●幸せな紙

別に職業柄、というわけではない。子供の頃から、紙やインクの匂いが好きだった。特に、まっさらな新しいノートをめくったときの手触りやその香り。ついでに言えば、真新しいランドセルの革の匂いも好きだった。

昨日、ペーパーショップに何気なく入り、以前、パリで買ったのと同じエアメイル用のブルーの便せんを見つけた。すべすべとした手触りで、刻印もまたさりげなくお洒落。そういう紙をみると、自ずと気分が良くなる。

アメリカの文房具というのは、いい意味でも悪い意味でも、ひたすら合理的だ。同じデザイン、規格のものが、何十年も使い続けられている。

レポート用紙などもガサガサと荒い紙質の物が多く、表紙もなくいきなり一枚目になっている。

ノートにしてもやたらと分厚く、やはり紙質は荒く、書きにくいことこの上ない。裏写りはするし、破れやすいし、しかしこれもまた昔からいっこうにかわっていない。

私は、取材などのメモでやがては捨ててしまう物を除いて、記録用にはフランスのClairefontaine というメーカーのノートを使っている。高級文具店に行くと置いてあるこのノート。一般のノートに比べればやや割高だけれど、その価値は十分にある。

美しい発色の丈夫な表紙、すべすべと滑らかな紙質。ボールペンを心地よく走らせられる。サイズや規格もさまざまあり、用途に合わせて選ぶことが出来る。きれいなノートだからビリビリやぶったりせず、大切に使おうという気持ちにもなる。

そうなのだ。ヨーロッパとアメリカの大きな違いは、ノート一つにも見て取れるのだ。あまねくアメリカの製品は合理的で大量で、一見無駄がないように見えるけど、しかし「大切に」「愛おしんで」使おうという気持ちは育たない。ひたすら消費するだけだ。

しかし、「配慮されて」作られた物は、同じ目的に使うにせよ「配慮して」消費する。そういう配慮のある文化が、私は好きだ。それは日本もヨーロッパにも通じるところがあるかもしれない。

ただ、日本の場合は、機能性を追求するあまりに本来の目的から逸れてしまい、過剰に手の込んだ商品が誕生し、持続せぬまま消え去るというそのサイクルが余りにも早い気がするが……。(2/5/02)


Clairefontaine のノート。小さなメモ用紙などもある。

 


アメリカの一般的なノート。紙質が荒く、裏写りしやすい。

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