歩いたあと、こんどは、その近くにあるショッピングモールへ行く。

ここには上質なサリーを扱う店がいくつか入っていた。ここでもまた、サリーの種類の豊富さと無限とも言える色柄の組み合わせの妙に感じ入る。

サリーにせよ、パンジャビ・ドレスにせよ、わたしは買いたいのだが、実はA男は、わたしがインド服を着ることを好まないのだ。ゴアでもわたしがパンジャビ・ドレスを着ると、渋い顔をした。どうにも、「モダンなファッション」がお好きなようだ。

「僕が日本に行って着物を着るのはおかしいでしょ。それと同じことなの!」などと言う。

違うと思うけど。

ともかく、夫が好まないとなっては、わざわざわたしもインド・ファッションに身を包むことはないしね。と思いつつも、サリー、ほしいなあ、と心奪われる。

店員がバサバサと広げながら絵柄を見せるのを、「ほう……」とため息混じりに眺める。(まあ! これは一段とすてきなデザイン!)と思ったものを、ウマが「これがいいわ!」と言って、速攻で購入した。決断が早いのね。

明日、ラグバンの弟が誕生日だというので、そのプレゼントを買いに書店に立ち寄ったりしているうちに、だんだん日が暮れてくる。

 

■大きなバナナの葉がお皿。南インドの幸せな夕食。

そして夕刻。打ち合わせを終えたA男と、仕事を終えたラグバンが合流し、我々の宿泊しているホテルの裏手にある南インド料理のレストランへ行く。

ヤシの葉を葺いたような屋根とシンプルな作りのその店は、南インドの家屋を模したような素朴な建築で、南国ムードが漂っている。壁には素焼き製の魚のレリーフなどが掛けられ、とても雰囲気がいい。

メニューにはエビ、カニ、魚など、ケララ州やゴアあたりのシーフード料理がたっぷりと並んでおり、どれにしようかと迷う。結局、みなで色々なものをオーダーし、シェアすることにした。

まずは瑞々しい、大きなバナナの葉が供される。南インドでは、バナナの葉に料理を載せて食べるのが一般的なのだ。次いで、タイ料理店などでもよく出てくる「えびせん」のような揚げ菓子が出された。

これをつまんでいると、スープが出てきた。これもまた、タイ料理のトムヤンクン・スープに似たスパイシーな味わいなのだが、スジャータによれば、これは魚介類のだしを使っていない、各種ハーブとトマト、生姜、少量の豆などで作られたものらしい。

何しろ南インドはベジタリアンが多いから、野菜やハーブだけの料理が充実しているのだ。

ビールを飲んだりスープを飲んだりしながら、A男は本日のミィーティングの成果を報告し、みなでインドの経済と将来についてを語り合う。

わたしは、とにもかくにも、「バンガロールの公害問題は何とかすべきだ!」と主張する。一日の終わり、顔をティッシュで拭くと、ティッシュが黒ずむほどに、空気が汚いんですもの。

その意見にA男も強く賛同。年末、DCで行われたインド人CEOグループのパーティーの席で、バンガロール転勤を予定していたバングラディシュ系カナダ人のエピソードを披露する。

彼のコメントは以下のようなものだった。

ーーーーー-ーーーーー-
すでに家の手続きもすませて、僕が一足先に、下調べに行ったんですよ。ところがもう、暑いし、汚いし。ここには住めない! と思って、慌ててカナダの妻に電話しましたよ。バンガロールはみんなから「きれいなところだ」と聞いていたから、もっときれいなところを想像していたんですけどね。いやあ、参りました。そりゃあ、ニューデリーよりも「まし」でしたけどね。
インドはインドですよ
ーーーーーーーーーーー-

A男とわたしは交互に語る。

「バンガロールが真のIT都市として成長するには、外国人が訪れた際に快適に過ごせる環境が必要だ」

「地価の高騰は免れぬと思うが、バンガロールの都市構造はどうなっているのか?」

「日印間のビジネスは、双方にとって重要なのに、きれいずきで繊細な日本人には、インドの汚さは耐えられなくて、これじゃ視察旅行にさえ来たくないかもしれない(これはA男の意見)」

「排ガス対策、及び交通機関と宿泊施設の整備が必要だ」

「外国人の多いホテルに町歩きの地図さえないのは問題だ。観光ガイドにしても、ろくなものがない。何ならわたしが印刷物制作を請け負う(これはわたしの意見)」

次々に、バンガロールに対する要求が、言いたい放題、噴出する我々。そんなに熱血したのでは、バンガロール移住を目論んでいることがばれると言うものだ。

さて、料理は白身魚の蒸し煮やエビのカレー、ラムのカレー、野菜のカレーなど、いずれもおいしい。一つだけ、魚のココナツミルクのカレーは、余りにも濃厚な味すぎていまひとつだったが、それ以外は非常においしかった。

主食はケララ米をすりつぶして作られた、パンケーキ状の「アパム(Appam)」。これはケララの代表的な主食なのだとか。

さて、明日は、今日にも増して早起きだ。どれぐらい早起きかというと、なんと5時起床だ。なぜなら、明日、スジャータとラグバンが通う「ヨガ道場」へ見学に行くのである。

……我々も、タフね。


町はずれにある会員制ゴルフクラブ


澄み渡る青空、鮮やかなグリーン。町中の喧騒が嘘のような静けさ


皆で記念撮影。まん中のお嬢さんがCMモデル。その右となりが彼女の母。


コマーシャル・ストリートと呼ばれる商店街。


どえらく派手なパンジャビ・ドレス。


ちょっぴり怖いマネキン


イスラム教のモスクがある


玩具店。サリーを着たバービー人形3体発見。A男に欲しいと報告したら「冗談を言ってるんだよね」と突っ込まれる。本当に欲しかったんですけど。


インドでもナイキは人気ブランドらしい。偽造品もよく見かけた。


商店街の一画にあるヒンドゥー寺院。


この街はニューデリー以上にバイク人口が多いように見受けられた。


ショッピングがお好きなウマ。ちなみにウマがよく着ているブルーとグリーンはロメイシュが好きな色なのだとか。


活況のお菓子屋さん


南インドの西海岸周辺の料理が揃っている。エビやカニが豊富。


各自、用意される大きなバナナの葉。ここに料理を載せて食べるのだ。


これがスパイシーなスープ


ロメイシュに料理の説明をするスジャータ。


カレー類は小さなステンレスの器に入れる。葉っぱで蒸し焼いた白身魚が非常においしかった。


南国情緒のあるいい感じの店内。

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