September 30th., 2003 朝一番の風景

学校に通い始めて、1カ月が過ぎた。
毎朝、決まった時間に、同じ場所へ出かけることの新鮮。

部屋を出て、エレベータで階下へ行き、ロビーを通過して、エントランスのドアを開ける。

ドアを開けた瞬間に、全身を包むひんやりとした秋風。
目に飛び込んでくる、空とカテドラルと木々。

こんな日は、バスに乗らず、学校までの30分、てくてくと、坂を下っていく。

 September 29th., 2003 謎の色彩感覚

普段は、オーガニックの商品などを取り扱うWhole Foodsというスーパーマーケットで買い物をする。
でも、月に一度は、Whole Foodsには売っていない、あるいはWhole Foodsで買うには不経済な、
トイレットペーパーとか、キッチンタオルとか、各種ビニール袋とか、サランラップとか、ストローとか、
そういうものを買うために、Safewayという、一般的で広々とした、スーパーマーケットへ行く。
ここに来るたび、「ああ、これでこそ、アメリカなのだ」という思いを新たにする。
着色料をじゃんじゃか使った菓子類とか、山積みになったコカコーラ、ペプシなどソーダ類とか、
とにもかくにも、色柄が派手で、何やら身体に悪そうなものが、随所に散りばめられている。
操縦困難な巨大カートを押しつつ、いちいち「うわ」とか「うぉ」とか「げ」とか、つぶやきながら、歩く。
これは一般的なアメリカのお誕生日ケーキ。
丸いのや、スポンジ・ボブ(人気キャラクター)のや、色々ある。
わたしには、とてもおいしそうには見えない色だが、ともかく、食紅たっぷりの、こんな色が、いいらしい。

 September 28th., 2003 憎い空。

1年365日。52週。52回の週末。104日の休日。まとめると、約3カ月あまり。
土日を返上して仕事をし、3カ月まとめて休んだ時代があった。今から10年前。
無茶ができた、無茶すら楽しかった、あのころ。今より若かったから、一人だったから、できたこと。

たとえば104日のうち、雨が降ったり、嵐だったり、寒かったり、体調が悪かったり、予定が入ったり、と、
そういう日を除くと、いったいどれだけ、すばらしく、心地よい日が、残るのだろう。
今日はこんなにも空がきれいで、風が涼しくて、気分のいい日曜なのに、これから、仕事をせねばならない。
仕事も、結構、楽しいけれど、でも、こんな秋の日。外にも出かけたい。
いつまでも、無闇にしている、小さな葛藤。

 September 27th., 2003 音楽

もう、音楽を、あえて聞こうとしなくなってから、久しい。
あんなにも、始終、音楽を聴いていた時代の、自分の心が、はるかに遠い。
たとえば、歌詞のあるもの。言葉を追うことに集中してしまい、ほかのことに気を配れなくなる。
たとえば、心をゆさぶる旋律。心がゆさぶられすぎて、やりきれなくなって、平常心を保てなくなる。
ことに、文章を書いているとき、人と話をしているとき、メロディーにいざなわれて、言葉が過度に脚色される。
だからもう、鳥のさえずりとか、木の葉のざわめきとか、虫の鳴き声とか、水の流れ落ちる音とか、
子供の笑う声とか、犬の吠える声とか、飛行機のエンジン音とか、せわしげな車のホーンとか、
そういう音だけで、もう、今のわたしは、いっぱい、いっぱいなのだ。
ごく稀に、とても聴きたいときにだけ、とても聴きたい音楽を、聴く。
ただ、じっとソファーに座り、窓の外を眺めながら、ただ、ひたすらに、音楽だけを、聴く。

 September 26th., 2003 つまみ食い。

「今から帰るね」の電話が鳴ってからキッチンに立つ。
本日のメニュー。前菜はアレギュラとベビー・スピナッチのサラダ。
たっぷりのオリーブオイルで炒めたパインナッツとレーズンをジャッとかけ、バルサミコ・ビネガーを振る。
主菜はプロシュートや
ブロッコリー・ラブ、オリーブ、ガーリックなどを使った、ありあわせ集結自己流パスタ。
いつものように、あらかじめ下ごしらえをしておき、夫が帰宅して、シャワーを浴びている間に調理する。

「タダイマァ〜」という声とともに、玄関の扉が開くのが、いつも、だいたい、40分後。
たいてい、空腹に耐えかねて、彼が帰ってくる前に、ついつい、「つまみ食い」をしてしまう。
今日は金曜だし、と、早々にワインを開け、ついつい、プロシュートを一口。オリーブを一口。
いけない、クラッカーの封を開けて、一枚二枚。また、ついつい、プロシュートを、オリーブを……。
こんな風だから、ヨガをやろうが、何をしようが、ちっとも身体が軽くならない。

 September 25th., 2003 たとえ、通勤時でも、気長に。

時刻表の意味がない。ワシントンDCのバス事情。
思いがけず、いいタイミングで来るときの方が稀で、
いつまでたっても、なかなか来ないことの方が多い。
そんな気がするだけかもしれないけれど。
だから、バスは、気長に待つしかない。
だから、時間に余裕を持って、出かけるに限る。
今朝は、ラッシュアワーに、バス四台連続走行を目撃。
どうするんだまったくこんなにたくさん一気に来られたって困るというものだ。
時刻表によれば、少なくとも5分から10分に1本のはずなのに。
この機を逃した人たちは、いったいどれほど、次のバスを待つ羽目になるのだろう。

 September 24th., 2003 朝の音。

暗闇の中で目を覚ます。

じわじわと朝日が昇るのを眺めながら、今日という一日を調えるために、ヨガをやる。
わたしたちの、ただ呼吸の音だけが、部屋を満たしている。

と、ある瞬間、静寂を破る、パタン、という音。
一日が始まる、合図のように。

新聞が、玄関先に届く音。

 September 23rd., 2003 嫌悪・憎悪・感情混沌

日曜の午後。ソフィア・コッポラという女性監督による映画を見に行った。Lost In Translation という映画。
東京に一時滞在している、米国人中年男優と、米国人の若い女性の、出会いと、日本に対する戸惑い。
日本で公開されるのを、楽しみにしている人もいるかもしれないから、細かく書きはしないけれど。

迂闊にも、時に笑ってしまう自分に腹が立ち、その余りにも過剰な描かれ方に、だんだん気分が悪くなり、
ゲームセンターやカラオケボックスやパチンコの音に頭痛さえ起こり……。
なんなのだ! これが東京なのか? 日本なのか? ユーモア? こんな出方でいいのかサントリー。 

わたしはもう、一生、くっきりと、日本人。これから先、一生、日本で暮らすことがないとしても。
性格が、アメリカナイズされて、「日本人的な味わい」がどんどん薄れていったとしても。

 September 22nd., 2003 街路樹

僕らだって、最初は小さかった。だから、与えられた場所がちっぽけでも、そんなに不自由じゃなかった。
だけど、20年、30年とたつうちに、背丈はぐんぐん伸びて、ほら、幹だって、こんなに太くなった。
根っこもどんどん伸びるんだけど、アスファルトやコンクリートに邪魔されて、思うように足を伸ばせない。
もっと広い場所で育ったとしたら、僕らだって、たかだか風速40マイルに倒れることなんてなかったんだ。
ざわざわ、わさわさと、枝を鳴らし、葉を散らし、ちょっとあたりを散らかすだけで、すんだはずなのに。
なのに、耐えきれず、
電線に倒れかかるもの家の屋根に両手をつくもの……。

春には新芽の息吹を、初夏には爽やかな薫風を、夏には柔らかな木漏れ日を、そして秋には紅葉を……。
いったいどれほどの、人を、犬を、ネコを、リスを、鳥を、僕らは見下ろしてきただろう。何年も、何年も。
まもなく、僕らは、輪切りにされて、トラックでどこかに運ばれて、燃やされて、灰となって、空に舞う。

※6月11日を。

 September 21st., 2003 河畔にて

日曜の夕暮れ時。
ポトマック・ハーバーにて。

いつもは賑わう河畔のテラスは、堤防に遮られ、とても静かだ。
いつもよりも、ずっと水かさを増したポトマック川を、人々は、見つめている。

川の流れは速く、時折、木々の欠片がプカプカと、浮かんでは消え、流れていく。

わたしたちは、映画を観て、夕食をとり、日が暮れたころ、いつもより静かな気持ちで、家路に就く。

 September 20th., 2003 自然にやられる自然

土曜日。郊外へ買い物に出かけようと、3日ぶりに外へでる。
あちこちで、作動していない、暗く寡黙な信号。倒木に遮られ、進入禁止の道路。
わたしたちの窓から見渡す限りでは、さほど見えなかったハリケーンの足跡が、そこここに。

ワシントンDCから、チェーンブリッジを渡り、ヴァージニア州に入る途中。
いつもは穏やかに流れ、中洲では釣りをしている人々が見られる、ポトマック川。
今日は、驚くほどの水かさで、コーヒー牛乳色となり、ごうごうと流れている。
川辺の木々が溺れている。

 September 19th., 2003 過ぎ去ったあとの空。

ワシントン首都圏では、イザベルに翻弄されて、大木が倒れ、電線が破壊され、多くの世帯が停電している。
しかしながら、我が家は幸運なことに、なんの問題もない。
夕べも、「今か今か」と待っていたが、さほどの暴風雨は訪れず、寝ている間も比較的静かだった。
朝、目覚めたら、雲間から垣間見える青空。もうイザベルは、どこか遠くへ行ってしまっていた。

昨日も今日も、ずっと家に籠もっていたので、何だか息が詰まってきた。
しばらくの間、屋上に立ち、心地よい風を受けながら、空を仰ぐ。
ハリケーンが去ったあとの、午後5時の、ワシントンDCの空。
グレコの「トレド風景」のように。なんて不吉で魅惑的な、空!

 September 18th., 2003 イザベル

猛烈なイザベルがやって来るというので、今日は学校がお休み。
午後からはメトロもバスもストップする。連邦政府も今日と明日は業務停止だ。
窓には大粒の雨が打ち付けているけれど、さほど激しくもなく。
夫が、会社から早めに帰宅する途中、DVDとビデオを数本、借りてきた。
念のため、飲料水を買ってくるよう頼んでいたのだが、普通の水が売り切れていたからと、
ペリエのボトルを何本も。非常時には似つかわしくない、丸みのあるやさしいボトル。優雅なグリーン。

テレビでは、まるではしゃいでいるとしか思えない様子で、イザベルの動向を伝える人々。うるさい声。切る。
まだ日の高いうちからワインのボトルを開け、ソファーに腰掛け、本を読む。
週末、ミツワの源吉兆庵で買っていたカステラを切る。柔らかな甘みが、やさしく身体に溶け込んでいく。
不意に与えられた、心静かで、そこはかとなく幸せな、時間。

 September 17th., 2003 大切な言葉

雑誌や新聞などに、自分のことを紹介してもらうのは、とてもありがたいことだと受け止めている一方で、
小さなスペースに、わたしのことがらが、大ざっぱに要約されているとき、たいてい違和感に包まれる。
そこにいるわたしは、「バリバリ」と「突っ走って」いて「たくましい」。まあ、そういう側面もあるけれど。
申し訳ないと思いながらも、今回も、何度か原稿を書き直してもらった。
「日本を脱出」を「日本を飛び出し」にしてもらったのも、日本に暮らす自分を否定したくなかったから。
しかし、ファックスでは見えなかった文字が、今、大きくここに載っている。「あこがれのアメリカへ」。
わたしは、決してアメリカに「あこがれて」来たのではない。この気持ちには結構、意味がある。
あこがれがなかったからこそ、幻滅しても、打ちのめされても、裏切られた気持ちにならずにすんだ。
あこがれ、という言葉は、わたしにとって、とても神聖で深く、渡米前のわたしには、使いこなせなかった。
去年、ニューヨークを離れ、DCに移ったときに、初めて「あこがれ」という言葉を、使った。
わたしはニューヨークに、あこがれていると。そんな一言を、誰が気にしなくても、わたしが気にする。
(69号の最後行)

 September 16th., 2003 影絵

もう最近では、日毎に日が短くなり、ヨガを終えるころ、太陽が昇り始める。
太陽に背を向け、蓮華座で、目を閉じて、ひととき瞑想する。

しばらくの、無心ののち、ゆっくりとまぶたを開く。

窓辺の様子が、黄金色の影絵となって、
ドアや壁に映し出されているのが、目に飛び込んでくる。

温かな光に、全身を包まれながら、深く静かに、一日が始まる。

 September 15th., 2003 家路

そして昨日の夕暮れどき。間もなく日が落ちるころ、家路が近づいてきた。
大きな大きな太陽が、モルモン教会の後ろ側に、じわじわと沈んでいくのが見える。
もうすぐワシントンDC。もうすぐ我が家。約5時間のドライブも、まもなく終わる。

車からたくさんの荷物を下ろし、カートで部屋に運び、食料品を整理し、米を研ぎ炊飯器のスイッチを入れ、
熱いシャワーを浴び、冷たいビールを飲み、炊飯器のスイッチが「ピーッ」と鳴ったら、
冷蔵庫から刺身を取りだして盛り付け、ついでに冷や奴も器に盛り、インスタント味噌汁を入れる。
二人して「いただきます!」というときの、なんともホッとする、幸せな瞬間。
「やっぱり、我が家が落ち着くねえ〜」と毎度のように同じ台詞を言い合いながら、味噌汁をすする瞬間。

 September 14th., 2003 また来るね

式の翌日の日曜日。今回はマンハッタンには立ち寄らず、すんなりと帰ることにした。
しかしその前に、車でマンハッタン入りしたとき恒例のショッピング。
ニュージャージーのエッジウォーターにあるミツワ(旧ヤオハン)で日本の食料品を調達するのだ。
日本直送のサンマをはじめ、さまざまな魚介類や、この店ならではの地鶏など。
アイスボックスを購入して、かなり本気の態勢。今夜のおかずのために、新鮮な刺身も買った。
ワシントン首都圏にもアジア系のスーパーマーケットがいくつかあるけれど、こちらの方がより日本的。
トランクにたっぷりの食料を詰め込んで、さあ、帰るぞ。

途中の高台から、マンハッタンを眺める。昔住んでいたアパートメントを二人で見つける。
「それにしても、ぎゅうぎゅう詰めだね」などと言いながら。

 September 13th., 2003 おめでとう

友人の結婚式に、夫と二人で参列した。
2年前、わたしたちの婚約指輪をコーディネートしてくれた、ジュエリー関係の仕事をしている友人だ。
新郎の故郷であるニューヨークのベッドフォードという小さな町の、コートハウスで式が挙げられた。
日本から訪れた新婦の家族や友人、そして新郎の家族や友人ら。
式の間にも、笑顔がこぼれ、笑い声が起こる、とても温かくて和やかなひとときだった。

式のあとは、すぐそばにあるホールでレセプションが行われた。飲んで食べて語って……。
そのあとは、バンドの演奏に合わせて、踊る。みんな踊る。わたしも夫も、酔いが回るほどに踊る。
あちこちに、笑顔が満ちあふれた、本当に楽しい結婚式だった。おめでとう!

 September 12th., 2003 辟易

明日、ニューヨークの郊外で行われる友人の結婚式に参列するため、夜のハイウェイを、北へ走る。
夜9時を過ぎたころ、そろそろ夕食にしようと思う。
マクドナルド、バーガーキング、ロイ・ロジャース、ケンタッキーフライドチキン……。
ピザやイタリアンレストランの名前も見えるが、いずれもファストフード的なものばかり。
デニーズの看板を見つけたので、ダイナーの方がまだましだろうと入ることにする。
この国じゃ、ちょっと都心からはずれると、料理のボリュームがどっと増え、
味のクオリティがどっと落ち、超肥満した人たちがどっと増える。
揚げ物ばかりのメニューにため息をつきつつ、夫と二人、できるだけ軽めの料理を選ぶ。
朝食メニューにTボーンステーキと目玉焼き、フライドチキンのコンボなどがあるのを、
ドライブで疲労した目が見つけ、余計に疲労している。

 September 11th., 2003 痛み。

今日は9月11日。
国立大聖堂にて、ダライ・ラマのスピーチが行われた。
授業を終えて、大急ぎで向かったけれど、すでに大聖堂の敷地をぐるりと取り囲む長蛇の列。
聖堂内に入れなかった人々は、前庭の芝生に座って、スピーカーから流れてくる彼の声を聞く。
しかし、音声の状況が悪く、あいにく彼の話を聞き取ることができなかった。諦めて帰る。
家の窓を開け放つと、彼の声の断片が、涼やかな風と共に、この部屋にも流れ込んでくる。

一人静かに、2年前の今日のことを、思い返す。
あの日があったからこそ、今この街に暮らす、わたしがいる。

 September 10th., 2003 さらなる海外留学

ここはジョージタウン大学のICC(Intercultural Center)というビルディング。
わたしの通うEFLプログラムの講義や、大学生の外国語の講義などが、このビル内の教室で行われる。
英語を学ぶ教室の隣には、日本語やフランス語を学ぶアメリカの学生たち……。

今日、パブリックスペースで、海外への留学フェアが行われていた。
行き先は、アジア、ヨーロッパ、南米……とさまざま。
夏休みを利用しての短期語学留学もあれば、通年のプログラムもある。
行くあてもないのに、一つ一つのブースを見て回り、フライヤーなどを手にとって、あれこれと眺める。

行くつもりもないのに、なんだか行けるような気分になってくる。

 September 9th., 2003 BLUE ELEPHANT

小さいけれど、ちょっと重たい小包が、日本から届いた。妹からの、バースデープレゼントだ。
包みをほどくと、WEDGWOODのロゴが入った、青い箱。
(ほぅ! 何かしら……)と思いながら、蓋を開ける。
あらまあ、かわいい象の絵柄が入った小皿が5枚! なんてインドな!

冷たくて、きめが細かくて、滑らかで、輝いていて、触れれば肌にしっとりとなじむ、上質の陶磁器。
ただ美しいだけでなく、割れにくい強さもまた、この陶磁器の魅力。ありがとう、妹。

この小さな5枚の皿。さて、何に使おうかしら……。

 September 8th., 2003 いちいち。

書店 衝撃 衝動 消光 焦燥 消耗 消化不良。

書店とは、入り交じる感情の、露見しやすい場所。
クッキング・ブックのコーナーもまた。
美しい装丁の、世界各地の料理の、さまざまなレシピの、写真を眺めるだけで。
作りたい、もてなしたい、食べたい、旅したい、さすらいたい。
さらには、JEAN-GEORGES, JAMIE OLIVER, NIGELLA LAWSON, MARTHA STEWART, DEAN & DELUKA……。

長いのだが、短いのだか、わたしに与えられた時間!

 September 7th., 2003 今年最後のバーベキュー

友人宅に招かれて、今年最後のバーベキュー。
9月の第一月曜日を含めた、レイバーデーウイークエンドが過ぎると、
毎年、きまりごとのように、不思議と、きちんと、秋が来る。

今日は、むしろ真夏のバーベキューより、風が涼しく、空気が乾いていて、
バルコニーで過ごすのには気持ちがよかった。
友人が用意してくれていたチキンやビーフやポーク、そしてコーンなどの野菜類が、
こんがりと、炭火で焼けて、いい香りを漂わせている。

ビールもおいしく、料理もおいしく、会話も楽しく、夕暮れが、瞬く間に夜になる。

 September 6th., 2003 歳月。

シルクロード、荒野、平原、キャラバン、中央アジア、遊牧、ジプシー、流浪……。
そんなモチーフが散りばめられた、レストランにて。聞いたことのない、懐かしい曲に包まれながら。
こんなにも潔く、歩いているのに。
何を見ても、何かを思い出す。何を聞いても、何かを思い出す。
処分できない記憶の蓄積が、いつもすぐそばにあり、ふとした拍子に、あふれ出す。
ほのかに漂ってくるガラムの香りに、視線が遠くなる。
歳を重ねるとは、多分こういうことなのだろう。
いつまでも、清らかに澄んだ水底に眠る、石のように。

Mie N Yu / Georgetown, Washington DC

 September 5th., 2003 叫び

朝日はもう、夏のそれではなく。
言葉が砕け散る、悲壮美。
どうして、こんな色が。

「神様!」と、叫ぶ深淵より。

窓を開けば、
乾いた、冷たい風が、滑り込み、
すでに秋。

 September 4th., 2003 もっと広さを!

小学校に上がる前、ピンク色した「クロガネの学習机」が子供部屋に届いたときのうれしかったこと!
新しいスチールの匂い、引き出しを開けるときの音、腕を押しつけたときの冷たい感触……。
以来、「机」は私にとって、家のなかで一番落ち着く場所だ。
別に勉強をするためだけじゃない。何をするにも、何となく、机に向かう。
広々としている机が好きだから、今も、書斎には通称「社長机」と「コンピュータ机」がある。
その二つと本棚に囲まれるようにして、わたしは座っている。ここがわたしの定位置。

だから、学校の教室の、この小さな椅子と机は、本当に窮屈で仕方ない。机がせめて2倍ほど大きくて、ノートやテキストをゆっくりと広げられれば、学生の集中力も向上するに違いないと、真剣に思う。

 September 3rd., 2003 五感で季節を感じる朝。

自宅から8分ほど歩いたところに、ジョージタウン大学のシャトルバスが迎えに来る。
バスは10分おきにやってきて、ここから5分で大学に着く。
大学生や、大学院生や、教授や、職員や、大学病院のスタッフや、語学学校の学生、
さまざまな年齢の、さまざまな人種の人たちが、このバスに乗り合わせる。

普段は家で仕事をしているから、朝早く出かけることは少ない。
だから、毎朝のように、朝日を浴び、爽やかな空気を吸い込み、緑の木々の匂いを嗅ぎながら、
こうして歩く8分間が、何とも言えず気持ちいい。

いよいよ日も短くなってきたこのごろ。木々が色づき始める秋は、もうそこまで来ている。

 September 2nd., 2003 味よりも、缶……?

最近では、お茶を楽しむ人が多くなったようだ。ここアメリカでも。
ブラックティー(紅茶)ばかりではなく、グリーンティー(緑茶)も、
スーパーマーケットなどで、よく目にするようになった。
こんな円柱形の美しい缶に、丸くて平べったいティーバックが詰め込まれている。

グリーンティーと言っても、日本のそれとは少々違って、
フルーツやミントのフレイバーが加わった独特のお茶も少なくない。
もちろん、砂糖を加えて飲む人もいる。

日本の実家から送られてきた、「正統な緑茶」を飲むわたしは、これらを眺めるだけで、買わない。

 September 1st., 2003 近くて遠い人。

連休最後の日。夫は午後から、書斎に籠もっている。
10年前に亡くなった母のメモワールを、インドに住む姉が自費出版するという。
そのメモワールに載せるための原稿を、夫は今、書いている。
子供時代の、母との思い出を、じわじわと、思い出しながら。
時に、クスリと笑いながら。
時に、深いため息を付きながら。
わたしは、キッチンに立ち、彼の祖国の料理を作る。
さまざまなスパイスの匂いが、部屋中に立ちこめる。
じわじわと、黄金色に染まっていく鍋の中を見つめながら、彼の子供時代に思いを馳せる。

ラム肉・玉ネギ・ユーコンポテトのドライカレーと、ラジマ(いんげん豆とトマト、玉ネギの煮込み)

 

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