JUNE 13, 2005/ DAY 1
WASHINGTON, DC
そしてついに、出発のとき。虹に見送られて旅立つ夕暮れ

2005年6月13日月曜日。ついに、ワシントンDCを離れる日が訪れた。2002年の1月に引っ越して以来、ちょうど3年半が過ぎた。今日は午前中にストレージルームの業者が訪れることになっていたので、やり残した荷造りを早朝から片付けるが、次から次に、こまごまと物があふれてきて、気が遠くなる。

予定より遅れてきた業者も、なんとか午後2時には作業を終えた。車で運ぶつもりの荷物が、予想を大幅に上回ってしまったので、車で2度にわけてUPS(宅配会社)のオフィスに運びに行く。それから部屋を片付けて、シャワーを浴びたころにはすでに午後7時を回っていた。

3時頃にはここを離れる予定だったのに……と思いながら窓の外に目をやったら、虹が弧を描いて空に浮かんでいるのが見えた。大急ぎで屋上に走って行く。するともう、本当に、見事な半円の虹が、くっきりと空に浮かんでいるではないか。まるでわたしたちの旅立ちを祝福してくれているように。

虹は、ときに二重になりながら、消えては現れ、消えては現れ、わたしたちが準備を終えて出発する間際まで、ずいぶん長いこと空にあった。

きれいに片づけを終えた部屋を、一つ一つ、見回して行く。わずか3年半だったにも関わらず、このアパートメントでの出来事が次々に脳裏に浮かんできて、涙があふれてきた。離れる時になってはじめて、この部屋に対する愛着が、自分でも驚くほどに込み上げてきて戸惑う。

結婚したわたしたちが、初めて一緒に暮らした場所。ここに引っ越してきた日、義父ロメイシュが電話で言った言葉を思い出す。

「ミホ。僕は本当にうれしいよ。今日は今までの人生で、一番うれしい日だよ」

父子揃って「人生で一番」という表現を乱用する二人である。それはともかく、彼がいかに、息子の一人暮らしを安じていたかが察せられる発言ではあった。

ここで一緒に暮らしはじめ、パーティーを開いたり、日印の家族を招いたり、『街の灯』を出版したり、あちこち旅行に出かけたり、学校に通ったり、多くの人に出会ったりした。ご近所への散歩も、数えきれないくらい出かけた。

父や友人を亡くしたり、子供が授からないとわかったりと、楽しい出来事ばかりではなかったけれど、それでも、過ぎてしまえばすべての思い出が渾沌と入り交じり、心の中に優しく溶け込んでいる。なにもかもが、美しく輝く七色の虹となって、わたしたちを見守ってくれているように思えた。

ビルディングのフロントデスクに鍵を返し、軽くなったキーホルダーをバッグの中にしまう。今、手元にあるのは、車の鍵だけだ。さあ。ついには宿無しの我々。もう、先へ進むしかないのだ。

[DAY 1/ Miles Driven: 65 (65)]


大好きだったアパートメントビルディング、ALBAN TOWERSとも今日でお別れ。当面は、愛車「ホンダ・アコード」が我々の拠点だ。

業者が荷物を引き取って、がらんとした部屋で。でもまだまだ後片付けや荷造りが残っている。ランチに相応しいなにもなく、耐熱グラスにインスタント味噌汁を入れ、パーティーの残りのカクテル・ブレッドを食す夫。片づけの最中に発掘した、わたしと出会う前に買ったシャツを、懐かしんで着用している。

部屋の窓から虹を見つけた我々は、大急ぎで屋上へ。写真を撮らなきゃ! と、虹へ向かって駆ける夫。

カテドラルともお別れ。右端に、少し虹が見えている。

わたしのカメラではとてもおさまらない、大きく弧を描いた虹。

ワシントン記念塔のあたりが虹に照らされている。

書斎だった部屋。コンピュータのスクリーン越しに、窓からの風景が眺められる、お気に入りの部屋だった。

がらんとしてしまったリヴィングルーム。

さあ、大量の荷物を車に積み込んで、出発だ。

さよなら504。

お世話になりました。

このラウンジも好きだった。

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