●はぜトウモロコシ

井伏鱒二が翻訳した作品に差別表現が多々含まれていたから見直されるという記事を読んだ。

差別用語。東京時代、出版・広告業界で仕事をしていたころ、これには本当に頭を抱えさせられた。

「アイヌ人」は差別用語だから「アイヌの人々」にしなければいけない。

「ジプシー」は差別用語だから「ロマ民族」にせねばならない。それじゃあ、なんのことやらわからん、って。

床屋、八百屋、だめ。

すぐには思い浮かばないけど、もっといろいろあったなあ。

ところが、昔の小説や雑誌なんかを読んでると、差別用語だらけで逆に笑えるんだな。

日本でフリーライターをやっていたときのこと。あるとき、JTB出版の「旅」の仕事で、編集者と数十年前のバックナンバーに目を通していた。

今ではやたらと用語規制が厳しい旅行関係の出版物だが、かつての紀行文の写真キャプションに、現在なら「原住民と記念撮影」となるべきところを、「土人と記念撮影」とあったのだ。

「うわっ! **さん、これ見てくださいよ。どじんだって、どじん!」

素直かつ声の大きい私は、編集部中に響きわたるような大声で笑いながら言った。編集の**さん、顔が引きつってた。……ごめん。若かったの。

だいたい翻訳物では黒人を「黒ん坊」と呼んでいるし、その他検閲したり改訂したりしていたらきりがないくらい、びっくりするような用語が使われているものだ。

だからもう、過去のものは過去のものとして、翻訳された年月(初版発行)を明記していれば、そのまま出版していてもいいのではないかとさえ思える。最後に注釈を載せるとかしてさ。

ところでこの間フォークナーの短編集を読んだんだけど、読みづらかったわ。何しろ言葉遣いが古くて古くて。

さらには差別表現と言うよりも、黒人差別がまかり通っていた時代の小説だから、文章そのものが差別的なのだが、差別云々はおいといて、不可思議な名詞が出てきて一瞬、目が止まった。

「あたしのとこに、はぜトウモロコシがあるのよ」

はぜトウモロコシ……?。はぜトウモロコシとは、そう。ポップコーンのことなのだ。差別用語よりもこのような表記の方が優先的に改訂されるべきと思うのだが、いかがなものか。(2/5/02)

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