草原に浮かぶ都市 

 ウランバートル。草原のただ中に、忽然と現れた町。駅のホームでは、出迎えの人々がたくさん待っていた。太陽はすでに傾いている。この時間から安いホテルを探し回るのは大変に違いない。そこで、今日のところはとりあえず、一般の海外旅行者が訪れるという、ウランバートル最大のホテル「ウランバートル・ホテル」に行くことにした。その由をニェンモチルに告げると、友達が迎えにきてるから、車でホテルまで送ってくれるという。駅周辺を見回したところ、タクシーらしき車は一台も見当たらなかったので、ありがたく送ってもらうことにした。

 スカーンと視界の開けた町。広い広い道路の脇に、大きな建物がドスン、ドスンという感じで並んでいる。活気がなく、しんと静かだ。夕日が町全体を黄金色に染めている。近代的なビルや団地が、やけに無機質に見える。

 広い広い広場の脇の、大きな建物の前でクルマはとまった。ここがウランバートル・ホテルらしい。ここでニェンモチルと別れた。 

 古びたガラスのドアを開ける。ドアマンはいない。ロビーは薄暗く、明かりが点いていない。がらんとしていてひとけもまばらだ。ここが本当にウランバートルで一番大きなホテルなのか。しばし呆然としてしまう。資本主義国の、賑々しい派手なホテルを見慣れていたわたしには、信じられないほど簡素に見える。

 気を取り直し、空室の状況と料金について尋ねようと思い、レセプションに向かう。ところが英語が通じない。いつでも英語ができるスタッフがいるとは限らないということが、あとになってわかった。わたしはなんとか今夜一晩だけでも泊まりたかったので、懸命にゼスチャー込みで訴えるのだが、なかなかわかってもらえない。

 やれやれ、どうしたものかと思った矢先に「どうしましたか」と、背後から日本語が聞こえてきた。振り返るとそこに、丸顔で目がくりっとした、ほっぺたの赤い女性が立っていた。彼女は日本人の観光客を連れて、今しがたこのホテルに着いたらしい、通訳のモンゴル人女子大生だった。

 彼女は「あなたのガイドはだれですか」「どうやって来ましたか」と、根掘り葉掘り尋ねる。北京から列車で来て、ホテルを予約していなかったから、今、ここに泊まろうかと思ってきたのだ、だけどもし安いところがあればそこに泊まりたい、というようなことを彼女にいうと、「しんじられません」「ひとりで来ましたか」「おもしろい人ですね」という。そして、ここより安いホテルを知っているから連れて行ってあげましょう、という。15分ほど歩いたところにあるらしい。彼女についてきてもらうのは申し訳ないので、一人で行くから大丈夫だというと、「英語が通じないからわたしが交渉します」という。

 そばのソファーに座って、わたしたちのやりとりを見ていたモンゴル人の青年が、今度は英語で「どうしましたか」と尋ねてくる。またも一部始終を説明すると、「車でホテルまで送ってあげましょう」という。どうして、こんなに親切にしてもらえるのかわからなかったが、疲れていたので、お言葉に甘えて送ってもらうことにした。

 マンドハイ・ホテル。中国人が経営する小さな5階建てのホテル。エレベーターはなくトイレとシャワーは共同だが1泊16USドル、約2000円は安い。ここに泊まることにした。彼女たちの好意に感謝しつつ、別れを告げる。二人ともなにかあったら連絡してくれといって、電話番号を残して帰った。

 

さまよいの果ての夕食

 この小さなホテルのレストランは、すでに閉店していた。しかし、おなかがぺこぺこだ。何か食べたい。レセプションでは英語が通じないから、ロビーにいた欧米人の客に、近くにレストランがあるのを知らないかと尋ねる。歩いて15分ほどのところに、中国料理店があるという。それ以外はないに等しいらしい。あとは外国人旅行者向けの、ウランバートル・ホテルやバヤンゴール・ホテルのレストランだけだ。

 とりあえず、中国料理店に向かう。最早、太陽は沈んでしまった。がらんとした町。公団住宅のような団地の中を通過して大通りに出る。街灯がなく、だだっ広い道路を横切る。

 歩けども歩けども繁華街が見あたらない。寒いし暗いし心細い。なんと寂しい場所だろう。団地の中を牛が歩いている。野良牛か。一体だれのものなのだ。暗闇の中を疲れきった足取りで歩き、ようやくたどり着いた中国料理店は、まだ9時にもなっていないのに閉店していた。打ちのめされた気持ちになった。

 こんな暗い町をこれ以上歩きたくないが、限りなく空腹だ。夕食をあきらめきれない。われながら恐るべき食欲だ。わたしは、さらに歩いて15分ほどの場所にあるバヤンゴール・ホテルを目指した。大きな大きな満月の光が何よりの頼りだ。

 どうにかホテルにたどり着き、学生食堂のような無機質で飾り気のないレストランであわただしく食事をとったのち、来た道を足早に引き返す。それにしても、なんて暗い夜道なのだろう。ここが山の中や砂漠の真ん中だというのなら話はわかる。しかし、ここは仮にも一国の首都だ。草原の中に浮かぶ都市。こんなにも広い空の下に、鉄筋コンクリートの建物は冷たく寂しすぎる。

 

救世主、タイワンバヤル

 9月14日(月曜日)。今朝は薄い毛布が寒くて目が覚めた。昨夜、シャワーが壊れてしまったとかで、お湯が出ず、仕方なくそのまま眠った。一昨日の夜は車中だったから、当然お風呂に入っていない。従って、かなり気分の悪い目覚めだ。古びたカーテンを開け、立て付けの悪い窓を強引に開ける。冷たい風が吹き込んでくる。空は一面、どんよりとした雲に覆われている。音のない静かな朝だった。

 わたしが、このモンゴル旅行に先立ち、日本で手配してきたことといえば、北京−成田間の往復の航空券と北京-ウランバートル間の国際列車の予約、それからウランバートル-北京間の航空券だけだった。ホテルは着いてから探せばいいと思っていたし、モンゴル国内の移動も行けば何とかなると思っていた。

 そんな旅の企てがいかに無謀で世間知らず(モンゴル知らず)だったかを、先程からしみじみと思い知らされている。それと同時に、自分の幸運さに感謝せずにはいられない。

 今は午後1時45分。ホテルの部屋で、彼女が来るのを待っている。彼女とは、昨夜わたしをこのホテルに導いてくれた女性、タイワンバヤルさんだ。なぜ、わたしは彼女を待っているのか?

 今朝、ホテルで朝食をとったあと、ゴビ砂漠へのツアーの申し込みと航空券の予約再確認(リコンファーム)を頼むために、ウランバートル・ホテル内にあるという旅行会社を訪ねた。ジュルチン・ツアーズという、モンゴル唯一の旅行会社だ。

 ホテルに到着し、ジュルチン・ツアーズはどこにあるのかと、ホテルのスタッフらしき人たちに尋ねるのだが、どの人もよく分からないらしく、場所を教えてくれない。ホテルの中をうろうろ歩いてみるものの、らちがあかない。どうしたものかと途方にくれていると、またもタイワンバヤルさんが現れた。

 昨日の話だと、彼女は今朝、日本人旅行者を連れてゴビ砂漠へ飛んでいるはずだった。ところがタイワンバヤルさんによると、朝、空港へ行ったら自分のチケットが用意されておらず、やむなく引き返してきたのだという。

 彼女に、ゴビ砂漠のツアーに参加したくてジュルチン・ツアーズを探しているのだと告げると、ジュルチン・ツアーズはバヤンゴール・ホテルに移転したから一緒に行きましょうという。寒風が吹きすさぶ中、バヤンゴール・ホテルまでの15分ほどの道のりを、彼女とともに歩いた。

 バヤンゴール・ホテルに着き、彼女がゴビ砂漠のツアーについて係の人に聞いてくれる。わたしは航空券と宿泊さえ予約できればいいと思っていたのだが、そういうわけにはいかないらしく、ガイドをつけなければならないという。ガイド込みで1泊2日200USドル(約25,000円)。

 わたしが渋っていると、「わたしの友達が航空会社に勤めているから、その人に頼んであげます」とタイワンバヤルさんが小声でいう。しかも彼女がガイドとして、無料で同行してくれるというのだ。申し訳ないからいいよ、というわたしに、「大丈夫です。わたしはそうするべきです」という。それから彼女はわたしの航空券のリコンファームも引き受けてくれた。

 普通、どこの国でも、リコンファームといえば、航空会社に直接電話するか、旅行代理店のカウンターなどに申し出ればできるものだ。ところが驚いたことにモンゴルでは、航空会社ではできないという。それではどこでするのか。それもすべてジュルチン・ツアーズが引き受けているのだという。しかも、リコンファーム担当の男性スタッフに直接手渡し、彼の「OK」というサインをもらわないことには、そのチケットは無効だという。

 電話で済まないどころか、外出していて、いつ戻るともしれない彼を待たねばならないのだ。もちろんツアーで訪れた旅行者は、あらかじめガイドが手配しておくから、待つ必要はない。わたしのように純粋にフリーで来た旅行者は、まったく面倒なことをさせられるのだ。

 しかしながらタイワンバヤルさんとの出会いで、わたしはこの面倒を随分免れることができた。彼女が、その仕事を引き受けてくれたから。そういうわけで、わたしはホテルで、彼女が航空券を手配してきてくれるのを待っている。

 


●モンゴルの気候

モンゴルは典型的な大陸性気候。年間250日が晴天。7月の平均気温は、大部分の土地で12〜20℃。場所によっては、最高気温が40℃を超えるところもある。1月の寒い時期にはマイナス45〜50℃になる。また、昼夜の寒暖の差が非常に激しい。年間を通して、空気が非常に乾燥している。


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