私が一生懸命になれること、それは女優の仕事しかないんです
Mari Umatani 馬谷麻里さん大阪府出身。高校卒業後、マサチューセッツ州ボストンのディーン・カレッジに留学。卒業後ニューヨークへ。現在、ダンススクールなどに通う傍ら、オーディションを受ける毎日を送っている。
小さいころから、父親に英語を習っていた。祖父の仕事の関係で、父親は上海生まれ。やがて日本に戻り、貿易の仕事を始めてからも、海外出張の多い生活を送っていた。ミュージカルや洋画が大好きで、アメリカの文化に傾倒していた父と、茶道や華道をたしなみ、日本文化に造詣の深い母との間で育った。
「父のオフィスは、日本にある会社とは思えないくらい、アメリカンなインテリアで整えられていました。ヘアスタイルまで、ジョン・F・ケネディを意識していましたから」
麻里さんが高校に進学する時、英語科のあるインターナショナルな学校を両親に勧められた。両親は、彼女が将来、英語が使える商社などに就職することを望んでいた。
アメリカ人教師のもとで生きた英語を学べること以上に、麻里さんに刺激を与えたのは、クラスメートたちだった。友人の大半は海外での生活経験がある帰国子女ばかり。日常会話の中に、海外の話がどんどん出てくる。また、学内の交換留学制度で、アメリカやイギリスに留学する生徒も少なくない。好奇心は膨らむばかりだ。高校生活を始めてまもなく、彼女は交換留学に参加しようと決めた。
ところが、高校2年の時、父親が肺ガンに冒されていることがわかる。留学できる状況ではなくなった。病床の父を見舞った折、高校卒業後は米国に留学したい旨を告げる。自分の余命が幾許もないことを知っていた父は、「一生の間に使える時間は限られているから、自分の好きなことをしなさい」と麻里さんを励ました。そして翌年、父親は他界。
「父が亡くなった直後で、母や周りの人に反対されたけれど、どうしても留学を諦めきれなかった。高校を卒業した年の9月に、ボストンのディーン・カレッジに入学しました」
カレッジではシアターアーツを専攻。選んだ理由は、子供の頃からピアノや声楽を、中学時代に体操、高校時代にはジャズダンスをやっていたということもあるが、ミュージカルなどが好きだった父親の影響もあった。
ディーン・カレッジでアクティングやディレクティング、シアター、プロダクションなどを学ぶ一方、友人に誘われて遊びに来たニューヨークに刺激を受け、NYUのミュージカルシアターのワークショップに参加したり、ダンススクールに通ったりした。空いている時間はひたすら実践にあてた。
「私があちこちのカレッジやスクールに行ったのは、演劇を徹底的に学びたかったから。あれこれ専攻するのではなく、やりたいところだけを選んだんです」
学歴を意識したことはなかった。演劇に必要なのは、自分自身。自分が資本だから、歌えて踊れればいいと思っていた。
これと決めたら迷わず突き進んできたが、卒業後の将来像は、見えていなかった。就職するつもりも、日本に帰るつもりもなかった。
カレッジを卒業し、マンハッタンに居を移してからの数年間は、昼間はアルバイト、夜は遊び回ることを繰り返す。
「毎晩クラブやライブ、コンサートに出かけていました。マンハッタン中のクラブに友達がいたくらいです。バイトで稼いだお金は家賃と洋服と、タクシー代に消えました。今思えば、本当に弾けてましたね、私」
しかし、そんな生活にもだんだん息切れするようになってきた。クラブでは、人種、職種を問わず、さまざまな人に出会った。遊び仲間の中でも魅力のある人は、何か一芸に秀でていて、それが強みになっていた。
では、自分には、何があるのか。
そろそろ次のステップを踏み出さねばならない。でも、日々のサイクルから抜け出せない。頭を冷やし、じっくりと物事を考えるために、一時日本へ帰国した。25歳の時だった。
「私にはダンスがある。女優を目標にして動き出そう。ニューヨークに戻って来てから、数年ぶりに本気でレッスンを始めたんです」
演劇の学校に通う一方で、ダンスを続ける。生活費は、撮影のコーディネートや通訳など、フリーランスの仕事で賄う日々が始まった。
現在は、二つのエージェントと契約、週3回はオーディションを受けている。
「オーディションは、もちろん実力も大切だけど、運やタイミングもある。相手のニーズとの相性もあるから、とにかく数を当たらなければダメ。受からなかったからといって、いちいち落ち込んではいられません」
「私は自分を『アジア人』として売っているから、どこから見てもアジア人っぽくしていることが基本。まだ自分自身のキャラクターが確立されていないけれど、いつかは自分に合ったスタイルを極めていきたいですね」
今はエンターテインメントとしての演劇が盛んなロサンゼルスに興味がある。ロスのエージェントを探している最中だ。
「私には、女優以外、一生懸命になれる仕事がない。いいエージェントが見つかって、定期的に舞台や映画の仕事が入ってくる、そんな状況になることが、目下の目標です」
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