国際親善の夕べ

 夕食の席は、ツアーの団体が一斉に押しかけ、昨日のくつろいだ雰囲気は、かけらもなかった。食事を終えたのち、わたしは持参の折り紙などをひっぱり出し、ツルや風船なんかを折って、タイワンたちと折り紙教室を始めた。

 ほかのアメリカ人のおばさんたちも興味を持って、あれこれと尋ねてくる。わたしは小学校で使うソプラノ笛も持ってきていたので、日本の学童唱歌などを2、3曲演奏したりもした。まさに、お子様向けエンターティナー。自分でも妙な奴だとは思ったが、楽しければ、それでいいではないか。

 わたしたちがひたすら盛り上がっていると、別のテーブルのアメリカ人のグループが「こちらのテーブルにいらっしゃいよ、一緒に話しましょう」と誘う。男女5、6人のグループ。昨日の空港でのハプニングについて「わたしたちのガイドが申請を間違っていたせいで、あんなことになったの。あなたは何も悪くなかったわ、ごめんなさい」と、みんなが謝ってくれる。

 だが「ほかの人たちの中にはまだ、あなたに反感を持っている人がいるけれど、気にしないで」なんていわれてしまう。自分が悪いなんてかけらも思っていなかったので、気分が悪かった。そのあとの話題といえば、経済や政治の話。みんなでよってたかって、「日本の今をどう思うか」なんて詰問するもんだから、極めて限られた単語の中での受け答えに苦悩し、しかも話は次第にややこしくなる。

 ホームルームの時間に吊るし上げになっている生徒のような気分だ。しかも一人の男性が、わたしの発言にいちいち訂正を入れ、発音しなおしてはリピートさせる。とりあえず通じてるんなら見逃してくれよ、と思ったけれど、まったく容赦ない。

 食堂が閉鎖し、みんなが帰ったあとも、「発音訂正男」はわたしを呼び止め、しばらく外で話そう、と誘う。断ることもできず、わたしたちは寒風吹きすさぶ荒野を眺めながら、缶ビールを片手に、日本の文化、アメリカの文化について語り合った。空には満天の星と、白く輝く月。こんなすばらしい夜なのに、なぜわたしは発音訂正の嵐の中で、この兄さんと過ごさねばないのだろう。そう思うと、なんともやりきれなかった。国際親善の壁は厚い。

 

史上最高の飛行機酔い

 9月17日(木曜日)。予定より一日長い滞在を終えたわたしたちは、アメリカのツアー客と共に、50人乗りのプロペラ機に搭乗した。この飛行機は、行きの飛行機より大きいのに、その乗り心地たるや最悪のものだった。

 薄っぺらのシートは背もたれがバタンと倒れる折畳式。噂には聞いていたが、なんとも頼りない。シートベルトもとりあえず付けてますという感じで、あまり役に立ちそうにない。タイヤは相変わらずつるつるに擦り減っているし……。しかし、そんなことをいちいち気にしていては身が持たないので、余計なことは考えないことにした。

 ところが、この飛行機ときたら、離陸した瞬間からずーっと微振動を続けたまま、ちっとも落ち着かないのだ。プロペラの振動が背中にダイレクトに伝わるし、やたら蒸し暑いしで、気分は徐々に悪くなっていった。他の乗客も多少は気持ち悪そうだが、昼食直後の満腹状態だったわたしとタイワンは、飛びぬけて具合が悪かった。

 大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせるのだが、そんな自己暗示などこっぱみじんにぶっ飛んでしまうほど、気持ち悪い。頭はクラクラ、胸はムカムカ。全身から血の気が引き、あぶら汗が流れる。意識が朦朧とする。

 タイワンに至っては、あまりの気持ちの悪さに嗚咽を上げ、涙を流している。今まで何度もこの飛行機に乗ったけれど、こんなに気持ち悪いのは初めてだと、息も絶え絶えに訴える。

 気持ち悪さが頂点に達したころ、神の救いか、途中の町の人々を乗せるということで、飛行機は下降を始めた。着いた途端、乗務員の「降りてはいけません」という声を振り切って、ヨレヨレになりながら外へ出る。それはそれは、ゲーゲーと吐いた。気を失うかと思った。

 こんなにヘビーな乗り物酔いは生まれて初めてだ。二度とゴビ砂漠になんか来るもんかと思った。もう飛行機なんて乗りたくない。この町に置き去りにしてくれ、と思った。しかし乗務員は容赦ない。わたしたちはせきたてられながら、再びヨレヨレになって機内に乗り込んだ。乗務員はわたしたちに汚物用の袋を手渡す。まるで子供だ。

 それからも気持ち悪さはおさまることなく、この健気な娘たちに襲いかかる。汚物袋をしっかりと握り締めて、苦痛に耐えた。そんな強烈な悪状況の中、気丈なタイワンはフラフラと操縦室に向かって行った。

 なんと彼女は操縦士たちに「あなたたち、夕べお酒を飲み過ぎたから、きちんと操縦できないんでしょう!」と詰め寄ったらしい。そんなばかな。彼女はそれでも追及し続けたという。たくましすぎる。マネージャーの彼もかたなしだ。

 地獄のような1時間半の旅を終え、タラップを降りたタイワンとわたしは、歩くことさえできず、冷たい風が吹き抜ける駐機場にへたへたと座り込み、随分長いこと放心していた。「なんでわたしたちだけ、こんな具合が悪いの〜」と、ヘラヘラ笑いながら、とりあえずたどり着けたことに感謝した。もう、二度と、ゴビへの飛行機なんて乗りたくない。もう二度と…。

 

シャワーの悲劇

 やっとの思いでウランバートルに辿り着いたわたしは、ゆっくりと身体を休めたかった。いい加減、シャワーが浴びたい。かたくなに旅費を節約することもない。料金が高いことを覚悟で、ウランバートルの二大ホテルのひとつ、バヤンゴール・ホテルに泊まることにした。

 このホテルには、ゴビ砂漠ツアーで一緒だった、ロレンソやアメリカツアーの人たちも泊まっている。知っている人がいるほうが、何かと心強い。個人客だと1泊58USドル。初日に泊まったマンドハイ・ホテルに比べると随分高いけれど、温かいシャワーが浴びられるなら、それでいい。

 ガシャン、ドスン、スーッ、バタンと、激しい音をたてながら大袈裟に動くエレベーターで10階まで昇る。殺風景だが、一応、清潔な部屋だ。テレビやラジオは当然ついていないが、そんなものはなくても別に構わない。

 部屋に入るやいなや汚れた服を脱ぎ捨て、6日間の汚れを落とそうと、わくわくしながら蛇口をひねる。しかし、いっこうにお湯は出てこない。待てど暮らせど、ぬるーいお湯がちょろちょろ出るばかり。ああ。何のためにここに泊まるのか。すでに、素っ裸になっていたわたしは、引くに引けず、蛇口にすがりつくようにして、そのぬるいお湯を浴びた。…寒い。…虚しい。


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