THE WEDDING IN INDIA
インドで結婚式

7/15, 16/2001

★下部に写真があります。


日本の家族も到着

翌日、いよいよ日本から、わたしの両親と妹夫婦がやってきた。一応、病み上がりの父と、きれい好きの母が、このインド滞在に耐えられるかどうかが今回の一大テーマである。

これまで何度か父のことは書いたが、母のことを触れたことはなかったように思う。我が母もまた、父を凌ぐユニークな人物である。

幼い頃から自分は欧州貴族の生まれ変わりと信じていて、ヨーロッパに行ったことがないにも関わらず、彼の地の文化が好きで、ことにインテリアなどに関しては、ヴィクトリア調がお好み。その嗜好はわたしも引き継いでいる。

長年専業主婦をしていたが、50歳のころ、突如、絵画に目覚め、オランダのアッセンという地方で起こった「アッセンドリュフト」という、家具や調度品に花や果物の図柄を施す絵画を学びはじめ、現在は先生をしている。母の色彩やデザインのセンスは、先天的にすばらしいものがあると、身内のひいき目ではなく、客観的にそう思う。

ちなみに母は「これからの女性は自立しなければならない」と、わたしが3歳くらいのときから呪文のように言い聞かせていた。


空港へはA男とわたしが二人で迎えに行った。予定よりも早くJALの便が到着。遠くに黄色いシャツを着た、太った男性が見える。お父さんに違いない。A男に、

「ほら、あそこ、お父さんだ!」というと、

「えーっ、お父さん、がんで痩せたんじゃなかったの? あれは違うよ、スモウ・レスラーみたいだもん」

4人の人影がだんだん近づいてくる。日本人らしからぬ存在感。やはり我が家族だ。

去年の3月、父の肺がん発病に伴い帰国したとき、父は80キロ強に減っていたのだが、今はすっかり回復して体重も95キロ前後のよう。ちなみに身長は172センチだから太りすぎである。とても病み上がりには見えない。

A男は空港の花屋で買っていた二つの花束を、母と妹に渡す。色鮮やかなグラジオラスの花束だ。

その日は、ホテルへチェックインしたあと、お土産などの荷物を整理して、6人で夕食に出かけた。「タージ・パレス」というホテルのインド料理店だ。

早くも日本勢はインド料理に夢中の様子。特に「ナン」を気に入った父は「小麦粉が違う! おいしい!」とひたすら食べている。その旺盛な食欲には、安心を通り越して、呆れる。


イベントその1:メヘンディー 女性たちのパーティー

翌日、日本の家族がA男の家を訪れた。この日は「メヘンディー」と呼ばれる女性たちのパーティーが、A男の実家で行われていた。結婚式に参加する親類縁者の女性たちが集い、手や足に「ヘナ」と呼ばれる染料で緻密な図柄を施してもらうのだ。

いよいよ家族の対面。A男の姉のスジャータ(義姉だがわたしより年下)も、南インドのバンガロールから到着していた。みな、それぞれにハグ(抱擁)を繰り返し、対面を喜んでいる。わが母は感極まって、目を潤ませている。

すでにメヘンディー塗りの職人(アーティスト)が二人来ていて、女性たちの手足に模様を描いていた。妹も母も、もちろん花嫁のわたしも、交代で塗ってもらう。その間、父や妹の夫は、A男の家族が手配してくれた日印通訳のインド人青年を介して、親戚の人たちと話をしている。

メヘンディーを塗ったら2、3時間はそのままにしておかねばらならない。

すっかり乾いたところで、泥のような染料をそぎ落とすと、赤茶色に染まった模様が現れる。しっかりと濃く発色させたい場合は、丸1日、塗った手足を濡らさないようにする。

本来は、女性だけがたしなむものだが、義弟が腕の目立たないところに「蝶」の柄を施してもらうと、A男もうらやましくなったらしく、自分名前の由来である「蓮の花」を描いてもらう。

それを見ていたスジャータの夫ラグバンもうらやましくなったらしく、メヘンディー職人の前に座る。なんでも「カメ」が好きらしく、職人に頼むのだが、二人ともカメなど描いたことがないらしく、すごく下手くそな仕上がりで、笑ってしまった。

その夜はタンドーリ・フードの晩餐だった。タンドールと呼ばれる深い土釜に、串刺しにしたチキンやラムを入れて蒸し焼くのだ。バルコニーでは「タンドーリ屋」が3名来ていて、汗を流しながら釜の前で調理している。あたりは、いい匂いでいっぱいだ。

タンドーリ・フードのほか、料理担当の召使いが作るカリフラワーやオクラ、豆、カッテージチーズなど、多彩なカレー、プーリと呼ばれるクレープ状のパン、それにおなじみのナンなどが食卓を賑わせる。

それにしても、スパイスがしっかりとしみ込んだ、ジューシーなタンドーリ・チキンのおいしいこと! すでに序盤から、父親をはじめ、日本勢は極めて旺盛な食欲を発揮。スジャータが心配して、「ミホ、これは前菜だからって、家族の人に説明して」と耳打ちするほどだった。

それにしても、スジャータとラグバンの気配りは大変なもの。わたしたち家族が戸惑うことのないように、ひとつひとつ、こまやかに注意を払ってくれる。

食事を終え、一息ついたところで、日本からのお土産を家族のそれぞれに渡して、一日をしめくくった。


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成田空港での父泰弘と母幸子。福岡から一旦、東京へ出て国際線に乗り継いだあと、再び九州の上空を通過して、インドへ。福岡直行があれば早かったのに。わたしの好きな色を意識してか、お二人、黄色のペアルック。

これがメヘンディーと呼ばれる入れ墨。ヘナ(HENNA)というミソハギ科の低木の葉をすりつぶした黄色い染料を水で溶き、肌にペイントする。

メヘンディー職人のお兄さん。それぞれの女性に対し、それぞれに異なる精緻なデザインを施していく。ひたすら描く。無口。

これは義母ウマの手。手首のあたりがクジャクの頭になっている。クジャクはどの女性にも、同じモチーフとして使われている。スイスイと流れるように描くさまは、実に見事。

こちら、福岡の妹あゆみ。彼女もしっかりと描いてもらった。背後に映っているのは妹の夫のK夫さん(以下敬称略)。つまり義弟。だがわたしより年上。

ほれ。と仕上がりを見せてくれる親戚。それにしても、その額の赤丸は、大きすぎやしまいか。

彼女はA男のいとこの妻。とてもお洒落な女性で、いつも美しいサリーやサルワール・カミーズと呼ばれるワンピースを着ている。

左彼女の娘。

染料が乾くまで、しばらく乾かす。少々乾いたら、ライムの汁に砂糖を加えた物をコットンなどに浸し、メヘンディーを湿らせるようにすると、色が長持ちするらしい。できるだけ長い間、水に濡らさないのがいいらしい。数時間たってすっかり乾いたら、泥状の表面を削ぎ落とす。

ついに姫の順番が回ってきた。姫は主役なので、手だけだなく、足にもメヘンディーを入れてもらう。後ろに座っているのはロメイシュの母。つまりA男の祖母。小さいおばあちゃん。

姫は手が乾燥するまで物に触れられないので、A男に食べ物を与えてもらう。姫と言うよりは、餌を与えられている犬。

本来は男性はやらないメヘンディー。しかし日本男児、恐れることなく挑戦。「蝶々」の図柄を依頼するK夫。それを見て、「男はやっちゃいけないんだよ〜」と忠告するA男。

忠告してはみたものの、うらやましかったのか、自分もしてもらいたいとA男。自分の名前にちなんで、蓮の花。ちなみに、「蓮」の文字はわたしが紙に書いたのを、職人さんが模倣して書いてくれた。うまい!

しかし、蓮の「絵」は、いまいちだな。

ライムの絞り汁を浸したりするので、こんなにぎとぎとになった。それにしても、作業はバルコニーで行われ、冷房も利かない状況だから、ともかく蒸し暑くて叶わない。ともかく、全身がベタベタとして、たまらん。

近寄るとこんな感じ。はっきりいって、気持ち悪い。というか、ぎょっとする。

手首の優美なクジャクにご注目。

別のバルコニーでは、タンドーリフードのケータリングサービスのお兄さんたちが来ていた。即席のテーブルで、せっせと料理を作っている。

生地が重なりパイ状になって焼き上がるパンのおいしかったこと!

こうして材料を見る限りでは、どう贔屓目に見てもおいしそうには見えない。むしろ、まずそうである。というか、なんか、あまりにも、大ざっぱ……。従って調理風景を見ている間は、さほど料理に期待をしていなかった。

ラムの挽肉を長い鉄串に巻き付けて、焼く準備をしているお兄さん。「シーク・カバーブ」と呼ばれるポピュラーな料理。

このお兄さんは、香辛料につけておいた鶏肉を串に刺している。これをタンドーリ釜で焼くと、「タンドーリ・チキン」となる。食べるときは、もちろん串からはずして食べる。

これがタンドーリ釜。炭火でじっくりと焼かれたタンドーリチキンは、抜群においしかった。日本勢一同、その味にすっかり魅了され、食欲、とどまることを知らず。あとにも先にも、この時食べたタンドーリチキンが、一番おいしかった。

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